第287話 収穫〈ヨウタ〉re
廃墟の街を探索した翌日、私は横浜の拠点で、野菜なのか果実なのか分からないトマトに似たモノを収穫していたヨウタの手伝をしていた。
「ところで、ハカセは拠点にまだ帰ってきていないのか?」
ヨウタはトマトの入った籠を持ち上げながらうなずいた。
「う、うん。も、もう、い、一週間になるけど、ま、まだ帰ってこないんだ」
「拠点の外で何をするのか、ハカセはヨウタに何か話したか?」
「い、いや。は、話してないよ」
『昆虫の観察でもしに行ったのかな』
カグヤの声が聞こえると、ヨウタはドローンに視線を向ける。
「そ、それは、わ、分からない。お、おはよう、か、カグヤ」
『うん。おはよう』カグヤも元気な声で答えた。
『ヨウタは、今日も畑でお仕事?』
「しゅ、収穫の、た、タイミングが大事なんだ」
『ハカセが教えてくれたの?』
「う、うん。は、ハカセは、す、すごいんだ。な、何でも、し、し、知っているんだ」
ヨウタは得意げにそう言うと、情報端末とつながっていたイヤーカフ型のイヤホンの位置を調整して、それからトマトの収穫作業を再開する。
拠点の敷地内にある畑を管理しているヨウタは、元々ジャンクタウンで暮らす人間だったが、IDカードを持たないような最底辺の住人で、廃品回収や犯罪に近い仕事でもしなければ、まともに生きていけない環境で日々を過ごしていた。
数か月前に拠点が頻繁に襲撃されていたさいに、ヨウタも敵対する傭兵部隊として襲撃に参加していたが、彼の所属していた部隊は全滅し、唯一の生き残りだったヨウタも我々の捕虜になってしまう。
そしてヨウタの処遇について考える間に、彼はハカセの畑仕事の手伝いをするようになった。拠点での人間らしいまともな生活を気に入ったヨウタは、のちに雑用として雇ってくれと頼んできた。
ヨウタの素性はすでに調べていて裏切ることがないと分かっていたので、彼を受け入れることにした。それにハカセが面倒を見てくれるということだったので、断る理由はなかった。それ以来、ヨウタは拠点で真面目に働き、ハクやヤトの若者たちとの生活にも馴染んでいた。
そこにマシロが飛んできて、ホバー機能を備えた台車にちょこんと座る。マシロは自身の翅に無頓着なのか、台車に載せられていたトマトの籠に翅がぶつかっても、少しも気にする様子を見せなかった。
「ま、マシロも、しゅ、収穫を、て、手伝ってくれるのか?」
ヨウタの言葉にマシロは笑顔でうなずいたが、トマトを手に取って匂いを嗅いでいるだけだった。
「今日はハクと一緒じゃないのか?」
彼女に
『勉強してる』
「マシロは勉強しなくてもいいのか?」
『退屈、だから』
「そうか」
『……怒る?』と彼女首をかしげる。
「怒らないよ。それに、興味のないことをするのは大変だからな」
マシロは微笑むと、畑を指差した。
『でも、土は好き』
我々が拠点にしていた保育園の土は、すでに建築機械で除染され、作物に適した土に改良されていた。マシロが畑の環境を気に入ってくれているのは、そのおかげなのかもしれない。
『レイ』とカグヤが言う。
『そろそろミスズに会いに行く時間だよ』
「もうそんな時間か」
私はそう言うと、トマトでいっぱいになった籠を台車に載せる。
「れ、レイ」とヨウタが言う。
「て、手伝ってくれて、あ、ありがとう」
「気にしなくてもいいよ。ヨウタとハカセが育てる野菜は好きだし、畑の土や植物に触れていると嫌なことも忘れられる」
「そ、それは良かった」
笑顔を見せるヨウタと別れると、マシロと一緒にミスズと待ち合わせをしていた離着陸場へと向かう。
離着陸場は保育園の敷地内にある指揮所の屋根に増築する形で設置されていた。指揮所は間に合わせにつくった簡素な建物だったが、旧文明の鋼材を含んだコンクリートで建てられていたので、輸送機の重みで潰れる心配はしていなかった。
それでもいずれは離着陸場を広い場所に移設しようと考えていた。保育園の敷地にはヤトの一族のための住宅が建てられ、今ではイーサンの部隊に所属する人間も多く出入りしていて、彼らとの交流の場になる食堂も建てられていた。
輸送機が墜落しないと分かっていても、自分たちの頭上を飛行機が低飛行しているのはあまりいい気分がしないだろう。
地上に建てられた食堂で働いているのは、以前、略奪者たちの拠点に囚われていた女性たちだった。彼女たちは苦しい経験をしてきたから、まだ多くの人間と接するのは大変そうだったが、それでも笑って仕事ができる環境になっていた。
その姿を見て誰もが安堵していた。我々が考えていた以上に彼女たちは強く、そして理不尽な人生に対して怒りを感じていたのだろう。
彼女たちが抱える本当の痛みや苦しみは理解できないかもしれない。けれど彼女たちの気持ちは想像できた。どうして傷ついた人間ばかり、生きることを諦めなければいけないのだろうか?
彼女たちは虐げられてきた過去の惨めな人生を捨てて、前に進むと決めた。これからは笑って残りの人生を送る。すべてを忘れることが出来る日はこないかもしれない。でもそれでも前を向いて生きる。
我々は彼女たちの覚悟を支持し、彼女たちのためにできることは何でもしようと考えていた。上手く説明できないけれど、彼女たちの生き方は、ある種の力を与えてくれた。それはきっと、挑み続ける限り、我々は決して負けることがないのだと信じたかったからなのかもしれない。
そしてそうだと信じる人がいなければ、この世界の多くの人間は浮かばれない。そんな世界に希望は存在しない。だから希望を見せてくれる彼女たちの手助けをしたかった。
ちなみにイーサンの傭兵部隊は、全員が古参の傭兵たちで、イーサンとは家族のような付き合いをしてきた人間の集まりだった。出身地である鳥籠も全員がイーサンと同じで、信頼できる人たちばかりだった。
しかしもちろん裏切りには注意をしなければいけないし、関係のない人間が横浜の拠点に潜り込まないように、生体情報が登録された人間だけが保育園の敷地に入ることが許されていた。もっとも、拠点の周囲に迷路のように張り巡らされたハクの巣を通って潜入できる人間なんていないと考えていたので、余計な心配はしていない。
飴色の四角い飾り気のない建物が指揮所だった。その建物の外階段を上がっていくと、すぐに離着陸場に出る。そこには輸送機が止められていて、機体のそばには作業用ドロイドと共に輸送機の整備を行っていたペパーミントの姿が見えた。
文明の崩壊した世界では、輸送機の整備に必要な部品は流通していない。だからペパーミントは整備に必要な部品を、特殊な端末を使ってひとつひとつ丁寧にスキャンし、取り込んだデータを精査し修復したあと、拠点の地下にある工作機械で新たに部品を製造していた。
だから輸送機の整備には膨大な作業が必要になっていて、ペパーミントには苦労をかけてしまっていた。けれどその甲斐あって、輸送機は万全な状態になっていた。
機体の装甲表面を覆う〈環境追従型迷彩〉も起動できるようになっていたので、廃墟の街の上空を目立つことなく飛行できるようになっていた。この機能が使えるようになったことは、輸送機を運用するのにとても助けになった。
輸送機は、その存在そのものがひどく目立つので、廃墟の街の上空を飛行しているだけで、略奪者たちの標的になってしまう。実際のところ、すでに何度か執拗な攻撃を受けたことがあった。
機体はシールドによって保護されているので、旧式の小銃からの攻撃では大事にならずに済んでいたが、ロケット弾による攻撃を受けたときには冷や汗を掻いた。でもこれからは安心して廃墟の上空が飛行できることになる。少なくとも、輸送機が墜落して
「おはよう、レイ」
ペパーミントは疲れたような表情をしていた。
「眠っていないのか?」
彼女は汚れたウエスで指を
「シールド生成装置の最終調整が残っていたの。だからまた輸送機を使う前に整備を終わらせたかったんだ」
「助かるよ」と素直に感謝する。
「ありがとう、ペパーミント」
「べつにいいよ」と彼女は微笑む。「この拠点では、みんな自分の仕事を持って一生懸命に働いている。レイが自分自身の命を危険に晒して戦うように、私はレイたちが使う装備の整備をきっちりとする。それが私の役割」
「でもあまり根を詰め過ぎないでくれよ。ペパーミントに何かあったら、大変だからな」
「心配してくれるの?」
「もちろん」
「ふぅん」と彼女は目を細めて、それから言った。
「ねぇ、レイ。この間、大樹の森にある研究施設から回収してきた板のことを覚えている?」
「あの銅板に似た薄い板のこと?」
「そう。回収された数枚の板は研究用に保管しているけど、その他の板は加工してボディアーマーの保護プレートに使用したの」
「たしかにあの板は軽くて頑丈だったから、ボディアーマーに使用するのはいい考えかもしれない」
「ボディアーマーは数着用意したから、今度の探索で試着してくれる?」
「強度テストは済んでいるんだろ?」
「もちろんテストはした。でも直接身につけないと分からないこともあるでしょ?」
「そうだな……今度の探索で使用させてもらうよ」
「よかった」と彼女は微笑む。
「それで、その研究施設にいた〈ブレイン〉たちは、まだ悪巧みをしていると思う?」
取り外されていた輸送機のモジュール装甲を、作業用ドロイドが再装着しているのを注意深く眺めていたマシロの横顔を見ながら言う。
「施設の警備システムに対するアクセス権限を〈ブレイン〉たちから奪ったから、彼らが何かをするとは考えられないけど……」
「でも、〈ブレイン〉たちはとても賢い巨大な脳の化け物なんでしょ?」
「彼らが本当に賢いのかは分からないけど、彼らが何かをしたら、施設の警備システムが知らせてくれるようになっている」
「もしもだよ」とペパーミントが言う。「ブレインたちが水槽の奥に凶悪な兵器を隠し持っていて、レイが扉を開けた瞬間にその武器で襲ってきたらどうするの?」
彼女が発想に感心しながら訊ねた。
「〈ブレイン〉たちが俺のことを本気で襲うと思うのか?」
「思うわ。だって水槽の奥がどうなっているのか、レイはまだ調べていないんでしょ?」
「俺に対して何かを企んでいる可能性はあるかもしれないけど、でも〈ブレイン〉たちは武器を使わないんじゃないのか」
「どうして?」
「水槽が壊れたら、彼らは生きていけないからさ」
「〈ブレイン〉たちとの会話記録を見せてもらったけど、その話がそもそも嘘だったら?」
「ペパーミントは、連中があの姿で地上を移動すると思うのか?」
「思う」と彼女は私に青い瞳を向けながらうなずいた。
「そしたら大変なことになるな」その姿を思い浮かべながら苦笑する。
「レイは私の話を真剣に捉えていないでしょ」
「ペパーミントの言いたいことは分かるよ、俺も〈ブレイン〉を信用していないからな」
「それならいっそ、あの研究施設を永久に封鎖するのはどう?」
「すべてなかったことにするのか?」
「そう」
「どうだろうな……」
私はそう言うと、防壁の向こうに見えていた廃墟の街に視線を向けて、日の光を反射する墓石のような高層建築群を眺める。
「あの施設には貴重な遺物がたくさん残されているし、異界の生物に関する調査記録も多く保管されているんだ」
「だから放棄するにはあまりにも惜しい?」
「そうだ」
「それなら、〈ブレイン〉たちに会うときのために、何か対策を考えとかないとダメね」
「わかってる。それにあの施設の存在もどうにかしないといけないと思っている」
「施設の存在?」
「もしも〈不死の導き手〉のような組織が、あの施設の存在を知って、その所在を突き止めたらどうなると思う?」
「考えたくもないけど、最悪な事態になるのは確実ね」
「だからあの施設に人が近づけないようにしたい」
「でも、施設は元々大樹の森の奥地にあるんだから、誰かに知られる心配はないんじゃないのかな」
「あの不気味な〈ブレイン〉が相手だから楽観視はできない。ペパーミントだって、ついさっきまで心配していただろ?」
彼女はうなずいたあと、マシロのために用意していた暖かそうな腹巻を取り出すと、嫌がるマシロの足に腹巻を通しながら言う。
「周囲の色相と質感をスキャンして、完璧に再現できるナノコーティングが施されたシートで建物入り口を覆って、周囲の環境に完全に溶け込ませるのはどう?」
「シート……」と思い出しながら言う。
「拠点を襲撃してきた傭兵たちから奪ったシートのことか?」
「そう、そのシート」
彼女はそう言って、マシロの腹巻の位置を調整する。
マシロはハクの糸で作られた腹巻を嫌そうにしていたが、柔軟で伸縮性のある腹巻が動きの邪魔にならないと気がつくと、ペパーミントに抱きついて感謝した。ハクと一緒にいる時間が長いからなのか、マシロにもハクの癖がうつったようだった。
「そういえば」と、ペパーミントが言う。
「レイはここに何をしにきたの?」
「ペパーミントに会いにきたんだ」
「そう」と、彼女は私を睨む。
「本当の目的は?」
「ミスズと待ち合わせをしていたんだ」
「またどこかに行くの?」
「イーサンが面白い依頼を持ってきたんだ」
「また面倒事?」
「山梨県と神奈川県の県境に、大規模な浄水施設を備えた鳥籠があるんだけど、そこで問題が起きているらしい」
「水か……」ペパーミントはマシロから離れながら言う。
「レイがその依頼を受けるだけの魅力がある仕事なの?」
「浄水装置に関するデータがほしいんだ」
「たしかにそういった施設なら、浄水装置に関する情報が入手できるかもしれないけど、でも私たちには必要のないものでしょ?」
「横浜の拠点では必要ない装置かもしれない。けど砂漠地帯にある採掘基地では、警備をしている人間の飲み水を確保することが課題になっている」
「その依頼が何かは分からないけど」とペパーミントは言う。
「ついでに浄水装置に関する情報を手に入れるつもりなの?」
彼女の言葉にうなずくと、「なるほどね」と彼女も興味ありげにうなずいた。
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