第266話 月光 re
化け物は絶命し、光輪は徐々に輝きを弱めていく。しかし空間の
『なんとかしないと化け物の大群がこっちに来る』
カグヤの言葉にうなずくと、ハンドガンを両手でしっかり握り、宙に浮かんでいた光輪に照準を合わせる。銃身の形状が瞬く間に変化し、銃口の先に禍々しい赤黒い輪が出現したことを確認すると、
空気を振動させるような、微かな音を立てて発射された黒い閃光は、凄まじい速度で光輪に向かって突き進んだ。そのさい、恐ろしい熱によって射線上にあるものだけでなく、近くにあるモノすべてを
けれど結果は変わらなかった。光輪に向かって進んでいた〈重力子弾〉は、不可思議な作用によって弾道を曲げられ、空間の歪みに吸い込まれるようにして〈混沌の領域〉に侵入していった。それでも勢いが衰えていなかった黒い閃光は、数十体の混沌の化け物の身体を破壊し、得体の知れない次元に多大な被害を出しながら何処までも突き進んでいった。
「……やはりダメか」
損傷個所を自己修復している混沌の化け物たちの姿を見ながら、他に何か打開策がないか考える。
『マズいなことになったね』カグヤが言う。
『空間の歪みが閉じるまで、このまま〈重力子弾〉を撃ち続ける?』
ハンドガンをホルスターに収めると、射撃の反動で痺れていた手を揉む。
「あまり効果は期待できないだろうな。化け物を正確に攻撃できればいいが、あの歪みに近づくだけで弾道が狂わされる」
『厄介だね』
「ああ、それに問題は混沌の化け物だけじゃない。あのバグの大群もどうにかしなくちゃいけない」
〈混沌の領域〉につながる空間の歪みからは、大量のバグが絶えることなく吐き出され続けていた。唯一の救いは、コケアリや豹人たちがバグとの戦いに慣れていて、群れの猛攻に対処できていることだった。
しかしだからと言って彼らがこのまま被害を出すことなく、バクの攻撃に耐えられるとは思っていなかった。バグの数は膨大で、その一方、コケアリや豹人たちは混沌の化け物との戦闘で数を減らしていた。
すると数匹のバグが空中に吹き飛ばされ舞い上がるのが見えた。バグを吹き飛ばしていたのは〈常闇を駆ける者〉が乗っていた黒蟻だった。黒蟻の
黒蟻の体表を注意深く眺めると、粘液のようなものが分泌されていて、それがバグの攻撃を寄せ付けない要因になっていると気がついた。まあ、気がついたからといって何かが変わるわけではない。これは現実逃避というやつなのかもしれない。気を取り直すと、空間の歪みの向こうにいる化け物を見つめる。
「ヤトを使えば、奴らを殺せる」
『でも』とカグヤが否定する。『あれだけの数の化け物を相手にすることはできない』
常闇を駆ける者が我々の前に出ると、バグの大群を見ながら大顎を鳴らした。
『戦士長たちを召集するのにも相当な時間が必要だ。であれば、我々だけで持ち堪えるしかない』
彼女はそう言うと、腰に吊るしていた皮袋から十センチほどの木製の笛を取り出して、それを大顎に挟んで器用に吹いてみせた。
するとバグの大群と対峙していた黒蟻が、複眼を赤く染め、強酸性の液体を吐き出し数十匹のバグをまとめて殺した。その液体はあまりにも強力で、バグは液体に触れただけで枯茶色の殻を溶かされ、耳につく嫌な鳴き声を発しながら死んでいった。理屈は分からないが、どうやら大将アリは笛を吹いて黒蟻に指示を出しているようだった。
『レイ』
可愛らしい声がして振り向くと、マシロを背に乗せたハクがすぐ近くにいた。
「どうしたんだ、ハク?」
『それも、ほしい』
ハクはそう言うと、
「もしかして、ハンドガンの弾倉も必要なのか?」
『ん、ひつよう』
狙撃形態を使用可能にする紺色のずっしりとした弾倉を取り出した。
「これでいいんだな?」
『ん、それでいい』
ハクはブロック状の弾倉を受け取ると、今まで
『これって、蜘蛛のぬいぐるみ?』
カグヤが疑問を口にする。たしかにそれは、ハクの糸で編まれた不格好な蜘蛛のぬいぐるみのような物体に見えた。そのぬいぐるみを手に取りながら
「ハク、これは?」
『おつきさま』
「月? どういうこと?」
すると、赤いぬいぐるみが爆発する具体的な心象が頭のなかに流れて込んでくる。
「……これは爆弾なのか」
ぬいぐるみの正体を理解すると同時に、それを持っているのが怖くなる。
『あんぜん』ハクは言う。
『あそこ、いれる』
ハクの長い脚は、〈混沌の領域〉に続く歪んだ空間に向けられる。
「あの中に放り込めばいいんだな?」
『ううん、おねがいする』
「お願い?」
『レイ』カグヤの声が聞こえる。
『そのぬいぐるみの情報が取得できたよ』
「取得したって、どこから?」
『理由は分からないけど、レイがぬいぐるみに触れたことで、〈データベース〉に登録されていた兵器の情報が閲覧できるようになった』
疑問はあるが、とにかく拡張現実で表示されるホロスクリーンを使って兵器に関する情報を確認する。どうやら軍での通称は〈月光〉で、〈第一種秘匿兵器〉に属する誘導爆弾の類だという。正式名称は〈深淵の月〉だと表記されていた。
「月光か……」
蜘蛛のぬいぐるみを眺める。ソレがぬいぐるみの形をしているのは、ハクの趣味なのかもしれない。
「ハクは器用なんだな」
そう言うと、ハクは
『ん、ちょっとだけ』と嬉しそうに言う。
「それにこのぬいぐるみはハクに似ている」
『ちっちゃい』
「そうだな。それで……お願いするんだったな?」
『おねがい』
ぬいぐるみを地面にそっと置くと、カグヤに使用方法を確認してもらう。
『基本的に〈自動追尾弾〉と同じ方法で操作可能だよ。標的に視線を合わせて、攻撃用のタグを貼り付けるだけ。ただ――』
「何か問題があるのか?」
『〈月光〉を使用するさいには、将官に準ずる人間の許可が必要みたい』
「カグヤも分かっていると思うけど、地球上にそんな人間はいない」
ガッカリしながら言う。
「つまり、ハクのぬいぐるみは使えないってことか?」
『ううん、レイは大丈夫みたい』
「どうして?」
『過去にも秘匿兵器の使用許可を得るための申請を行っていたみたい。だから兵器の使用に関して、自由裁量が認められているらしい』
「わけが分からない」
『だね。私にもわけが分からないよ』
「そうだな……」と溜息をつく。
「たしかな答えが得られない以上、今は考えるだけ無駄なのかもしれない。そのことに関しては、今度ゆっくり考えることにしよう。それより、〈月光〉の使用に関して何か問題があるのか?」
『たぶん〈月光〉は、私たちが知っているどの兵器よりも、大きな破壊をもたらすことになる。それこそ、ウェンディゴの爆撃よりもずっと強力な兵器だと思うんだ』
「このぬいぐるみが?」
思わず困惑する。
『ぬいぐるみに見えるけど、それは〈不死の子供〉であるレイの血と、〈深淵の娘〉の上位種だと思われるハクの血を混ぜて造られた謎の兵器だよ。何が起きるのか私にも想像できない』
「ハクには化け物の動きを止められる強靭な糸を頼んだつもりだったけど……」
『動きは止められそうだよ。永遠にだけど』
「ここで使用したら、俺たちも大樹の森と一緒に吹き飛ぶのか?」
『うん。だから爆発させるときは、あの空間が閉じる寸前のタイミングを狙ったほうがいい。吹き飛ばすのは化け物たちの世界だけで充分』
「連中の世界を破壊することが目的になっていないか?」
『仕方ないよ。この爆弾は戦略兵器の一種なんだから』
「それなら結局、空間の歪みが閉じるギリギリまで化け物の相手をしなければいけないのか?」
『でもね、それにも大きな問題がある』
「まだ何かあるのか」
『ぬいぐるみが空間を越えて異界に侵入したら、こちらから指示を出すことはできなくなると思うんだ』
「つまり?」
『標的にたどり着いたら、自動的に爆発するようにセットしなければいけない』
「危険な賭けだな」
『でも他に方法がない』
「……やってみるしかないか」
『〈深淵の娘〉のおもちゃで何をするつもりなんだ?』
となりにやってきた常闇を駆ける者が言う。
「こう見えても、とても強力な兵器なんです」
彼女はしばらくぬいぐるみを見つめたあと私に訊ねた。
『その兵器は何ができるんだ?』
「爆発します」
『爆発か……それを使うのは初めてなのか?』
「はい」
彼女は触角を揺らして、それから大顎を鳴らす。
『助けは必要か?』
「周囲のバグを排除できますか?」
『バグが邪魔なんだな』
「邪魔です」
『それなら私に任せてくれ』
常闇を駆ける者が石突で地面を打つと、鷹の鳴き声に似た大気を震わせる鋭い音が鳴り響いた。するとその音を嫌うように、バグたちが一斉に悲鳴のような甲高い鳴き声を上げ、我々に向かって猛進してくる。彼女はその群れのなかに突進すると、槍を使いながら次々と化け物を殺していく。
常闇を駆ける者がバグの集団を蹴散らしているのを見ながら、私は〈混沌の領域〉続く空間に視線を向ける。
「標的は、地面を
カグヤに質問したつもりだったが、答えたのはハクだった。
『ううん、あれがいい』
ハクが長い脚で指し示したのは、化け物たちの後方に
「あの気色悪い化け物どもは、石像を囲むようにして
『きにしない』
ハクはそう言って私の肩をトントンと叩いた。
「それもそうだな」
この世界を侵略してきたのは連中だ。そもそもどうしてそんなことを気にしたのかも分からなかった。
グロテスクな生物が出てきた石像の股に視線を合わせると、石像全体が赤い線で縁取られる。すると足元に置いていた蜘蛛のぬいぐるみが動き出す。最初はゆっくりとした動きだったが、徐々に速度を上げていった。
興味深いことに、ぬいぐるみがバグの横を通っても、バグは反応を示さなかった。それどころか、ぬいぐるみの存在を認識することができていないようだった。
「常闇を駆ける者の助けは必要なかったのかもしれないな」
そういって彼女の様子を確認すると、中脚を使ってバグを蹴り飛ばしている姿が見えた。たとえ数千匹のバグに襲われても、彼女は傷ひとつ負うことなく切り抜けられるのかもしれない。それほど実力に差があるように感じた。
『レイ』カグヤが言う。
『混沌の化け物が門を越えて侵入してきた』
「了解」
空間の歪みから気味の悪い皮膚に包まれた混沌の化け物が出てくる。すぐにハンドガンを構えると、化け物に向かって〈重力子弾〉を撃ち込んだ。黒い閃光は射線上にいたバグを跡形もなく消滅させたが、空間の歪みのそばで弾道が曲げられ、またしても異界の空に向かって飛んでいく。その
すぐに射撃を諦めると、混沌の化け物に向かって一直線に駆け出す。化け物は接近する者の存在に気がつくと、皺だらけの皮膚をマントのように広げた。するとその奥に鋭い刃のついた剣腕が見えた。
化け物はその剣腕を前方に突き出しながら突進してきた。私も同様に突進するが、化け物の刃が私に届く寸前、まるでバスケットボール選手がドリブルしながらロールターンを行うように、その場で身体を反転させ、右手首から刀を出現させ、身体を回転させた勢いのままに腕を振り抜いた。
化け物の切断された頭部が地面に転がる。が、すぐにムカデの脚に似た何かが生えてくる。しかし毒の影響によるものなのか、頭部はふらつき、切断面から気色悪い体液を噴き出しながら、よろよろとバグの集団に向かって進む。
そしてその体液に触れたバグも痙攣し、脚をバタつかせながら死んでいった。混沌の化け物の胴体も同様だった。しばらく頭部のないまま歩いていたが、やがて首の切断面から派手に体液を噴き出しながら死んでいった。
『大丈夫、レイ?』
化け物に切られた肩を押さえながらカグヤに答える。
「ああ、ただのかすり傷だ」
実際のところ、痛みはすぐに感じなくなり、身体の調子も良かった。ヤトの刀で化け物を殺したさいに、生命力の一部が刀身を伝って流れ込んでいた。そのおかげなのか、例えようのない全能感に支配されていた。
今だったらなんだって出来そうな気がした。もちろん、そんな気がしているだけで、何もできないことくらい分かっていた。だから気を静めるために深呼吸する。甲高い耳障りな叫び声を聞いて振り向くと、空間の歪みから新たに出現した混沌の化け物が接近してくるのが見えた。
「どうした?」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら刀を構える。
「嫌なことでもあったのか?」
猛進してくる化け物のすぐ横を、ハクのぬいぐるみがトコトコと通り過ぎて行くのが見えた。そのぬいぐるみから視線を外すと、まるでスローモーション映像のように、ゆっくりと振り下ろされる化け物の剣腕を紙一重のところで避け、その剣腕を切り落とした。そして世界は本来の速度を取り戻す。
腕を切り落とされた混沌の化け物は下顎を大きく開くと、耳の痛くなる強烈な叫び声を上げた。そして肉の鞭を振り上げる。しかしハクが吐き出した糸で身動きが取れなくなると、私は化け物の懐に飛び込んで刀を振り抜いた。化け物の胴体が両断され、下半身と別れるようにずり落ちると、すぐとなりに来たハクと一緒にぬいぐるみを視線で追った。
『あそこ』
ハクの背に乗っていたマシロが指差した。
空間の歪みを越えて異界にたどり着いた蜘蛛のぬいぐるみは、こちらに向かってくる混沌の化け物や、一生懸命に地面を這っていたグロテスクなワーム型生物の横を通って石像に近づいていく。
「……なぁ、カグヤ」
緊張しながら
「空間はまだ閉じないのか?」
光輪の輝きはほとんど失われていて、空間の歪みそのものが伸縮しているように見えた。しかし異界に続く空間は健在だった。
『まだダメみたいだけ……』
バグたちと戦っていた豹人やコケアリたちに、すぐに光輪のそばから離れるように警告した。
間もなくぬいぐるみが石像に到着すると、〈混沌の領域〉は青白い光に包まれ、その閃光は空間の歪みを越えて我々の世界にも届いた。幸いなことに、光輪は力を失い空間の歪みは消失した。しかし消えていく歪みの向こうに、月に似た球体が出現するのを見た。
その球体から発せられる光は周囲のすべてを呑み込み、球体から発生した衝撃波は千メートルを優に超える岩壁を次々と崩壊させていった。空間が閉じるのが少しでも遅かったら、衝撃波によってこちらの世界にも甚大な被害が出ていたことだろう。
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