第295話 怪物の群れ re


 激しい揺れが続いたあと、建造物の骨格が軋むような不気味な音が薄暗い空間に響き渡り、再び沈黙が我々に降りかかってきた。


 鼓動するように発光していた溜池に視線を向けると、水面に波が立っているのが見えたが、打ち合う波の音はまったく聞こえてこなかった。その奇妙な沈黙は防ぎようのない恐怖を伴って、我々の身体からだにまとわりついているようでもあった。


 依頼を放り出して今すぐにでもこの施設を離れたかったが、そうするわけにはいかなかった。今さら依頼を放り出してしまうには、我々は深入りし過ぎていた。あの〈色彩〉が周囲に与える影響について知ってしまったし、このまま海に向かって動き出した施設を放置してしまえば、のっぴきならない事態に陥ってしまうことは安易に想像できた。


 耳をくすぐるささやき声が聞こえてくると、水面が奇妙に発光するのが見えた。気を取り直すように息をついて、それから思考した。いちばん簡単なことは、すべてを忘れてこの場から逃げ出すことだった。けれど何かを忘れて逃げ出してしまうことに、私は心底うんざりしていた。


『レイ』カグヤの声が内耳に響いた。

『施設の目的地を砂漠地帯に変更できないか操作してみるよ。でもその間、ドローンの遠隔操作は行えなくなるから、機体に搭載されている人工知能にレイたちの支援を任せることになる』


「それで構わないよ」と私は言う。

「施設の操作に時間はかかりそうか?」


『もう管理システムに侵入しているから、それほど時間は――』

「どうした?」


『敵が来る』

 施設全体が大きく揺れると、隕石の衝突によって天井に開いていた巨大な穴から、大量の昆虫が降り注いできて、奇妙な〈色彩〉を放っていた溜池に次々と落下し、水柱を立てていく。


「レイラ!」

 ミスズの声に驚いて振り向くと、脂肪の塊を思わせる気色悪い肉塊と共に、手足を失くした多数の人擬きが点検用通路から姿を見せた。人擬きの身体からだはひどく損傷していて、水にかっていた所為せいなのか、皮膚は異様に膨れ上がり、歩くたびに体内に溜まっていたガスと吐き気を催す体液が噴き出していた。


 人擬きのもとに向かおうとしていたナミの腰に手を回すと、抱き留めるようにして彼女の動きを止めた。


「ダメだ、連中に構っている時間はない」

 それからライフルを構えて応戦しようとしていたミスズたちに言う。

「急いで輸送機まで戻ろう」


「でも通路は化け物でいっぱいだ」ナミが言う。

「問題ない。脱出のための移動経路はカグヤが事前に確保してくれている。地図を確認してくれ」


 ナミはマスクを操作して頭部全体をおおうと、フェイスプレートを介して拡張現実で浮かび上がっていた施設の地図を確認する。


「この点滅しているのは?」

「非常用の避難経路だ。そこから上階に向かう」


 我々は溜池の上を横断するように架けられた足場を通って、非常用の避難通路に向かうことになった。すると我々の動きに反応したのか、溜池から足場に向かって、極彩色の水蒸気をまとう二十センチほどの昆虫が跳び上がってきて我々に襲いかかってくる。


 昆虫の噛みつきや体当たりは、指輪型端末から常時発生しているシールドが防いでくれるが、身体にまとわりつく昆虫の気色悪さはどうにもならなかった。カサカサと身体中をう昆虫に鳥肌を立たせながらも、身体から昆虫を引き剥がしていく。


 昆虫に悪戦苦闘している私と異なり、ノイとミスズは昆虫に銃弾を的確に命中させながら対処していた。しかし溜池から跳び上がってくる昆虫に刃物で対処していたナミは、自ら切断した昆虫の体液で身体をぐっしょりと濡らしていた。彼女も昆虫の群れが苦手なのかもしれない、その動きは精彩を欠いていた。


 避難経路に入る寸前、何か巨大な生物が溜池から這い出てくるのが見えたが、相手にしている余裕はないので、構わず通路の先に向かった。


 おそらく今まで一度も使われることのなかった避難経路の天井には、無数の排気口が並び、不規則に配置された管からは汚水と共に白い蒸気が噴射していた。その通路の先には昇降機が設置されていたが、電源が入っていなかったので階段を使って上階に向かうことになった。


 後方で昆虫や人擬きの相手をしていた三機の攻撃支援型ドローンは、我々の頭上を通って通路の先に向かい、レーザーガンから高出力の熱線を放ち、排気口から出現した敵に対処した。赤い熱線が発射されるたびに、閃光によってドローンの長い影が通路に浮かび上がる。


「敵です!」

 ミスズはそう言うと、吹き抜けになった避難階段から落下してくる人擬きに射撃を開始する。


 手足の引き千切れた人擬きの群れは、ひっきりなしに通路に落下してきて、グシャリと気味の悪い音を立てながら素早く体勢を整え我々に襲いかかってきた。その動きはまるで糸によって操られる人形のようで、どこか不自然な不気味さがあった。


 上階に向かってライフルを構えていたノイは、〈自動追尾弾〉をフルオート射撃で撃ち込むと、弾薬を切り替えて小型擲弾を撃ち込んだ。追尾弾で動きを止められていた人擬きの群れは、擲弾てきだんが炸裂したさいに発生した衝撃波と、辺りにバラ撒かれた鉄片で身体をズタズタに破壊されながら壁や床に叩きつけられる。


 人擬きの追加がないことを確認すると、我々は階段を駆け上がって上階に向かう。

「リロードします」ノイがそう言って弾倉を装填している間、私は階下に向かって焼夷手榴弾を放った。それは拠点で製造された特殊なグレネードで、瞬間的ではあるが、非常に高い熱を発生させて広範囲を焼き尽くすことの出来るテルミット焼夷弾と似た効果を持つ兵器だった。


 その手榴弾の爆発によって発生した炎と高熱は、またたく間に金属製の非常階段を溶かし、人擬きと共に階段の一部を崩落させた。爆発のさいに飛び散った火花を身体に受けた肉塊や人擬きは、瞬く間に身体を溶かされ、白煙を上げながら階段を転げ落ちていった。


 階下に向けて射撃を行っていると、内耳に警戒音が鳴り響いて、施設の揺れに関する警告が視界に大きく表示された。それを確認すると、すぐとなりにいたミスズの身体を引き寄せるように抱き、転落防止用の柵から身を乗り出すようにして射撃を行っていたノイのハーネスに指を引っ掻けて、その場に腰を落とした。


 今までにない激しい横揺れに施設全体が軋みを上げ、その強烈な揺れに体勢を崩した人擬きと昆虫の群れが激しく壁に叩きつけられ、体液を撒き散らしながら階下に落下していくのが見えた。


 ミスズとノイから手を離すとナミの姿を探す。

「私は大丈夫だ!」先行して上階に向かっていたナミが言う。


 そのときだった。階下からこの世ならぬ恐ろしい咆哮が聞こえた。人擬きが衝突して凹んだ階段の柵から見下ろすと、体長が三メートルほどある怪物の姿が見えた。怪物は四足歩行する人擬きにも、脚を広げて威嚇する昆虫にも見えた。


 頭部は細長い楔形で異様に長い触覚があり、茶色い体毛に覆われた歪な身体は水に濡れていて、信じられないほど筋肉が発達していた。その怪物は不規則に並んだ複眼を我々に向けると、身体を低くして胸を膨らませると、凄まじい声で吼えた。それは怪物の持つ生命に対する憎悪の噴出だった。


 狼にも昆虫にも似た怪物の大きく開いた口には、鋭い牙が並び、長い舌には短い毛がビッシリ生えていた。


「あれはヤバいっす」

 ノイはそう言うと、怪物に向かって小型擲弾を立て続けに撃ち込んだ。


 怪物はおぞましい口を歪めると、壁に向かって跳び上がるようにして擲弾をかわし、鉤爪のついた長い腕を使って壁を登ってきた。怪物は壁を覆う金属製のパネルに、いとも容易く鉤爪を食い込ませ、涎を垂らしながら我々に向かってくる。


 輸送機までの経路をミスズとナミの端末に送信したあと、彼らに聞こえるように声を張り上げた。

「ミスズとナミは先行して輸送機までの道を切り開いてくれ! この怪物は俺とノイで食い止める」


「分かりました!」

 ミスズはそう言うとナミと一緒に通路の先に駆けていった。


 上階で何が待ち受けているのか分からないので、三機のドローンもミスズたちの後を追わせることにした。


「来ます!」

 ノイは怪物に向かって間髪を入れずに射撃を行った。


 しかし怪物は壁や階段を蹴って縦横無尽に動くと、すべての弾丸を回避しながらノイに迫った。かれは横に飛び退いて何とか攻撃を避けたが、怪物は追撃の手を緩めない。私は両手に持ったスローイングナイフを怪物の複眼に向けて投げると、胸元のライフルを素早く構えて炸裂弾頭のライフル弾をフルオートで撃ち込んだ。


 ナイフに反応した怪物は眼を守るために素早く腕を伸ばし、頭部を覆ってナイフを防いだが、連続して撃ち込まれた弾丸をすべて胸に受けてしまう。怪物がよろめくと、ノイは火炎放射で怪物を焼き払った。放射され続ける炎に包まれながら怪物は後退すると、獣的な憤怒をこめた苦痛の叫びを上げた。


 その間、私はフルオートで銃弾を撃ち込み続けた。銃弾を受けるたびに怪物の身体からは異様な色彩を放つ気体が漏れて、霧散していくのが見えた。


 怪物が体毛を逆立て前かがみになると、嫌な予感がしてライフルから手を離し、太腿のホルスターからハンドガンを抜いた。〈貫通弾〉を撃ち込む寸前、怪物の肩にある恐ろしく発達した筋肉が盛り上がっていくのが見えた。そして鞭で空気を叩くような打撃音が鳴り、気がつくと怪物は私の目の前にいた。


 怒り狂った怪物の噛みつきは紙一重の所で避けられたが、猛烈な体当たりを受けて私の視界は回った。一瞬の意識の喪失のあと、上体を起こして通路の先に目を向けると、怪物の鉤爪を避けながら銃弾を撃ち込み続けるノイの姿が見えた。


 私はうつ伏せになったまま怪物に銃口を向けると、ハンドガンの引き金を絞る。甲高い金属音と共に貫通弾が撃ち出される。質量のある銃弾は怪物の身体に食い込むと、その衝撃で怪物の巨体を後方に吹き飛ばした。その威力は凄まじく、胴体を貫通した弾丸を追うようにして怪物の身体はじれ、背後にあった階段の柵や壁をバラバラに破壊した。


 引き千切れた怪物の手足や肉片が柵を越えて階下に落ちていくのを見ながら、身体を起こしてノイのもとに駆けて行った。気が立っているからなのか、先ほどの攻撃による痛みは感じなかった。


 ノイは怪物の鉤爪で傷つけられていて、身体のあちこちから血を流していた。すぐに彼をその場に座らせると、脇腹にある傷を確認した。内臓が見えるほどの深い傷からは血液が流れだしていて、ノイの戦闘服は真っ赤になっていた。想像もしたくないが、指輪型端末が発生させているシールドがなければ、もっと深刻な事態になっていたかもしれない。


 ポーチからオートドクターを素早く取り出すと、ノイの脇腹にある傷の近くに注射をして、それから大量の消毒液で傷口を大雑把に洗い、コンバットガーゼを押し当てた。


「包帯を巻くから、ガーゼを押さえていてくれ」

「……了解っす」ノイは青い顔で言う。血を流し過ぎたのかもしれない。


「このクソったれな施設から、すぐに連れ出してやるからな」

 ノイの青い瞳を見ながら言った。

「だから気をしっかりと持っていてくれ」


「大丈夫っす……問題ありません」

 貧血による意識障害が心配だったが、彼は気丈に振舞っていたので気絶する心配はなさそうだった。


 ノイの応急処置が終わったときだった。階下から恐ろしい咆哮が聞こえてきた。壊れた柵から身を乗り出して階下に視線を向けると、先ほどの怪物に似た生物の群れが見えた。


「怪物は一体だけじゃなかったのか……」

 顔をしかめると、壁に張り付くようにして向かって来ていた数体の怪物に〈貫通弾〉を撃ち込んで、それから所持していた手榴弾を階下に放り投げた。


「歩けるか、ノイ?」

 ノイのそばにしゃがみ込むと、彼は弱々しい笑みを見せる


「肩を貸してくれます?」

「もちろん」


 我々はミスズたちが残した昆虫の死骸や、機械人形の残骸の間を通って上階に向かった。その間も怪物の群れから執拗な追跡を受けることになった。


 私は〈貫通弾〉を使用して怪物どもを処理していたが、怪物は次から次に姿を見せた。

「切りがありませんね」ノイが言う。

 オートドクターのおかげで顔色は戻っていたが、足元はまだふらついていた。


「ここで待っていてくれ」私はそう言ってノイを壁際に座らせると、通路の向こうから迫ってくる怪物に目を向ける。「いいな、ノイ。そこで大人しくしていてくれ」


「大丈夫ですよ」とノイは微笑む。

「何処にも行きやしませんよ。……というより、どこにもいけません」


「そうだな」

 通路の中央に立つと、こちらに接近してくる怪物に向かってハンドガンを構えた。甲高い金属音が通路に反響し、怪物どもの咆哮を掻き消していった。


 次々と撃ち出される〈貫通弾〉によって怪物の身体はズタズタに破壊され、内臓や体毛のついた肉片が壁に張り付く。それでも怪物の群れは猛進し続けた。私は弾丸を撃ち込み続けた。金属音が鳴り響く度に薄暗い通路に閃光が走り、怪物の怨嗟に満ちた唸り声が聞こえた。


 血液でどす黒く染まった通路の奥で、怪物の複眼が怪しく輝き、それが私の視界に残像として残った。奇妙だったのは、周囲に飛び散った怪物の肉片が燐光を放ちながら燃えていたことだった。


「行くぞ、ノイ。怪物どもはまだ諦めていない」

 壁に背中を押しつけるようにしてノイが立ち上がると、我々は怪物の咆哮を聞きながら輸送機に向かった。

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