第274話 展示室 re


 音もなく動いていたエレベーターが目的の階層に止まると、開いた扉の先に広い空間があるのが見えた。どうやら展示室になっているみたいだ。


『目的の〈サーバルーム〉はこの先だよ』

 カグヤの声が内耳に聞こえたあと、偵察ドローンがエレベーターから出ていくのが見えた。不思議な浮力を得ながら空中に浮かんでいたマシロも、カグヤのドローンを追うようにして、フワリとエレベーターの外に飛んでいく。


 私はハクに抱きかかえられるようにして、エレベーターから出ることになった。廊下の先に見えていた展示室から、クジラに似た生物の巨大な尾ビレが見えてくると、ハクはオモチャに飽きた子どものように私から離れて、トコトコと展示室に向かう。


 ハクから解放されたあと、背後のエレベーターホールに目を向ける。さっきまで我々がいた上階とまったく同じ場所にソファーやテーブルが置かれていて、奇妙なことにテーブルに載せられていた灰皿の位置まで同じだった。


 不思議な既視感と共に、座り心地の良さそうなソファーを眺めていると、通路の先から五十センチほどの円盤型のドローンが飛んでくるのが見えた。その白色のドローンは天井擦れ擦れを飛行していて、機体下部に小さな金属製の箱をぶら下げていた。


 通路の先から飛んでくるドローンを見ながらたずねる。

「カグヤ、あれが何か分かるか?」


『研究業務を手助けする自律型の巡回ドローンだよ』

「業務……?」


『うん。今は廊下を自動巡回しているだけで武装はしてない。だから攻撃される心配はないよ』


 天井付近を飛行していたドローンはその一機だけではなかった。他にも複数のドローンが忙しなく飛行しているのが見えた。


「どうしてこんなにドローンが飛んでいるんだ?」疑問を口にした。

『分からないけど……どこかの部署で、まだ研究が続けられているのかも?』


「いや、それはあり得ないんじゃないのか」

『どうして?』


「俺たちが偶然この建物の見つけるまで、施設の扉は閉鎖されていたんだ」

『たしかに扉に設置されている入退室の記録が正しければ、私たちが数十年ぶりの来訪者ってことになっている』


「そんなにも長い期間、閉鎖され続けてきた研究施設で、一体誰が仕事を続けているって言うんだ?」


『機械人形とか、人工知能とか……』カグヤが自信なげな声で言った。

 私は肩をすくめると、展示室に向かって歩き出す。


 展示室には異界の生物や〈異星生物〉の標本、そしてそれらの生物が使用していたと思われる道具や装飾品が多く展示されていた。私はガラスケースに収まった超古代文明の遺物にも見える展示物の数々を見流しながら、ハクとマシロが眺めていた巨大な生物の標本のそばに向かう。


 それは確かにクジラに似た生物だった。大きな胸ビレと背ビレがあって、尾ビレも所定の位置についていた。しかしその生物の存在はどこかいびつで不自然だった。目や耳に相当する器官がなく、生殖孔もなかった。確認できたのは異様に大きな口と肛門だけだった。もちろん噴気孔はあるのかもしれない、けれどこの場所からは存在が確認できなかった。


「なぁ、カグヤ。もしかしてこのクジラに似た生物が、人工筋肉の材料にされていた生物なのか?」


『そうだね。標本に使用された個体は体長が七メートルほどしかないけど、もっと大きな種も生産されていた』


「例のクジラは、この施設でも研究されていたのか……」

 暗い海を泳ぐ生物の群れを想像しようとしたが、すぐに考えを打ち消した。


 クジラに似た生物の標本に飛び乗ろうとしていたハクに危険だからと注意をして、それからハクよりもひと回り大きな蜘蛛の標本を指差した。


「あの蜘蛛を廃墟の街で見かけたことがあるか?」

 ハクは首をかしげるように身体を斜めにかたむけると、コモリグモにも似た蜘蛛の標本を見つめる。それは濃鼠色の体毛におおわれていて、頭胸部から奇妙な触角が九つも生えていた。


『これ、しんでる』

 ハクは可愛らしい声で答えたあと蜘蛛の標本に近づいて、それからそっと触れる。


 廃墟の街を遊び場にしているハクが見ていないのなら、少なくとも横浜には存在しない変異体なのかもしれない。


『大樹の森に生息する固有の種類なのかもしれない』

 カグヤはそう言うと、マシロに抱えられていたドローンを操作して、蜘蛛めいた標本にスキャンのためのレーザーを照射する。


「異星生物なのかもしれない。背中に触角を生やした蜘蛛なんて、今まで見たことがない」

『この生物の本体は蜘蛛じゃないんだよ』


「蜘蛛じゃない?」

『うん。本体はミミズのようなワーム型の小さな生物で、死骸に寄生して、その肉体を思いのままに操る生物みたい』


「宇宙じゃなくて、異界に由来する生物なのか?」

『そうみたい。最初は小さな昆虫に寄生して、それからトカゲやネズミに寄生していく。そうやって徐々に大きな生物に寄生して肉体を手に入れていくらしい』


「それは恐ろしいな」巨大な蜘蛛を見ながら素直な感想を口にした。

『混沌に深く根づいた生物で、新たな肉体を得るたびに触手のように自由に動かせる触角を生やしていくのが特徴みたいだね』


「触角か……数に意味があるのか?」

 生物の頭胸部から生えた触角は、ハダカデバネズミの皮膚のような皺があり、所々に薄い体毛が生えていた。


『それはまだ解明できていなかったみたいだね。でも寄生されている生物には、必ず九つの触角がついていたみたい』


「それは興味深ないな」


『きょうみ、ぶかい』と、ハクも賛同してくれる。

 蜘蛛の標本から離れると、展示室に綺麗に陳列されたガラスケースを見ながら歩く。白色の半透明な広口容器が並んでいる場所で足を止めると、容器を注意深く観察する。


「まるで整髪料の容器だな。異界の生物にも、身嗜みだしなみに気を使うオシャレな生物がいたみたいだ」


『まさか本当に整髪料じゃないよね?』

 カグヤがそう言うと、ドローンがゆっくり飛んでくるのが見えた。

『とりあえず、これが何なのか調べてみるね』


 ガラスケースに入った容器をスキャンしている間、私はずっと気になっていたことをマシロに訊ねる。


「マシロがベルトに提げているぬいぐるみは、どこから持ってきたものなんだ?」

 彼女は真っ黒な複眼で私をじっと見つめたあと、思い出したようにベルトからぬいぐるみを取り、それを私に見せてくれた。


 ちなみにマシロは胸元を隠すタンクトップを身につけていて、下半身にはボクサーショーツを穿いていた。それはペパーミントがハクの糸で特別に編んだモノだった。とても丈夫な布地で、マシロの鱗粉が付着していれば、彼女が姿を隠そうとしたときに一緒に透明になる優れものだった。


 ペパーミントはマシロにまともな布面積のある衣類を着せたかったようだが、動きの邪魔になるからなのか、マシロは頑なに衣類を身につけることを拒んでいる。しかしペパーミントはまだ諦めていないようだった。


 たしかにペパーミントの気持ちは分かる。マシロの姉妹たちはカイコの変異体ではあるが、翅や白い体毛を除けば、身体からだは人間の女性とそれほど変わらない作りになっていた。だから森にいる〈御使みつかい〉たちは、つねに裸で生活しているのと変わらなかった。


 ペパーミントは〈御使い〉たちに、文化的な恰好をさせてあげたかったのかもしれないが、もちろん理由はそれだけじゃないはずだ。危険な森で身体を保護するためにも、丈夫な衣類は必要だった。それに廃墟の街を徘徊する異常者たちの中には、死体にすら欲情するような者がいる。そういう異常者の視線からもマシロを守りたかったのだと思う。


 マシロからぬいぐるみを受け取ると、それがデフォルメされた蜘蛛のぬいぐるみだと気がついた。


「もしかして、ハクに貰ったのか?」

 マシロはうなずくと、私の手からそっとぬいぐるみを取り上げる。


「なぁ、ハク。あの〝ぬいぐるみ〟は爆発したりしないよな?」

『ん。ばくはつ、しない』


 ハクはそう言うと、通路の先に飾られていたトカゲの頭部を持つ土偶を見に行った。マシロが持つぬいぐるみが、戦略兵器として使用されていた強力な誘導爆弾〈月光〉じゃないことを願いながら、私もハクのあとについて行こうとする。


『レイ』とカグヤの声が聞こえる。

『この容器に入っている物の正体が分かったよ』


 足を止めると、ドローンのそばに引き返した。

「それで――」とカグヤに訊ねた。

「この容器にはどんなものが?」


『もちろん整髪料じゃなかった。これは医療用の〈バイオジェル〉が入った容器だよ』


「〈バイオシェル〉……たしか、手足が切断されてもすぐに再生できる奇跡のような医療品のことだよな?」


『うん。これを患部に塗ると、ジェルに含まれる超微細なナノマシンが患者の遺伝情報を解析して、損傷個所を正常な状態に修復する』


「それはすごいな……」

 あまりにも非現実的だったからなのか、適切な言葉を見つけられず、ありきたりな感想を口にする。


『この研究施設でジェルの効能を高める研究が行われていたみたい』

 彼女の言葉にうなずいたあと、ガラスケースの開け方を調べながら訊ねた。

「具体的にはどんなことが出来るようになったんだ?」


『修復速度の向上だね。例え頭部に重傷を負ったとしても、心臓が鼓動をしていれば瞬時に損傷個所を再生してくれるから、死ぬことはない』


「心臓を撃ち抜かれたら?」

『心臓が止まっていても脳細胞は数分の間は生きているから、ジェルで心臓を修復すれば死ぬことはないみたい』


「まるで奇跡だな……でも副作用はあるんだろ?」

『痛みを感じるみたいだね』


「傷が修復されるさいに?」

『うん、ナノマシンでも制御できない強烈な痛みが患部に発生する』


「成長痛みたいなものか?」

『でもね、〈バイオジェル〉は相当高価な医療品だったみたい。それでいて治療に使用されるジェルの量も多いから、やっぱり富裕層しか使うことはできなかったみたい』


「価格が最大の問題だったのか……こいつを手に入れられるか?」

 ガラスケースをどうやって破壊するか考えながらく。


『落ち着いて』とカグヤが言う。

『その容器を取らなくても、この建物の保管庫に現物があるみたい』


 〈バイオジェル〉が入手できると分かった途端、あらたな疑問が浮かんだ。

「それってまだ効果があるのか?」

『大丈夫だと思うよ。そのための特殊な密閉容器だからね』


 何の特徴もないジェル容器に目を向けた。

「これって、そんなにすごい容器なのか?」


『うん。その容器も異界の生物の甲殻を研究して造られたもので、半永久的にジェルが劣化しないようになっている』

「なんでもありだな……」


『この施設は不可能を実現するための研究をしていたんだよ。使用期限の問題くらい、すぐに解決できたんじゃないのかな』

「不可能を実現する施設か……」


『みて』

 幼い声がして振り向くと、ハクが銅板に似た四角い板を得意げに持ち上げているのが見えた。

「綺麗だな、どこでソレを見つけたんだ?」


『そこ』

 ハクは、綺麗に磨かれた板に自分の姿を映すのに夢中だったが、空いた脚で通路の奥を指してくれた。

『あそこ、いっぱい、ある』


 等間隔に並べられた奇妙な生物の骨格の間を歩いて静かな通路を進んでいくと、左右対称の身体を持つ二足生物の標本が設置されている場所にたどり着く。


 カマキリに似た頭部を持った生物は、岩肌のような硬い灰色の皮膚を持ち、手足の先は剣の刀身ように鋭く、指や手に相当する器官はなかった。奇妙な生物の胸部には四角い黒い箱が埋め込まれていて、その黒い箱の一部は生物の血管や肉に覆われていた。


 生物のそばに置かれたガラスケースに視線を向ける。そこには血管や肉がこそぎ取られた黒い箱と、生物の手足の先についている剣のような物体が並んで置かれていた。


『これは骨だね』

 カグヤの言葉に反応してガラスケースの中の物体を注意深く眺める。


「骨が進化して武器になったのか?」

『少し違うかな』


「なら何が?」

『あの黒い箱が見える?』


「もちろん」

『あの箱を身体に埋め込むことで、強制的に生物を進化させていたみたい』


「何のために?」

『戦士をつくるためだよ』

「誰がそんなことを?」


『ここに残された記録によると、宇宙軍は正体不明の生物と何度も交戦していたけれど、人類が相手したのは、この箱を埋め込まれた奴隷階級の生物だけで、箱の所有者は分かっていないし、そもそもどうして人類を攻撃してきたのかも分かっていない』


「すべての奴隷に、この黒い箱が埋め込まれていたのか?」


『そうだよ。その紛争は人類の勝利で終わったけど、残ったのは使い捨てにされた奴隷の死骸と黒い箱だけだった。箱そのものが何かの生命体だって提唱した科学者もいたけれど、本当のことは誰にも分かっていない』


「箱の中身は?」

『空っぽだった』とカグヤが言う。

『なにも入っていなかったみたい』


 ガラスケースに立てかけられていた銅板に似た板を手に取る。どうやらその板もガラスケースに陳列される予定のものだったようだが、何かのトラブルで放置されていたみたいだ。それらの板に〈葦火建設あしびけんせつ〉の刻印があることが確認できたので、建築材料として使用されていたのかもしれない。


「この板は?」

 自分自身の顔を板に映しながら訊ねた。


『その黒い箱を解析して手に入れた技術で製造されたものだよ』

「何に使われていたんだ?」


『おもに建材や兵器の装甲素材だね』

 カグヤはドローンを使って板をスキャンする。

『軽くて、とても頑丈なんだ』


「まるで旧文明の鋼材だな」

『たしかに似てるね。でも旧文明の鋼材よりもずっと頑丈にできているみたい』


「製法は入手できそうか?」

『〈サーバルーム〉で情報を取得できる可能性はあるけど、材料にあの黒い箱が必要だから、製造方法が分かっても無駄になるかも』


「そうか……ならせめて、ここにある板だけでも持ち帰るか」

 展示室に視線を向けると、まだまだ多くの展示物が残っていて、そのどれもが興味を引くものだった。


『まだ見ていく?』

 彼女の言葉に頭を横に振る。

「いや。それはまた今度にしよう。今は〈サーバルーム〉の探索を優先しよう」

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