第273話 研究施設 re


 明るく清潔な廊下は、白色の鋼材で天井や壁全体がおおわれていたが、床には灰色の大理石調の床材が使われていた。その床には汚れのない深緑色の絨毯が敷かれていて、壁の低い位置には間接照明とホログラム投影機が設置されていた。


 動体検知で投影される立体的な移動標識は、施設内で迷子にならずに目的の場所に素早く移動できるためのものなのだろう。


 攻撃に警戒してライフルを構えると、廊下の先に銃口を向ける。脅威になるようなものがないことを確認すると、施設内に足を踏み入れる。すると短い警告音が頭の中で鳴り響いて、同時に目の前の空間にホログラムで投影される警告表示が投影される。


 長方形のホロスクリーンには、デフォルメされた蜘蛛のイラストが描かれていて、立ち入りが制限されていることを示していた。


『〈深淵の娘〉についての警告だね』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。

「この警告を無視して、施設内に侵入したらどうなる?」


『施設の警備システムが私たちを敵と認識して、警備用の機械人形を起動させると思う』

「……何とかできないか?」


 そう口にしたときだった。それまで我々の目の前に浮かんでいたホログラムの警告表示が消えて、代わりに施設への来訪を歓迎する可愛らしい男女のイラストに変化する。お辞儀する二頭身のホログラムを見て、それからホログラムを透かして見えていた廊下に視線を向ける。


 騒がしい警告音が鳴ることもなければ、武装した機械人形がやってくることもなく、施設内は静まり返ったままだった。


 ホロスクリーンが消えたあと、何が起きたのかたずねる。

『すでにハクの生体情報は〈データベース〉に登録していたから、入場制限が解除されたみたいだね』


「ハクの情報は、いつ登録されたんだ?」

『ハクが横浜の拠点に自由に出入りできるために、防壁のシステムに情報を登録したでしょ?』


「そういえばそうだったな」

『もしかして、忘れてたの?』


「まさか」慌てながら言う。

「それより、この施設の警備システムは外部の施設と情報を共有しているのか?」


『というより、すべての情報は〈データベース〉に集積されて、そこで管理されているんだよ』

「それは怖いな……」


『第三者に覗かれないように、情報はしっかりと暗号化されているから心配するようなことはないよ』


 彼女の言葉にうなずいたあと、ハクの背に座っていたマシロに目を向ける。

「なぁ、カグヤ。マシロは大丈夫なのか?」


『警備システムは異常を検知しているみたいだけど、マシロの存在を捉えられなくて混乱しているみたいだね』

「どういうことだ?」


 カグヤのドローンが飛んでくると、マシロにレーザーを照射して生体スキャンを行う。その間、マシロは扇状に照射されるレーザーを不思議そうな顔で眺めていた。


『マシロが身体を透明にするさいに使用する鱗粉りんぷん所為せいだと思う』とカグヤは言う。『体毛に付着した鱗粉が、施設に設置されているセンサーの働きを妨害しているみたいなんだ』


「だからシステムが混乱を?」

『そうだね。監視カメラには何も映らないのに、マシロが発している熱や体重は検知されている。だから混乱してしまう』


 スキャンが終わると、カグヤはドローンの光学迷彩を起動する。

「なにか問題が?」

『うん、脅威と判断したみたいだね』


 カグヤの言葉のあと、無機質な天井につなぎ目があらわれたかと思うと、そのつなぎ目を起点にして左右にスライドするように天井の一部が開閉し、収納されていた自動攻撃タレットが姿を見せる。すぐに反応してライフルの銃口を向ける。


『待って!』

 カグヤの言葉に反応して引き金にかけていた指を外すと、タレットが元の場所に収納されていくのが見えた。


「何が起きたんだ?」

 困惑しながらたずねる。


『マシロを警備システムの攻撃対象から除外した』

「そんなことが出来るのか?」


『混乱したシステムが、不明生物――つまり、マシロへの攻撃指示をシステムの優先事項に設定したんだけど、マシロも横浜の拠点に入るさいに、レイの権限で〈データベース〉に登録されていた。だから攻撃指示の優先順位を下げて、マシロの存在を認識することを優先させた』


「脅威じゃないと判断したのか……助かったよ、ありがとう」

『どういたしまして』


 とりあえず安心して研究施設に入ることができるようになった。ハクとマシロの様子を見て、探索の準備ができているか確認する。マシロは何を考えているのか分からない顔でじっとカグヤのドローンを見つめていて、ハクに関して言えば、興味の対象が足元のホログラムに向けられていて、ふたりからは緊張感がまるで感じられなかった。


 しかしそれは仕方ないので、せめて私だけでも警戒しながら進むことにした。森から昆虫や小鬼が施設内に侵入して警備システムが作動してしまわないように、建物への唯一の侵入口を閉じることにした。


 入り口の扉に続いて隔壁が閉じるのを見届けたあと、我々は廊下の先に向かう。清潔だった床は、砂や泥に汚れたブーツの所為であっという間に汚れてしまうが、どこからともなく掃除ロボットがあらわれて熱心に床の掃除を始める。


「施設の環境を維持するための機械人形が今も働いているのか……」

 メンテナンスを怠らないのは、旧文明の施設に共通する特徴だった。


『レイが吸ってる空気も、施設が閉鎖されていた間に何度もリサイクルされてものだよ』

 カグヤの言葉に思わず眉を寄せる。


「それって人体に無害なものだよな?」

 ハクとマシロを見ながらたずねる。ふたりは放射性物質や汚染された環境に対応した装備を身につけていないので少し不安になる。


『施設内の再生型環境制御システムに異常は見られないから、何も問題はないはず。それにね、もしも――その可能性は低いけど、施設内に危険な区画が存在するなら、事前にシステムが警告してくれると思う』


「確実に知らせてくれることを期待しよう」

 廊下を進んでいくと、突き当りにエレベーターが見えてくる。エレベーターは四基設置されていて、その間には座り心地の良さそうなソファーが置かれ、正面の壁には大きな鏡が取り付けられていた。


 ソファーのすぐそばには低いテーブルが置かれていて、ガラス製のどっしりとした灰皿が載せられていた。鏡の隅に表示される施設内の気温や湿度を眺めていると、カグヤのドローンが飛んでくるのが見えた。


『階段もあるけど、どっちを使って移動するの?』

 カグヤの言葉に返事をせず、鏡に映る自分自身の顔を眺めながら考える。


 濃紅色の虹彩をもつ瞳孔が微かに発光するのを見たあと、まず階段がどうなっているのか確かめに行くことにした。ハクに声をかけようとして振り返ると、鏡を見つけたハクが、大きな眼を輝かせながらやって来て、自分の姿を鏡に映し始めた。


 ハクは鏡の中の自分と踊るように、脚を広げて不思議な動きを始める。マシロは揺れるのを嫌い、ハクの背からフワリと飛ぶようにして離れる。我々は夢中になっているハクをその場に残して、階段に続く廊下に向かう。


 ガラスのような透明な樹脂材質でつくられた自動扉の先に、非常用に設置された階段が見えた。足音を響かせながら階段に近づいたあと、身を乗り出して階段が何処まで続いているか確認した。けれど階段の先の照明は灯されていなかった。その所為で階段の先がどうなっているのか分からなかった。


 マシロも私の真似をして階段の下を覗き込むが、身を乗り出したさいに大きな翅を何度も私にぶつけてしまう。しかしマシロはそのことに気がついていないのか、翅を手で押しのける私に微笑みかけるだけだった。ちなみにマシロの翅はフサフサとしていて、触れるたびにキラキラときらめく鱗粉が手についた。


「カグヤ、俺たちが何階にいるか分かるか?」

 そう質問すると、カグヤのドローンがエレベーター横の壁に設置されていた操作パネルに向かって飛んでいくのが見えた。


 ハクは相変わらず鏡の前で不思議な踊りを続けていたが、カグヤは気にすることなく操作パネルのそばまで向かうと、円盤型に変形していたドローンから細長いケーブルを伸ばして、操作パネルの専用差込口にケーブルをつなげる。


『私たちがいるのは施設の最上階だね。ちなみに六十六階建ての高層建築物だよ』

「六十……少なくとも、二百メートルを超える高さの建物が地中に埋まっているのか……」


 〈大樹の森〉で起きた環境の変化を再認識して困惑する。これほどの変化が起きるには、どれほどの時間が必要だったのだろうか。


『ついでに建物の地図も入手できたよ』

 拡張現実で表示された地図を確認しながらカグヤに訊ねる。

「旧文明の遺物が入手できそうな場所はあるか?」


 カグヤはしばらく唸って、それから言った。

『研究室があるけど、素人の私たちが見ても何も分からないと思う』


「なら〈サーバルーム〉は?」

『施設の情報が集まる場所なら、研究成果が得られるかもしれない』


 さっそくエレベーターがある通路に戻ることにした。

「なぁ、カグヤ」

『うん?』


「そもそも、この研究施設では何を研究していたんだ?」

『あれを見て』

 カグヤの言葉に合わせて、ドローンからケーブルが伸びて廊下の先を指す。


 そこにはおぞましい姿をした生き物の彫像が複数並んでいた。大型犬よりも一回り大きな彫像に近づく。ソレは翅の間から無数の触手を生やしたゴキブリのような生物を精巧にかたどったモノだった。


 その彫像から距離を取りながら訊ねた。

「もしかして……異界の生物を研究していた場所か?」


『そうたいだね。この形容しがたい姿をした生物は、どこかの惑星の原住生物みたいだよ』

「それは恐ろしいな……」


『そうでもなかったみたい』

 カグヤは彫像のそばにある説明書きを読みながら言う。

『数万年の歴史がある種族で、〈精神感応テレパシー〉に似た特殊な能力を持っていて、あらゆる生物との意思疎通ができたみたい』


「精神感応……つまり、ハクのように〈念話〉を使って会話ができたのか?」

『うん。普通に人間とも会話ができるくらいの知能を持っていて、穏やかで優しい性格だったみたい』


「そうか……偏見を持つことは恐ろしいことだな」

『うん?』


「この〈異星生物〉に関する情報を持っていない状態で出会っていたら、容赦なく銃弾を撃ち込んでいた」

『それは仕方ないかな……私たちから見たら、やっぱり大きなゴキブリにしか見えないし』


 そのとなりにある二メートルほどの体高がある彫像に目を向ける。ソレは馬に似た頭部を持つ二足歩行する生物の姿を象ったもので、彼らの全身は棘のような突起物に覆われていた。腕には人間の手にも似た器官があり、本物の馬のように穏やかで知識に満ち溢れた表情をしていた。


「彼らも友好的な生物だったのか?」

『ううん、けっこう気性の荒い生物だったみたい』

「そんな風には見えないけど……」


『縄張り意識が強くて、そこに侵入したものは何であれ攻撃する。人間の子どもを含む植民者たちのグループが誤って彼らの縄張りに侵入したさいには、最後のひとりになるまで徹底的になぶり殺しにされた』


「最悪だな」

 あらためて生物の馬面を見ると、才能が枯れ尽きて常に苛立っている作曲家のような顔立ちをしているように見えた。


 そのとなりには、胴体に頭部が埋まっている不思議な生物の彫像が立っている。それは子どもほどの背丈しかなく、頭部なのか胴体なのか分からない場所の側面から四本の腕が伸びていて、丸い胴体を支える太い足が胴体下部から二本突き出ていた。


 大きな頭部の大部分を占めるのは巨大な口だった。その口からは長い舌が垂れ下がっていて、舌の先にはサメの歯に似た奇妙な突起物がビッシリと生えていた。


『この生物は食べ物に対する強い執着を持っていたみたい』

 カグヤのドローンは、彫像のそばに置かれた説明書きの近くに飛んで行く。

『何でも食べるから、汚染物質の処理に利用されていたみたい』


「利用されていた?」思わず顔をしかめた。

「誰がそんなことをしていたんだ?」


『人間だよ。地下での作業や他の惑星の開拓にも重宝されたみたい。でも食べれば食べるほど空腹になるみたいで、最終的には生物の処理に困っていたみたいだね』


「こいつはどれくらい食べるんだ?」

『えっと……ここの記録によれば、坑道で働いていた人間を食べ尽くしたあと、そのまま作業現場に近い集落に立ち寄って、そこで生活していた人間も喰い尽くして無人の廃墟にするくらいには沢山食べるみたい』


「……それは処理に困るな」

『うん。研究施設では、この生物の内臓についても研究をしていたみたいだね』


「たしかに頑丈な胃を持っていそうだな」

 それ以外の彫像も確認していく。そのすべてが旧文明の鋼材を含んだ滑らかな石材で丁寧に造られていた。それらの彫像は、まるでギリシャ神話に登場するメドゥーサに睨まれたかのように、生きていたときの姿のままピタリと動きを止めているようだった。


 廊下のすみに浮かんだホログラムに視線を移す。どうやら彫像が並ぶ廊下を反対に進むと、建物の環境維持に使用される設備が設置されている機械室に行けるようだった。


「探索にあまり時間はかけられないから、〈サーバルーム〉のある階に直接行こう」

『それなら』とカグヤが言う。

『エレベーターを起動するから、ちょっと待ってて』

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