第291話 降り積もる消失 re
雨が降りしきる廃墟の街を我々は早足で進んでいく。あれだけ買い物客で賑わいを見せていた通りに人の姿はなく、閑散とした廃墟に雨音だけが響いていた。
「鳥籠に残らなくて良かったんですか?」とノイが言う。
「せっかくサチさんが俺たちのために部屋を用意してくれるって言ってたのに……」
「断るのは悪いと思ったけど」と、足元の
「あの鳥籠で過ごす気にはなれなかった」
「何か気になることがあったのですか?」とミスズが言う。
拡張現実で表示されていたインターフェースで、周辺一帯を偵察させていた攻撃支援型ドローンの状態を確認して、それから彼女の質問に答えた。
「水が――」
「水がどうしたんだ?」ナミが眉を寄せる。
「嫌な感じがしたんだ」
「やっぱり、この冷たい雨の
私はうなずいて、それからすっかり暗くなった空に目を向ける。端末を操作しながら目的地の位置を確認していたノイが雨に濡れないように近くの廃墟に入っていくと、我々も高層建築物の荒れたエントランスに入って、しばらくそこで雨宿りをすることにした。
「依頼はどうするのですか?」と、ミスズが琥珀色の瞳で私を見つめる。
「〈データベース〉に接続して、浮遊する浄水施設に接続できるか試してみるつもりだよ」
そう答えるとミスズはしばらく何かを考えて、それから唇を開いた。
「もう一度あの鳥籠に戻って、浄水施設に接続できる端末があるか探すのですか?」
『ううん』否定するカグヤの声が内耳に聞こえる。
『空に浮かぶ旧文明の浄水装置に向かうつもりだよ』
「もしかして」とノイが驚きながら言う。
「輸送機で直接あれに乗り込むつもりなんすか?」
『そうだよ。鳥籠で端末を探しても、あの浄水施設につながる手掛かりは得られないと思うんだ』
ノイは腕を組むと、物知り顔でうなずいてみせた。
「やっぱり空に浮かんでいる浄水施設と、鳥籠の地下にある浄水施設は、まったく別の時代に建造されたものなんですかね」
『そうだと思うよ。空中に浮かんでいる物体は、明らかに違う系統の技術によって建造されている』
「違う系統……ですか?」ノイが顔をしかめる。
『うん。大樹の森の管理者でもある〈マーシー〉にも確認をとったけど、あの人工物は旧文明の後期、それも世界の環境が劇的に変化していった時代に建造されたものみたいなんだ』
「環境の変化……汚染地帯ができるようになった時代のことですかね?」
『うん。そうだと思う』
ふと
『レイ』カグヤが言う。
『どうしたの?』
「そこの水溜まりに――」
そう口にして水溜まりに視線を向けると、すでに油膜のようなものはなく、枯れ葉とゴミが浮かんでいるだけだった。
「いや、何でもない。たぶん見間違いだ」
「レイラ」とミスズが言う。「ここは人擬きの少ない地区ですけど、廃墟の街である以上、何か恐ろしいものが潜んでいる可能性があります」
「そうだな」彼女の言葉にうなずく。
「もう遅い時間帯だし、急いで輸送機まで戻ろう」
「了解」とノイが答えた。
我々は周囲の動きに警戒しながら、輸送機を隠していた建物に向かうことにした。その道中、ナミはしきりに周囲の様子を気にしていた。
「鳥籠から私たちのことを追跡してくる人間がいないか、少し確認してくるよ」と、ナミは言う。「あのフジキって奴のことは、どうも信用できない」
「それなら私も一緒に行きます」ミスズがあとを追う。
ふたりを護衛するために、攻撃支援型ドローンを呼び寄せた。
「それなら」と、ノイが言う。
「俺も地下に置いてきたヴィードルを回収してきます」
ひとりになると僅かに傾いていた建物に入り、ゴミの散乱する階段を上がって建物の屋上に向かった。屋上に続く錆びた防火扉の前にたどり着くと、周囲の安全確認を行うが、誰かが閉鎖された防火扉を操作した形跡は確認できなかった。
『少し待ってて』
カグヤの声が聞こえると、偵察ドローンがベルトポーチからモゾモゾと出てきて、防火扉のすぐ横に収納されていた端末を操作した。すると嫌な音を立てながら、錆ついた重い扉が開いていく。屋上の様子をさっと確認したあと、冷たい風と雨に打たれながら屋上に出る。
〈環境追従型迷彩〉を起動していた輸送機は、まるで歪んだ鏡のように周囲の景色を機体表面に映し出していた。その輸送機に近づくと、搭乗員用ハッチの位置を知らせるホログラムが浮かび上がる。
跳ね上げ式のハッチが開くと、濡れた外套をその場で脱いで、付着していた水滴を払って、それからコクピットに入った。コクピット内に足を踏み入れると、輸送機のシステムが立ち上がり、動体センサーによる周囲の安全確認が自動的に行われる。
荷物を片付けてコクピットシートに座ると、クッションが
一息ついてから身体を起こしたあと、ミスズたちの様子を確認する。
『何も問題は起きてないよ』とカグヤが言う。
『周囲の確認も終わって、もうこっちに向かって来てる』
「それは良かった」
シートに背中をつけると、モニターの向こうに見えていた景色に視線を向ける。すると高層建築物の間から、空に浮かぶ正多面体の巨大な建造物が見えた。それは時折、鼓動するように異様な輝きを周囲に発していた。
『ねえ、レイ』とカグヤが言う。
『本当にあの建造物に隕石が衝突したと思う?』
「何かが衝突したのは確かだけど、それが隕石なのかは俺にも分からない」
『でも鳥籠に暮らす住人の多くは、確かに隕石が衝突するのを見たんだよね……』
「それが何かは分からない、けれど衝突の所為で旧文明の施設がおかしくなったのは事実だ。そうでなければ、この降り止まない雨の説明はできない」
『何だか不気味だね』
空に浮かぶ浄水施設が周囲に重低音を響かせながら、大量の水を汲み上げていくのが見えた。コクピットのシステムが周囲の環境音を本物そっくりに再現した音を聞きながら、モニターに周囲地図を表示する。長雨の所為で、多くの区画で道路が冠水しているのが確認できたが、より詳細な情報は得られなかった。
「なぁ、カグヤ。あの浄水施設に向かうのは日が昇り始めるころにしよう。ミスズたちが戻ったら、出発の時間まで休んでいるように言ってくれるか?」
『別にいいけど、レイはどうするの?』
「少し眠るよ」
『わかった。みんなにはちゃんと伝えておく』
「ありがとう」
カグヤのドローンが後部ハッチに向かって飛んでいくと、コクピット内の照明が落とされ薄暗くなる。
モニターを通して見えていた浄水施設に視線を向ける。隕石の衝突によって、あの建造物の内部で異常な問題が発生していることは確実だった。それは鳥籠周辺で起きている奇妙な出来事が証明していた。
しかし長雨や農作物に及んだ影響だけが、この問題の本質だとは思えなかった。建造物の内部で着実に〝何か〟が進行しつつあるのだ。それを奇妙な予感と共にひしひしと感じていた。建造物の周囲に暗い影を落としている〝何か〟は、いずれ周辺一帯を覆い尽くし、我々の足元に忍び寄ってくる。そんな嫌な感覚と共に、私はゆっくりと瞼を閉じた。
◆
雷の瞬きが雨雲の中に浄水施設の影を浮かび上がらせると、廃墟の街から立ち昇る冷たい風と、夜の匂いを嗅いだ。私は白い息を吐いて、冷たい手を温めた。ずいぶんと歩いた気がしたが、この奇怪な森はどこまでも続いているような気がした。
うんざりした気持ちで地面に視線を向けると、大地に降り積もっていた雪が灰色に染まっていることに気がついた。その場にしゃがみ込んで雪に触れる。けれどそれは雪ではなく、降り積もった砂塵だった。
すると木々の枝が
どれほど歩いただろうか、森の出口が見えてくると、異様な色彩を帯びた巨大な建造物の残骸が目に飛び込んできた。空から落下してきた残骸は燐光を放ちながら、今も燃え続けているようだった。
その残骸の間を縫うように歩いて、建造物の中央に向かうと、塵の降り積もった大地に深い穴が開いているのが見えた。その底知れぬ深く暗い穴を覗き込んだときだった。穴の奥から奇妙な色彩を帯びた炎が噴き出した。それは周囲にある異様な色彩と共鳴するように輝き出すと、周辺一帯を昼間のように明るく照らした。
その異様な光景に瞼を閉じると、途端に奇妙な静けさと共に森が闇に染められていくのが見えた。洞窟の湖面に落ちる水滴の音が聞こえた気がした。すると強風が吹いて、その冷たさに身体を震わせた。
「まだ季節の変わり目なのに、ずいぶんと寒く感じないか?」
どこからともなく姿を見せた美女が言う。
「寒い?」すぐに問い返したが、私の声は空気を震わせることができなかった。
「私は死ぬまで、泥に塗れた地獄を生きていくんだ」
水槽の奥で脳の姿をした化け物が笑う。
「深い海を想像してくれるか?」
そんな想像はしたくない。私はそう言うと階段で足を踏み外して転がり落ちる。
「古い言葉で〈ノイル・ノ・エスミ〉と呼ばれている無限階段だよ」
粘液状の生物が私の目の前を漂いながらそう言った。
そして胎児の鳴き声が薄暗い階段に響いた。
「やっと見つけた」
水死体のように膨れ上がった藍鉄色の胎児が、私の首に抱きついた。
それは焼けるように冷たかった。
「私だけの愛しい子」
色彩に触れられそうになった瞬間だった。塵が積もった大地から体毛の生えた無数の触手が飛びだし、私の身体に巻き付いた。
『君が彼らに魅了されやすいように、あれも君の存在を身近に感じ取れるんだ』と、聞き覚えのある声が言った。『でも安心して、私が君を守るから。それにね、私たちが望みさえすれば、この世界だって思い通りの姿に変えることができる』
色彩の輝きが増すと、周囲の森が燐光を放つように青白く燃え上がる。その奇妙な色彩が周辺一帯を
『彼方より来たりしものよ。ここにあるのは冷たく暗い世界だけです』
触手が透けてしまうほどの輝きに包まれると、色彩の気配は囁き声と共に去っていった。
そしてすべてが崩れ去っていく。
その直後、死の匂いをまとった冷たい風が私の頬を撫でた。
『目を覚まして、レイ』
ひどく寒い。
私は震えながらそう言った。
『そうですね。でも仕方ないことです、ここは命ある者の場所ではありませんから』
また助けてくれたんだね、キティ。
耳の痛くなるような静寂のあと、闇の中でクスクス笑いが聞こえた。
『今回は中々大変でしたよ』
でも助けてくれた。
『そうなることが決まっていたからです』
それは誰が決めたんだ?
『私よ、言ったでしょ? 私たちが望みさえすれば、世界はその姿を変える』
闇の中で震える手を広げてみたが、自分の手が存在しているのかも分からなかった。
これからどうなるんだ?
私がそう訊ねると、しんとした闇の奥で何かが揺らめいた。
『降り積もる消失に捉えられてしまう前に、レイの意識を本来あるべき場所に返します』
俺たちはまた会えるのか?
『レイが望めば、私たちはいつでも会えます』
そうか……
『ほら、もう時間だよ。目を覚ましてください』
ありがとう、キティ。
◆
雨音が聞こえる。
瞼を開くと、モニターの向こうに高層建築物の輪郭線が見えた。すると私の胸の上に乗っていた小さなドローンが音もなく空中に浮かび上がる。
『もう起きたの、レイ?』とカグヤが言う。
「ああ、夢を見ていたみたいだ」
『どんな夢?』
「恐ろしい夢だ」
『そっか……』
すぐに時間を確認したが、三十分も眠れていなかった。
『ねぇ、レイ』とカグヤが言う。
『夢を見るのって、どんな気持ちなの……?』
曖昧模糊とした意識でカグヤの言葉について考えて、それから頭を横に振った。
「わからない。眠っていて見る夢も、起きていて見ている現実も、結局は脳が見せているモノだから、どちらが夢なのか現実なのか区別することは難しい」
『よく分からない』
「俺も分からないよ」
『それじゃ』とカグヤが言う。
『眠るのって、どんな感じがするの?』
「一時の消失かな」
『消失?』
「意識を手放して、またその意識に手を伸ばす。その繰り返しだよ。一瞬のことだから、その間に何が起きているのか気がつきもしない」
『それは何だか怖いね』
「どうして?」
『その意識を
「例えだよ」
『分かってる。ただ……』
「ただ?」
『私はそんな風に消えたくないかな……』
私は溜息をつくと、身体を起こした。
「カグヤは消えたりしないさ」と私は言う。
「消えたりなんかしない」
『そうだね』カグヤは無理に明るい声を出した。
『少し考えてみただけ』
「大丈夫か?」
『問題ないよ。きっとこの陰鬱な雨の所為だよ。だから嫌なことを考える』
「……そうだな」
私はそう言うと、シートに深く身体を沈める。
「でも、もう嫌なことを考えるのは止そう」
『分かった』
「俺はもう少し眠るよ」
『時間になったらちゃんと起こすから、安心して眠って』
「助かるよ」
『どういたしまして』とカグヤが言う。
『おやすみなさい、レイ』
「おやすみ、カグヤ」
私はそう言うと、夜の闇に向かって意識を手放した。
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