第289話 鳥籠〈スイジン〉re


 わずかに傾いた建物の縁に立って周囲に視線を向けると、雨に煙る高層建築群の向こうに正多面体の建造物が見えた。それは重低音を響かせながら、川の水を吸い込んでいる。


 その不思議な光景から視線を外すと、階下に続く階段に向かう。それから錆の浮いた防火扉を使い屋上につながる入り口を閉鎖して、つめたい雨が吹き付ける階段を下りていく。


 やけに広い階段の踊り場には土が堆積していて、やけに生命力の強い雑草と生分解性プラスチックの雑多なゴミと、煙草の吸殻が大量に捨てられているのが見えた。女性の下着や色のくすんだ赤いハイヒール、それに穴の開いたドラム缶のそばを通って我々は階段を下りていく。


 まるで生涯をかけて使うであろう多種多様な品をバケツに詰め込んで、それを一気にひっくり返したかのように、階段にはあらゆる種類のゴミが散乱していた。


 皿や鍋、破れたワイシャツにビール瓶、オムツにスプーン、それに動物の骨や子どものオモチャも確認できた。これだけのゴミを誰が何のために階段に放置していったのかは分からないが、世界が謎に満ちているのは今に始まったことじゃない。


 空に浮かぶ建造物から内臓を震わせるような重低音が響き渡る。

「なあ、ノイ」とナミが言う。

「この辺りはいつもこんな風に雨が降っているのか?」


 指輪型端末を介して同時通訳されるナミの言葉を聞いて、ノイはうなずいた。

「情報収集のために先行してこの辺りに来たんですけど、その間、雨が降り止んだところは見てないっすね」


「本当に一度も雨は降り止まなかったの?」

「不思議なことに、一度も止んでないですね。小雨になることはあるけど」


「やっぱり、空に浮かんでいる巨大な物体が雨を降らせているのかな?」

 ノイは崩れた壁の向こうに見えていた建造物に、綺麗な青い瞳を向ける。

「たぶん、そうなんじゃないかな」と彼は適当に言う。


「ミスズ、気をつけて」

 ナミはミスズに手を差し出す。倒壊した壁や床からは折れ曲がった鉄筋が飛びだしていて、建物内は慎重に歩くことが求められていた。


『ひどい荒れ様だね』とカグヤが言う。

『旧文明の初期に建てられた建物なのかな?』


「たしかに状態は最悪だけど、かろうじて倒壊していないから、その可能性はあるな」


「その旧文明期初期っていうのは、なんすか?」

 ノイの質問にカグヤは丁寧に説明をする。


「ふぅん」とノイは感心しながら言う。

「旧文明期にも、時代によって技術的な変化があったんすね、そんなこと今まで考えたこともなかったな……カグヤさんは物知りなんすね」


『私も全部は知らないんだけどね』

 通りに敷かれていたアスファルトの至るところに、ひび割れによる穴ができていて、大きな水溜まりがいくつも見られた。歩道には鉄製の支えが腐食して崩落した広告表示器や、建物の瓦礫がれきが散乱していて、ひどく歩きにくかった。


「この辺りはつねにこんな状態だから、人があまり寄り付かないんっすよ」とノイが言う。「大通りに行けば、商人たちの手で整備された道路があるから、みんなあっちの道を使うんです」


「だからまったく人気ひとけがないんですね」

 ミスズの言葉に青年はうなずく。

「そうっすね。自分も多脚車両ヴィードルでここまで来たんですけど、操縦が結構しんどかったです」


『ヴィードルはどこに置いてきたの?』カグヤがノイに訊ねる。

「さっきの建物っすね。地下にいい感じの駐車場があったんで、廃車の陰に隠してきました」


『帰るときには、ヴィードルの回収を忘れないようにしないとね』

 廃車やゴミに埋もれた路地を歩いて大通りに出る。すると甲殻類に似た真っ赤な多脚車両に乗っていた傭兵と鉢合わせになる。狭い路地から姿を見せた我々に驚いて、担いでいた重機関銃をこちらに向けた。しかし脅威にならないと分かると、すぐに銃口を下げて、我々に手を挙げて挨拶をしてきた。


 ガスマスクから伸びたホースが多脚車両とつながっている怪しい風貌の傭兵に対して、ノイは気軽に挨拶を返した。


「知り合いか?」と訊ねると、ノイは「知らないっすね」と答えた。


 その真っ赤な大型車両は我々のそばを通って、鳥籠に向かう多脚車両の列に加わった。鳥籠に続く大通りは行きかう人々と多数の車両で賑わっていて、鳥籠から派遣されていた重武装の警備員の姿も多く見かけた。


 雨具を着た人々の流れにのって、我々も鳥籠に向かう。

「こんなに沢山の人が、廃墟の街で暮らしているんだな」

 ナミの言葉にノイが反応する。

「この鳥籠には飲料水を求めて、多くの人間が集まって来る。そのなかには、もちろん大勢の商人たちも含まれている」


「商人か……それなら人知れずに、貴重な遺物が売られている可能性があるってことだな」

「それはないんじゃないですかね?」ノイはすぐにナミの言葉を否定する。


「どうしてだ?」

「鳥籠の商人たちは商品を鑑定するための端末を所持しているから、貴重な品が出てきても、市場に商品が並ぶ前に鳥籠専属の商人たちに買われてしまうんだ」


「商品の鑑定か……便利な道具があるんだな」とナミは感心する。「それも遺物なのか?」


「〈テックスキャナー〉は、たしかに貴重なものだけど、それなりの数が出回っているから大きな商店を経営している商人や、商人組合の幹部たちは持っているんじゃないのかな?」


「それはすごいな」

「まあ、俺たちには必要ないものなんですけどね」

 ノイはそう言って、指輪型端末をナミに見せた。

「俺たちがレイラさんから借りてるこの指輪だって、同じことができるので」


「そうなのか」ナミは自分の指輪を見つめた。

「それぐらい、指輪を身につけていたら分かりますよ?」


「私は機械が苦手なんだ」

「調べればすぐに分かることなんだから、それは苦手って言いませんよ。めんどくさがりって言うだ」


「ノイのくせに生意気だぞ」

 ナミに睨まれると、ノイはナミのそばを離れて私のとなりにやって来る。


 通りを歩いていると、破れた傘をさした身なりの汚い子どもたちが我々の周囲を取り囲んで、袋に詰まった得体の知れない豆を押しつけてくる。


「兄ちゃん、こいつを買ってくれないか。特別に安くしておくよ」

 もうひとりの子どもが開封された〈国民栄養食〉の箱をミスズに見せた。

「姉ちゃん、こっちも見てくれよ!」


 ナミはミスズの手を引いて自分の背中に隠すと、鈍色の髪を揺らした。

「お腹は空いていなんだ。だから何かを買う気はない」


 ナミの言葉を理解していない子どもが首をかしげていると、別の子どもが前に出る。

「それなら――」と、女の子は壊れたコンピュータチップを差し出す。

「これはいらない?」


 ナミは困った顔をして、私に撫子色の瞳を向ける。私は痩せ細った子どもたちを見て、思わず溜息をついた。

「支払いはどうするんだ?」

 するとノイが私たちの間に入った。


「レイラさん、ここで買うのは止めたほうがいいっすよ。こういうガキんちょの背後には、チンピラでヤクザなおっさんたちがついていて、こいつらの稼ぎを全部、自分たちの物にしちゃうんです。それにかわいそうだって思って、ひとりにだけお金を渡したら、嫉妬した周りの子どもたちにそいつがボコボコにされてお金を取り上げられちゃうんですよ」


「なんだそれ」ナミが不機嫌になりながら言う。


「人が多く集まる場所には、孤児を使った犯罪組織が横行するものです。だから子どもたちにお金を渡すときには、自分が何をしているのか考えなくちゃいけない」


「でも」とナミは言う。

「〈ジャンクタウン〉や〈スィダチ〉には、そんな大きな犯罪組織はなかったぞ」


「〈スィダチ〉は分からないけど、〈ジャンクタウン〉に存在していた組織の多くは、うちの隊長が潰したから存在しないだけですよ」


「なあ、買わないのか?」

 少年がそう言うと、ノイは手を振って買わないことを彼らに伝えた。途端に子どもたちは不機嫌になって我々の悪口を好き勝手に言って、通りを歩いていた他の人間のもとに駆けて行った。


「なんだか嫌な気分だ」ナミがつぶやく。

「悪口くらい、好きなだけ言わせておけばいいですよ」とノイは笑う。


「いや、そうじゃないんだ。子どもたちをそんな風に扱う組織の存在が気に食わないんだ」

「それこそ仕方ないことですね。どこの鳥籠にだってそういった組織は存在する。それにさ、力のない者が搾取されるのは、この世界では普通のことだよ。まあ、隊長におんぶに抱っこだった俺が言えることでもないんですけどね」


「ノイもあんなことをしていたのか?」

「まさか」と青年は否定する。「俺は小さいころからずっと隊長と一緒だったから、あんなことはしないで済んだ。でも隊長がいなければ、同じように搾取されて生きていたかもしれないってことを言いたかったんだ」


「そうか……」ナミは子どもたちに視線を向ける。「みんな大変なんだな」


 鳥籠の入場ゲートのそばには、武器を搭載した多脚車両と、武装した多くの警備員が展開していて、鳥籠にやってくる人間たちに対してつねに厳しい目を向けていた。雨に濡れた灰色の高い防壁には、監視のための穴がいくつも開いていて、そこにも狙撃銃を構えた警備員の姿が確認できた。


『ずいぶんと警備が厳重なんだね』

 カグヤの言葉にうなずいたノイは、防壁に青い瞳を向けながら言う。

「この鳥籠には、汚染されていない綺麗な水を無尽蔵に手に入れられる施設がありますからね。周囲の鳥籠やレイダーたちから、頻繁に攻撃されているみたいなんですよ」


『その攻撃は今も続いているの?』

「しょっちゅう襲撃は起きてますよ。俺がここに来て数日もしない内に入場ゲートで自爆テロがあったばかりですし」


『自爆テロ?』カグヤは唖然とする。

「レイダーのグループが適当に捕まえてきた人間に爆弾を仕込んで、入場ゲートに向かわせて、そこでドカンとやるんですよ」


「爆発の騒ぎに乗じて、ゲートを占領しようとしたのか?」

 私がそう訊ねると、ノイはうなずいた。


「結局、レイダーたちは警備隊に鎮圧されて全員処刑されましたけどね。ほら、見てください」ノイは防壁から吊り下げられている全裸の死体を指差した。「あそこで見世物にされているのが、今回の自爆テロを画策して、実行した馬鹿な連中です」


 鎖で吊り下げられている死体は十数人分あって、それらは激しく損傷していて、雨にも拘わらず気味の悪い羽虫が群がっていた。その死体から視線を逸らしながらノイに訊ねた。


「彼らはあれだけの人数で鳥籠を制圧しようと考えていたのか?」

「いえ、レイダーたちの背後にも黒幕がいたらしいんですけど、それについては調べてないっすね」


『大きな鳥籠なのに、色々と大変なんだね』カグヤは感想を口にする。

「中途半端な規模の鳥籠だから大変なんですよ。これくらいの規模なら、俺たちにも占領できるかもしれないって思わせるから」


 鳥籠に入場するための長い列にうんざりしていると、我々の後方が騒がしくなる。

「なんでしょうか?」

 ミスズが首をかしげて列の最後尾に目を向けると、三機の攻撃支援型ドローンが飛んできて、我々の周りをぐるりと飛行する。


 周囲の偵察をさせていたドローンが戻ってきて、その機体が姿を見せたことで周囲の人間が驚いていたようだ。すぐに武装した警備隊の人間が集まってくる。


「それはお前たちのドローンか!」

 ナイロン製のミリタリーポンチョを着た女性がライフルの銃口を向けながら声を上げる。


「ちょっと待ってくれ」ノイが躊躇ちゅうちょすることなく銃口の前に立つ。

「俺たちは仕事で鳥籠に来てるんだ。揉め事を起こすつもりはないんだ」


「みんな仕事で来てる。それより、ソレはお前たちのドローンか」


「そうだ」私はそう言って前に出る。「何が問題なんだ」

「武装したドローンを許可もなく入場ゲートに近づけることは禁止されている」


「知らなかったんだ。すぐにドローンを――」

「知らないで済まされる問題じゃない!」と女性はぴしゃりと言う。

「怪しい連中だな。話を聞くから我々に同行してもらうぞ」


「だから待ってくれ」とノイが言う。

「仕事って言っても、〈スイジン〉の依頼で来てるんだよ」


 かつてこの辺りには水神祠があったという。人々に信仰されていた古い神は忘れられてしまったが、祠の存在そのものが忘れられることはなかった。そして人々に水の恩恵をもたらす浄水施設の守護神として再び信仰されるようになり、いつしか鳥籠は〈スイジン〉の名で呼ばれるようになった。


「我々の鳥籠が依頼を?」

 女性が戸惑うと、ノイは懐から銀色のカードを取り出して警備員に手渡した。彼女はノイを睨みながらも、近くにいた別の警備員が差し出した端末にカードを通した。そしてハッとして、すぐに生体情報を確認するためのスキャンを行う。


「これは失礼した」と彼女は言う。

「大事な客だと知らずに、とんでもない態度を取ってしまった」


 周りに多くの人間がいるにも拘わらず、警備員は我々に頭を下げて謝罪をした。

「自爆テロがあったばかりだから、気が立っていたのも仕方ないっすよ」

 ノイは笑顔を見せながら謝罪を受ける。


「かたじけない……案内しますので、我々のあとについてきてくれますか」

「了解」ノイはうなずいて、それから訊ねた。「ドローンはどうしようか?」

「そのままで大丈夫です。しかし無用な射撃は行わないでください」


 長蛇の列を横目に見ながら歩いていると、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『ずいぶんと簡単に入場できたね』

「俺たちと違って、イーサンの傭兵部隊は有名だからな」


『イーサンに対する信頼ってこと?』

「そうだ。俺たちは所詮、名の知れないスカベンジャーだからな」

『やれやれ』と、カグヤは溜息をついた。

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