第281話 相談 re


 夢の中で誰かが私の名前を呼んでいるような気がした。

「もう時間がないから、簡単に説明するね」と、顔の見えない女性が言う。


 もしも進むべき道を見失ったとしても、それを恐れる必要はないんだ。いいね、不安に感じる必要は少しもない。私はどんなときでも君と一緒にいるんだから。でも……それでも不安で苦しいって感じるなら、全部、私の所為(せい)にしていいから。


「それじゃ始めるよ、心の準備はできてる?」


 大丈夫、私たちは宿命によって互いを結び付けられている。

 きっと私たちはまたすぐに出会える。もう分かっているでしょ?


 心の準備はできていなかったし、君との間に宿命なんてなかったのかもしれない。それに、と私は思う。「残念だけど、俺は君のことをこれっぽっちも覚えちゃいないんだ」


 拠点の食堂でコーヒーを飲んで、ブロックタイプの〈国民栄養食〉を咀嚼する。それからぼうっと食堂に集まる仲間たちに視線を向けながら夢について考えた。食堂に並べられたテーブルには、拠点の夜間警備を終えたヤトの戦士たちがいて、談笑しながら食事をしていた。


「ねぇ、レイ」向かいに座っていたジュリが言う。

「ちゃんと俺の話を聞いてた?」


「ああ」

 彼女の言葉にうなずく。

「お金のことだろ?」


 ジュリは疑り深い目で私をじっと見つめて、それから言った。

「拠点には誰も使わない銃器が沢山あるから、それを売れば何とかなると思うけど……」


「でも生活は苦しくなる」

 ジュリのとなりに座っていたヤマダが言う。

「長い冬に備えて、食料やら何やらを大量に買い込んで、拠点に備蓄しておかなければいけないから。だから――」


「だから無駄遣いを控えたい?」

 私の言葉にヤマダはうなずいた。


「森の民に対する投資が無駄だって言ってるわけじゃない、でも何か対策を講じなければ、森の民じゃなくて私たちが困ることになる」


「レイは平気かもしれないけどさ」とジュリが言う。

「冬の間中、〈国民栄養食〉ばかりを食べて生活するのは、さすがに部隊の士気に関わると思うんだ」


「たしかに寒い日には温かいものが食べたくなるな……」


 不安げな表情を見せるヤマダに視線を向ける。彼女は右目から耳にかけて大きな痣がある。幼少のころに火傷をしてしまって、それ以来、顔に火傷の痕が残ってしまったと言っていた。出会ったころは長い黒髪で火傷の痕を隠していたが、今では髪を後ろでひとつにまとめていて、火傷の痕なんて少しも気にしていなかった。その姿はとても素敵だった。


 ヤマダは驚くような美人ではなかったけれど、愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしていた。だからそもそも火傷の痕なんて気にする必要がなかったのだ。これは余談だけど、ヤマダは残虐な略奪者たちで構成されたギャングに捕らわれていた過去がある。けれど今はそんなことがあったと感じさせないほどに、明るく元気になっていた。


「資金を調達できる心当たりがあるんだ」

 彼女の目を見つめながら言う。

「だからもう少しだけ辛抱してもらいたい」


「心当たりって、大樹の森で見つけた遺跡のこと?」と、ジュリは茶色い髪を揺らす。


「もちろんそれ以外にも考えはあるけど、遺跡にはまだ多くの遺物が残されている。それを回収することができれば、金はどうにでもなる」


「遺物は魅力的だけどさ、そんな貴重な遺物を売っても平気なのかな?」

「たしかに敵対的な勢力が手に入れることは避けたい。でも戦闘に関わるようなものでなければ、問題ないと思っている」


「旧文明の情報端末とか?」

「ああ。端末なら手放しても俺たちに影響はないだろ?」


 ジュリは〈ジャンクタウン〉で暮らす孤児だったが、自分だけの力を頼りに商売をするような逞(たくま)しい子でもあった。しかしチンピラに因縁をつけられ、露店で襲われているところを助けて保護していた。それ以来、ジュリは我々の大切な仲間になっていた。


 ちなみにジュリとヤマダは商人の経験を活かして、我々が探索で得た物資や遺物を売るさいの手助けをしてくれていた。もちろん、それ以外にも拠点の物資の管理も担当してくれていた。


「大樹の森か……」

 ジュリはテーブルに頬杖をついて、それから飲み慣れていないコーヒーを口に含んで顔をしかめた。


「大樹の森に興味があるのか?」

 ワザと素っ気無く訊(たず)ねる。ジュリが大樹の森に興味を持っていることは聞かなくても分かる。


「そうでもないよ」ジュリは興味無さそうに言う。

「大きな昆虫が沢山いるんだろ?」


「まぁ、森だからな」

「寒くなっても昆虫の数は減らないのかな?」


「見た目は昆虫だけど、厳密には昆虫に似た生物の変異体だと思う。だから寒くなっても数は減らないのかもしれない」


「廃墟で見かける昆虫よりも狂暴なのか?」

 食事を終えたヤトの戦士たちが帰りがけに私に挨拶をすると、私も彼らに挨拶して、それからジュリの質問に答えた。


「大樹の森の昆虫は凶暴で大きいんだ。それに種類が多くて、森の民ですらすべての昆虫の生態を把握しているわけじゃない」


「そっか……それならさ、冬になっても昆虫の数は全然減らないのかもね」

「でも気温が下がれば、活動に必要な体温が維持できなくなるから、昆虫を見かける回数は減ると思う」


「昆虫がいないなら、森を見に行ってもいいかもしれない」

 ジュリはテーブルに載せていたノート型の端末を操作すると、ミスズが撮影していた大樹の森の写真を眺め出した。彼女は若く、健康で、そして好奇心に満ちていた。森の民が暮らす鳥籠を知ることは、彼女にとっていい刺激になるかもしれない。


 それに商人組合のワコにも会わせたいから、ジュリとヤマダを〈スィダチ〉に連れて行くのも悪くない考えかもしれない。


「それで――」とヤマダに訊ねる。

「ペパーミントがほしがっていた資材は、ジャンクタウンで手に入れられそうか?」


 ヤマダはコーヒーをひと口飲んで、それからうなずいた。

「うん、それは大丈夫。ヨシダさんのジャンク屋で手配してもらえるように話を進めていたから」


「それなら、ジャンクタウンでの買い物はヤマダとジュリにお願いしてもいいかな?」


「もちろん」彼女は笑顔で答えた。

「でも、私たちだけで行動するのは少し怖いかな。だから護衛をお願いしたいかも」


「ウェンディゴで行くから心配ないと思うけど……」


『拠点からジャンクタウンまでの道中は安全かもしれないけど』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。『ジャンクタウンの壁の内側には、ギャング気取りのチンピラや、何を企んでいるのか分からない〈不死の導き手〉の信者がいるんだよ。だから護衛は必要だと思う。ただでさえウェンディゴの存在は目立つし』


「そうだな……それなら、ヤトの戦士をヤマダたちの護衛につけてくれるように、レオウ・ベェリに頼んでみるよ」


「ありがとう」ヤマダは安心したような表情を見せる。

「でも私とジュリがお願いしに行くよ。私たちの護衛をしてもらうんだから」


「そうか」

 彼女の言葉に苦笑すると、ヤマダもクスクス笑う。

「本当はレイの許可がほしかっただけなんだ」


「レイ!」

 幼い声が聞こえて振り向くと、シオンとシュナが駆け寄ってくるのが見えた。少し大きくて不格好な戦闘服を着た幼い兄妹は、大樹の森で保護していた森の民だ。


「おはよう」と、ふたりに挨拶する。

「ふたりとも朝から元気だな」


「レイは寝ぐせがついたままだよ」

 シオンは私の髪を撫でる。

「ありがとう。どうやら俺は朝が苦手なんだ」


「おはよう、レイ」シュナが笑顔を見せた。

「わたしはね、朝が好きだよ!」


「シュナはえらいんだな」

「おれだってひとりで起きられる」とシオンが張り合う。


「さすがシュナのお兄ちゃんだな」

 ジュリが感心しながら言うと、シオンは胸を張って得意げに言う。

「まぁな、これでもお兄ちゃんだから」


「ふたりとも――」

 兄妹のあとからやってきた黒髪の女性が言う。

「ちゃんとジュリとヤマダ先生に挨拶はしたの?」


「あっ」

 まだ挨拶をしていなかったことに気がついた兄妹は、すぐに朝の挨拶を行う。


 ふたりがジュリとヤマダに挨拶しているのを眺めていると、黒髪の女性が言う。

「おはよう、レイラ。朝から騒がしくして悪いな」


「おはよう、リンカ。でも騒がしいのには慣れているから、大丈夫だよ」

「そうか」と彼女は笑顔を見せた。


 リンカも大樹の森で知り合った森の民で、兄妹の保護者として拠点に一緒に来てもらっていた。彼女は兄妹と一緒にヤマダに字の読み書きや、簡単な計算の方法を習っていた。


 森の民である三人にとって横浜での毎日は、見るものすべてが新鮮で、刺激的な生活になっているみたいだった。けれど三人がもっとも大きく感じた生活の変化は、毎日まともな食事ができて、清潔な服があって、襲撃に怯えずに眠ることのできる快適な空間があることだったと思う。


 お腹を空かせながら、裸に近い格好で森を彷徨(さまよ)っていたときとは比べ物にもならない生活だ。三人は手に入れられた生活を失わないように、今を一生懸命に生きていた。その姿には好感が持てたし、三人を救えたことを心からよかったと思えた。


「今日はね」シュナが茶色い瞳を向ける。

「ハクも一緒に勉強するんだよ」


「一緒に勉強しているとき、ハクは真面目に先生の話を聞いているか?」

 そう訊ねると、シュナは天井に視線を向けて、それから微笑んだ。


「たまに遊んでる」

「そっか……ハクらしいな」


「うん。それでね、マシロはよく眠っているの」

「マシロが眠っているって、よく分かるな」と素直に感心する。


 マシロは瞼のない複眼をしていたから、そもそも眠っていることすら大きな謎だった。


「こうやってね」

 シュナは小さな手で両目を隠した。

「触覚で眼を隠すの」


 マシロの櫛状の長い触覚を思い浮かべながらうなずく。

「そうやってマシロは寝るのか」

「うん! それでね」


「シュナ」とリンカが言う。

「レイも忙しいみたいだから、お話をするのは勉強のあとにしよう」


 シュナは顎に人差し指を当てると、何かを考えて、それから大切な秘密を打ち明けるように、私にそっと耳打ちする。


「あとでお話をしようね」

「分かった」


 三人が食堂を出ていくのを眺めているとジュリが言う。

「レイはさ、このあと、何か約束があるのか?」

「イーサンに会うことになっている」


「仕事の話?」

「そうみたいだ。砂漠地帯で鉱物資源の採掘基地を建築していて、イーサンの傭兵部隊が警備してくれているのは知っているだろ?」


「うん、知ってる。そこで何か問題が起きたの?」

「詳しいことはまだ聞いていないけど、問題が起きているのかもしれない」


 イーサンはジャンクタウンで情報屋をしながら、それなりに知られた傭兵団を率いる男だった。記憶を失って、右も左も分からない状態でジャンクタウンに転がり込んだ私に仕事を紹介し、色々と世話を焼いてくれたのも彼だった。


 それ以来、イーサンは信頼できる仲間になっていた。この世界で命を預けられるほど信頼できる仲間を見つけるのは難しい。だから彼との関係を得難いものとして、何よりも大切にしていた。


 噂をすれば影がさす。そこにイーサンがエレノアと一緒に食堂に姿を見せた。


 イーサンは彫が深く見栄えの良い顔をしている。背が高く、狼のように鋭い眼光の持ち主だったが、同時に何を考えているのか分からない不気味さも持ち合わせていた。


 その姿は遠目から見ればワイルドな風貌な格好のいいおっさんだが、よれよれの背広を着ている姿を見ることが多かったからなのか、普段は酒臭い小汚いおっさんの印象しかなかった。


 イーサンは灰色を基調とした戦闘服に特殊なスキンスーツを着ていて、黒いタクティカルベストを身につけていた。彼のスーツは人工知能を搭載した〈スマートスーツ〉と呼ばれる代物で、旧文明の施設で購入できるものでは最上位の品だった。


 そのスーツはミスズやヤトの戦士が使うものとほぼ同等の性能を持っているようだった。そして綺麗な女性が彼のとなりを歩いていた。エレノアはイーサンの傭兵部隊に所属する戦士で、家族以上の濃いつながりと結束を持つ傭兵部隊の中でも、イーサンとつねに行動を共にしている女性だった。


 彼女は菫色の瞳を持ち、背が高く、戦闘用の無骨な装備を着込んでいても分かるほどの官能的なスタイルを持っている。くすんだ金色の髪は綺麗に切り揃えられていて、邪魔にならないように背中でひとつにまとめられていた。彼女はイーサンと同様の装備をしていたが、それでも彼女の美しさが損なわれることはなかった。


 食堂の入り口に姿を見せてから、ふたりがこちらを見つけてやってくるまでそれほど時間はかからなかった。ふたりは物音を立てないように、まるで滑るように歩いた。身体(からだ)のバランスがしっかりと取れているからこそできる芸当なのかもしれない。


 ふたりは席を立ったジュリとヤマダに挨拶すると、私の向かいに腰を下ろした。

「ひさしぶりだな、レイ」

「久しぶり、エレノアも相変わらず綺麗だね」


「ありがとう、レイ」

 エレノアは微笑み、菫色の瞳を私に向けた。


「レイ、いきなりで悪いが話を聞いてくれ」

 彼の態度で問題が深刻になっていることを察する。


「問題が起きたんだな?」

「ああ、砂漠の拠点に奇妙な来訪者がやってきた」


『もしかして、砂漠の鳥籠〈紅蓮(ホンリェン)〉から人が派遣されたの?』

 カグヤがそう訊ねると、イーサンはゆっくり頭を振った。


「いや、人前に姿を見せることがほとんどない異形の民のことは知っているか?」


「砂漠で暮らす異形の民……」と、思い出しながら言う。

「人型の昆虫種族のことか?」


「知っていたのか」珍しくイーサンが驚く。

「ああ、砂漠地帯の渓谷で、一度だけ会ったことがあるんだ」


「なら話が早い。その昆虫種族が、拠点の所有者と話がしたいと言ってきたんだ」


『所有者?』とカグヤが言う。

『つまり、レイと話したいってこと?』


「ああ、そうだ。とても重要な話があるみたいだ」

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