第285話 爆撃機〈砂漠地帯〉re


 かつて横浜の中華街があった地域を中心に広がる砂漠地帯は、旧文明期に海を埋め立ててつくられた土地に向かって広がっていたが、横浜の広大な地域すべてが砂漠に没したわけではない。現に上空から見た砂漠地帯は、爆弾によって出来たクレーターのなかにある限られた地域のことでしかなかった。


 しかし輸送機の高度を下げて砂漠の上空を飛行した途端、状況は驚くほど変化する。まるで別の空間に入り込んだように砂漠は何処までも広がり、折り重なるように倒壊した高層建築群が砂丘に埋もれているのが見えてくるようになる。


 地層がくっきりと浮き出た岩場には、大地に広がる傷痕のような深い谷があって、そこではつねに深緑色の濃霧が立ち込めている危険な汚染区域になっていることも確認できた。オアシスこそなかったが、広大な砂漠は果てがなく、その表情は豊かだった。


 とにかく砂漠地帯は何もかもが奇妙だ。ペパーミントが立てた仮説によれば、以前この地には異界と繋がる〈神の門〉が開いていて、地域一帯が異界の空間に侵食されていたかもしれないと言う。


 これも仮説でしかないが、何者かが空間の歪みを閉じることに成功した。そのおかげで異界の領域が無制限に広がることはなくなった。けれど異界の影響はこの地域にしっかりと残されていて、横浜に不思議な空間をつくり出していた。


 ペパーミントはそう考えていたし、私もあながち間違いでもないと思っていた。異界に続く門を閉じることができるのは知っていたし、すでに経験済みだったので、その可能性は充分にあり得ることだった。


 というより、この異常な空間をそれ以外の方法で説明することは難しかった。異界の生物であるインシの民なら、砂漠地帯の異常性について何か納得のいく説明をしてくれる可能性はあったが、彼らとの関りは極力避けたかった。だからこの地域について分かることは何もなかった。


 砂漠地帯にある拠点の警備をしていたヤトの若者が、フレームが剥き出しのパワードスーツを装備した状態で、こちらに向かって器用に手を振る姿が見えた。彼女に答えるように私も手を振ったあと、巨大なトカゲにしか見えない〈ラガルゲ〉の進行方向を制御していた手綱をしっかりと握り直した。


いてもいいか、レイ」

 多脚車両ヴィードルに乗っていたイーサンが言う。

「ラガルゲの乗り心地は?」


「悪くないよ、座り心地もいい。問題があるとすれば、くらに跨るんじゃなくて、胡坐あぐらをかく状態でラガルゲに乗ることになるから、少し違和感があるくらいだな」


 ラガルゲは馬と違って胴体の幅が広く、足を開いた状態で跨ることはできない。

あぶみがなくて足の踏ん張りも効かないから、騎乗した戦闘には不向きなのかもしれないな」


 イーサンは肩をすくめると、ラガルゲを見ながら言う。

「インシの民は俺たちと異なる身体からだの構造をしているから、鞍が人間に適した作りになっていないのは仕方ないな。敵に襲撃されそうになったら、ラガルゲから降りた方がいいぞ」


「何か問題があるのか?」

「つい先日、ラガルゲが獲物を追いかけている姿を見たが、その巨体に似合わず動きが素早かった」


「この図体で早く走るのか?」と思わず驚いてしまう。

「ああ。普段はのんびりしているが、狩りのときは恐ろしい姿を見せる」


「それならラガルゲから振り落とされないように、鞍を改良したほうがいいな」

「森の民に頼んだらいいんじゃないか?」とイーサンは言う。「〈スィダチ〉の職人は大型昆虫に乗るための鞍も作っているみたいだし、何かいい改良案を持っているかもしれない」


「そうだな。ジュリとヤマダを〈スィダチ〉に連れていくとき、職人を探してみるよ」

「それから、その頭蓋骨はどうにかならないのか?」


 ラガルゲの首に巻いてある装飾具に視線を落とした。

「どうやらお気に入りのネックレスみたいなんだ。外そうとしたら、ひどく抵抗した」


「まさか、人骨で着飾るのが趣味なのか」

「お洒落に敏感な年頃なのかもしれない」


「お洒落ね……」と、イーサンは溜息をつく。

 後方に視線を向けて、〈ワヒーラ〉がちゃんとついてきているか確認する。


 ワヒーラはヤトの部隊と共に砂漠地帯に派遣していた偵察型多脚ドローンで、索敵に特化した無人機だ。機体は媚茶色の迷彩柄で、大型のバイクよりも一回り小さかった。基本構造は多脚車両ヴィードルに似ているが脚は四本で、機体中央のコクピットに代って大きな円盤型のレーダーが取りつけられていた。


 その白色のレーダーの周りには、小型の発煙弾発射機が設置されていて、専用のスモークグレネードなどが装填されていた。ちなみに武装の類は一切搭載していなかった。しかし戦闘をさせるつもりはなかったので、その状態でもとくに問題はなかった。


『レイ』カグヤの声が内耳に聞こえた。

『ワヒーラから取得した情報をもとに、目的の谷までの最適経路を地図に書き込んでおいたよ』


「ありがとう、カグヤ」

 拡張現実で表示されていたインターフェースを操作して周辺地図を確認する。


 イーサンも指輪型端末を操作して、スマートグラスに地図を表示させる。

「……そろそろだな。〈バグ〉どもが谷底からい出ていなければいいが」


「出発する前にちゃんと話を聞いていなかったけど、そんなに大量の〈バグ〉がいたのか?」

 イーサンは顔をしかめながら答える。


「シロアリの変異体が大量発生したときのことを覚えているか?」

「もちろん」


「現場に案内されたとき、おれは真っ先にあの日のことを思い出したよ」

「ずいぶんと厄介な事態になっているみたいだな」


「ああ、大量の〈バグ〉が谷底から這い出して、砂漠を越えて廃墟の街に流れ込んできたら、レイの拠点や〈ジャンクタウン〉も巻き込まれるかもしれない」


「そんなことになったら、住人の大半が死ぬことになるな」と、うんざりしながら言う。「つくづく人間には厳しい世界だな」


「まったくだ」

「それにしても」と私は続ける。

「こんな広い砂漠地帯で、よく〈バグ〉の大量発生に気づけたな。そんなに遠くまで巡回警備しているのか?」


「いや」イーサンが困ったような表情で言う。

「うちの若い奴が、ヤトの子と逢い引きをしていたときに偶然見つけたんだ」


『若い子? それってイーサンの傭兵部隊に所属してる傭兵だよね?』

 カグヤの質問に彼はうなずく。

「そうだ。拠点警備の休みの日に会っていたみたいだから、とくに注意はしなかったが、マズかったか?」


『何が?』

「逢い引きのことなら――」と私は言った。

「俺たちは別に何とも思わないけど」


『そうだね』とカグヤも言う。

『若い男女がずっと同じ環境に身を置いているんだ。何も起きないって考えるほうがおかしいのかもしれない。それに、ヤトの子たちはみんな綺麗な顔をしてるから、傭兵たちが惹かれるのも仕方ないんじゃないかな』


「本当に問題ないのか?」

 イーサンの言葉に肩をすくめる。

「男女の関係にとやかく言うつもりはないよ。ヤトの一族は俺のもとで団結してくれているけど、彼らの自由を縛るようなことはしたくないし」


『でも任務に影響が出るようなら、何とかしないとダメだね』

「そうだな……痴話喧嘩で警備がおろそかになるのは避けたい」


「それは難しい問題だな……」とイーサンは言う。

「拠点に戻ったらエレノアと相談して、何ができるか考えてみるよ」


『お願いね』とカグヤが言う。『拠点に派遣されている傭兵部隊は、みんなイーサンの身内みたいなものだから信用できるけど、組織の結束を乱すようなことが起きるのは避けたい』


 何処までも続くと思われた砂丘地帯を越えると、褐色の岩山が立ち並ぶ地域に入る。深い谷間から上がってくる深緑色の濃霧が周辺に立ち込めるようになると、イーサンは多脚車両のキャノピーを閉じた。


 私もすぐにフルフェイスマスクで頭部全体をおおうと、手綱を引いてラガルゲの動きを止めようとする。しかしラガルゲは汚染物質の含んだ濃霧を少しも気にすることなく進んでいく。


『毒を吐き出すだけあって、汚染された地域に適応しているのかもしれないね』

 カグヤの言葉にうなずきながらラガルゲの鱗を撫でる。

「そうだといいんだけど」


『レイ、高台に向かう経路を地図に設定しておいたよ』

「ありがとう」


 感謝を伝えたあと、地図を確認しながら岩山に続く道を進んでいく。眼下に切り立った崖が見えるようになると、拡張現実で表示される地図を注意深く確認する。周辺一帯の情報が詳細に書き込まれた地図は、ワヒーラによってリアルタイムで取得しているものだった。


 視線を動かすと、昆虫に似た気色悪い生物が崖にびっしりと張り付いていて、崖を這い上がろうとする姿が目に入る。


 その〈バグ〉の大群は、異様に長い半透明の薄い翅を四枚持っていて、短く太い胴体は半透明の乳白色をしていた。頭部には大きさの違う複眼が不規則に並んでいて、口吻からは膿のような液体が滴っている。まるで樹木の幹に張り付く蝉のように、〈バグ〉の大群は断崖に張り付き、ゆっくりと崖を登っていた。


 上空を飛んでいたカラス型偵察ドローンの映像で、深い谷間を確認しながら言う。

「想像していたよりもずっと数が多いな……。カグヤ、爆撃機の状態は?」


『予定通りで問題はないよ。ただ高層建築群が邪魔で、低空飛行しながら砂漠地帯に侵入するための角度調整に手間取ってる』


「なら、爆撃は諦める?」

『ううん、太平洋側から無理やり侵入させる』


「東京湾の辺りか」

『うん。本当は高高度から爆撃したかったけど、高度を落とさないと砂漠はおろか、谷なんて何処からも見えないからね』


「特殊な環境が爆撃の妨げになっているのか……」

『でも大丈夫。ウェンディゴで待機しているウミが細かい操作の支援をしてくれている』


 地図上に表示されている谷間に沿って赤い線が引かれていくのが見えた。

『この線に沿って絨毯爆撃が行われる。爆撃機に搭載されている兵器の威力も、この作戦に適したものを選択しているけど、旧文明期の兵器はどれも強力だから、私たちにも被害が及ぶかもしれない』


「こんなに離れていても、影響があるのか?」

『多分ね、分からないけど』


 イーサンに状況を伝えたあと、我々は周囲の岩で低い壁を築いて衝撃に備える。すると遠くの方から空気をつんざくような音が響いてくる。


『レイ、聞こえるか?』

 イーサンの声が内耳に聞こえた。

『遠くから聞こえるこの音は?』


「思ったよりも早かったみたいだけど爆撃機がやってくる音だ。衝撃に備えてくれ」

 イーサンは多脚車両に乗り込むと、岩壁の後ろに車体を移動させた。私もぼんやりしていたラガルゲの手綱を持つと、ワヒーラに指示を出しながら壁の後ろに向かう。


 遥か上空を飛行している爆撃機の姿を近くで見るのは初めてのことだった。その爆撃機は旧文明期以前に存在したステルス爆撃機を思わせる姿をしていた。


 それは水平尾翼と垂直尾翼のない全翼機と呼ばれるブーメランに似た特徴的な形態をした機体で、つねに周囲の色相をスキャンしていて、カメラが取り込んだ映像を装甲の表層に表示していた。


 それによって完全に透明になれるたわけではないが、地上から見える空と完全に溶け込んでいるため、攻撃態勢に入った爆撃機の姿を認識するのはとても難しくなる。しかし爆撃機の操作権限を持つ私には、機体の輪郭がハッキリと分かるようになっていた。


 そして目も開けていられないほどの閃光のあと、衝撃音が周囲に轟き、同時に我々の上空を通過していく爆撃機の爆音が聞こえたような気がした。しかし連続して発生する衝撃音によってそれもすぐに掻き消されていった。


 しばらく続いた爆音の残響が去ると、驚くような静けさが周囲にもたらされる。その静けさの中、ラガルゲは大きく欠伸をして見せると、舌をするすると出し入れして、谷間から立ち昇る砂煙につぶらな瞳を向けていた。


「大丈夫か、イーサン」

「俺は無事だ」

 キャノピーを開くと、イーサンが顔を出すのが見えた。

「レイは平気なのか?」


「ああ、ラガルゲにも異常はない」

「そうか……それにしても今回も凄まじかったな」


 イーサンの言葉にうなずいたあと、立ち昇る砂煙に視線を向けて、崩壊していく谷間の様子を確認する。


『まだ生き残りがいるみたいだね』

 上空のカラスから受信している映像と、ワヒーラから得ている索敵情報を確認すると、崩れた岩棚の間から這い出す無数の〈バグ〉の姿が見えた。


「もう一度、爆撃できないか?」

『残念だけど』とカグヤがイーサンに答える。

『横浜の上空を飛んでる爆撃機は一機も見当たらないし、さっきの爆撃機はすでにウェンディゴの操作範囲の外に飛んでいった』


「それなら、残りのバグは俺たちで処分するしかないな」

 イーサンは溜息をついた。

「我儘を言えるような立場じゃないが、ミスズたちも連れてくればよかったな」


 かれはそう言ってキャノピーを閉じると、多脚車両を動かして崖の下に飛び下りていった。ラガルゲも何を勘違いしたのか、私をその場に残しながら、イーサンのあとを追って崖を飛び下りていった。


『行っちゃったね』

 カグヤの言葉にうなずいたあと、崖の縁に立った。

「俺たちも行くか……なぁ、カグヤ。爆撃による周囲の環境への影響はどうなっている?」


『谷底に充満していた汚染物質が爆撃のさいに発生した衝撃波にのって、広範囲に拡散されたみたい。だけど私たちの拠点の範囲外だから、今のところ問題はないかな』


 イーサンの操縦する多脚車両から騒がしい銃声が聞こえてくる。

「〈紅蓮〉に影響はありそうか?」


『風向きによっては谷底の汚染物質を含んだ砂や塵が飛んでいく可能性はあるけど、この場所から相当な距離があるから、そこまで大きな被害は出ないと思う』


「バグの大群に鳥籠が占拠されるよりかは、よっぽどマシか……」

 ラガルゲが〈バグ〉を次々と噛み殺していくのを眺めながら、私も装備の確認を行う。


『レイ』カグヤが言う。

『準備はできた?』


 バグの群れを一瞥して、それからうなずいた。

「ああ。すぐに終わらせて帰ろう」

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