第270話 鳥籠〈人造人間〉re


『待って』カグヤが言う。

『人類について教えてもらう前に、どうして世界がこんなに荒廃した場所になってしまったのか教えてくれる?』


 白い軍服に身を包んだ女性は背中で手を組むと、じっと私を見つめて、それから眼鏡の位置を直した。


『残念だけど、文明崩壊や終末戦争について私が話せることは何もない』

 マーシーの本体が泳いでいる水槽から視線を外すと、彼女がホログラムで再現していた赤髪の女性に視線を向ける。


「俺たちが〈混沌の領域〉と呼ぶ世界や〈まがつ国〉については知っていたのに、地球文明が崩壊するキッカケになった出来事は知らないのか?」


『侵略が起きたのは知っている』

「侵略?」


『空間の歪みによって発生した〈神の門〉から、混沌の軍勢がやってきた。とか、そういうことがあったのは確かだけど、他にも大きな要因があった』


「要因、それはなんだ?」

『病だよ』


「人擬きか?」

『そう』

 彼女はうなずくと、醜い姿をした化け物のホログラムを表示した。


 人擬きは廃墟の街を彷徨さまよう不死の化け物のことだ。そこに表示されていた人擬きはまだ人の原型を保った人型のものだったが、長い年月をかけて徐々に変異し、もはや人間だったことも疑わしいようなおぞましい姿になる人擬きも存在していた。


 人擬きは〈旧文明期以前〉の人間が作り出した不死の薬〈仙丹〉によって、この世界に誕生した不死の化け物だと言われていた。人擬きを殺すことは基本的にできない。人間を不死の化け物に変異させるウィルスに、不死の因子が含まれているからだと言われているが、真実を知る者はいない。


 つぎに表示されたのは〈肉塊型〉と呼ばれる人擬きで、廃墟の街で変異を繰り返してきた個体だ。他の人擬きや人間を喰い殺し、その肉体に取り込んできた所為せいで醜い姿になった化け物でもある。


 そこに表示されていた個体は足がなく、代わりに数本の腕を使って皮膚が垂れ下がった醜い胴体を持ち上げていた。胴体に半ば埋まった頭部はふたつあり、膨れ上がった腹からは内臓と膿のような気色悪い液体が垂れている。


『最初にウィルスに感染したのは、不死の薬〈仙丹〉を服用していた第二の人類〈不老者〉たちだった』とマーシーは言う。『ひとりの例外もなく、彼らは人擬きウィルスに感染して、不死の化け物に変異した』


 健康な女性がホログラムで投影されたかと思うと、彼女は咳をして、血が混ざった痰を吐いた。顔色が悪くなり肌が赤紫色になると、徐々に髪の毛が抜け落ち、虚ろな表情になり、それから吐血し地面に倒れた。が、彼女はすぐに立ち上がった。しかし意識が朦朧としているのか、その場に立ち尽くしているだけで、何も反応を示さなくなった。


 人擬きに変異した女性を見ながらたずねた。

「その時代の人間にはワクチンが投与されていて、子どもたちは遺伝子操作によって産まれながらにして人擬きウィルスに免疫を持っていたんじゃないのか?」


『たしかにワクチンは存在していた。と言うより、ほとんどの人間が人擬きウィルスに対しての免疫を持っていた。けれどその人擬きウィルスは、異界の生物に感染したことで大きく変異していた。そしてウィルスが元々持っていた性質、つまり〈仙丹〉を服用している人間たちを強制的に人擬きに変異させる特性が強化されてしまった』


「それが人間に感染したのか」

『そう。第二の人類である不老者たちが感染したことで、地球は瞬く間に管理の出来ない状態に追い込まれたの』


『地球の人間たちを実質的に管理していた組織はどうなったの?』

 カグヤが問いに彼女は頭を横に振った。

『もちろん〈統治局〉は対処した。事態を収拾するために戦闘員や機械人形を世界中に派遣した。けれどそれでもダメだった』


 ホログラムで投影された戦闘員や、戦闘用機械人形である〈アサルトロイド〉が人擬きと戦闘している様子を見ながら訊ねる。

「どうしてだ?」


『うん?』

 赤髪の女性は眉を寄せて、それから首をかしげた。

『どうしてって?』


「人間たちが簡単に全滅した理由が分からないんだ。地球にだって超人的な肉体を支給されていた第三の人類は駐屯していたんだろ?」


『さっきも言ったでしょ?』女性は眼鏡の位置を直しながら言う。

『文明崩壊については詳しく知らないの。でも異界に続く門が多発的に出現したのは、この時期に残された記録で確認できる』


「記録?」

『うん。それにね、私が宇宙で働いていたときには、すでに地球は荒廃していた』


「森の民の伝承と同じか」

『私たちが地球に派遣されたのは、富士山の麓に広がる〈混沌の領域〉を監視するためだったからね』


『とりあえず、第二の人類が全滅したことは分かった』と、カグヤは言う。

『それ以外の人類はどうなったの?』


『第三の人類が何処で何をしていたのかは分からない。それに第四の人類である〈不死の子供〉たちの部隊が、この時期に地球にいたという噂もあるけれど、彼らが何をしていたのか分かっていない』


『〈不死の子供〉たち自体は、旧文明期後期にはすでに存在していたんでしょ?』

『もちろん。地球には〈大いなる種族〉もやってきていたし、〈人造人間〉たちもすでに誕生していた』


 人擬きの大群と交戦していた機械人形のホログラムが消えると、人造人間の姿が表示された。


 人造人間は基本的に人間と同様の骨格を持っている。しかしほとんどの個体は皮膚を持たず、剥き出しの金属製の骨格で活動していた。そしてその身体を構成するのは、旧文明期の特殊な鋼材だった。彼らが持つ鈍い銀色の身体は、おそろしく頑丈で、それでいて軽かった。


 人間の骸骨が動いているような、そんな不思議な外見をしている人造人間は、基本的に廃墟の街で生きる人間と敵対することはない。が、彼らの創造主である〈大いなる種族〉を唯一無二の神だと信じ、創造主に与えられた役割を現在も忠実に遂行していて、その任務の邪魔をする者が何であれ彼らは絶対に許さなかった。


 廃墟の街で発生する脅威から人間を守っている人造人間もいれば、人間の生活とはまったく関係のないことをしている人造人間も存在する。


 人造人間のホログラムを眺めていると、カグヤが不満そうに言う。

『ますます地球の文明が荒廃した理由が分からなくなったよ』

「そうだな……これだけの戦力を持っていたのなら、人擬きや異界からやってくる化け物に対処するのは簡単に思える」


『まるで地球を意図的に見捨てているようにも思える』

 カグヤの言葉に同意するようにうなずく。

「第二の人類が絶滅したあと、地球はどうなったんだ?」


 人造人間のとなりにボロ布を身につけた人間の集団があらわれる。集団は旧式のアサルトライフルを手にしていて、ガスマスクを装着し、大きなリュックを背負っていた。それは現在でも見られる一般的な〈スカベンジャー(廃品回収業者)〉の服装でもあった。


『この人たちはね、第一の人類だよ』

 マーシーの言葉にカグヤが何かを察する。

『もしかして〈仙丹〉を服用していなかったから、人擬きウィルスに感染しなかった?』


『そうだね。少数のグループだったけれど、混乱を生き延びた人間の集団は世界中にいた。彼らのような共同体が、荒廃した世界でまだ機能していた旧文明の施設を探し出して、そして再建していった』


「それが現在の鳥籠なのか……」

『そう。彼らは不老者じゃなかったけれど、正真正銘の人間だったからね。だから人造人間たちも第一の人類に協力して、彼らのための集落を一緒に建設してくれた。でも普通の人間が生きていくには過酷な世界だった』


 荒廃した都市がホログラムで再現されていく。廃墟は汚染物質を含んだ濃い霧に包まれていて、生物の姿は人擬き以外に確認できなかった。空は今と異なり、深緑色のどんよりとした雲に覆われていた。


「まるで汚染地帯にいるみたいだな」

『地球の環境は最悪だった』


『それから人類はどうなったの?』とカグヤが訊ねる。

『彼らは世界中に存在する核防護施設シェルターで暮らしていたけれど、人間の数は徐々に減っていった。彼らは病気にもなるし、半永久的に生きることもできないからね』


「……だから〈最初の人々〉をつくり出して、人間を意図的に増やしたのか?」

 赤髪の女性がうなずくと、白銀色の筒がホログラムで再現された。その装置には見覚えがあった。


「クローンの培養槽だな……」

『うん。核防護施設のすべてではないけれど、いくつかの施設には、軍を除隊した不老者たちが身体を受け取るための設備が残されていた』


「死んだ娘のクローンをつくった男の話なら聞いたことがある」

『道徳や倫理面の問題なんて彼らには存在しないからね。人類を絶滅させないために、彼らはあらゆる手を尽くした』


「そういうことか……」

『時期はバラバラだったけれど、同じようなことが世界中の施設で行われた』


「程度の差こそあれ、考えることは同じだったのか……」

『でも問題もあった』

 彼女は培養槽に入った人間を指差しながら言う。


『それまで第一の人類が置かれていた立場や環境はハッキリ言って最悪だった。まともな教育を受けていない人間がほとんどだったの』


「格差社会の最底辺の人たちか……」

『だから彼らは施設の使用方法も分からなければ、その権限も持っていなかった』


「それでどうなったんだ」

『失敗の連続だった』


「失敗? なにが起きたんだ?」

『たとえば発育サイクルを早めたことで、障害を持った身体や、突然変異した肉体を持つ者たちが誕生するようになった。癌を持って産まれる、なんてことも当たり前だった』


「それで――」

 培養槽の中に入ったおぞましい生物を見ながら訊ねた。

「第一の人類はどうしたんだ」


『人造人間たちの力を借りることにしたの。そうして第一の人類は、軍によって保存されていた不老者たちの遺伝子情報を利用して、不老者たちのクローンを誕生させていった』


「それが現在、廃墟に生きる人々の先祖なのか?」

『うん。すべての人間がそうやって誕生したわけではないけどね。たとえば森の子供たちによって語られる伝承に登場する〈最初の人々〉は、個人の目的の為につくり出されているし』


「亡くなった妻の代りか」

『うん』


「教えてくれ」と、培養槽に入った女性を見ながら言う。

「彼らは本来の人間と違うのか?」


『本来の人間?』

「純粋な人間なのか、それとも遺伝情報が改変された人間なのか」


『ちゃんとした人間だよ。不老者たちのクローンだけど、〈仙丹〉を服用していないから寿命もあるし、遺伝除法が操作されているわけじゃないから、超人的な身体能力はない』


「けど〈深淵の娘〉や人造人間たちからは、人間として扱われていないし、認識もされていない。それはどうしてなんだ?」


『森の子供たちもそうなんだけど』と女性は困ったような表情で言う。

『かれらは〈データベース〉に個人情報が登録されてもいないから、〈市民権〉をもっていないし、そもそも人間としても認識されていない』


「〈データベース〉?」思わず顔をしかめる。

『人類を管理していた〈統治局〉は文明崩壊の混乱で消滅していたし、身分の低い第一の人類は〈データベース〉に関する権限が限りなく低かった』


『だから〈データベース〉の操作が行えず、新たに誕生したクローンたちは、〈データベース〉に登録されることがなかった?』

 カグヤの疑問に彼女はうなずく。


「つまり――」と私は言う。

「出生届が提出されなかった。ただそれだけの理由で、彼らは人間として認識してもらえなくなったのか?」


『それだけ〈データベース〉が重要視されていた時代だったんだよ。武器を使用するのにも生体情報を登録して〈データベース〉の許可が必要になっている。それは今も変わらないでしょ?』


「たしかにそうだけど……わけが分からない」

『人間じゃない何かになった人類を守るものは、もう何処にもいなかった。だから〈深淵の娘〉たちの餌になるにはちょうど良かったんじゃないのかな』


「〈深淵の娘〉が人間を喰い殺しても、同盟に影響がないのか?」

『彼女たちはそう考えたのかもしれない。それにね、それを判断できる権限を持った人類は地球の何処にもいなかった』


「人造人間たちは?」と訊ねる。

「一緒にクローンをつくったんだ。その経緯だって知っていたんだろ?」


『寿命を迎えて死んでいく第一の人類と、個人的に約束を交わした人造人間たちもいた。彼らは新たに誕生したクローンたちの守護者となって、地球に残った脅威から彼らを保護し、施設の設備を最低限利用できるように、生体認証による〈IDカード〉の使い方も教えた』


「だから人造人間は守護者と呼ばれているのか……」

『たぶんね。人造人間たちは人間の〈まがいもの〉であるクローンたちのために、集落を壁で囲い、それを〈鳥籠〉と名付けもした』


「鳥籠……まるで人造人間の愛玩動物だな」


『実際にクローンたちはそういう扱いを受けているんだよ。人造人間にとって、第一の人類との約束はそれほど重要なことではないの。気が向けば〈紛いもの〉たちのことは助けるし、可愛がったりもする。でもそれだけの存在なの』


「人造人間たちは〈大いなる種族〉を唯一無二の神だと信じ、神に与えられた役割を現在も忠実に遂行している……」


『そう、人造人間たちにとって人間でも何でもない〈紛いもの〉たちの優先度はとても低い。だから今の人間たちを相手にしない人造人間もたくさん存在する』


『そっか……』カグヤが言う。

『人造人間のペパーミントが鳥籠の人たちを頑なに〝人間〟って呼ばないで、〝あれ〟とか〝それ〟って呼び捨てにしていたのは、別にペパーミントの性格が悪いんじゃなくて、クローンを起源に持つ人間たちのことを人類として認識できないからだったんだね』


『そうだよ。クローンであり〈紛いもの〉でしかない人間たちは、〈データベース〉に登録されていない謎の生命体でしかないからね。それは廃墟の街で徘徊している変異体と変わらないってことでもある』


「でも人間なんだろ?」

『生物学的には、たしかに人間だよ。遺伝子が操作された第三の人類や、遺伝子が大幅に改変された〈不死の子供〉と比べたら、よっぽど人間だよ。でも人造人間の創造主は、かれらにクローンの面倒を見ろとは言わなかった』


「それを知っているから……だからマーシーは森の民の味方なのか?」

『そうだよ。誕生はどうであれ、森の子供たちは人間だし、私を助けてくれる可愛い子供たちでもあるからね』

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