第269話 禍つ国 re


『第五の人類について話す前に、キャプテンにはこれを見てほしい』

 マーシーの言葉のあと、床に設置されていた立体スクリーンによって完璧に再現された化け物のホログラムが投影される。


「まるで悪夢だな」

 赤髪の女性は肩をすくめると、その気味の悪い生物の群れの間を歩いた。

『ここに投影されているのは、キャプテンが今まで遭遇したことのある〈混沌の生物〉』


 たしかに見覚えのある化け物が、完全な姿で再現されていた。

「どうしてそれをマーシーが知っているんだ?」


 気味の悪い生物の横で立ち止まった女性は、粘液を滴らせながら身体からだを痙攣させ始めた化け物のそばを急いで離れた。


『カグヤに頼んでライブラリに保存されていた記録映像を特別に見せてもらったの』

「記録していたって知らなかったよ。ほかにどんなものが記録されていたんだ?」


『安心して。アクセスしたのは戦闘の記録だけで、キャプテンの個人記録には触れてないから』


 彼女の言葉に溜息をついて、それから〈混沌の化け物〉に視線を向ける。まず目に付いたのは、子どものような体形をした人型生物の群れだった。


『これは〈混沌の子供〉たちと呼ばれている混沌の先兵だね』


 彼女は自分よりも背の低い化け物のそばで屈むと、化け物の姿を注意深く観察した。〈混沌の子供〉は死人のような青白い肌をしていて、血管や筋繊維、脂肪までもが透けて見える半透明の皮膚を持っていた。


 いびつな頭部に頭髪はなく、眼に相当する器官をもっていなかった。耳の先は尖っていて、物語や絵本の中で見られる妖精たちのようだった。そして大きな鼻は魔女のような鷲鼻で、ギザギザの歯が生えた口は、耳元まで裂けるように広がっていた。


 頭髪のない頭部同様、全身に毛はなく、肌はヌメリのある気色悪い粘液でおおわれていた。身につけているのはひどく汚れた腰布だけだった。不格好な骨格を持つ個体が多く、背骨が真直ぐの個体は一体も存在しない。そして身体的特徴から性的区別がハッキリと確認できた。遠くから見れば大抵のものが綺麗に見えるように、その生物も遠目に見れば人間の子どもに見えた。


『混沌の先兵は、森の子供たちが〈バグ〉って呼んでる生物と同じで、〈混沌の領域〉の近くで遭遇することになる化け物だよ』


 彼女は〈混沌の子供〉たちのとなりに投影されていた昆虫に似た奇妙な生物に視線を向けたあと、眼鏡の位置を直す。


 その〈バグ〉と呼ばれる奇妙な生物は、異様に長い半透明の翅を四枚持っていたが、胴体はその翅に比べて短く太かった。頭部には大きさの異なる複眼が不規則に並んでいて、カチカチとこすり合わせている大顎には太く鋭い毛がビッシリと生えていた。


 しかしその生物が他の個体と共通して持つ身体的特徴はそれだけで、その他の器官に共通するものはない。ナメクジのように脚がない個体もいれば、尾が生えているものもいて、ムカデのように無数の脚を持つ個体も存在した。


「バグも〈混沌の領域〉からやってきた生物だったのか」

 彼女はコクリとうなずいて、それから眼鏡の位置を直した。


『〈バグ〉は種類が多くて、その生態も完全に解明されていないけれど、地球上に元々存在しない生物だったのは確かだよ』


「その〈バグ〉に比べて、〈混沌の子供〉たちに遭遇することはほとんどないけど、それには何か理由があるのか?」


『バグは空間のゆがみによって誕生する不可思議な生物で、〈混沌の領域〉の近くなら、何処にでもいる可能性があるんだ』

「空間の歪みで誕生?」


『うん。混沌が持つ思念や気配みたいなものが、〈混沌の領域〉を超えて私たちの世界に渡って来るさいに、実体を得た存在として出現するのが〈バグ〉だと軍は考えていた』

「ずいぶんとオカルトじみた話になってきたな」


『実際のところ、〈混沌の領域〉がオカルトだからね』

 彼女は「やれやれ」と赤毛を揺らす。

『さっきも言ったけど、〈バグ〉は空間の歪みが発生している場所なら、どこにでもあらわれる可能性がある。でも〈混沌の子供〉たちが出現する場所は決まっている』


 〈混沌の子供〉たちが持つ青白い皮膚をちらりと見て、それからいた。

「もしかして地下だけか?」


『ううん。状況によって変化するけど、地上でも遭遇することがある。でも確かなことがある。あの化け物は特定の領域につながる〈神の門〉のそばにだけ出現するんだ』


『どうして〈バグ〉と違うの?』

 カグヤの声が内耳に聞こえた。

『〈混沌の子供〉たちには何か他と違う特別なものがあるの?』


『森の地下にコケアリたちの坑道があるってことは前にも話したよね』

 おぞましい〈バグ〉の姿が消えて、代わりに〈コケアリ〉の姿がホログラムで投影される。

「ああ、族長会議が行われる日に聞いたよ」


 コケアリは人間ほどの背丈があり、後脚と中脚を使って身体を起こした状態で歩く生物だ。彼女たちの頭部には大きな複眼と触角、そして大顎には鋭い牙がついていた。


 腹部は小さく、直立して生活することに適応した骨格を持っていたが、赤茶色の身体は本来の蟻とそれほど変わらない。前脚の先には人間のものに似た手を持っていたが、人間に共通する器官はそれだけだ。


 コケアリのホログラムを見ながらマーシーにたずねる。

「コケアリたちの坑道が関係しているのか?」


『直接は関係ないけれど、コケアリたちの坑道よりもずっと深い場所に、〝底知れぬ禍の地下王国〟の名で知られた〈混沌の領域〉が存在する』


『禍の国についてなら聞いたことがあるよ』とカグヤが言う。

『……もしかして〈混沌の子供〉たちが出現する特定の場所って、禍の国につながる空間の歪みのそばだけってこと?』


『そう。そして〈まがつ国〉につながる〈神の門〉が近くにある証拠でもある』

『それって他の〈混沌の領域〉と違うものなの?』


『空間の歪みの向こうに広がる異界はひとつの世界じゃなくて、無限に存在している世界のひとつでしかないんだ』


『それは何となく分かるよ』とカグヤが言う。

『レイが異界を旅したときには、奇跡や魔法が実在する現象として確認できた世界もあったけど、富士山の麓に広がるグロテスクな肉や血管におおい尽くされた地獄みたいな世界じゃなかった。でもそれが存在するのも実際に見てきた。だから異界が多く存在していることは、何となく想像できる』


『〈禍つ国〉も無限に存在する領域のひとつだけど、本来、空間の歪みはとても不安定なものなんだ。だから〈神の門〉の向こうにある世界が固定されることはほどんどないんだ』


 彼女の言葉に思わず首をかしげる。

「固定されない? 世界を侵食している領域がいずれ消えてなくなるってことか?」


『ううん。そうじゃないの』

 それまで投影されていた混沌の化け物やコケアリの姿が消えて、空間の歪みによって生じた異界に続く〈神の門〉がホログラムで投影された。まるで鏡面のように見える門の内側では、風景が絶えず移り変わる不思議な空間が広がっていた。


『この世界に〈混沌の領域〉が広がってしまったら、それを元に戻すことは困難だと言われている。〈神の門〉を人為的に閉じることのできる技術を軍が所持している可能性はあるけど、少なくとも私の手に入れられる情報では、ほぼ不可能だとされていた』


「不安定なのは、すでに現出した領域ではなく、空間の歪みの先に広がる世界のことか」

『そうだね』


 つぎに表示されたのは、〈大樹の森〉の向こうに見えていた富士山だった。

『富士山の周囲に広がる領域も非常に不安定で、つねに移ろうものなの。だけど〈禍つ国〉は違う。人類が誕生する遥か昔から、地球の地底に存在し続けていた』


「人類の誕生以前か、壮大な話だな」

『どうしてその〈神の門〉だけが、つねに同じ世界につながっているの?』

 カグヤの問いに彼女は頭を横に振る。

『残念だけど、それは軍にも分からないことだった』


 富士山のホログラムが消えると、深く巨大な縦穴が床の強化ガラスの向こうに出現する。あまりにも深い所為せいで、縦穴が何処まで続いているような錯覚がするほどだった。その暗い穴をじっと覗き込んでいると、巨人のために造られたような巨大な階段が目の前で構築されていく。その階段は床に表示された穴の奥に向かって何処までも伸びていった。


 階段は旧文明の鋼材にも似た輝きを放つ建材で造られていた。以前にも同じ階段を見たことがあったが、今回はホログラムで再現されたものだからなのか、直視しても得体の知れない恐怖が込み上げてくることはなかった。


『古い言葉で〈ノイル・ノ・エスミ〉と呼ばれている〈無限階段〉だよ。かつて地球に存在していたと言われている偉大な種族が造りあげた階段で、〈禍つ国〉に続いていると言われていた』


「偉大な種族とは、異界から来た神々のことなのか?」

『彼らについては軍の機密情報だったから、偉大な種族が異界に由来する生物なのか、それとも地球に元々存在していた生物なのか私には分からない』


「そうか……その〈無限階段〉の情報は、一般的に公開されていたモノだったのか?」

『まさか』彼女は頭を振って否定する。

『その情報は〈不死の子供〉たちと一緒に異界の調査をした私の同族が持っていたものだよ。一般の兵士ではまず手に入れられない情報だった』


「マーシーの種族についても気になるけど……とりあえず〈禍つ国〉と〈混沌の子供〉たちの関連性ついては理解したよ」

 それから彼女の天色の瞳を見ながら訊ねた。

「でもそれが第五の人類とどんな関係にあるのかはまだ理解できない」


『第五の人類はね』とマーシーは言う。

『〈禍つ国〉で神々と何かしらの契約を交わした人間たちのことなんだよ』


「神々と契約? にわかには信じ難い話だな。そもそも〈禍つ国〉に行って帰ってこられる人間がいるとは思えない」


 本物の〈無限階段〉の映像を見たことがあったが、ちらりと見ただけで気が狂いそうになった。あんな所で正気でいられる人間がいるとは思えない。


『実際に彼らが神と交わした契約がどういったものなのかは分からない。神々からの祝福だったのかもしれないし、呪いだったのかもしれない。いずれにしろ、第五の人類は軍でも噂になる存在だった』


『ただの噂か……』カグヤはガッカリしながら言う。

『でも』と、マーシーは言う。『火のない所に煙は立たない』


 私は〈無限階段〉に視線を向けながら訊ねる。

「実際にそういう人間がいたとして、彼らは普通の〈不死の子供〉たちと何が違ったんだ?」


『正直に言えば、それは分からない。異界の神々のように奇跡を起こすことが出来るようになったのかもしれないし、人間を超越した何かに進化したのかもしれない』


 彼女の言葉に頭を振る。

「俺は奇跡や魔法の類は使えないよ。それどころか、過去には何度も死にかけた」


『でもキャプテンの存在は不自然過ぎる。人間の遺伝子を持っていて、姿だって普通の人間と変わらない。それなのに〈不死の子供〉たちと同等の能力を持っている』


「マーシーは俺を超人か何かと勘違いしているけど、俺は〈不死の子供〉たちが持っていたような優れた肉体を持っていない。たしかに人間離れした身体能力は持っているけれど、それでもマーシーの思い描く超人には遠く及ばない」


『それはキャプテンの身体が完全な状態じゃないからだよ』

「完全じゃない?」

『過去にひどい損傷を受けたことが確認できたの』


『ねぇ、レイ』カグヤが言う。

『ずっと前に、九十四パーセントの消失を確認しましたって警告を受けたのを覚えてる?』


「……たしか、シンたちと一緒に仕事をしていたときのことだな」

『うん。その警告がレイの弱体化と何か関係しているのかも?』

「言われてみれば、たしかに関係あるのかもしれないな……」


 水槽に視線を向けると、粘液状の生物をぼんやりと眺めた。それからふと思いついたことをマーシーに訊ねる。


「神々と契約を交わすことは、俺とハクが持つ〝つながり〟のようなものを手に入れるのと同じことか?」


『ハクって、〈深淵の娘〉のことだよね』

 マーシーがそう言うと、〈深淵の娘〉のホログラムが表示された。


 文明の崩壊したこの世界に存在する昆虫同様、ホログラムで表示された蜘蛛に似た生物も大きな身体をもっていた。


 環境の変化や汚染物質に晒されたことにより変異、あるいは進化した可能性もあったが、その蜘蛛が大きな理由は誰にも分からない。しかし〈深淵の娘〉は異界でも存在が知られていたので、蜘蛛の変異体ではなく、何処か遠い世界から地球にやって来た〈異星生物〉なのかもしれない。


『〈深淵の娘〉については、私も断片的な情報しか持っていない。だからキャプテンとハクの間にあるつながりが、神々の契約と同じものなのかは分からない』


「そうか……でも〈深淵の娘〉が異界の生物であることは間違いないんだな?」

 そう訊ねると、マーシーはこくりとうなずいた。

『最初に確認された個体は、山のように巨大な蜘蛛だったと言われている』


 白い軍服を身につけた女性のとなりに表示されていた〈深淵の娘〉は、自動車ほどの体長があり全身が黒い体毛に覆われていた。


 体毛がビッシリ生えた腹部には特徴的な赤い斑模様がある。基本的に蜘蛛は単体で巣を作り、そして単体で狩りをする。しかし〈深淵の娘〉たちは異なる。彼女たちは集団で生活することを好み、集団で狩りを行うとされている。実際に廃墟の街に広がる汚染地帯で〈深淵の娘〉の群れに遭遇したことがあったので、それが本当のことだと分かっていた。


「マーシーは最初の個体について何か知っているのか?」

『ううん。その存在は、ある種の都市伝説のように知られていたけれど、本当に姿を見て、話をした人間はほとんど存在しない』


「特別な存在だったのか……〈深淵の娘〉たちは?」

『彼女たちは〈不死の子供〉たちとの混成部隊で活躍していた』


「コケアリの集団を指揮する大将アリと話したときにも聞いていたけど、人類は本当に〈深淵の娘〉と同盟関係を結んでいたのか?」


『間違いないよ。〈深淵の娘〉たちは特殊部隊のなかでも経験が豊富な〈不死の子供〉たちの部隊に所属していて、異界の生物の中でも最も危険な部類の化け物たちを相手にしていたと言われている』


 マーシーの言葉に私は納得した。〈深淵の娘〉は殺しが好きな生物だった。集団で行動するだけでも恐ろしい生物だったが、彼女たちの真の恐ろしさは、その残虐性にある。〈深淵の娘〉は獲物を甚振いたぶることを好み、獲物が苦しむ姿を楽しむ猟奇性を持ち合わせていた。


「廃墟の街に生きる人々にとって〈深淵の娘〉は恐怖の対象になっているけど、かれらが〈深淵の娘〉たちから攻撃される理由を知っているか?」


『それは〈深淵の娘〉が同盟関係を結んでいたのが〝人類〟だったからだよ』

「人類か……それなら教えてくれ、鳥籠で暮らす人間は何者なんだ?」

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