第294話 異様な色彩 re


 それから我々は数時間かけて、隕石が残した穴を通って階下に向かうことになったが、その間も植物におおわれた奇妙な機械人形や、奇怪な色彩をまとう昆虫の襲撃に遭い、絶えず危険に晒されることになった。


 幸いなことに、中央制御室に設置されていたコンソールでシステムの一部に侵入できていたので、施設の各所に配置されていた自動攻撃タレットの標的にされることはなかった。もっとも、施設に侵入してから警備システムに攻撃されることはなかったので、状況に大きな変化はなかった。


 中央制御室の備品置き場で入手していた安全帯とロープを使って、我々は巨大な取水設備が並ぶ区画にたどり着くことができたが、それ以上先に進むことは困難だった。隕石の衝突が残した穴の底は、奇妙な色彩を放つ水で満たされた巨大な溜池になっていて、我々は迂回して目的の場所に向かうことになる。


 排気管から噴き出す蒸気に注意しながら狭い点検通路を進み廊下に出ると、制御室に向かうための経路を示す矢印がホログラムで投影される。


 何処も彼処も灰色の塵が厚く積もっていて、廊下にも異様な植物が繁茂はんもしていたことが推測できたが、どうしてそれらが塵に変わったのかは分からなかった。隕石に近づくほどにその傾向は顕著にあらわれた。


 人知れず生まれては死に、そして通路に堆積していった塵を踏みしめながら、我々は奇妙な静けさが支配する通路を歩きつづけた。


 浄水施設の溜池を直接管理している制御室を見つけることはできたが、制御盤はカグヤの操作を一切受け付けようとしなかった。隕石の衝突によって浄水施設は深刻な状況に陥っていて、我々ではどうにもできない状態になってしまっていた。


 その制御盤の前で頭を悩ませていると、となりに立っていたナミが言う。

「周辺に危険な生物がいないか確認してくるよ」


「了解」

 返事をしたあと、三機のドローンをナミに同行させることにした。ナミがミスズを連れて制御室を出ていくと、制御盤のディスプレイに表示されていた浄水場の様子を確認する。施設の最下層にある溜池の水は、相変わらず奇妙な色彩を放ちながら発光していた。


「なぁ、カグヤ。この溜池を空にすることはできないのか?」

『地上に向かって訳の分からない水を放出することに抵抗がないのなら、緊急排水システムを起動して、排水が可能か試すことはできるけど……どうだろう』


 カグヤの声を聞きながら、赤く点灯している計器を眺める。

「中央制御室もでもそうだったけど、ここでも計器に異常が出ているみたいだな」


『原因は分からないけど、システムに謎の負荷がかかっているみたい』

「もうお手上げだな……」


 ディスプレイに映し出されている溜池を睨んでいると、植物に覆われ、身体中に花を咲かせた人擬きが水面に近づくのが見えた。


 人擬きがふらふらとした足取りで溜池の縁にたどり着くと、水面に漂っていた油膜のようなものが霧状の形態に変化しながら空中に浮き上がり、奇妙な色彩を放ちながら人擬きの身体を包み込んでいくのが見えた。


 するとまたたく間に植物は枯れ、人擬きの身体からだも同様に干からびていった。その色彩は、まるで生命そのものを吸い込んでいるような動きを見せていた。塵に変化しながら散っていく人擬きとは対照的に、色彩の輝きはさらに増しているようだった。


 どうやら、あの〈色彩〉としか表現できないものは、我々が食料によってエネルギーを得ているように、生命力とでも呼ぶようなものを生物から奪い、己の力に変えているようだった。しかしそれも私の憶測でしかない。あの色彩が何のために生命力を蓄えているのかは、色彩にしか分からない。


『レイ、どうするの?』

「何をどうするんだ?」


『正直、この場所で私たちにできることはもう何もないと思う。あの色彩を放っている溜池に潜って隕石を探すわけにもいかないし、それを見つけたところで状況を変えられるのかも分からない』


「なら、このまま帰るのか?」

『残念だけど』


「それじゃ鳥籠の問題は解決しない」

『そうだけど……でも結局、それは私たちに関係のない問題でしょ?』


「俺も世界を救いたいとか、そんなことは微塵も考えていないからカグヤの言いたいことは理解できるよ。でもそれを言ったら、大抵の問題が俺たちと関係ないことになる」


『でもね、依頼は旧文明の浄水装置で発生している異変についての調査で、それ以上のことは求められていない』

「それは――」


「レイラさん」とノイが言う。

「あれを見てください」


 制御盤から離れて大きなガラス窓のそばまで行くと、通路に巨大なタンクがずらりと並んでいるのが見えた。それらは素通しのガラスで覆われていて、底にヘドロのようなものが堆積しているのが見えた。


「カグヤ、あれは何だと思う?」

『よく分からないけど、沈殿槽かな……』


 カグヤがそう言ったときだった。通路を歩いていたミスズとナミのすぐ近くにある沈殿槽にひび割れが生じて、ヘドロのようにも見えたモノが汚水と一緒に通路に向かって一気に放出された


 ノイと一緒に制御室を出ると、急いでミスズたちのもとに向かう。

「そっち大丈夫か、ミスズ?」


『大丈夫です』すぐに彼女の声が内耳に聞こえた。

『汚水は排水溝から流れていきました。ただ――』


「どうした?」

 言葉を詰まらせたミスズのことが心配になって、走って現場に向かう。


『肉塊型の人擬き?』カグヤが驚きながら言う。

『どうしてこんなところに?』


 ヘドロのように見えたのは、まるで溶け合うようにして融合した無数の人擬きの成れの果てで、それは毛の生えた醜い脂肪の塊にも見えた。


 グロテスクな化け物は、べちゃべちゃと醜い身体からだを動かしながらその場で反転すると、脂肪の間にある無数の瞳で我々を睨んだ。ミスズとナミが射線上から離れたのを確認すると、ノイは人擬きに対して素早く射撃を行う。銃声が周囲の沈殿槽に反響して、騒がしい音を立てる。


 ノイが使用していたのは、ペパーミントが拠点で製造していた歩兵用ライフルで、通常は無力化することしかできない人擬きを完全に殺すことのできる兵器だった。しかし異様な色彩をまとった人擬きは、その特殊な銃弾を受けても死ぬことはなかった。


 それどころか、人擬きは無数の瞳をぎょろりと動かし、胴体を横にぱっくりと開いて、黄緑色の膿を周囲に撒き散らしながら叫び声を上げた。


 耳をつんざくような異常な叫び声は、空気を震わせ、周囲の沈殿槽を次々と振動させて割っていく。するとヘドロにしか見えない人擬きの肉塊が通路に這い出てくるのが見えた。それら無数の肉塊は身体を震わせると、我々に向かって迫ってくる。


 ミスズがすぐに火炎放射で肉塊を焼き始めると、ナミとノイも一緒になって人擬きの肉塊を焼き払うが、脂肪の表面を焼き焦がすだけで、効果があるとは思えなかった。


『レイ!』とカグヤが言う。

『レーザータレットを使うから、後退して!』


 カグヤは施設の管理システムに侵入したことで利用可能になっていた攻撃タレットを使い、肉塊に対して一斉射撃を行う。


 脂肪の塊めいた醜い化け物の胴体は、高出力のレーザーで瞬く間に切断されるが、胴体から離れた肉の塊は、まるで意思を持っているかのように、互に引き寄せられるように動いていた。


『攻撃を続ける!』

 カグヤの操作によって、三機の攻撃支援型ドローンも人擬きの肉塊に対して攻撃を開始する。熱線によって肉塊は切断され、高熱によって切断面の周囲に発生した水疱が破裂して、粘度の高い膿を噴き出していく。その熱線は肉塊の周囲に設置されていた沈殿槽も次々と破壊していく。


 短い通知音が内耳に聞こえると、環境汚染に関する警告が視界に表示されていく。おそらく川の水から除去して、沈殿槽の底に溜まっていた汚染物質が通路に溢れてきたのだろう。


「撤退だ!」私は声を上げる。

「制御室まで戻るんだ!」


 射撃を行いながら後退し始めると、まるで何かに操られているかのように、肉塊は我々の進路を阻む動きを見せる。施設の被害を考慮せずに〈貫通弾〉を発射し、邪魔な肉塊を何体か排除すると、肉塊は自らの脂肪に埋まるようにして身体を収縮させ始めた。


 大型犬ほどの大きさに収縮した肉塊は、やがて爆発するように膨張し、そのさいに身体の一部を四方八方に伸ばした。それは弾丸の雨を掻い潜りながら、真直ぐ我々に向かって伸びてきた。


 空気をつんざく破裂音が周囲に響き渡ると、制御室の扉がひしゃげるのが見えた。不幸中の幸いとでも言うべきか、我々は誰ひとりとして肉塊の攻撃を受けることはなかった。しかし状況が最悪なのは変わらなかった。身体を切断されていた肉塊が周囲に集まり、我々の目の前で身体を収縮し始めた。


 肉塊が爆発するように身体を膨らませる瞬間、ミスズが紺藍色の小さな球体を地面に叩きつけるのが見えた。シールドを生成する装置を使ったのだろう。割れた球体を中心にして半球状のシールドが展開されていくのが確認できた。


 肉塊の身体から伸びたムチのような脂肪の塊は、シールドの薄膜にはじかれて、壁や天井に向かって叩きつけられた。天井から落下してきた金属製のパネルや、照明設備はシールドの膜を滑るように我々の周囲に散らばっていく。


「助かったよ、ミスズ」と私は言う。

「ミスズの機転がなければ、今ごろ、あの肉の塊にぺちゃんこにされていたよ」


「そうっすね」ノイも同意して、それから言った。

「けど、どうします? いつまでもここにはいられませんよ」


「レイ」ナミが私に撫子色の瞳を向ける。

「今の衝撃で壁に穴が開いた。あの穴はどこかにつながっていないか?」


 周辺一帯の汚染状況を知らせる嫌な警告音を聞きながら、インターフェースに表示される地図を素早く確認する。壁を覆っていた金属製のパネルが大きくひしゃげていて、その先に点検用通路が見えていた。


『メンテナンス用の通路を通って、施設の最下層にある溜池に向かうことはできるみたいだよ』とカグヤが言う。『でも、本当に行くつもりなの?』


「この状況から抜け出せるなら――」ノイが言う。

「俺はどこにでも行きますよ」


 我々に向かって這ってきていた肉塊が、また身体を収縮し始めた。

「行こう」と私は言う。

「ノイが言うように、この場所にとどまることはできない」


『了解、ドローンを先行させるね』

 カグヤの言葉のあと、走り出した我々を追い抜くように攻撃支援型ドローンがひしゃげた金属製パネルの隙間を通って点検用通路に侵入していく。


「レイラ、受け取ってください!」

 ミスズはそう言うと、最後尾を走っていた私に紺藍色のシールド生成装置を差し出した。緑色に発光する縦線が引かれた球体を受け取ると、それを強く握った。すると球体に引かれていた線が赤く発光し出した。


 その球体を地面に叩きつけるようにして割り、半球状のシールドを発生させると、膨張した肉塊からの攻撃を防ぎ、通路に侵入するための時間を稼いだ。


 通路を駆けながら進むと、ガランとした空間に出る。照明の少ない薄暗い空間には、奇妙な色彩で発光する溜池が何処までも広がっていた。我々は肉塊からの追跡がないことを確認すると、溜池の周囲に設置された浄水タンクが破損していないか確認していく。すると突然、施設全体が大きく揺れてミスズが転んでしまう。


「大丈夫か、ミスズ」

 ナミは彼女のもとに駆けて行くが、再び発生した強い揺れで転んでしまう。


『ごめん、レイ』とカグヤが言う。

『この異常事態を甘く見ていたみたい』


「カグヤ、教えてくれ。何が起きているんだ?」

『異変は収まっていなかったんだ。現在進行形で異常は発生し続けている』


「次は何が起きるんです?」ノイがナミの手を取りながら言う。

『施設が動き出した』カグヤは簡素に状況を伝えた。


「施設が……浮遊しているこの馬鹿デカイ建造物が動き出したって言うんですか?」

『うん、最悪な状況だ』


 奇妙に発光する水面を見て、それから嫌な確信を持ちながら言った。

「もしかして、施設は海に向かって移動しているのか?」


『うん。でもそれは管理システムによる判断じゃなくて、施設内部からの接触で強制的に川沿いを離れて海に向かっているみたい』


 そのときだった。また強い衝撃と共に施設全体が激しく揺れる。そのさい、溜池の水がまるで腕を伸ばすようにして我々に向かって伸びてくるのが見えた。先ほどから繰り返される衝撃と揺れは、移動を開始した旧文明の浄水装置が、進路上にある高層建築群に衝突するさいに発生する衝撃なのかもしれない。


「カグヤ」発光する溜池を見ながら言う。

「これを海に落とす訳にはいかない、施設の移動経路を変更できないか?」


 生物の生命力を奪って成長する〈色彩〉が海にたどり着くことは、なんとしても阻止しなければいけないと感じていた。そしてその考えは、ある種の強迫概念となって私の頭を支配していた。


『施設の管理システムには接続できているから、何とかなるかもしれない。でもどうするつもりなの?』

「墜落させる」


『まさか、この施設を廃墟の街に落とすつもり?』

「いや、それだと何も変わらない。あの〈色彩〉は雨や雪解け水に雑じって海に向かう」


『ならどうするの?』

「砂漠だ。こいつを砂漠地帯に墜落させる」

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