第271話 軍の記録 re
「森の子供たちか……」
無機質な天井を眺めながら言う。
「自分のことを神として崇めている部族を相手するのは、どんな気分がするんだ?」
マーシーがホログラムで投影していた女性は綺麗な赤髪を揺らす。
『とくに何も感じないかな。私はできるだけ普通に接してきたつもりだった。それに、森の管理の手助けをしてもらうときもあったけれど、基本的に私のほうから森の民に与えていることが多かったし』
『神というより、保護者みたいなものだね』
カグヤの言葉に彼女はうなずく。
『ずっとそんな関係性だったよ。でも、鳥籠〈スィダチ〉の族長イロハの娘は、〈データベース〉との親和性が高いから、一方的な〝お告げ〟だけじゃなくて、普通に会話ができるようになりそうなんだよね……』
「よかったじゃないか。今まで森の民とまともに会話できなかったんだろ?」
『そうだよ』カグヤも言う。
『何が不満なの?』
『不満じゃないんだよ』と彼女は頭を横に振る。
『ただ、今まで森の子供たちからは神さまとして扱われていたわけでしょ?』
『あぁ……そう言うことね』カグヤが納得する。
『部族の前では威厳のある話しかたや、態度を取らなければいけない。そう思っているんでしょ?』
カグヤの言葉に赤髪の女性はうなずく。
『森の管理を確実なものにするために、森の民には結束力が求められている。だから私も失言に気をつけなければいけないって考えてるんだ』
『大丈夫だよ。森の民はともかく、サクラに幻滅されるようなことはないよ』
『そうだといいけど……』と彼女は不安そうな表情をみせる。
「話は変わるけど。以前、俺が〝軍人〟だって言っていただろ。俺の経歴について何か知っていることがあるのなら教えてほしい」
『キャプテンについて?』
「そうだ」
『多くは知らないかな。前にも言ったように、キャプテンのファイルは黒く塗りつぶされているから』
金属製の棚と、そこに収められた大量の箱がホログラムで投影されると、彼女はその棚の間を歩きながら言う。
『それにね、軍のライブラリに残されていた記録が本物なのかも疑わしいんだ』
彼女の話に耳を傾けながら、荷物の中から〈国民栄養食〉のパッケージを取り出していたが、思わず動きを止める。
「疑わしい、とは?」
彼女は棚から適当に引っ張り出した箱の中から、分厚いファイルを取り出す。
『キャプテンの経歴を検索してみると、〈旧文明期以前〉の情報も見つかるんだ』
『旧文明期以前?』
驚くカグヤの声が内耳に聞こえる。
『そのファイルを見せてくれる?』
赤髪の女性がうなずくと、彼女が手にしていたファイルが光の粒子に変化して空中に拡散していくのが見えた。
すると網膜投影されているインターフェースに、マーシーから受信したファイルリストが表示される。いくつかのファイルには証明写真や細々な経歴が載っていたが、そのほとんどが丁寧に黒く塗りつぶされていた。もはや何のために情報を保管しているのかも分からないくらいに、それらのファイルは意味のない資料だった。
『軍の特殊作戦に参加していて――』
カグヤはファイルの一部を読みあげていく。
『太陽系外惑星の調査船にも搭乗していて、それから――』
いくつかデータを確認するが、自分自身について分かることは何もなかった。しかし興味深いことが記載されている項目も見つけられた。記録によれば、私は日露戦争にも参加していたことになっていた。
「馬鹿馬鹿しい。こんな出鱈目、誰が軍の〈データベース〉に残したんだ?」
『それは分からないけど』とカグヤが言う。
『タイタンの軌道上にある基地に搬送されたのを最後に、レイについての記録は残されなくなっているみたいだね』
「正確な年代は分かるか?」
『ううん、まったく分からない』
「そうか……それなら結局、俺については何も分からないままか」
『すごく信憑性に欠ける情報でしょ?』とマーシーの声が聞こえる。
『キャプテンの情報を隠蔽するために、軍が出鱈目な情報をワザと残した可能性があるけど……それでもこれはやり過ぎだよ。こんなの誰が見たって偽の情報だって分かる』
彼女の言葉にうなずいたあと〈国民栄養食〉のパッケージを開いて、密閉されていた袋を破いて固形物を手に取る。それからチョコレート味の栄養食を咀嚼しながら、これらの情報について考えた。
「何のために軍はこんなことをしたんだと思う?」と率直に質問する。
「〈不死の子供〉なら、あるいは何世紀も活動し続けていてもおかしくないのかもしれない。けど、〈旧文明期以前〉に〈不死の子供〉たちという組織が存在しなかったことくらい、誰にでも分かることだろ?」
『だから分からないの。そんな経歴を持っている人間がいたら、まずその存在を疑うし、逆に興味が湧いて本格的に調査する気になるかもしれない。それってすごく矛盾してると思わない?』
いつの間にか彼女の手にも〈国民栄養食〉が握られていて、それを口に含んでいた。けれど口に合わなかったのか、顔をしかめてから水の入ったグラスを左手に出現させ、水を一気に飲んで喉の奥に栄養食を流し込んだ。〈
『ところで』と彼女は言う。
『キャプテンは私と話をするためだけに、わざわざ〈大樹の森〉までやってきたの?』
「いや」頭を横に振った。
「〈スィダチ〉にワコって女性がいるのは知っているか?」
『たしか……商人組合の長だよね』
「そうだ。実は彼女から俺たちに提案があったんだ」
『提案?』
「〈混沌の領域〉を監視するために部隊が新設されて、隊員にはマーシーの隠し財産から
『うん……あのお金のことだね』
彼女は顔をしかめながらうなずく。
『それがどうしたの?』
「商人たちも外貨獲得のために何か出来ないか考えていたみたいなんだ」
『たしかにクレジットは幾らあっても、多すぎるということはないからね』
バックパックの中から、苔色の光沢を帯びた甲虫の殻を取り出すと、彼女は眼鏡の位置を直しながらソレをじっと見つめる。
『コケアリたちとの交易で森の子供たちが入手している殻だよね?』
彼女の言葉にうなずくと、滑らかな表面を持つ甲虫の殻を叩いた。
「この甲虫の抜け殻はとても軽くて、それでいて銃弾を防ぐほど頑丈なんだ。実際に〈スィダチ〉の守備隊は、この殻を加工して鎧のように使っていたりもする」
『キャプテンはそれを廃墟の街に点在する鳥籠に売って、森の民の収入源にしようって考えている?』
「ああ、そうだ。……けどコケアリから仕入れている都合上、安定した数を入手することができないんだ」
彼女も手元に甲虫の殻を再現すると、それを注意深く眺める。
『それで?』と彼女は私に天色の瞳を向ける。
「だからそれとは別に、森の民だけが入手できる品物を〈スィダチ〉の新たな特産品にしようと考えていたんだ」
『森の民だけが手に入れられるもの……?』
「これだよ」
そう言って液体で満たされたガラス瓶を見せた。
『
「味は似ている。でもまったく別のものだ。これは〈スィダチ〉で一般的に飲まれている飲料だよ。マーシーも知っていると思っていたけど」
『〈スィダチ〉の呪術師たちから、今まで沢山の供物を頂いてきたけれど、処理してくれたのは〈
「マシロの姉妹たちか……」
〈御使い〉は人間の遺伝情報と、異界に由来する蚕蛾の変異体を組み合わせて創造された不思議な生物だ。彼女たちは〈母なる貝〉の聖域を守護し、森の管理者であるマーシーの手伝いをしていた。
『キャプテンはそれをどうするの?』
「〈ジャンクタウン〉に持って行って、売り物になるか確認するつもりだ」
『ジャンクタウン……』
彼女は眉を寄せて、それから理解したようにうなずく。
『たしか横浜にある核防護施設だったね』
「そうだ。それなりの規模の鳥籠だから、商売をするチャンスがあると思うんだ」
『それにしても意外だね』
「何が?」
甲虫の抜け殻と液体の入った瓶をバックパックにしまいながら訊ねた。
『森の子供たちは頑なに森の外の人々と交流しようとしてこなかった。それなのに、今では本格的な交易を行う準備までしている』
「森で起きた一連の騒動で気がついたんだと思う」
『なにを?』
「森の民が変わらなければ、いずれ限界がやってくる」
『滅んでしまうってこと?』
「森で生きていくのは大変だからな。森の民は〈大樹の森〉に生息する大型動物や、昆虫の相手をしなければいけない。それに今は〈混沌の領域〉からやってきた危険な生物も森を徘徊している」
『そうだったね……』
航路作成室の壁に視線を向けると、そこも立体スクリーンになっていて、船内から見える外の景色が立体的に映し出されている。池のすぐそばに、
ヴィードルとは多脚型車両の名称で、旧文明期に建設現場や森林作業などの難所で、建設用の機械人形と共に運用されていた車両のことだ。
私は現在、六台の軍用多脚車両を所有していて、その中でも大型の軍用多脚車両は特殊なものだった。〈ウェンディゴ〉と呼ばれる軍用車両は、錆びのない綺麗な白い装甲を持っていて、車体はまるで装甲車のように細長い造形をしている。
車体後部には、車体よりも僅かに高さのある真っ黒なコンテナが積まれていて、その黒色のコンテナも特殊な素材でできていて、日の光を反射させることがなかった。ウェンディゴは他の多脚車両と異なり、装甲車に蜘蛛の脚が生えているような見た目をしていた。
ちなみにウェンディゴは戦闘車両だからなのか、旧文明の鋼材を含む装甲に
そのウェンディゴの車体上部に白い蜘蛛が乗っているのが見えた。その白蜘蛛は全身が白いフサフサとした体毛に覆われている。長い脚に比べて胴体と腹部は小さく、背中から腹部にかけて赤い斑模様が見える。
八つの眼がある頭部には太く鋭い牙があったが、パッチリとした大きな丸い眼は幼さを残していた。その
それは例えば、蜘蛛を恐れる者にとって白蜘蛛が恐怖の対象であることに変わりはなかったが、すでに関係のある者が見た場合、フサフサとした毛で覆われたぬいぐるみのような可愛らしい印象さえ与えた。
ハクと呼ばれる白蜘蛛に似た生物は、〈深淵の娘〉たちと同種の生き物だったが、〈深淵の姫〉と呼ばれる特殊な個体でもあった。私の
けれど私にはそのつながりがどのようなものなのか、まだ完全に理解していなかった。〈念話〉のように、声を直接発することなくハクと会話することができたが、その理由も原理も分かっていなかった。しかし確かなことがひとつだけあって、それはハクが〈深淵の娘〉でありながら、今や家族同然の仲間になっていることだった。
『ウミも来てるみたいだけど、これからどこかに行くの?』
彼女の言葉にうなずいたあと、水槽の中で泳いでいた粘液状の生物を見ながら言う。
「さっきの葡萄酒に似た飲料があっただろ? あの飲料をつくるさいに必要になる果実を収穫しに行くんだ」
『へぇ、そうなんだ』
「実は昆虫も材料に必要なんだけど、その昆虫は〈スィダチ〉の蟲使いたちが捕獲することになっているんだ」
『それでウミがウェンディゴの操縦をするんだね』
「ああ」
ウミは特殊な人工知能のコアに宿る生命体で、旧文明期には兵器としても利用されていた不思議な種族だった。ウミが言うには南極海の底から回収されたらしいが、詳細については分かっていない。
以前、正体不明の救難信号を追って海岸線を探索していたさいに、巨大な化け物と一緒に流れ着いた軍艦の残骸のなかで、厳重に梱包されたウミのコアを見つけていた。
「マーシーも俺たちと一緒に行くか?」
『ううん、私は此処から出られないからダメだよ』
「ウミみたいに、意識だけを機械人形に転送できないのか?」
『それをするためには、転送を可能にする専用のコアが必要なんだ』
ウミが使用していた球体状のコアを思い出しながら言う。
「マーシーのために、どこかでコアを見つけてこないとダメだな……」
『私はこのままでいいよ。コアがなくても水槽からは普通に出られるんだ。それにね、今はキャプテンの視界を借りて外の風景も見られるし』
「なら何が問題なんだ?」
『とくに深い理由はないんだよ』彼女は赤髪を揺らした。
『ただ、ずっとこの水槽の中で生きてきたから……』
「今さら外に出て行くのが怖くなったのか?」
『違うよ!』彼女は慌てる。
「大丈夫、俺たちが一緒だ。怖いことなんて何もない」
『かもしれない……でも、今はまだ遠慮しておくよ』
「そうだな。でも準備ができたら教えてくれ。いつでもここから連れ出すから」
彼女はうなずくと、立体スクリーンに映る〈大樹の森〉に視線を向けた。
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