第265話 異界への扉〈神の門〉re


『それ、ちょうだい』

 ハクの幼い声が聞こえたかと思うと、スリングで胸元に吊るしていたライフルを触肢しょくしでトントンと叩かれる。〈念話〉を介して直接伝わってくる感情によって、ハクが何を欲しがっているのか分かっていたけれど、確認のためにたずねることにした。


「ライフルの弾倉がほしいんだな?」

『ん、それ、ほしい』


「了解」

 思考だけでライフルのシステムを操作すると、弾倉が収められている装甲を展開し、消耗により一回り小さくなっていた弾倉を取り出す。


「これでいいか?」

 ハクに弾倉を差し出す。


『これ、まちがいない』

 ハクはそう言って弾倉を受け取ると、ブロック状の弾倉を何度かひっくり返して確かめたあと、赤色の細い糸を吐き出して、白銀に輝く弾倉にくるくると糸を巻き付けていく。


『最後の弾倉だけど、渡しちゃってよかったの?』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、肩をすくめる。


「ハンドガンの残弾には余裕があるから、たぶん大丈夫だと思う」

 どのみち、ライフルで選択できる攻撃方法では混沌の化け物を殺すことはできない。


 ハクは糸を吐き出すのを止めると、今度は触肢を使い、まるで粘土をねるように赤い糸で包まれた弾倉の形を変えていく。不思議なことに、高密度に圧縮されていて恐ろしく硬いはずの鋼材が、いとも簡単に変形していた。


『レイ、あれを見て』

 精鋭アリたちが戦いに加わると、混沌の化け物の頭頂部に浮かんでいた光輪がまばゆく発光するようになった。

『何をするつもりなんだろう?』


 突然、光輪から発生した衝撃波によって、化け物の周囲にいたコケアリや豹人たちが勢いよく吹き飛ばされるのが見えた。天使の輪に似た光輪は、強く発光したまま化け物の頭上に向かってゆっくり浮かび上がる。そのまま空中で静止した光輪は広がるようにして大きくなり、輪の内側の空間を変化させ、次元のゆがみを発生させていく。


『異界に続く〈神の門〉を開いているのか……』

 常闇を駆ける者はそうつぶやくと、白銀の槍を握り直した。


 異界へと続く空間の歪みの向こうに、赤茶けた岩と砂だけの荒廃した大地が広がっているのが見えた。その世界はつねに砂を巻き上げる強風が吹いている過酷な環境で、空気は茶色くかすんでいた。


 空間の歪みは徐々に広がり、その歪みの中に見えている景色も現実味を帯びてハッキリと見え、そして我々の世界に影響を及ぼしていく。先ほどからサラサラした細かい砂が〈神の門〉を通って〝こちら側〟の世界にも吹き込んできていた。


 光輪の内側に開いていた〈神の門〉から見えていた風景が徐々に変化していく。まるで空を飛んでいる鳥の視点から見ているように風景が動き出すと、高い岩壁が立ち並ぶ谷間に向かって景色が移り変わるのが見えた。


 高層建築群のような奇妙で巨大な岩壁が並び、地上には砂に埋もれたしゃれこうべが数え切れないほど見えた。数万、あるいは数十万の頭蓋骨は口を開いた状態で茶色い空を眺めている。


『レイ』カグヤが戸惑いながら言う。

『あれ全部、混沌の化け物だよ……』


 しゃれこうべの正体は、土下座するように地面に身体からだをつけた混沌の化け物たちだった。その数は膨大で、何処までも続く荒廃した世界を埋め尽くすほどだった。


 そして千メートルを優に超える山のような壁が見えてくる。岩壁の裏に視点がぐるりと回ると、岩を削って形作られた巨大な椅子に座る人型の石像が見えた。その巨人の身体の至るところに、数え切れないほどの穴が開いているのが確認できた。


 それらの密集する気味の悪い穴の中には、こちらを覗き込む混沌の化け物たちの姿が見えた。ソレは垂れ下がったみにくい皮膚で身体を包み込んでいて、視線はつねにこちらに向けられていた。


 石像の股の間に向かって視点が移動していくと、股の先に開いた巨大な穴からい出すグロテスクな生物の姿が見えた。それは珊瑚色の肌を持つワーム型の生物で、縮れた茶色の体毛が身体のあちこちに生えていて、目や耳に相当する器官は確認できなかった。


 しかし、ミミズのような奇妙な動きで地面をっていた生物の身体の先端が外側に向かって捲れると、鋭い牙がびっしりと生えた口腔が見えた。それまで目まぐるしく動いていた視点はそこで止まり、グロテスクな生物がこちらに向かってってくる様子を我慢強く映し出していた。


『あの化け物、こっちの世界に渡ってくるつもりなのかな?』

 カグヤの言葉に嫌な汗を掻く。あれだけの数の混沌の化け物がこちら側の世界に来てしまったら、あれに殺されるのを待つ以外に、もはや我々にできることは何もないように思えた。


 光輪の下で剣腕を広げたまま動かなくなった混沌の化け物を見ながら、常闇を駆ける者にたずねる。

「あの門を塞ぐことはできないのでしょうか?」


『光輪の持ち主を殺せば、あるいは〈神の門〉を閉じることができるのかもしれない。けれど、あれを殺す方法があるとは思えない』

「それなら、空間の歪みを発生させている光輪を破壊することは可能でしょうか?」


『ふむ、光輪か……』彼女はしばらく黙り込んだあと、巨大な黒蟻に跨る。

『私が奴の相手をしよう。あれを殺すことはできないが、注意を引くことはできるだろう。その間、レイラは光輪を破壊できないか試してみてくれ』


「それは……なかなか難しそうですね」

『なに、〈不死の子供〉たちが使用する強力な兵器を持っているのだろう?』


「ハンドガンならあります」

 そう言ってハンドガンを抜いて見せた。彼女はコクリとうなずいて、それから言った。

『その小さな装置があれば、あの光輪を破壊できるかもしれない』


 たしかに〈重力子弾〉を使えば、あの光輪を破壊することができるかもしれない。そして混沌の化け物の侵入を防ぐことができるのなら、それを試す価値があった。


 常闇を駆ける者を乗せた巨大な黒蟻は混沌の化け物に向かって猛然と駆け出した。化け物はナメクジめいた器官を動かすと、黒蟻に向かって複数の光弾を放つ。しかし光弾は黒蟻の体表を貫くことができなかった。化け物は突進してきた黒蟻の頭部に肉の鞭を叩きつけるが、黒蟻はその衝撃を物ともせず、化け物を勢いよくね飛ばした。


 黒蟻はそのまま化け物に追撃を行おうとするが、化け物は地面に転がりながらガスを吐き出し始める。濃いガスは瞬く間に混沌の化け物の周囲をおおっていく。


 常闇を駆ける者は空中に飛び上がるようにして黒蟻から降りると、黒蟻を遠くに避難させて、それから腰の革ベルトに吊るしていた革袋からゼリー状の球体を取り出した。


 彼女はそれを頭上に持ち上げて握り潰してみせた。すると握りつぶされた球体から水のように透明度のある大量の液体が零れだして、彼女の身体全体を濡らしていった。


 正体不明の液体に濡れた常闇を駆ける者は、混沌の化け物が吐き出したガスの中に躊躇ためらうことなく入っていく。そして少しも経たない内に激しい打撃音が聞こえて、ガスの中から化け物が転がり出るのが見えた。


 混沌の化け物はガスの中から出てきた大将アリに向かって光弾を撃ち出すが、常闇を駆ける者は白銀の槍で光弾を簡単にはじいてみせる。そして化け物に向かって容赦なく槍を振り下ろした。


 白銀の槍の切れ味は凄まじく、化け物の身体を簡単に切断していく。一方的で、それでいて隙を見せない大将アリの攻撃によって、化け物の身体は細切れにされていく。しかし化け物は驚異的な生命力によって瞬く間に損傷個所を接合し、大将アリに向かって肉の鞭を叩きつけるようにして反撃を行う。


 常闇を駆ける者と混沌の化け物の攻防は激しさを増し、豹人やコケアリたちも容易に近づけない状態になった。その戦いを横目に見ながら、私はハンドガンを構えた。


 銃身の形状が瞬時に変化し、縦に開いた銃身内部に青白い光の筋が走り、それは濃い紫色へと変化していく。それはやがて、黒い輝きを放つ禍々しい輝きに変わる。銃口の先に天使の輪にも似た白く輝く輪があらわれると、それは脈打ちながら赤黒く染まっていく。


 攻撃の準備ができて、〈神の門〉を発生させていた光輪に照準を合わせたときだった。目の前に混沌の化け物が急に姿を見せた。


『どこからあらわれたの!?』

 困惑するカグヤの声と共に胸に強い衝撃を受ける。地面を転がり大樹の根元に衝突すると追撃に備え、身体を守るように腕を前に出したが追撃はやってこなかった。


 混沌の化け物はマシロと大将アリの猛攻を受けていて、追撃する余裕がなかったのだろう。


『すまない、レイラ』

 常闇を駆ける者の声が頭の中で響いた。

『どうやら奴は光輪を破壊されたくないらしい』


 すぐに立ちあがると、光輪によって作り出された空間の歪みに視線を向ける。グロテスクな化け物がこちら側の世界に這ってくる姿は変わらなかったが、門の中から大量のバグがやって来ていて、豹人やコケアリたちに襲いかかる様子が見えた。ハクのことが心配になってすぐに周囲を見回すが、ハクは相変わらず真っ赤な鋼材を捏ねていた。


 安心してハンドガンを再び構えたときだった。またしても混沌の化け物がフッと目の前に姿を見せる。しかし今度は反撃の準備ができていた。混沌の化け物が振り下ろした剣腕を最小限の動きで避けると、右手首から〈ヤトの刀〉を出現させ、化け物の頭部と甲殻の間にある首の柔らかな場所に刃を深々と突き入れた。


 混沌の化け物は予想していなかった突然の攻撃に驚いているように見えた。ナメクジじみた器官に睨まれながら、化け物を後方に蹴り飛ばすと、左手に握っていたハンドガンの銃口を化け物の頭部に向けた。


 マシロと常闇を駆ける者がハンドガンの射線上にいないことを確認すると、間を置かずに引き金を引いた。撃ち出された〈重力子弾〉の反動でそのまま後方に吹き飛んで、大樹の幹に背中を打ち付けた。


 音もなく発射された〈重力子弾〉は、空間に黒い閃光を残しながら凄まじい速度で混沌の化け物に迫った。


 その瞬間、おそらく化け物は〈空間転移〉のような能力を使って攻撃を避けようとしていたのかもしれない。しかし凄まじい弾速で迫る光弾を避ける余裕はなかった。化け物は上半身を綺麗に失い、勢いの衰えない黒い光弾はそのまま光輪に向かって突き進んだ。


 しかし不可思議な力の作用によって弾道はゆがめられ、光弾は光輪に直撃することなく、光輪によって発生していた異界へと続く〈神の門〉の中に飛び込んでいった。空間を越え異界に侵入した閃光は、そのまま岩壁に彫られた石像の肩を粉々に破壊しながら空の彼方に消えていった。


『〈神の門〉とやらは、もしかしたら普通の方法では破壊できないのかもしれない』

 カグヤの言葉にうなずくと、修復されることなくその場に残された化け物の下半身に視線を向けた。


「光輪はダメだったけど、化け物は殺せたみたいだ」

 混沌の化け物の下半身は赤黒い体液と、黄緑色の膿を噴き出しながら融解ゆうかいしていた。


『刀の毒が殺したのかな?』カグヤが疑問を口にした。

「あの死骸の状況からして、まず毒で間違いないだろう」


 ヤトの毒によって死んだ生物は大抵の場合、足元に転がる化け物の死骸のように、血と膿の混じった体液を噴き出しながら腐っていく。


『第二世代の人造人間に変化していた教団の信徒に毒は効果がなかったけど、この化け物には効果があったね』


「機械の身体がダメだったが、あるいは本来の能力を発揮できていなかっただけなのかもしれない」


『本当にそんな単純な理由かな?』

「さぁな、俺には見当もつかないよ」


 そこにひどく驚いている様子で常闇を駆ける者がやってくる。

『レイラ、アレに何をしたんだ?』


「たぶん」と私は言う。

「この刀のおかげだと思います」


 彼女は刀を見つめて、それからゆっくり後退あとずさる。

『レイラ。悪いことは言わない、そいつをもとに戻すんだ』


 常闇を駆ける者の怯えた様子に戸惑いながらも、刀を右手首の刺青に戻した。

「……刀に何か問題でも?」


『その刀からは〈混沌の神々〉の気配がした。私にとってそれは、あの悍ましい化け物たちよりも恐ろしい気配に感じられた』


 彼女は本当のことを言っているのかもしれない、と私は思った。何故なら常闇を駆ける者にとって、混沌の化け物は殺せない相手だったが、簡単に対処できる相手でもあったからだ。


 現に彼女はあの化け物に対して何度も致命傷になる傷を与えながら、自分自身は少しも傷ついていなかった。彼女の言うように、混沌の化け物を撤退に追い込むことは、大将アリにとってさほど難しいことじゃないのかもしれない。


「混沌の神々か……」

 たしかに〈ヤト〉と呼ばれる刀は、神として崇められていた〝大蛇〟からの贈り物だった。いや、厳密に言えば贈り物だったのかも怪しい。だがあの大蛇を混沌の神々だと言われると、釈然としない気持ちになった。


 大蛇のすべてを知っているわけではなかったが、彼女は他の神々にしいたげられる人生を垣間見せてくれた。彼女が混沌の神だというのなら、その神を虐げることのできる存在がいることになる。しかし果たして、この世界に混沌の神をも超える存在がいるのだろうか?


『レイ!』

 カグヤの声で思考を打ち切ると、異界へと続く〈神の門〉に視線を向ける。そこには気味の悪い皮膚を引き摺りながら、こちら側の世界に向かって歩いてきている無数の混沌の化け物の姿が見えた。


「こっちに来るつもりなのか……」

 困惑しながら足元に転がる化け物を見つめる。

「化け物を殺しても、あの光輪はまだ機能しているのか?」


『いや、光輪の力は徐々に弱まっている。いずれ〈神の門〉は閉じるだろう』

 常闇を駆ける者はそう言うと、空間の歪みに複眼を向ける。

『けれどその前に、大量の化け物がこちら側の世界に渡ってくるだろう』

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