第267話 願い re
聖域で行われた族長会議から数日。部族の統一についての話し合いは、〈混沌の領域〉から流れてきた化け物たちの
森に残された大量の〈バグ〉や〈人擬き〉の死骸を見て、すぐそこに迫っている脅威を肌で感じた族長たちは、部族の統一について真剣に考えるようになってくれていた。とは言うものの、まだ多くの課題が残されていた。
族長たちは、それぞれの鳥籠に難題を持ち帰ることになった。彼らが正しい判断を下すことに期待していたが、どうなるのかは誰にも分からない。
その一方で、鳥籠〈スィダチ〉との合流を快諾してくれた族長もいた。かれらの鳥籠では大量発生した昆虫や、森の奥からやってきた大型動物によって農作物が荒らされ、部族は生活の場を失い、生きることそのものが困難になっていたのだ。
〈スィダチ〉の族長イロハは、そういった部族を受け入れるための下準備や、もともと抱えていた鳥籠での仕事に追われることになったが、それが戦争のための準備ではないことを喜んでいた。それは〈スィダチ〉の幹部も同じで、彼らは長く続いた森の民の争いにウンザリしていたのだ。
何はともあれ、族長会議の最中に突発的に発生した襲撃は、族長たちの目を覚ますいい薬になってくれた。問題は死傷者がそれなりに出たと言うことだった。
蟲使いたちが武装し多数の昆虫を従えたところで、異界からやってくる化け物たちには太刀打ちできないことがハッキリした。だからこそ守備隊の再編成は急務であり、森の民の戦士たちを鍛え上げることが森の安定につながると私は考えていた。
しかし森の民に武器を与え、近代的な戦闘を想定した訓練を行うことを危険視する人間も〈スィダチ〉にはいた。彼らは新設される部隊が手に入れる力を同族に向けてしまうことを危惧していたのだ。
しかし個人的にその心配はしていなかった。〈混沌の領域〉と接する壁の近くには、恐ろしく危険な生物が多数生息している。反乱なんて
けれど、どんな環境にいたとしても、よからぬことを考える人間は一定数いるのも分かっている。だから新設される部隊を監視し、つねに調査する外部組織――まるで〝審問官〟のような役割を持つ部隊も新たに創設しようと考えていた。
彼らは部隊の中でも最も優秀でありながら、森の民に、そして何より〈母なる貝〉に対する絶対的な忠誠心を持つ者の中から選ばれることになる。大樹の森の番人としての誇りを持って働く彼らには、優先して良い装備を与えるつもりだった。
しかしその力を悪用されないとも言い切れないので、鳥籠〈スィダチ〉からも独立した部隊にする予定だった。独自の権限を持つことで、誰にも媚びることなく任務に専念してもらう。
今回の襲撃で我々が得たものは決して多くなかったが、族長たちの考えを変化させるキッカケになったことは確かだった。それに襲撃では、ミスズたちや〈
ヤトの戦士たちの中にはバグとの戦いで負傷した者もいたが、〈オートドクター〉で治療できる範囲の傷だった。あまり大っぴらに言うようなことでもないのだけれど、結局私にとって大切なのは身内なのだ。
だから正直に言えば、森の民との距離の取り方も考えなければいけない。彼らを身内と考えるのか、それとも森の管理のためだけの〝駒〟として扱うのか。難しい問題だが、真剣に考えなければいけないことだと認識していた。森の民を助けることに善意が含まれていることは確かだが、彼らに対する下心があるのも事実だからだ。
それから襲撃に関して分かったことがもうひとつある。それは襲撃のさいに出現した人擬きについてだ。戦闘後に死骸を調べ、人擬きが身につけていた服装や装飾品、そして刺青によって、それらの化け物がかつては森の民だったということが判明した。
これは推測でしかないが、それらの人擬きは混沌の化け物に襲われた集落の人々だった可能性があった。化け物は死骸を操ることのできるあの奇妙なガスを使用して、森の民を人擬きのような生物に変異させていたのかもしれない。実際に化け物が蟲使いたちの死骸を操る姿を見ていたので、その可能性は捨てきれなかった。
しかし混沌の化け物に襲われた部族の詳細な情報は得られなかった。広大な大樹の森には、〈スィダチ〉にさえも存在を認識されていない部族があるからだ。もしかしたら彼らは、〈混沌の領域〉と接する防壁の近くに集落を持つような部族だった可能性もあったが、それについてはさらなる調査が必要になった。森の全体像を理解することも重要になるだろう。
そう考えると、森の最大勢力である豹人やコケアリたちとの顔合わせができたことは幸運だったのかもしれない。彼らは森の民の統一について理解を示してくれたし、積極的に我々と争うような姿勢も見せなかった。
そもそもコケアリたちの生活圏は地下にあって、豹人たちは森の民が近づかない山岳地帯を主に生活の場としていた。だから争いになる心配をする必要すらなかったのかもしれない。
ちなみに豹人たちについて語ることはほとんどない。混沌の化け物との戦闘が終わったあと、豹人たちは戦闘で亡くなった仲間の遺体から心臓だけを抜き取ると、遺体をその地に埋めた。亡くなった豹人の心臓だけを持ち帰ることにどんな意味があるのかは分からなかったが、それもいずれ分かるときが来ると思っていた。
あの戦いのあと、彼らの本拠地がある山に招待してもらっていた。豹人たちはコケアリに聞かされた〈不死の子供〉に興味を持ち、それと同時に〈深淵の娘〉と行動を共にする私に興味を持ったようだった。豹人たちに興味を持たれ、彼らの土地に招待されることに関して悪い気はしなかったし、幸運だと感じていた。
私も豹人について知りたいことが山ほどあった。獣人種族に対する差別意識はなかったし、そもそも獣人は物語の中でしか見ることのできなかった存在だ。彼らに興味を持って当然だった。それに、これは至極個人的なことだったが、私は猫が好きだったし、見知らぬ土地の話を聞くことや、その地に息づく伝承や物語を知ることが病的に好きだった。
それからコケアリたちについて。大将アリである〈常闇を駆ける者〉は、ハクがつくり出した爆弾にひどく驚いていたが、戦闘中だったこともあって、冷静に精鋭アリたちに指示を出して、異界から吐き出された大量のバグたちを掃討した。
コケアリたちを見ていて興味深かったことは、彼女たちが仲間の遺体に少しも関心を示さなかったことだ。遺体のそばに落ちている金属製の棒や、彼女たちが腰に吊るしていた皮袋を拾い上げるだけで、遺体には見向きもしなかった。
それはコケアリの女王が、彼女たちの記憶を保持していることに関係しているのかもしれない。いずれにしろ、コケアリたちの遺体は森の養分になるのだろう。
常闇を駆ける者と別れるさいに、彼女は森の地下にあるというコケアリの都市に私を招待してくれた。〈不死の子供〉である私を女王に会わせたいと考えていたようだ。もちろん私は彼女からの招待に感謝し、必ず地下都市に行くと約束を交わした。
数世紀もの長い歴史があるコケアリたちの都市には興味があったし、日本海を越えて大陸に続いているという坑道がどんなものなのかも気になっていた。
残念なことに私は現在、多くの案件を抱えていたので地下都市への訪問はすぐに実現しそうになかった。けれど大将アリは急ぐ必要はないと言っていた。十年でも百年でも待つと言ってくれた。彼女たちにとって重要なことは、私が女王に会ってくれることだと。
大将アリは記憶を継承し、永遠とも呼べる時間の中を生きている。だから彼女の持つ時間の感覚は、我々人間とは根本的に違うのかもしれない。
そして今回の戦いでは驚くべき発見もあった。族長会議の翌日、ひょっこりと鳥籠に帰ってきたハカセに、空間の
我々は空間の歪みが生じた場所で、混沌の化け物たちが残した〝光輪の残骸〟を見つけることになる。つねに発光するエネルギー体のような光輪は、石に似た物体に変化していて、化け物たちの腐った遺体の近くに落ちていた。
その光輪の残骸は全部で三つあって、二つは完全な状態で残されていたが、ひとつは空間の歪みが発生していた場所のそばで欠けた状態で発見された。欠けていた光輪は、おそらく空間の歪みを発生させるために使用されたものだったのだろう。空間が閉じる寸前に〈月光〉の影響を受けた
光輪の残骸は混沌の化け物たちが死んでいたからなのか、本来の輝きを失い灰色の輪に変化していた。ハカセと、それから一緒に戦場跡に来ていたペパーミントが簡単に調べて分かったことだったが、その物体は地球上に存在しない物質によって造られたものだった。
ハカセが光輪の残骸を研究したいと言っていたので、その不思議な輪を譲ることにした。しかしハカセは欠けたものだけでいいと言って、完全な状態のモノをペパーミントに譲ってくれた。それにはペパーミントも大喜びだった。
彼女はその輪に使用されている技術が、我々の武装の強化につながる何かしらの手掛かりが得られるかもしれないと期待しているようだ。ふたりの研究によって何が解明されるのかは分からなかったが、私もその成果を密かに期待することにした。
それからもうひとつ重要なことがあった。小鬼たちの繁殖地で助け出したシオンとシュナについてだ。結局、双子と同じ集落から来た森の民を見つけることはできなかった。残念なことだけれど、ふたりは集落の最後の生き残りだったようだ。
だから我々が責任をもってふたりの面倒を見ることになった。ハクはふたりのことを好きだったし、かれらも我々との生活に慣れていた。だから今さら、避難民になって生きていけとは言えなかったし、そのつもりもなかった。
けれどふたりは森の民だ。森の民としての生き方や、森の民が持つ宗教観や文化もしっかりと学んでほしかった。だからふたりを引き取るさいには、森の民の力も借りることになった。
その役に打ってつけの人物を知っていた。〈スィダチ〉が襲われたときに助けた女性、リンカに力を借りることにした。彼女も家族を失い避難民になっていて、これから生きていくために多くの苦労をしなければいけなかった。
だからリンカは喜んで我々の提案を受けてくれた。彼女は我々と一緒に横浜の拠点に来ることになるので、慣れない環境に色々と苦労することになる。けれど避難民としてテント生活を続けるよりも、ずっと楽だと感じていて、我々に同行することを選んでくれた。
ちなみに我々と一緒に横浜の拠点に向かう森の民は、双子やリンカ以外にもいた。しかし私が最も驚いたのは〈
マシロが来ると知ってハクは喜んでいたが、それにはいろいろと不安もあった。しかし輸送機のおかげで横浜の拠点からでもすぐに聖域に戻ってこられるので、あまり心配しないことにした。マシロが廃墟の街の環境に適応できなければ、そのときは森に戻ってくればいいだけのことだった。
鳥籠が落ち着きを取り戻したある日、私は一旦横浜に帰ることを族長のイロハに報告するため、〈スィダチ〉の中心にある〈カスクアラ〉に向かった。そこで久しぶりにサクラに会うことになった。サクラは私に色々と感謝の言葉をかけると、今回の騒動を振り返った。
「結局」と、彼女は天色の瞳で私を見つめながら言う。
「レイたちに頼るばかりで、私には何もできなかった」
彼女の言葉に思わず笑みを浮かべ、それから彼女の綺麗な瞳を見つめながら言った。
「サクラのやったことに比べたら、俺たちがやったことはたいしたことないよ」
「私は何もしてない……」
「横浜まで俺たちを探しに来たじゃないか。頼りになる昆虫が一緒だとしても、独りでやれる簡単なことじゃないはずだ」
「でも……それでも私は助けてもらえることを願うばかりで、他に何もできなかった」
「願いか……」
森の民の歴史が描かれたレリーフを眺めながらサクラに言う。
「異界を旅したときのことを、サクラに話したことあるか?」
「ううん」サクラは綺麗な赤毛を揺らした。
「でも、ミスズやナミに教えてもらった。そこでナミたちに出会ったことも」
「ああ。その世界をハクとふたりだけで
「不思議な人?」
「そうだ。女性のような美しい顔立ちをした男で、自分には神の血が流れているとか何とか、わけの分からないことを話している奴だった」
「その人がどうしたの?」
「彼は俺たちの出会いに意味があると教えてくれたんだ」
◆
貴様が何のために願うのかは知らない。
けど、貴様は願うべきだ。
そしてその努力が報われることを俺は願っている。
なぜなら神々は、この出会いが現実になることを知っていたのだから。
俺には貴様の本当の望みを知る由もない。
けれど、とにかくそれが何であれ、貴様は願い続けるべきだ。
いいな。願い続けろ。
絶望して、地獄を創り出す必要はないのだから。
◆
「サクラは自分が思っているよりも、ずっと多くのことをしたんだと思う。サクラが救いを願い、横浜にいる俺たちに会いに来てくれなければ、森は今ごろサクラが想像しているよりもずっと大変なことになっていた。だから願うことしかできなかったなんて言って、ひとりで気に病むことなんてない」
「でも……」
「多分」と私は言う。
「サクラはもっと願うべきなんだよ」
「どうして?」
彼女は首をかしげる。
「サクラが森の民を救いたいと願い、行動しなければ、森を救うことはできなかった。時には何かを願って行動しても、自分の思った通りに行かないことがある……いや、多くの場合、自分の願い通りにことは進まない。でも何かを願って、最初の一歩を踏み出さなければ、その願いが果たされることは永遠にない」
「だから願う。未来を思い描いて……」
「そうだ」
私は自分にも言い聞かせるように言った。
「まずはそこから始めよう」
「そうだね」
サクラは微笑んで、それから言った。
「まずは願うことから始めよう」と。
願いながら歩むことを止めない。そうすれば、いつか望んだ場所にたどり着ける。もちろん多くの問題や壁が立ちはだかるだろう。けれどまずは願うことから始めよう。その一歩を踏み出さなければ、どこにもたどり着けないのだから。
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いつもお読みいただきありがとうございます。
これにて第七部(大樹の森)編は終わりです。
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執筆の参考と励みになります。
レイラとカグヤの物語は続きます。
引き続き第八部を楽しんでください。
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