第286話 世界の片隅で re


 都市に林立する高層建築群の間から水色に澄んだ秋の空が見えた。その気の遠くなるほど高い建築物の壁面に張り付いていたハクが、何もない空間に向かって軽やかに跳び上がるのが見えた。


 ハクは空中でくるりと回転すると、口から吐き出した糸を高層建築物の間に架けられた空中回廊に巻き付けて、振り子のように勢いをつけながらこちらに向かって一気に飛んだ。あっと言う間に距離を詰めて、すぐ近くに音もなく着地する。


『みつけた』

 幼い女の子の声が聞こえると、リュックのようなものを触肢しょくしの間に挟んでいるのが見えた。その古びたリュックを受け取りながら感謝する。


「ありがとう、ハク」

『ん、どいたしまして』

 ハクは腹部を振って答えると、また建物の壁面に向かって跳ぶ。


 砂漠地帯で大量発生した〈バグ〉を掃討してから数日。私はハクとマシロを連れて久々に廃墟の街に訪れていて、そこで何か貴重な遺物が見つけられないか探索していたのだ。もっとも、暇を持て余していたハクからしたら、この探索は日々の遊びの延長でしかなく、一緒にいられることを楽しんでいるようでもあった。


『リュックの中には何が入っているのかな?』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、偵察ドローンが飛んでくるのが見えた。焦茶色のリュックを開いて、その中身を確かめる。もろくなっていたファスナーが途中で壊れてしまうが、リュックは問題なく開いたので気にしなかった。


「いくつかの情報端末と錆びた旧式拳銃、それに食べかけの〈国民栄養食〉だけだ……」

『栄養食は腐ってないね……』


「そう言えば、栄養食が腐っているのは見たことがないな」

『得体の知れない食品添加物が使われているのかな?』


「それは知りたくない情報なのかもしれない」

『レイは栄養食が好きだからね』


 彼女の言葉に肩をすくめたあと、リュックの中から情報端末を取り出す。すると突然、廃墟の街のどこからか銃声が聞こえてくる。


『大丈夫』とカグヤが言う。

『私たちのいる場所からは、だいぶ離れた位置から聞こえる』


「人擬きと略奪者たちが戦闘しているのかもしれないな……」

 手元の情報端末をひっくり返して状態を確かめる。


『端末は損傷していないみたいだね』

「情報を読み取れるか試してみてくれないか?」


『了解』

 カグヤのドローンから手元の端末に向かってスキャンのためのレーザーが照射される。


 走査の結果を待つ間、建物に衝突したまま放置されていた大型バスのそばに向かうと、錆の浮いた乗降ステップに腰掛ける。


『どうやら端末の持ち主は、スカベンジャーだったみたいだね』

「同業者か」端末を眺めながらつぶやく。


『鳥籠の外に拠点を持てるくらいの、大きなグループだったみたいだね』

「それは、いつの情報だ?」


『端末が最後に使用されたのは三年前だね』

「どこかに端末の持ち主と同じグループに所属していた人間がいるかもしれないな」


 瓦礫がれきが横たわる道路に視線を向ける。

「なぁ、カグヤ」


『うん?』

「これの持ち主の拠点がどこにあるか分かるか?」


『わかると思う。でもその情報にはアクセス制限が設定されているから、それを解除しないといけない』


「〈接触接続〉で解除できるか?」

『できると思う』


 静電気にも似た軽い痛みのあと、端末の画面が点滅を繰り返する。

『見つけたよ』カグヤが言う。

『どうやら軍が使っていた検問所を拠点として使っていたみたい』


「軍の検問所?」

『そう。レイのハンドガンを見つけたときに入手していた情報とも一致してるから、間違いないよ。忙しくて探索できていなかったから、ちょうど良かったね』


「でも先客がいるんだろ? 検問所に有用な物資が残っていたら、それはすでに売り払われたあとなのかもしれない」


『それは残念……けど、それでも行くんでしょ?』

「この端末の持ち主がすでに死んでいたら、これが遺品になる。それなら持ち主の仲間たちに届けてあげたい」


『わかった。検問所までの移動経路を設定する』

 彼女の言葉のあと、検問所までの経路を示す立体的な線が拡張現実で浮かび上がる。


 ハクに声をかけたあと、目的の場所に向かって移動を開始する。ハクはマシロと一緒にいたが、今は姿を隠しているため、彼女がどこにいるのか分からなかった。一応、マシロにつけていてもらっていた首飾りにも発信機を取り付けていたので、マシロを見失うことはなかったが、姿が見えないと不安になる。


 数週間前まで青々と茂っていた草が萎れているのを見ながら歩く。廃墟の街で見かけていた大量の昆虫たちも、なりを潜めている。倒壊した旧文明期以前の建物の残骸の中を注意しながら歩いていると、ぼんやりとした赤紫色のもやが浮かび上がる。悪意や敵意を感じ取ることのできる瞳の能力だ。


『どうしたの、レイ?』

「瓦礫を越えた先に、俺たちに対して敵意を持った何かが潜んでいる」


 すぐに姿勢を低くしライフルを構える。

『待ち伏せされた?』

「ああ、どこかで俺の姿を見て、先回りしたのかもしれない」


『レイダーかな?』

「おそらく」


『どうするの?』

「敵意は感じ取れたから、攻撃されるだろうな」


『つまり、私たちの敵ってことだね』

 彼女の言葉にうなずいたあと、できるだけ音を立てないように瓦礫の間を歩いて、迂回しながら襲撃者たちの側面に回り込む。


 地面に半ば埋まっていた消費者金融の巨大な看板の後ろに隠れると、襲撃者たちの様子を確認する。カラス型偵察ドローンは砂漠地帯の拠点に残してきたので、カグヤの偵察ドローンで敵の正確な人数と位置を確認する。


『偵察してきたよ』しばらくしてカグヤの声が聞こえる。

『敵は全部で六人だった。みんな汚い身形をしてるから、レイダーの集団で間違いない』


「ありがとう」

 小声でつぶやいたあと、看板脇から僅かに顔を覗かせて敵の様子を確認する。


 略奪者たちは汚い衣服を身にまとい、その上に使い古されたチェストリグや、錆びた鉄板を身につけて身体からだを保護していた。装備している小銃は旧式のライフルで、整備もまともにされていないものだった。


 目の前の看板のでっぱりにライフルの銃身を乗せると、集団から離れた位置に立っていた略奪者の女性に照準を合わせる。彼女は狙撃銃を手にしていたので、真っ先に対処したかった。


 カグヤの支援で彼女の頭部に射撃のためのターゲットマークが表示されると、照準を合わせながら引き金に指をかけた。けれどまだ射撃は行わない。


 べつの標的も視界にとらえて、すぐに射撃できるように射角を調整する。略奪者たちは倒壊した建物の瓦礫の間から出てくる私を待ち伏せしていて、看板の後ろに隠れていた私の存在には気がついていなかった。だから瓦礫の奥で大きな音を立てて、略奪者たちの注意を引くことにした。


 カグヤがドローンを操作して拳大のコンクリート片を地面に落とすと、略奪者の何人かが瓦礫の奥に向かって出鱈目な射撃を始めた。その混乱に乗じて私も攻撃を行う。


 ライフルから発射された弾丸は、こちらを狙撃しようとして待ち構えていた女性の頭部に食い込み、はじけるように後頭部を破裂させる。女性の髪の毛や頭蓋骨の破片と一緒に脳漿が飛び散ると、銃身を僅かに動かして手前の男に向かって射撃を行う。


 一発目の銃弾は男性の首を貫通し、二発目は顎を吹き飛ばした。それから瓦礫に身を隠すようにしゃがみ込んでいた女性を射殺すると、敵の攻撃を受ける前に身を隠す。


 案の定、私が身を隠していた看板に向かって大量の銃弾が飛んできた。すぐに看板を離れて瓦礫の陰に転がり込んで銃声が止むのを待った。それからカグヤのドローンから受信していた映像で略奪者たちの様子を確認する。すると弾倉を再装填している姿が見えた。すぐに瓦礫の間から出て射撃を行う。


 銃弾を受けた女性が仰向けに倒れるのを確認すると、瓦礫に身を隠す。これで残っている略奪者はふたりだけになった。ドローンの視点を介して敵の位置を確認していると、ハクが略奪者の後ろにあらわれて、脚の先についた鋭利な鉤爪で女の胴体を横薙ぎに切断するのが見えた。


 ハクの登場に驚いた男性が射撃しようとすると、かれの頭は水風船のように破裂する。男を殺したのは透明になって接近していたマシロだった。彼女は首のない男の胴体を黒い複眼でじっと見つめたあと、鼻をそっと抑えて顔をしかめた。


 たしかに略奪者たちは酷い臭いを発していた。顔や腕は黒くなった垢にまみれていて、彼らの身体や衣服からは強烈な悪臭がしていた。


 ハクとマシロが掩護してくれたことに感謝をしてから、略奪者たちが何かいい装備を持っていないか確認する。かろうじて状態の悪い狙撃銃と旧式のアサルトライフルだけが、なんとか売り物になりそうだった。


 適当なボロ布を拾って回収したライフルをさっと拭いて汚れを落としたあと、ペパーミントに借りていたショルダーバッグのなかに放り込んでいく。


『つぎは検問所だね』

 カグヤはそう言って移動経路を表示する。周囲に別の略奪者がいるかもしれないので、カグヤのドローンを先行させて周囲の偵察をしてもらうことにした。


 大通りに設置された検問所のそばには、半壊した状態で放置された装甲車や多脚戦車、それに機械人形の残骸が大量に転がっていた。


 コンクリートのバリケードブロックには、激しい戦闘を物語るように複数の弾痕が確認できた。道路脇に兵士のために用意された詰め所があり、そのすぐ近くで枯草に埋もれた階段を見つけることができた。地下に続く入り口に使用されていた鉄扉は破壊されていて、両開きの扉の片方は道路の中央に転がっていた。


『生存者は期待できなさそうだね』

 彼女の言葉にうなずくと、薄暗い階段を眺めながら言う。

「残念だけど、俺もそう思うよ……ドローンで室内を確認して来てくれるか?」


『任せて』

 ドローンは〈光学迷彩〉を起動させて地下に向かう。マシロもドローンの後を追って地下に行こうとしていたので、その手を取って止めた。


「カグヤが安全確認をするから、それが終わるまで待ってくれ」

 マシロは触角を揺らしながらうなずく。


 ハクが道路に転がっていた骨を組み合わせて、得体の知れないものを作って遊んでいるのを眺めていると、カグヤのドローンが戻ってくる。


『生存者はいなかったよ。それに室内はひどく荒らされていた』

「そうか……略奪者たちからの襲撃にでも遭ったのか?」


『ううん。死体は確認できなかったから、人擬きの襲撃かも知れない』

「この場所を拠点にしていたスカベンジャーたちは、すでに人擬きに変異していて、廃墟の街を彷徨っているのかもしれないのか……」


『その可能性はある』

 彼女の言葉に、思わず溜息をついた。


 地下に向かう通路は狭かったので、ハクには地上で待機してもらうことにした。ハクは骨で遊ぶことに夢中になっていて、振り向くことなく脚を上げて返事をすると、骨遊びを続けた。マシロは私の真似をして肩をすくめると、地下に続く階段に向かった。


 壁の低い位置には子どもの落書きが残されていて、かつてこの拠点に幼い子どもがいたことを示唆していた。階段の先から差し込む僅かな光の中に、塵が舞う広くて天井の高い空間が見えた。


 その空間は、金属製の棚や木製の棚で幾つかの部屋に区分けされていた。それらは個人のための空間だったのだろう。腐った食品や砂埃に汚れた毛布やマットレス、それに大量の服が残されているだけで、貴重なモノはなにもなかった。


 打ち放しコンクリートの壁や天井の所々が崩れていて、酷く危険な場所になっていた。荒らされた室内の至るところに血痕による黒い染みが残されていて、室内で激しい戦闘が行われたことが推測できた。私は地面に転がる空薬莢を拾い上げながら言う。


「人擬きが侵入してきて、住人が襲われたのは間違いなさそうだな」

『何かのキッカケで扉が破壊されて、人擬きが室内に入り込んできたのかもしれないね』


「軍の物資は残っていると思うか?」

『奥に保管庫があるみたい』


 薄暗い部屋を抜けて真っ暗な廊下に出ると、フルフェイスマスクで頭部全体をおおってナイトビジョンを起動する。


「廊下の先は真っ暗だから、マシロには居心地が悪いかもしれない」

 マシロはじっと暗闇を見つめたあと、地上に続く階段に向かってふわりと飛んでいく。ハクのもとに行くのだろう。


 半端に開いていた重い鉄扉の先には、軍の弾薬箱や物資が入っていると思われる無数の木箱とともに、ボロ布をまとった人間の白骨死体が重なるように転がっているのが見えた。


 二体の白骨死体のそばには拳銃が落ちていて、頭蓋骨には銃弾による穴が確認できたので、自殺した人間の骨なのかもしれない。短い期間で白骨化していたのは、地下に侵入してきた小さな昆虫やネズミが綺麗にしていったからなのかもしれない。


「ここまで逃げてきて、そして諦めた……」

 私はそう言うと死者に手を合わせて、それから彼らの背後にある木箱に視線を向ける。


『大量の弾薬に、改造が施された古いアサルトライフル、それに各種グレネードが一通り揃っている』


「状態も悪くないな」とライフルを手に取りながら言う。

「これだけ武器があったのに、彼らは戦うことを諦めたのか?」


『襲ってきた敵の中に、人擬きになったばかりの仲間がいたのかも』

「あるいは……自分たちの子どもが人擬きになっていたのかもしれないな」


『人擬きに変異してすぐに動き出す子どもの死体は、生きていたときと姿が変わらない。だから銃口を向けられなかった……それはとても悲しい結末だね』


「本当にそれがこの場所で起きたのなら、悲劇としか言いようがないな……」

 自分の子どもに喰い殺されることを選ぶか、それとも変異したとはいえ、愛する子どもに銃を向けるか……いずれにせよ、それは最悪の状況だ。


 それからカグヤと一緒に木箱の中身をひとつひとつ確認していく。腐った戦闘糧食が入った木箱や、空になった弾薬箱もそれなりの数だったが、全体的に見れば、かなりの利益が期待できる物資だった。


『とにかく』と、カグヤが暗い気持ちを切り替えながら言う。

『今回の探索は大成功だ。これでジュリとヤマダを安心させられる報告ができる』


 カグヤの言葉に同意してうなずいた。

「あとはミスズに輸送機で迎えに来てもらおう。これだけの量の物資は、俺たちだけでは持ち帰ることができないからな」


『そうだね』と、室内を照らしていたドローンがうなずくように動く。

「地上に戻ろう、この場所の空気は重たい」


 保管庫を出るときに、白骨死体がちらりと目に入る。

 これがこの世界の現実だ。と私は思う。

 これが私の生きている世界の現実なのだと。

 そしてこの世界で、私はこれからも生きていかなければいけない。

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