第282話 権利〈インシの民〉re


 飴色の大地のそこかしこに旧文明期の瓦礫がれきが転がり、異様な形をした枯れ木が砂に埋もれているのが見えた。フルフェイスマスクの視界を操作して遠くに視線を向けると、岩山のそばに湖のようなものが見えた。


 しかしそれは蜃気楼によるものなのだろう。輸送機から見た砂漠地帯に、湖なんてものは何処にもなかったのだから。


 この地では、廃墟の街や大樹の森で感じていた秋の気配はなく、肌に触れる空気は蒸し暑く、ねっとりとした不快感があった。


 横浜の拠点でイーサンたちと話し合ってから数日、私は砂漠地帯にある拠点に来ていた。監視所の粗末な階段を慎重に下りると、採掘用の装備に換装された作業用ドロイドが出入りしているカマボコ型の建物の横を通って、拠点の警備をしていた傭兵たちと合流する。それから拠点を囲む防壁のそばまで彼らと一緒に歩いていく。


 砂漠地帯にある拠点は、〈ヤトの一族〉で編成された部隊と、イーサンの傭兵団から派遣されている傭兵たちの混成部隊によって警備されていた。この地区では略奪者による襲撃よりも、異形の野生動物による襲撃が多発していたので、部隊は当初想定していたよりも増強されていた。


 視線の先を拡大すると、厚く目の粗い麻布で身をすっぽりとおおっている人影が、防壁の数十メートル先に立っているのが見えた。他の地域と明らかに異なる砂漠地帯特有の焼けるような日の光を浴びながら、それは身動きせずにじっと立ち尽くしていた。


 拠点を囲む防壁の外側に出ると、その何者かはすっと立ち上がる。どうやら今まで身を屈めていたようだ。麻布の裾からは、関節が逆方向に曲がっている太く強靭な二本の脚が見えた。それは緑青色の甲皮に覆われていて、鋸の歯のような突起物が並んでいる。


 体高が二メートルほどの生物は我々の目の前までやってくると、甲皮に覆われた腕を伸ばして、四本の指を器用に使って自身の頭部にかかっていた布を持ち上げた。


 その生物は、触角のないミツバチに似た頭部をしていながら、スズメバチのような恐ろしげな大顎を持っていた。そして大きな複眼の周囲には、細く短い灰色の体毛がビッシリ生えていたが、それ以外の場所は鈍い光沢を帯びた緑青色の甲皮で保護されていた。


 異形の生物は非常に聞き取りにくいしゃがれ声で言った。

「きさ、まが、それのも、ちぬしか?」


 うなずいて口を開こうとすると、ソレは手を前に出して私の言葉を制した。顔をしかめながら生物の行動をいぶかしんでいると、その生物は自身の首元に雑に埋め込まれている小さな装置を操作した。


『貴様が、その施設の所有者か?』

 生物が大顎をカチカチと打ち鳴らすと、首元にある装置が赤く点滅して、かれの言葉をハッキリと聞き取れるように調整してくれた。


「そうだ」と生物の複眼を見ながら言う。

「あんたは〈インシの民〉で間違いないんだな? 」


『我々のことを知っているのか?』

 人型の昆虫種族は驚いたように声色を変化させる。


「異界からやってきた友人があんたたちのことを知っていたんだ」

『野蛮な昆虫種族だと?』


「違うのか?」

 かれは笑うようにカチカチと大顎を鳴らすと、全身を覆っていた麻布から補助腕のようにも見える短い腕を伸ばした。腕の数も人間より多いようだ。かれの手には、恐らく大型動物の骨を削って加工した鋭利なナイフが握られていた。


『単刀直入に話す』インシの民は言う。

『この地で生きていくつもりなら、その権利を我々から勝ち取って見せろ』


 昆虫種族の緑青色の手に視線を落とす。かれらの指は、人間のものよりも関節が多く、甲皮に保護されていない関節部は深紫色で、複数のミミズを束ねたような気味の悪い造形をしていた。


「この地はインシの民のものなのか?」視線を上げながらたずねる。

『そうだ。我々が遥か昔から支配してきた土地だ』


 インシの民の後方に視線を向けると、荒涼とした大地がどこまでも広がり、遥か遠くに倒壊した高層建築物と岩山が見えた。崖は垂直になっていて、ロッククライミングのプロでもない限り、素手だけでは登れそうにないものだった。しかしその岩山の頭頂部には、麻布で身を包んだ別のインシの民が立っているのが確認できた。


 目の前の昆虫種族に視線を戻しながら訊ねる。

「その権利とやらを勝ち取るために、具体的に俺たちは何をすればいいんだ?」


『この刃を手に取り、我々と戦え』

 危惧していた問題が現実になるとは思っていなかったので、私は狼狽える。

「俺たちと戦争がしたいのか?」


『違う。貴様らが我々とこの地で共存できるのかを確かめたいだけだ』

「その為だけに殺し合いをするのか」


『この土地は弱者が生き残れるほど甘くない』

 インシの民が差し出した奇妙なナイフに視線を向けてから訊ねた。

「人間が暮らす鳥籠〈紅蓮ホンリェン〉も近くにあるが、かれらとも戦ったのか?」


『いや』インシの民は鉤爪のついた脚先で地面を叩く。

『あれらは我々の世界がやってくる以前からこの地にいた。我々は彼らの立場を尊重する』


「世界がやってくる……?」

『今は知る必要のないことだ。しかしそれが理由だ』


「だから争わなかったのか?」

『そうだ。けれどお前たちは違う。許可もなく我々の土地を侵している』


「インシの民がこの地にやってきたさいには、人間の許可を取ったのか?」

『その必要があれば取っていた』


 黙ってインシの民の複眼を見ていると、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『どうするの、レイ?』

「分からない」と正直に言う。


『何も悩む必要はない』インシの民が言う。

『戦うのは我々の戦士と、お前たちの中から選ばれた戦士だけだ。誰にも邪魔はされない』


「それは一対一の戦いなのか?」

『そうだ。我々は戦士階級の精鋭をこの地に派遣した。貴様らも戦士を用意しろ』


「その戦士はいつ来るんだ?」

『貴様の目の前にいる』


 インシの民が差し出した骨のナイフを受け取る。そのさい、手の甲皮に触れるが、それは熟し過ぎた果実のように柔らかく生暖かかった。


『戦いを見届ける戦士はすでに待機している』

 インシの民は背後を振り返ったあと、カチカチと大顎を鳴らした。

『戦士が戦闘で負け、死ぬような事態になっても、インシの民が貴様たちの土地を侵すことはないだろう』


「俺たちの戦士が敗北したら?」

『お前たちの土地にいるすべての者は、今日中に喰い殺される』


「性急すぎないか?」

『この土地は弱者を許さない。戦いに生き残れない者は、他者の糧になるしかない』


「そうか……」

『戦士を決めてこい。我々は此処で待っている』


 かれの言葉にうなずくと、受け取ったナイフに視線を落とす。刃から伸びた骨の柄には、紺碧色の革紐が丁寧に巻きつけられていた。


『戦いで使用できるのはその刃だけだ』とインシの戦士は言う。

『貴様の戦士が戦いに勝利した暁には、その刃を我々からの贈り物として受け取ってもらうことになる』


「インシの民にとって、何か重要な意味のある刃なのか?」

『我々が強者と認めた証になる。刃を持っている限り、我々が貴様らと敵対することはない』


 ナイフを目線まで持ち上げると、その刃の鋭さを確かめようとした。

『それは神の骨を加工してつくった生きた刃だ』と戦士は言う。


「神?」驚いてインシの民に視線を向ける。

『そうだ。我々の神の骨だ』


 気になることは沢山あったが、とりあえず最も知りたかったことを訊ねた。

「刃が生きていると言っていたな、その意味を教えてくれないか?」


『〈インシの刃〉は敵の血液を浴びることで成長し、硬度が増していく。そして例え刃が砕かれようとも、敵対者の生命を糧に自己修復が行われる』


「恐ろしい武器だな」

『いずれ神のもとに還る刃だ。それまでは所有者と共に力を蓄える』


 そのときだった。インシの民の背後に見えていた高層建築物の瓦礫の間から、トカゲに似た巨大な生物がのっそりと姿を見せる。


 トカゲめいた生物は、五メートルほどの体長があり、ドクトカゲに似た姿をしていた。太い胴体にどっしりとした四肢、そして極彩色の斑点のある鱗。恐ろしい姿をしていたが、生物の背中には騎乗するさいに使用される馬具のようなものを装着されていたので、急に襲われる心配はないだろうと考えた。


 しかしそれでも生物に対する恐怖心から、身体からだは反応し、太腿のホルスターから素早くハンドガンを引き抜いていた。


『大丈夫だ』インシの戦士は大顎を鳴らす。

『あれは我々の〈ヴェネク・ラガルゲ〉だ』


「ラガルゲ?」

 近づいてくる巨大なトカゲの姿を見ながら訊ねた。

「それは一体何なんだ?」


『我々の騎乗生物だ。指示がなければ、貴様らに襲いかかることはない』


 ハンドガンをホルスターに収めると、拠点の防壁で待機していたヤトの狙撃手に攻撃の必要性がないことを知らせる。それから巨大なトカゲの首にぶらさがっている人間の頭蓋骨を眺めながら、インシの戦士に質問をすることにした。


「ラガルゲとは?」

『大きなトカゲのことだ。それよりも、早く戦士を決めてこい』


「その必要はない。俺が戦う」

『ダメだ』


「どうしてだ?」

『支配者が強者であるのは当然のことだ。だからこそ土地の支配者は、己の民の強さをこの場で証明しなければいけない』


 反論しようとしたが、すぐに考えを改めた。この場は彼らのやり方に従うことにした。こんなことで無駄な争いを起こしたくなかったし、人間と異なる種族であるインシの民に、我々の常識が通じるとも限らない。


 巨大トカゲが戦士の近くで立ち止まったことを確認すると、拠点に向かって歩き出した。


『面倒なことになったね』とカグヤが言う。

「そうだな……けど、インシの民と全面的な争いを回避できるんだから、彼らのやり方を歓迎したほうがいいのかもしれない」


『あれの言ったことを信用できるの?』

「カグヤは信用できないのか?」

『研究施設で〈ブレイン〉たちに騙されたばかりだからね……』


「今回はインシの民の目的も分かっている。それにもしも彼らが戦闘の結果を気に入らなくて、大きな争いに発展するようなことになっても、それはそれで心の準備ができているからな。先制攻撃されるよりかは余程マシさ」


『たしかに戦争をしかけられるなら、ここで何を考えても無駄だけど……それにしても、また厄介なことになったね』


「ああ」と私はうなずく。

「けど今さら、この採掘基地を放棄するわけにもいかないからな」


 作業用ドロイドが特殊な溶剤を砂に混ぜ合わせて建てた防壁を通って、イーサンたちが待機していた場所まで戻った。


「それで、イーサンたちはどう思う?」

 指輪型端末を介して、インシの民との会話は仲間たちにも聞こえるようになっていたので、彼らが何を感じたのか訊ねることにした。


「連中が俺たちの力を試そうとしていることは本当だ」イーサンが言う。

「上空のカラスから受信した映像で確認したが、この辺りに昆虫種族は二体しかいない。拠点を制圧するつもりなら、もっと大勢で攻めてくるはずだ」


「他にインシの民はいないのか?」

「ああ。決闘を見届ける者と、決闘をする戦士だけだ」


「決闘か……」

 私もカラス型偵察ドローンの映像を確認するが、たしかにイーサンの言うように、インシの民の姿は他に確認できなかった。


「それに巨大なトカゲもいたな」彼は苦笑する。

 振り向いて恐ろしいトカゲを視線に入れて、それから訊ねた。


「イーサンはインシの民が砂漠で決闘をしていたことは知っていたのか?」

「いや」と彼は頭を振る。「インシの民は謎多き種族だ。あの〈紅蓮〉でも限られた人間しかその存在を知らないほどだ」


「そうか……」

「けどインシの民が砂漠に進出してきた勢力と、まるで儀式のような決闘を行ってきた過去はあったのかもしれない。その情報が俺たちに今まで伝わってこなかったのは、彼らが決闘に勝利できず、インシの民に喰われたからだろうな」


「レイラ殿」

 それまで黙って話を聞いていたヌゥモ・ヴェイが口を開いた。

「決闘は私に任せてもらえますか?」


 ヌゥモ・ヴェイは〈赤い雲〉の名を持つヤトの戦士で、一族の中で最も実力のある戦士だった。


「ヌゥモなら負けるようなことはないだろうが……」イーサンが言う。

「けど連中が何かを企んでいた場合、俺たちは貴重な戦力を真っ先に失うことになる」


『戦闘中に暗殺されるかもしれないってこと?』とカグヤが訊ねる。

「考えすぎかもしれないが、その可能性も捨てきれない」


「それなら」

 ヤトの青年が前に出る。

「私が戦います」


「アレナか……」イーサンは腕を組む。

「貴重な戦力に変わりはないが、確実な勝利を望める人選でもあるな」


 アレナ・ヴィスは、ヤトの一族が使う古い言葉で〈硝子の砂〉を意味する名を持つ青年だ。彼は一族の男性たちの中では小柄だったが、その身体能力は族長の息子であるヌゥモ・ヴェイや、優れた戦闘能力を持つナミにも劣らなかった。とくに暗殺や隠密行動の腕は高く、一族に肩を並べる者がいないほど優れていた。


「ヌゥモ」彼の緋色の目を見ながら訊ねる。

「アレナに決闘を任せてもいいか?」


「問題ありません」ヌゥモは即答する。

 アレナに対する絶対の信頼があるのだろう。ヌゥモの言葉にうなずくと、綺麗に編み込まれた鈍色の長髪を持つ青年に、インシの民から受け取っていたナイフを手渡した。

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