第292話 浄水施設〈侵入〉re


 雨の向こうに見えていた正多面体の巨大な物体に視線を向けて、視覚に投影されていたインターフェースで、浮遊する建造物の詳細な情報を取得しようと試みる。けれど〈データベース〉の閲覧禁止項目に指定されている所為せいで、物体の情報は一切得られなかった。その構造物の情報を得るためには、もっと高い権限が必要のようだった。


 地上から四百メートルほどの高さで静止している建造物の周囲には、暗く厚い雲が立ち込めていて、嵐のような天候になっていたが、輸送機は安定した飛行で近づいていく。激しい雨と暴風の中でそれが可能なのは、機体の周囲に重力場を発生させて飛行しているからだった。


 そうでなければ輸送機はとっくに墜落しているか、建造物に衝突して大破していただろう。その輸送機が浄水施設に近づくことで、自動迎撃システムによる攻撃の標的にされる可能性があった。だからミスズには警戒しながら飛行してもらっていたけれど、建造物から攻撃されることはなかった。


『ここまでは順調だね』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、操縦桿を握っていたミスズが返事をする。

「このまま浄水施設に接近します」


『もしもの攻撃に備えて、機体を保護するシールドはつねに起動した状態にしておくね』

「了解です。シールドに使用するためのエネルギーを――」


『安心して、ミスズ』カグヤが言葉を遮る。

『シールドの細かい操作は私がするから、ミスズは操縦に集中して大丈夫』

 カグヤの言葉にミスズはうなずくと、徐々に機体の高度を上げていった。


 輸送機のシステムが騒がしい警告を発するほどの重低音が周囲に響き渡ると、川の水が重力を無視しながら浄水施設の下部に向かって吸い込まれていくのが見えた。


 水が引き込まれるさいに発生した霧状のカーテンを越えると、浄水施設の底が見えてくる。しかしそこには大量の水を取り入れるための吸入口のようなものはなく、施設の底には構造物全体をおおっていた不思議な鋼材が見えるだけだった。しかしどういうわけか、水は鋼材の表層を通り抜けて、施設内部に取り込まれていた。


『不思議だね』

 カグヤの言葉にうなずく。

「物体の表面に使用されている素材は、俺たちが知らない未知のものなんだろう」


 その建造物は正十二面体の構造をしていて、金属質の特殊な建材で覆われているようでもあったが、遠目からでは正確な材質は判断できなかった。また建造物は出っ張りのない平坦でシンプルな形状をしていたが、物体のそばに近づくと、それが複数のパネルと巨大なユニットの組み合わせで建造された複合体であることが分かった。


 施設の天辺には、正五角形の平らな面があったので輸送機はそこに着陸することになった。が、着陸すると同時に、建造物の表面から蒸気が勢いよく噴き出した。


 ミスズはすぐにコクピットの計器で機体の状況を確認する。

「異常ありません。ただの水蒸気のようです」


 ミスズの言葉にうなずくと、全天周囲モニターに視線を向ける。

「カグヤ、ドローンを使って周囲の索敵をしてくれるか?」


『任せて。すぐに確認させる』

 輸送機の装甲が一部開閉すると、六機のドローンが水蒸気で真っ白になった世界に飛び出していくのが見えた。ドローンは重力場を発生させて、輸送機の周囲を踊るように飛行すると、ビープ音を鳴らしながら濃霧の中に消えていった。


「ミスズ、俺たちも戦闘に備えて装備の確認をしよう」

「分かりました」

 彼女はそう言うと、コクピットシートから立ち上がる。

「ナミとノイにも装備の確認を徹底させます」


「ああ、頼んだよ」

 この建造物が旧文明の浄水設備で、文明が滅んでからの長い間、空中に浮かび続けていたことは知っていた。だから危険な生物が入り込む隙がないことも充分に理解していたが、しかしそれでも建造物の内部に言い知れぬ悪意が潜んでいる。という、確信にも似た予感を私は持っていた。


 それに、人擬きウィルスに感染した作業員が残っているかもしれない。だから油断することはできない。


 コクピットに備え付けられている収納棚から歩兵用ライフルを取り出すと、ライフルのシステムチェックを行う。自己診断プログラムによってライフルの状態が確認されていく。異常が見つかれば弾薬に使用される特殊な鋼材を利用して自動的に修復が行われることになっていたが、ライフルの状態は良好だった。


 専用のハーネスでライフルを胸の中心に吊り提げると、太腿のホルスターに収まっていたハンドガンの確認をする。


 次に戦闘服の状態も確かめる。戦闘服は市街地戦闘用の灰色のデジタル迷彩柄で、旧文明の特殊な繊維が使われているものだ。防刃、防弾耐性に加えて、汚染物質対策が施されたものだった。


 その戦闘服の上に、黒を基調としたボディアーマーを着用している。アーマーのプレートは大樹の森にある研究施設で手に入れた新素材を使用したもので、今までのものよりもずっと性能がいいものになっていた。


 しかし幾ら性能が高くても限界は存在する。そしてそれはシールドを発生させる指輪型端末にも言えることだった。だから我々の戦術が変わることはない。今まで通り、敵の攻撃を避けることに徹しなければいけない。


 ボディアーマーに使い捨てのスローイングナイフを数本差し、胸元にあるコンバットナイフの刃を確認する。ナイフはとても重要で、これがあるのかないのかでは、接近戦での生存率が大きく変化する。それからベルトポケットの装備を確認していく。


 腰に提げたベルトポーチに、オートドクターの医療ケースが入っていることを優先的に確認する。もちろん救急ポーチも開いて、コンバットガーゼや消毒薬、包帯の有無を確認する。


 それが終わると、ライフルに使用される特殊な弾倉を収納棚から取り出し、弾倉の再装填を素早く行えるように、ベルトポケットの所定の位置に収めていった。最後にバックパックを手に取ると、水筒と数日分の携帯糧食が入っているか確かめる。


『食料も持っていくの?』カグヤが疑問を口にした。

「何が起きるか分からないからな。必要なければ、それに越したことはないけど」


『そうだね。できれば午前中には装置の状態を確認し終えて、帰り支度を済ませたいね』


『レイラ』

 カグヤの〈戦術ネットワーク〉を介してミスズの声が聞こえた。

『準備が整いました』


「了解。俺もすぐに向かうよ」

 輸送機の動体センサーで周囲の安全確認をすませる。緊急事態に備えて機体のシステムは立ち上げた状態のままにした。


 考えたくもないが、もしも撤退を余儀なくされた場合、素早く発進できるようにしておきたかった。最後に外套を羽織ると、〈環境追従型迷彩〉が機能するか点検して、それから搭乗員用ハッチから外に出ていった。


 水蒸気によって発生した濃霧は、吹き荒ぶ雨風に流されて視界は開けていた。私は強風に煽られながら歩いて、コンテナ側から外に出ていたミスズたちと合流する。


「レイラさん」ノイが私に青い瞳を向けた。

「もう、いつでも行けますよ」


「ああ、頼りにしているよ」と素直に言った。

 ノイはいつものチャラついた態度ではなく、さすがというべきか、戦場に立つ人間の顔をしていた。そのノイとミスズに出入り口の捜索に行ってもらうと、しゃがみ込んでいるナミのそばに向かう。


「ナミ、どうしたんだ?」

「……熱いんだ」ナミは構造物の表面に触れながら言う。


「こんなに冷たい風が吹いているのに、物体は熱を持っているのか?」

 私もしゃがみ込んで建造物の表面に触れた。すると火傷しそうなほどの熱をグローブ越しに感じた。カグヤのドローンが飛んでくると、建造物の表面にスキャンのためのレーザーを照射する。


『ドローンでは高い温度が検知できないみたい』

 カグヤの言葉にナミは顔をしかめた。

「わからないのか? 火傷するほど熱いのに?」


『うん。それにね、そんなに高い熱を持っているなら、水滴が蒸発していると思うんだ』

 濡れた地面に溜まった雨水に目を向ける。

「つまり、俺とナミが熱を感じているのは錯覚でしかないのか?」


『たぶんね、たしかなことは分からないけど』

『レイラ』ミスズの声が聞こえて顔を上げると、彼女と一緒にいたノイがこちらに向かって手を振っている姿が見えた。


「行こう、ナミ」

 ナミに手を差し出すと、彼女の手を握りながら引っ張って立ち上がらせる。


『待って、レイ。ドローンに支援させる』

 攻撃支援型ドローンが輸送機のほうから飛んでくるのが見えた。

「ドローンは輸送機の警備のために残して行くよ」


『また三機?』

「そうだ」


『輸送機の警備は必要ないんじゃないのかな?』

「転ばぬ先の杖だよ」


 カグヤはしばらく何かを考えて、それから言った。

『わかった。残していくドローンの防衛システムを立ち上げるね』


 カグヤがそう言うと、三機のドローンはビープ音を鳴らしながら我々のそばを離れた。輸送機の近くに戻ったドローンは、機体下部に収納されていたレーザーガンを展開し、射撃準備した状態で周囲の索敵を開始した。


 ミスズとノイが立っていたのは、隕石が衝突して出来たと思われるクレーターがある場所だった。その場所には十メートルほどの円形状の窪みができていて、その縁は衝突のさいに生じた熱で溶けたのか、歪に固まり、建造物の鋼材が外に膨らむように広がっていた。けれど隕石が建造物に衝突し、侵入していったさいにできた穴は完全に塞がれていた。


「どういうことだ?」とカグヤにたずねた。

『他の旧文明の施設同様、構造物が損傷した場合に備えて、修復作業を行う専用のドロイドが配備されているのかもしれない』


「なら、施設のシステムはまだ正常に動いている可能性があるんだな?」

『うん。少なくとも、建造物を維持するための機能は生きている』

「そうか……」


「それにしても」とノイが言う。

「物凄い速度で衝突したみたいですね」


「そうだな。旧文明の鋼材を軽々と貫通している」

 それから我々は雨に濡れながら建造物の内部に侵入するための入り口を探したが、平らな地面が延々と続くだけで、それらしき入り口を見つけることはできなかった。


『ミスズ』とナミの声が聞こえる。

『落ちるかもしれないから、そっちのほうにはあまり行かないでくれ』


『大丈夫です、ちゃんと――』

 ミスズはそう答えて、それから慌てて言う。

『記号のようなものが床に彫られているのを見つけました!』


 我々は急いでミスズのいる場所に向かい床を確認した。たしかに彼女の言うように、平らな床にアルファベットに似た記号のようなものが刻まれていた。カグヤのドローンが記号に向かってレーザーを照射すると、床の一部が持ち上がって正五角形の柱が出現する。


『これを使えば、メンテナンス用に設置された出入り口に接続できるみたい』

「どうすればいい?」


『いつもみたいに〈接触接続〉でシステムに侵入するから、素手で柱に触れて』

 腰の高さまで伸びた正五角形の柱に触れると、床全体にハニカム模様の青白い光が走り、床の一部が地面に埋まるようにして階段を形作っていくのが見えた。


 警戒しながら階段を下りていると、足元が雨に濡れていないことに気がついた。顔を上げると床に面した階段の上部に、水色のシールドの薄膜が張られていて、それが雨の侵入を防いでいるのが確認できた。


『至れり尽くせりだね』

「ああ。メンテナンス用の出入り口に使用されるには、あまりにも贅沢な設備だ」


 階段の先は金属製の隔壁によって閉鎖されていたが、我々が近づくと左右にスライドしながら開いていった。


「植物?」ミスズは扉の先に見えた光景に思わず疑問を口にする。


 隔壁の向こうは通路や階段が不規則に連なる吹き抜けの空間になっていて、床や天井、壁の至る所が植物でおおわれていた。そして驚くことに、それらの植物は紅紫色や人参色に染められていて、見たこともない大きな花を咲かせていた。


「大樹の森で見慣れた光景だったけど、旧文明の施設で見るのは初めてだ」

 私の言葉にミスズはうなずいた。


「やっぱり施設を管理する機械人形が正常に動作していないのでしょうか?」

「その可能性はあるが、そもそもどうしてこんな所に植物が自生しているんだ」


 ノイは自身の頭よりも大きな、アジサイに似た真っ黒な花を近くで眺めて、それから言った。

「川の水と一緒に吸い込んだ土に、種が紛れ込んでいたんですかね?」


「でも、廃墟の街であんな花は見たことないぞ」とナミが言う。

「たしかに見慣れない花ばかりだ……」


 いくつかの吹き抜けの階段を挟んだ通路の壁に、一メートルを超えるラフレシアに似た花が無数に生えていた。


『青い葉が生えているから、そもそもラフレシアじゃないと思うけど……』とカグヤが言う。『もしもあの花がラフレシアなら、施設内に東南アジアの花が咲いていることになる』


 肉厚で真っ赤な花弁からは腐臭が漂って来ていたが、その臭いは他の花からも発せられていた。


「次は何が出る?」

 ノイはそう言ってライフルを構えながら通路の奥に向かう。


「待て、ノイ。ドローンを先行させる」

「了解」


 ノイが引き返してこようとしたときだった。

 異様な色彩の植物が絡みつく人型の何かが通路の先から姿を見せた。


「植物の巨人?」そう言って素早くライフルを構えた。

「人型に変異した植物がいるのか?」


『違う』とカグヤが言う。

『あれは植物に覆われた機械人形だ!』

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