第290話 隕石〈色彩〉re


 ソファーに座りガラス窓に打ちつける雨音を聞いていると、陽気な顔をした大柄の男が部屋に入ってきた。髪は白髪交じりの茶色で、額に深い切り傷があり、窪んだ目は長い間まともに眠っていない人間のそれだった。赤銅色のスーツに白シャツと青藤色のネクタイ、先の尖った革靴は磨かれていて、指には大きな金の指輪をはめていた。


 その男は品定めするような目で我々を見たあと、ひとりうなずいて、向かいのソファーにゆっくり座る。それからテーブルに載っていたウィスキーのボトルを手に取って、蓋を開けると、真剣な面持ちで匂いを嗅いで、それからグラスに注いだ。


「失礼」男性は口に含んだウィスキーを飲み込んでから言った。

「私がこの鳥籠の代表をしているフジキだ」


「よろしく」と、まるで友人と話す気安さでノイは言う。

 フジキは低いテーブルに載ったウィスキーボトルを見つめて、それから言った。

「それで、ノイさんは――」


「ノイでいいっすよ」

 かれはうなずいて、咳払いしたあと口を開いた。

「では教えてくれないか、ノイ。君と一緒にいる者たちは、イーサンの傭兵部隊とどんな関係があるんだ?」


「うちの隊長の大切な仲間たちですね」

「仲間……か。つまり彼らは、イーサンと一緒に仕事をする間柄ということでいいんだね?」

「そう言うことっすね」


「ふむ」フジキはうなずくと、太い指をテーブルの上で滑らせた。「しかし彼らが所持する〈IDカード〉では、彼らの身分はスカベンジャー組合に所属する人間になっている。そんな者がどうして名高い傭兵団と関りを持っているんだ?」


「レイラさんが特別なスカベンジャーだからなんじゃないんですか?」

 ノイの適当な言葉にうなずいたあと、フジキは私に視線を向けた。

「……たしかにスカベンジャー組合での評価は高いようだが、信用できる人間なのか?」


「レイラさんたちのことを信用しているからこそ、この依頼を任せたんだと思いますよ」

 その言葉にフジキが黙り込むと、何処からともなく重低音が響き渡り、部屋の調度品が微かに揺れる。


 空に浮かんでいる正多面体の建造物が発する音が、遠く離れた建物すら揺らすほどの大音量を周囲に響かせていた。鳥籠の住人はこの騒音に耐えながら夜は眠っているのだろうか?


 窓の外に目を向けると、建物の周囲を警戒させていた攻撃支援型のドローンが姿を見せて、カメラアイを発光させたあと何処かに飛んでいく。


「まあ、いいでしょう」

 しばらくしてフジキはそう言うと、ウィスキーを口に含んだ。

「これからこの鳥籠〈スイジン〉の責任者に会ってもらう」


「あれ?」ノイが間抜けな声を出した。

「フジキが責任者じゃなかったの?」


「実質的には私が商人組合の長で、〈スイジン〉の責任者でもあるのだが……現在、浄水施設の操作権限を有しているのは私ではない」


「つまり」とノイが言う。

「それはどういうこと?」


「鳥籠の責任者が別にいる。と言うことだ」

「ああ」とノイは納得する。


「ついて来てもらえるか?」

「もちろん」


 フジキはグラスに残ったウィスキーを喉に流し込むと、ソファーから立ち上がり、黒いスーツを身につけた護衛が開いた扉から廊下に出て、短い歩幅で歩いていく。誰かを待つという概念を少しも持ち合わせていないような、そんな男だった。


「俺たちも行きましょうか」

 ノイが立ちあがると、我々は黒茶色の絨毯が敷かれた廊下を歩いて、数人の護衛が警備している部屋の前に向かう。護衛の多くは身体能力を強化する改造を施したサイボーグだった。護衛対象は、よほど重要な人間なのだろう。


「ここから先はお前たちだけで入れ」フジキが言う。

「武器の携帯は許すが、扱いには充分に注意してくれ。彼女は鳥籠の最高責任者だ。そこで何かあった場合、イーサンの部下だとしても、我々はお前たちを許すわけにはいかなくなる」


「わかってますよ」

 ノイが笑顔を見せて答えると、フジキは唇の端で笑い、数人の護衛を率いてどこかに行ってしまう。


 フジキは傲慢で感じの悪い男だったが、数分しか会って話を聞いていないのだから、彼の性格を決めつけるのは早計なのかもしれない。


「それで一体なんのために、私たちはフジキに会ったんだ?」

 ナミがフジキの背中を見ながら疑問を口にすると、ノイが肩をすくめる。

「俺にもさっぱり分からないっすね」


 護衛が両開きの扉を開いて、我々を部屋の中に通す。薄暗い部屋はどうやら誰かの寝室になっているようで、部屋の中央には大きなベッドが置かれていて、天井からは蚊帳が吊り下げられていた。その豪華なベッドのそばには真っ黒なスキンスーツを着た女性が立っていて、我々に警戒の目を向けていた。


 そもそも贅沢な調度品や絵画が飾られるような部屋の存在自体、この世界では異常だったので、重武装した女性が部屋の中にいても驚くようなことはしなかった。それから護衛に指示され、ベッドの向かいにあるソファーに腰掛けると、蚊帳の奥から弱々しい女性の声が聞こえた。


「よく来てくださいました」

 薄闇の向こうに視線を向けると、クッションに背中を預けるようにしてベッドに座っている老女の姿が見えた。


「貴方は?」

 誰に対しても物怖じしない性格のノイが質問した。


「サチと呼んでください。鳥籠の施設を管理している者です」

 彼女の言葉のあと、ぴっちりしたスキンスーツを着た女性がやってきて、我々の前に置かれていた低いテーブルに情報端末を載せた。


「それはレイラさんの仕事に対する報酬です」とサチが言う。

「報酬?」思わず顔をしかめた。

「俺たちはまだ何もしていません」


「これから貴方たちがすることに対しての報酬です」

 ノイは端末を手に取って操作する。

「約束してくれていた浄水装置に関する情報ですね。これって、飲料水の利権で潤っている鳥籠にとって、とても重要な情報ですよね?」


「たしかに重要です」サチは深くうなずく。

「しかし私たちがその設計図を持っていたとしても、装置を製造可能な設備もなければ、その権限もありません。ですから、その権限を持つ可能性のあるレイラさんに仕事の報酬として、私たちが持つ設計図のコピーをお譲りします」


「どうして俺がそんな権限を持っていると?」

 そうたずねると、蚊帳の奥でサチが微笑んだ。


「イーサンから聞きました。装置に関する情報を理解し、それを有益に使える人間がいるのだとしたら、それはレイラさんだけだと」


「イーサンと親交が?」

「ええ」サチは目尻に皺をつくりながら、素敵な笑顔を見せる。

「彼とは旧知の間柄です」


「そうですか……ですが、フジキは俺たちのことを知らなかったみたいですけど」

「残念なことに、彼は他人に対してあまり興味を持たない人間なのです。あれだけ商売の才能がありながら、人を見る目がない……というより、興味がないのでしょ」


「失礼ですけど、そんな人間をどうして鳥籠の責任者に?」

「ここでは彼のように、いつでも非情な意思決定を下せる人間が必要だからです」


「非情な決定……それは例えば、鳥籠に対して行われる襲撃の犯人を死刑にして、見世物にする決定ですか?」

「ええ。ですが、それは彼の仕事の一部でしかありません」


「その仕事に、浄水施設の操作が含まれていないのはどうしてですか?」

「地下に存在する大規模な浄水施設の操作権限を持つ者は、血筋によって決まっているからです」


「血筋?」

 生体認証によって管理されているのだろうか。そう考えて質問すると、サチは小さくうなずいた。


「浄水施設に関する操作権限を有している者は、この鳥籠と共に長く苦しい時代を歩んできた一族だけです」


『鳥籠と共に歩んできたって、ずいぶん曖昧で遠回しな言い方だね』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、声に出さずに返事をする。

『その話が本当なら、途方もない歴史がある一族になるな』


『もしかして――』とカグヤが言う。

『彼女は文明崩壊を生き延びた人類の子孫なのかな?』


『人造人間たちと協力して、鳥籠を建設した人類の生き残りか……』

『そう。大昔の人造人間たちに与えられた権限があるから、〈データベース〉に接続することができるのかもしれない』

『つまり、施設の操作権限を代々受け継いできた一族ということか』


「サチさんは、その古い一族の人間というわけですね」

 ノイの質問に彼女はうなずいたあと、スキンスーツを身につけた護衛の女性から水の入ったグラスを受け取って喉を潤した。


「それで」と私は言う。

「俺たちに依頼したい仕事って言うのは?」


「絶対に口外しないという約束のもと、貴方の能力についてイーサンから聞きました」

「レイラの能力……ですか?」となりに座っていたミスズが首をかしげた。


「はい。それがどのようなものなのかは具体的に話してくれませんでした。ですが、〈データベース〉に関する高い接続権限を有していると聞きました」


 重低音が響き渡ると建物のガラス窓が揺れて、天井から細かい塵が降ってきた。


「以前はそうではなかったのです」と、突然サチが言う。

「以前とは?」ノイが訊ねる。


「空に浮かんでいる人工物です。以前はあんなに活発に川の水を汲むこともなければ、雨雲を大量に吐き出すこともなかったのです」


 ガラス窓の向こうに見えていた暗い雨雲に視線を向ける。その雲の中にうごめく異様な光を見て、何故だが分からないが、言葉で言い表せない恐怖を感じた。


「サチさんは――」ノイが言う。

「あの物体の正体をご存じなんですか?」


「大昔の浄水装置だと聞いています」

「やっぱりそうだったのか」ノイは膝を叩いた。

「川の水を汲み上げていたのは、汚染物質を除去するためだったんですね」


「その装置に、何か異常が起きているのですか?」

 私の質問にサチはうなずく。

「ええ。さっきも言いましたが、川の水を汲み上げる頻度が増え、同時に雨雲も絶えず吐き出すようになりました。その所為せいで、鳥籠の周囲では雨が降り止むことがなく、農作物がすべてダメになりました」


「長雨の影響で農作物が全滅っすか」

 ノイが反応する。

「それは悲惨ですね」


「とてもね」サチは溜息をついた。「それに、かろうじて収穫できた野菜は味が悪くなって、人間が食べられないほどの強い苦みを持つようになっていました」


「うへぇ」ノイがなさけない声を出す。

「苦手な野菜がさらに不味くなったのか……」


「それ以外にも何か被害が出たのですか?」と、サチに質問する。

「体調を崩す人間も増えました。これも長雨の影響でしょう。近頃は寒くなりましたから」


「もしかして、サチさんも?」

 ノイの質問にサチは微笑んだ。

「いいえ、私は年齢からくる疲れです」


 たしかにサチは高齢だった。この厳しい世界で、それだけ年を重ねた人間に会うことはほとんどなかったので、なんだか不思議な気分だった。


『旧文明の浄水装置で異変が起きている……その原因に心当たりはないのかな?』

 カグヤが口にした疑問を、そのままサチに訊ねることにした。


「隕石の衝突がありました」

「隕石……ですか?」とミスズが困惑する。


「空を割るような轟音が響き渡ると、鳥籠の住人たちが見ている目の前で、空に浮かぶ浄水施設に隕石が衝突しました」


『隕石の衝突で装置が故障して、システムが異常な動作をするようになったのかな?』

 わからないと答えたあと、サチの話の続きを待った。


「最初は住人たちも喜んでいました。隕石の衝突から私たちを守ってくれたのだと。しかしそれから数日もしない内に、空が不思議な光を帯びるようになりました」


「光……?」ミスズは首をかしげる。

「それはどんな光だったのですか?」


「浄水施設から一筋の光が空に向かって伸びて、空全体が不思議な色彩で満たされていました」


「光の筋……何か隕石の衝突と関係があるのでしょうか?」

「わかりません。ですがそれは光でありながら、何か燃えているような、そんな不思議な輝きを発していました」


『燃える……隕石の衝突で発生した火災かな?』

 カグヤはそう言ったが、私にはその光の正体がなんなのか見当もつかなかった。


 そしてガラス窓を微かに震わせる重低音が響き渡る。

「もしかして」とノイが言う。

「俺たちの仕事は地下にある浄水施設の異常を調べることじゃないんですね……」


「違います」とサチは言った。

「地下には鳥籠の警備員たちを向かわせる予定です。地下でも異常が発生しているのは確かですから」


「それなら、サチさんは俺たちに何をしてもらいたいのですか?」率直に訊ねる。

「予想がついていると思うけれど、レイラさんには、隕石が衝突した浄水施設で起きている異変について調査をしてもらいます」


「その見返りが、鳥籠の機密情報でもある浄水装置に関する情報ですか?」

「ええ」

「それだけ難しい任務だということですね?」


「私たちの手に負えるものではない」サチは頭を横に振った。「それにね、問題は雨で農作物がダメになることだけじゃない。鳥籠が所有する〈食料プラント〉で使用される水は地下の施設で綺麗にしたものです。しかし浄水施設にも限界はあります。私たちは増え過ぎた水の処理に手を焼いているのです」


「長雨の所為っすね」

 ノイがそう訊ねると、サチはうなずいた。


「施設が止まった場合、何が起きるのでしょうか?」

 ミスズの問いに、サチはゆっくりと頭を振る。

「専用の水路や溜池から水を汲んでいるポンプが停止すれば、汚染された水が周辺一帯の廃墟を呑み込むことになります」


「街が水没するのか」ノイが言う。

「それは厄介な問題っすね……」


「異常が発生しているのは、隕石が衝突した人工物ただ一基だけです。あそこで何が起きているのか、レイラさんに調査してもらいたい」


「イーサンには、そのことを話しましたか?」

「ええ。貴方なら施設の〈データベース〉に接続できるかもしれない、だから何か分かる可能性があると、そう言っていました」


『どうするの、レイ』

 カグヤの質問に答えることなくしばらく考えて、それからガラス窓の向こうに目えている不吉な雨雲に視線を向けた。

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