第288話 雨雲 re
輸送機は周囲の環境に姿を溶け込ませるようにして、無人の高層建築群の間を飛行していく。進行方向に暗く厚い雲が立ち込めているのが見えていたが、空の旅は快適だった。
高層建築群が林立する通りに入っていくと、建物の影で日の光が届かなくなり、まるで暗い渓谷に迷い込んだような錯覚がする。しかし建物の壁面に時折浮かび上がる広告ホログラムで、自分たちが廃墟の中にいることに気づかされる。
「そろそろ鳥籠が見えてくるころです」
輸送機を操縦していたミスズの言葉にうなずくと、コクピットシートから身を乗り出して、全天周囲モニターから見えていた廃墟の街に視線を向ける。
「この辺りも、ずいぶんと高い建物が密集しているな……」
「そうですね。それに、人の痕跡が複数の建物で確認できます」
視線を動かすと、ガラス窓が割れ、枯れたツル植物が絡みつく建物から煙が立ち昇るのが見えた。地上に近い建物に視線を移すと、今にも崩れそうなベランダに色とりどりの洗濯物が干されているが見えた。
『人擬きが少ない地区なのかもしれないね』
カグヤの声が内耳に聞こえると、すぐに疑問を口した。
「廃墟の街でそんなことがあり得るのか? 横浜の拠点の周囲では、ヤトの戦士たちと一緒に人擬きを掃討しても、一週間も経たない内に別の個体が見つかる」
『繁華街の中心にできた異様なクレーターが原因じゃないのかな?』
数分前に通り過ぎた爆心地のことを思い出した。高層建築群が建ち並ぶ区画に突然、巨大なクレーターがいくつも出現し、そこには雨水が溜まっていて湖のようになっているのが確認できた。
「この辺りで何か強力な兵器が使われて、一度の攻撃で多くの人間が死んだ。だから人擬きになる人間が極端に少なかった。そう考えているのか?」
『うん。旧文明からずっと存在し続けている人擬きは、巣に籠る習性があるでしょ? その巣に迷い込んだ人間が、人擬きと交戦して、何とか生き延びて、でもその時の傷が原因で人擬きになる。それが廃墟の街の日常でしょ?』
「ここでは感染源になる人擬きが圧倒的に少なかった。だから二次感染による人擬きも現れないってことか?」
『その可能性はあると思う。廃墟を徘徊しているのは、基本的に巣を持たない二次感染の個体だし。その個体が新たに誕生しないのなら、周辺の環境は安全になる』
「それは面白い仮説だな」素直に感心した。
視線を前方に向けると、いつの間にか降り出した雨で視界が悪くなっていた。輸送機を操縦していたミスズが、コクピットモニターに表示される雨粒を見ながら思い出したように質問する。
「大樹の森でも人擬きがほとんど確認されないのは、それが理由なのでしょうか?」
『そうだと思うよ』とカグヤが答える。『大昔の人が大樹を使って環境を改善しようとしたくらいに、あの地では恐ろしい兵器が使用されたみたいだし、攻撃を生き延びた人間はずっと少なかったと思う』
「そして現在では――」とミスズが続ける。「森に迷い込んでくる個体も、凶暴な昆虫たちに処理される……そう考えると、大樹の森は人間が安全に暮らしていける生活環境なのかもしれないですね」
『危険な昆虫や異界の生物がいなければ、そうなっていたのかもしれない』
「でも現実には、そうはならなかった」
私は溜息をついて、それからミスズに
「ところで、大樹の森にある拠点の建設は順調か?」
「はい。えっと……まず洞窟の周囲に防壁を築いて、それから洞窟内の環境を整えていく予定になっています」
「〈混沌の領域〉との境界になっている防壁の周囲には、まだ近づけないか?」
「シールドを生成する巨大な柱が建つ場所にも、建設人形を使って監視所を建てる予定ですけど、まずは鳥籠〈スィダチ〉からやってくる蟲使いたちを受け入れるための仮設の施設を用意しています」
「そう言えば、数日前にミスズがイーサンたちを輸送機で〈スィダチ〉に送って行ったのは、防壁の監視を任せる人員を選定するためだったな」
「はい。守備隊の責任者でもあるゲンイチロウさんと一緒に、防壁に派遣される蟲使いの人員選定と戦闘訓練を行う予定でした」
「沼地の部族を束ねていたテアはどうしている?」
「テアさんも、彼女の部隊と共に戦闘訓練に参加していますが、レイラに言われた通り、彼女たちには〈スィダチ〉で待機していてくれるように話をしました」
「そうか……テアは素直に応じてくれたか?」
「レイラが特別な部隊を組織するために、テアさんの力を借りたがっていると話したら快諾してくれました」
「それなら、すべて順調というわけか」
「はい」ミスズは綺麗な黒髪を揺らしながらうなずいた。
「でも〈スィダチ〉では、避難民や他の部族との間で揉め事が頻繁に起きています」
「ままならないものだな」
「そうですね……少しずつ前進していますけど、森の部族が統一して、真の意味でひとつの民になるには、まだまだ多くの時間が必要になると思います」
高層建築群の間を抜けると、目的の鳥籠が見えてくる。そこは〈ジャンクタウン〉のような強固な防壁によって周囲を囲まれているタイプの鳥籠で、規模も大きく、絶えず人の流れがある鳥籠だった。
鳥籠の入場ゲートには雨にも
『周辺一帯の鳥籠に飲料水を供給しているだけあって、すごく賑わっている鳥籠だね』
カグヤの言葉にうなずく。
「それに、空中に浮かんでいる巨大な人工物が見えるか」
『見覚えがある建造物だね』
鳥籠のそばを流れる川に沿って、正多面体の巨大な物体が浮かんでいるのが見えた。それは時折、重低音を響かせながら川の水を勢いよく吸い込み、同時に厚い雲を上空に吐き出していた。
『あの物体が雨雲をつくっているのかな?』
正多面体の物体が吐き出す藍鼠色の雲を見つめる。
「そうなのかも知れないな」
『それにしても、とてつもなく巨大な人工物だね』
「そうだな……」
『縦に百メートル、横に百五十メートルはあるかな?』
コクピットモニターに表示された正多面体の建造物をカグヤが大まかに調べる。
「あんなに大きなものがどうやって浮力を得ているのか、見当がつくか?」
カグヤはしばらく唸って、それから言った。
『やっぱり重力場を利用しているんじゃないのかな?』
「あれだけのものを浮かべるのに、どれほどのエネルギーが必要なんだろうな」
『それは見当もつかないよ』
「レイラ」ミスズが言う。
「マーカーライトの点滅を確認しました」
離着陸場のある傾いた建築物の屋上で、ストロボが点滅しているのが確認できた。使用されるライトは肉眼では捉えられない特殊な光線を発しているため、周囲の注意を引くことがないようになっていた。
「鳥籠に近いな」建物を見ながらつぶやく。
『でも周辺に人の姿はない。安全みたいだよ』
「レイラ、どうしますか?」
「そうだな……安全確認をしたあと着陸してくれるか」
彼女はうなずくと、建物の上空を旋回しながら周囲に敵が潜んでいないか慎重に確認して、それから機体の高度を下げていった。
輸送機を静かに着陸させると、ミスズは〈環境追従型迷彩〉を起動させた状態にする。
「コンテナで休んでいるナミを起こしてきますね」
「了解」
コクピットシートの後方に収納していたバックパックと歩兵用ライフルを手に取る。
「カグヤ、ドローンの準備はできているか?」
『うん。すぐに起動させるね』
輸送機の装甲が一部開閉すると、そこから六機のドローンが飛びだしていくのが見えた。ドローンが小さな機体の周囲に重力場を発生させて、輸送機の周囲を飛行しているのを確認すると、私も搭乗員用ハッチから外に出る。
秋の冷たい雨に顔を濡らすのを気にせず、ドローンに視線を向ける。攻撃支援型のドローンの中心には、単眼の大きなカメラアイがついていて、機体下部には角張った形状の細長い銃身を備えたレーザーガンが取り付けられている。
それらのドローンは大樹の森で入手していた機体で、ペパーミントの手で整備され、万全な状態になっていた。鳥籠からの仕事依頼と言うことで、人前に出すことを避けたほうがいいハクとマシロに代って、我々の戦力になるために連れてきた機体だ。
ドローンはビープ音を鳴らし、瞬きするようにカメラアイを赤く発光させると、建物屋上に設置された空調室外機に一斉にレーザーガンを向ける。どうやら接近する人影を確認したようだ。
「俺です、ノイです!」
青年の声が聞こえる。
「カグヤ、攻撃中止だ」
六機のドローンは攻撃態勢を解除して、建物周辺の警備をするために四方に散っていく。
「ノイ、もう出てきていいぞ」
「よかった……」と、背の高い青年が室外機の陰からあらわれる。
「ヴェルとの件で怒っているのかと思った……」
「怒ってないよ」と苦笑しながら言う。
ノイはイーサンの部隊に所属する最年少の傭兵で、金髪に青い瞳を持ち、背が高く痩せた体系をしていた。灰色を基調とした戦闘服の下にスキンスーツを装備し、黒いプレートキャリアという格好をしていた。戦闘服の袖からは、腕にびっしりと刺青をしているのが見えた。
ちなみに彼が〈ヴェル〉と呼んでいたのは、ヴェルカ・フローナのことで、ヴェルカはヤトの一族の女性だった。ノイはヴェルカと恋人の関係になっていて、砂漠地帯で逢い引きをしていて〈バグ〉の大群を見つけたのもノイだった。
ノイの首元にある星形の刺青を見ながら言う。
「鳥籠に近いみたいだけど、ここに輸送機を残して安全なのか?」
「大丈夫っすよ」とノイは言う。
「この辺りに近づく人間はいませんし、人擬きや危険な生物もいません」
「そうか」
「今日はレイラさんだけですか?」ノイは周囲に青い瞳を向けながら言う。
「いや、ミスズとナミがいる」
「ハクとマシロは来てないんすか?」
「目立つからな」
私はそう言うと、外套のフードを下ろした。
ミスズとナミがやってきて挨拶を済ませたあと、ノイに質問することにした。
「それで、ノイ。俺たちは何をすればいい?」
「まずは鳥籠の管理をしている商人たちに会ってもらいます」
「イーサンに話は聞いているけど、仕事の内容は浄水施設の調査だったな」
「そうっすね。鳥籠の地下にある処理場で異常が発生しているみたいなんで、その解決のために、この辺りで有名な傭兵団を率いる隊長に仕事の依頼が来たってわけですね」
「つまり、俺たちはイーサンの傭兵部隊として仕事をするんだな?」
「そう言うことになるっすね」
「なぁ、ノイ」とナミが言う。
「ちゃんと飯を食ってるのか?」
「もちろん、食べてますよ」とノイは微笑む。
「それにしてもノイはひょろいよな」
「背が高いだけだよ」
「もっと筋肉をつけないとダメだぞ。ヴェルカ・フローナは強い男が好きなんだ」
「俺は強いぜ」ノイは力こぶをナミに見せた。
「爪のそれはなんだ?」ナミはノイの手を見ながら言う。
「黒く塗ってるだけだよ。カッコいいだろ?」
「いや、どうだろう?」とナミは首をかしげた。
「かっこいいと思うか、ミスズ?」
いきなり話を振られたミスズは困惑しながらも口を開いた。
「えっと、趣味は人それぞれですから……」
「ミスズさん、そこはカッコいいって言ってくださいよ」
ノイが声の調子を落としながら言う。
『レイ』とカグヤの声が聞こえる。
『ドローンを使って周囲の偵察をしてきたよ』
「何か見つけたか?」
『ううん。ノイの言った通り、周囲に人の気配は全くない』
「そうか……」〈環境追従型迷彩〉を起動していた輸送機を見ながら言う。
「一応、輸送機の警備のためにドローンの半数はこの場に残して行こう」
『了解』
今回の仕事にはウミを連れてきていなかったので、ドローンを遠隔操作する者がいない。だからドローンはあらかじめ搭載されていた人工知能で動くことになる。
「鳥籠に案内してくれるか、ノイ」と、雨に打たれながら言う。
「分かりました」
青年はうなずいたあと、小走りで室外機のそばまで行って、そこからバックパックとポンチョを引っ張り出してすぐに身につけた。
「今回の仕事のためにイーサンが派遣したのは、ノイだけなのか?」
「そうっすね。部隊のほとんどの人間は砂漠地帯と、大樹の森で仕事をしていますから。それに難しい任務じゃないって言ってましたよ」
「なんだか不安だ」
ナミの言葉にミスズが同意する。
「そうですね。レイラが関わると、大抵の物事は複雑になってしまいますから」
「レイラさんはトラブルメーカーってやつっすね」ノイは笑った。
「まあ、今回は大丈夫だろ」と私はつぶやいた。
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