第296話 記憶媒体〈石英〉re


 怪物は怒り狂いながらえると、猛烈な一撃を繰り出してきた。身体からだを横にらして攻撃を受け流そうとしたが、人間離れした恐ろしい力がこもっていて、衝撃で壁に勢いよく叩きつけられてしまう。


 狼にも昆虫にも似たおぞましい変異体は、自身の血液に濡れた体毛を振り乱しながら向かってくる。威圧的な恐怖を伴いながら眼前に迫る怪物の牙をかわすと、胸元のナイフに手を伸ばした。


 振り上げたナイフは照明を受けて白い閃光を残し、怪物の首に深く突き刺さった。刃は体毛の奥にある鎧のような皮膚を破り、太い血管を容赦なく切断した。そのままみにくい怪物の胴体を蹴り飛ばすようにしてナイフを引き抜くと、怪物は噴き出す血液を止めようとして首を乱暴に押さえると、よろよろと後退あとずさり、そして力なく倒れた。


 息を整えていると、騒がしい銃声が立つ続けに聞こえてきた。視線を上げると、通路の奥から向かってくる怪物が銃弾を受けて体勢を崩し、その場に転び、後続の怪物を巻き込むようにして倒れていくのが見えた。


 そこへ擲弾てきだんが飛んでいき、破裂音を轟かせ鉄片ばら撒き怪物の身体を引き裂いていく。振り返ると、壁に背中をつけるようにして身体を支えていたノイの姿が見えた。どうやら援護射撃を行ってくれたのは彼だったようだ。


 ノイに肩を貸して一緒に出口へと向かう。彼が寄り掛かっていた壁には、傷口から流れ出した血液がべっとりと残されていた。


『レイ』カグヤの声が内耳に聞こえる。

『管理システムの自動操縦に関する設定項目を見つけた。これでこの浮遊施設は砂漠地帯に向かうように進路を変更してくれるはずだよ』


「さすがだな、カグヤ。これで何とか危機を脱することができそうだ」

『でも設定は完璧じゃない』


「どういうことだ?」

 怪物の咆哮が聞こえると振り向いて、後方から迫ってきていた怪物に向けて〈貫通弾〉を撃ち込む。数体の怪物が派手に吹き飛ぶのを確認すると、ノイを支えながら歩き出した。


『施設内の〝何か〟が私の操作を妨害してるんだ』

「どうしても海に行きたいってわけか……」

 溜息をつくと、ノイを支え直した。


『だからね、この巨体な浄水施設は砂漠地帯には向かうけど、どこに墜落するのかは見当もつかない』


「それは問題ない。広大な砂漠地帯に生物はほとんどいない、だから他者に被害が及ぶ可能性も少ない」


『でもまだ安心はできないんだけどね』

 通路の先から三機のドローンが飛んでくると、我々の背後に迫っていた怪物に対して射撃を始めた。


 拡張現実で表示されていた簡易地図ミニマップを素早く確認したあと、カグヤにたずねる。

「どうしてドローンが戻ってきたんだ? ミスズたちは?」


『何度も襲撃にあったけど、今は施設を出て輸送機に向かってる。だからドローンにはレイたちの支援をさせる』


「あとは俺たちが脱出するだけか」

『そういうこと。それに出口は近い、ノイもあと少しだけの辛抱だよ』


「俺なら大丈夫っすよ」ノイは弱々しく言って足を動かし続けた。

 数時間前までラフレシアに似た奇妙な花が咲き誇っていた通路は、今では灰色の砂塵が積もっていて、歩くことさえ困難になっていた。


「ここにあった植物はすべて枯れたのか?」

 質問にカグヤが答える。


『もしかしたら施設全体の生命が、あの奇妙な〈色彩〉に生命力を奪われたあとなのかもしれない』


「そもそも施設に自生している植物は、本当に廃墟の街からやってきたものなのか?」

『たぶんね。ノイの憶測通り、川から水を汲み上げたときに紛れ込んでいた種が、あの奇妙な色彩の所為せいで突然変異を繰り返したんだと思うけど……』


「何のためにそんなことをしたんだ?」

『そうだな……たとえば、あの植物を使って他の生物を魅了して、近くに誘き寄せて生命力を奪いやすくするため……かな?』


「そして〈色彩〉は充分に力を蓄えられた。だから植物は必要なくなったのか?」

『どうだろう、そもそも植物の成長に意味はなくて、ただ単にそれが〈色彩〉の性質だった可能性もあるし』


「結局、異界の生物同様、俺たちには理解できない種類の〝何か〟ってわけか……」

『残念だけど、そういうことだね』


「連中、こっちに来ませんね……」ノイは怪物を睨みながら言う。

 カグヤが示した近道を通って横幅の狭い通路に入ると、怪物は我々の追跡を止めて、どこかに駆けていった。狭い通路で集中的に射撃を受けることを嫌ったのかもしれないが、本当の理由は分からなかった。


「怪物どもの奇妙な動きは気になるけど、今は俺たちに都合のいい状況を利用させてもらおう」

 私はそう言うと、ノイを支え直してドローンたちと通路の先に向かった。 


 束ねられた太いケーブルや配管が無雑作に敷き詰められた通路を進むと、バスケットボールほどの金属製の球体が砂塵に埋もれているのを見つけた。カグヤの操作する偵察ドローンはすぐに球体の存在に気がつくと、ドローンらしき物体のそばに飛んでいく。そして扇状にレーザーを照射しながら機体の状態をスキャンしていく。


「何か貴重な電子部品でも見つけたのか?」

 ノイを太い配管のそばで休ませると、カグヤのドローンの近くにしゃがみ込む。


『この機体は旧文明のドローンだけど、壊れているみたいだね』

「使えそうなものは何かあるか?」破損した機体を見ながら訊ねた。


『回路基板を確認してくれる?』

 ちらりと通路に視線を向けて敵がいないことを確認してから、カグヤに言われた通り破壊されていたドローンの装甲を開いて、回路基板を確認する。基板に並ぶニューロチップのほとんどが焼け焦げていたが、数枚のチップが完全な状態で残っていた。それらを手早く回収して、バックパックのポケットに入れていった。


『それも回収してくれる?』

 カグヤの言葉のあと、ビー玉ほどの球体が青色の線で縁取られる。

『それが一番貴重なパーツなんだ。壊れてなければいいけど……』


 水晶玉にしか見えない球体を照明に向けて確認する。

「これは?」


『旧文明の記憶媒体だよ』

「クリスタルの記憶媒体?」


 手の中で水晶玉を転がすと、〈フジエレクトロニクス〉の刻印が薄っすらと刻まれているのが見えた。日本の企業が製造したモノなのかもしれない。


「そんなものをどうするんだ?」

『ここにセットしてくれる?』


 カグヤの操作するドローンのハニカム模様の装甲が複雑な開閉機構で展開していくと、私が手に持っていたのと同様の球体が、回路基板の所定の位置に接続されているのが見えた。そのすぐとなりの空間には、別の球体を接続する窪みがあり、同様の接続口が数箇所存在しているのが確認できた。


「どこでもいいんだな」

『構わないよ』


 水晶玉に似た球体を所定の位置にセットすると、ドローンの装甲が閉じていく。

「それで」とノイに手を貸しながら言う。

「どんな機能が追加されるんだ?」


『見てて』

 カグヤがそう言うと、ドローンの装甲の一部が剥がれるように空中に浮かび上がり、その周囲にシールドの薄膜でつくられた盾のようなものが出現するのが見えた。そのシールドは自由に形状を変化させることができるのか、カグヤはシールドの大きさを変更しながら色々な形状を試した。


「シールド発生装置と同様の機能が使えるようになったのか」

 思わず感心してしまう。

『これで姿を隠すだけじゃなくて、ドローンのシールドを使って戦闘の支援ができる』


「そのドローンに機能が追加できるなんて知らなかったよ」

『私も必要なものが手に入るとは思っていなかったよ』


 怪物の咆哮が何処からともなく聞こえてくると、ノイを連れて通路の先に向かう。

「結局、あの記憶媒体はどういうものだったんだ?」


『デジタルデータを保存する〈クリスタル・チップ〉に似たもので、ドローンをアップグレードするための専用ソフトウェアが保存された旧文明の遺物。特定の装置にインストールすることで、機能の拡張や性能が向上できるんだ』


「まさか〈大いなる種族〉が残したコードじゃないよな?」

『まさにその〈大いなる種族〉が残したコードだと思ってる』


「つまり」とノイが言う。

「それがあれば、今まで使用が制限されていた機能が解禁されるってことなんすか?」


『うん、それで正しいと思う。でも互換性のあるものでしか使用できない』

「同様の機能をもったドローンだったから、カグヤさんの操作するドローンでも使えたってことですね」


『そう言うこと』

 半透明の盾を形成していた青色の薄膜が消えて、浮遊していた装甲の一部がドローンに戻っていくのを見ながら言う。


「銃弾を防ぐには便利そうな盾だけど、あの怪物の鉤爪を防ぐには向かない盾だな」

『それは仕方ないよ。都合よく目的の遺物は手に入れられない』


「そうですね」とノイは苦笑した。

「さすがに、それは贅沢な注文ですね」


「苦労しているからな、贅沢も言いたくなるさ」


 慣れとは実に恐ろしいものだ。以前は〈アサルトロイド〉の制御チップを手に入れるために命を懸けていたのに、今では簡単に旧文明の貴重な遺物が手に入るようになっていた。それでも、もっと有用なものを求めてしまう。人間の欲望に際限はないと誰かが言っていたが、それを実感する日が来るとは思わなかった。


 けれど気をつけなければいけない。貴重な遺物を求めれば求めるほど、危険な場所に身を置かなければいけなくなる。そしてこの世界には、人間の想像を絶する怪物が存在している。


『出口はこの先だよ』

 カグヤがそう言ったときだった。通路の天井に沿って設置されていた太い管の中から紫黒色の昆虫が飛び出してきて、攻撃支援型ドローンの機体に張り付いた。三機のドローンは空中でバランスを崩し、ビープ音を鳴らしながら機体を壁に擦りつけて昆虫を潰していく。


「ひとりで歩けるか、ノイ」

 天井の管から聞こえてくる嫌な音に耳を澄ませながら言った。


「無理でも歩いてみせます」

 ノイの言葉にうなずくと、配管にライフル銃口を向ける。


「カグヤ、三機のドローンにノイの支援をさせてくれ」

『レイは?』


「俺もすぐに撤退する。でもまずはこいつらを何とかしなければいけない」

 すると二十センチほどの紫黒色の昆虫が配管の隙間から、滝のように通路に向かって一気に溢れ出してきた。その気味の悪い単眼の甲虫に向かって火炎放射を放つと、ゆっくり後退を開始する。


 昆虫は歯をこすり合わせるような奇妙なさえずりを残しながら、身体を破裂させながら次々と死んでいった。しかしそれでも昆虫は紫黒色の波のように迫ってくる。


『レイ!』

 カグヤの声に走り出すと、外につながる階段に向かった。


 そして怪物の咆哮が聞こえた。振り向くと、奇妙な昆虫を踏み潰しながら駆けてくる怪物の群れが目に入った。怪物は通路を迂回して、我々のことを待ち伏せしていたのかもしれない。


『通路を閉鎖するから急いで!』

 カグヤに急かされながら階段を駆け上がり外に出ると、パワードスーツを装備したミスズが視線の先に立っていた。


 そのパワードスーツは灰色を基調とした市街地戦闘用のデジタル迷彩が施された装甲を持ち、両腕にはミニガンが装着されていた。背中には巨大な弾薬箱を背負い、頭部を保護する装甲は鋼材と半透明のシールドでおおわれていた。


『横に飛び退いて!』

 カグヤの指示通り、転がるようにして横に飛び退くと、我々を追って外に飛び出してきた怪物や昆虫に向けて数百発の銃弾が撃ち込まれた。


 騒がしい銃声を聞きながら、ミニガンから吐き出される大量の薬莢を眺めていた。数秒の射撃だったが、パワードスーツのがっしりとした脚部の周囲には数え切れないほどの薬莢が転がることになった。


『出入り口の閉鎖は完了したよ』

 カグヤの声を聞きながら濡れた地面から立ち上がると、数十メートル先に立っていたミスズに向かって手をあげ、無事なことを伝える。


「助かったよ、ミスズ」

『怪我はありませんか?』ミスズの声が内耳に聞こえた。


「ああ、大丈夫だよ」

 息をついて視線を上げると、厚い雲の向こうから高層建築群があらわれる。それは我々の後方に向かって次々と流れていく。たしかに浄水施設は街の上空を移動しているようだった。


 それも想定していたよりもずっと早い速度で。施設の出入り口に視線を向けると、怪物の肉片や、飛び散った昆虫の体液が残されているのが見えたが、あれだけの射撃を行ったにもかかわらず、建造物の表面には傷ひとつ付いていなかった。


 ナミがやってくると、先に到着して地面に座り込んでいたノイに手を貸して輸送機に向かう。私もナミのあとを追うようにミスズのそばに行くと、状況の確認を行う。その間、ミスズと一緒に支援射撃を行っていた六機のドローンは、嬉しそうにビープ音を鳴らしながら我々の周囲を飛行していた。


 ミスズとナミに怪我がなく、輸送機にも問題がないことを確認すると、ミスズと一緒に輸送機のコンテナに向かった。


 パワードスーツの装甲が開閉すると、彼女はフレームの隙間から出てくる。

「ふたりが無事でよかったです」と、彼女はホッと息をついた。


 問題が起きるたびに致命傷になるような怪我をしている所為なのか、珍しく怪我をしていない私を見てミスズは驚くほど安堵していた。


「ノイは危なかったけどな」

 苦笑しながらそう言うと、パワードスーツのフレームを眺めた。

「ところで、こいつの整備は終わっていたのか?」


 ミスズが質問に首をかしげると、カグヤが答えた。

『拠点を出るときに、ペパーミントが話していたことを聞いていなかったの?』


「ペパーミントが?」と、顔をしかめて記憶をたどる。


『パワードスーツの整備は終わっていて、いつでも使用できる状態だから、作業用ドロイドたちにコンテナに運ばせていたでしょ?』


「すまない、話を聞いていなかった」

『やれやれ』とカグヤは溜息をつく。


 砂漠地帯にある採掘基地の警備に、廃墟の街で回収していた数体のパワードスーツが使用されているのは知っていたが、汚染地帯で回収していた軍用パワードスーツの整備が終わっていたことは知らなかった。


「浄水施設に入るとき、こいつを使えばよかったな」

『ダメだよ』カグヤはすぐに否定する。『見れば分かると思うけど、古い規格のパワードスーツだから体高が二メートルを超えているし、動きも鈍い。狭い室内の戦闘には向かないよ。それに――』


「それに?」と黙り込んだカグヤに訊ねる。

『高度が下がらないんだ』


「高度?」

『浄水施設の高度が下がらない!』


 ハッとして周囲に立ち込める薄霧に視線を向けると、超高層建築群の姿が見えなくなっていることに気がついた。


「高度が下がらないと、砂漠地帯の異質な空間に侵入できない……」

『うん、このままだと施設は海に向かう』

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