第264話 神々の遺物 re


 混沌の化け物は眼窩がんかから伸びる器官をゆらゆらと動かして、周囲の様子を確認したあと、私に黒い眸を向ける。化け物の標的にされたことに、とくに深い理由はなかったのだろう。強いて言えば、私が化け物に最も近い位置にいたからなのかもしれない。


 グロテスクな器官の先が発光すると、凄まじい速度で光弾が撃ち出される。しかし私の身体からだおおうように展開している強力な磁界によって、高速で撃ち出された光弾はらされる。化け物からの突然の攻撃に驚いたが、すぐにライフルを構えて数発の擲弾てきだんを撃ち込んだ。


 擲弾が通用するとは思っていなかったが、爆発の衝撃で混沌の化け物の手足が損傷し、不快な体液が周囲に飛び散るのが確認できた。


 しかし化け物は瞬く間に損傷個所を修復してみせた。どうやら化け物は絶対的な防御力を持っているわけではなく、損傷箇所をすぐに修復できる能力を持っているようだった。


 混沌の化け物が続けて攻撃しようとしたときだった。〈小型擲弾〉の爆発のさいに発生した砂煙に紛れるように、ハクは化け物の背後から近づき、鋭い鉤爪のついた脚を素早く振り下ろした。


 けれど化け物は振り向くことなく、刃のついた腕でハクの攻撃を受け止めた。関節が自由に動くからなのか、それともただ単に化け物に背中という概念がなかったからなのか、それは分からなかった。とにかく奴は攻撃を防いで見せた。それが問題だった。


 どれほど過酷な環境で生きれば、殺すためだけに特化した器官を手に入れるような進化をするのか見当もつかなかったが、いずれにしろ、化け物の首は真後ろに向かって回転しハクの姿を捉える。ハクはすぐに大樹の幹に向かって飛び退いた。そのハクを追うように光弾が数発放たれる。


 ハクは撃ち出される無数の光弾をかわしてみせていたが、撃ち出される光弾の数は徐々に増えていた。ハクを援護えんごしようとして混沌の化け物に照準を合わせたときだった。それまで動かずに、近づいてきたものを一方的に攻撃していた化け物の身体が吹き飛び、無様に地面を転がる。


 そしてそんな化け物を追撃するように、豹人たちが放った無数の矢が化け物の身体に突き刺さっていく。化け物が先ほどまで立っていた場所に視線を向けると、そこにいたのはマシロだった。姿を限りなく透明化することで、化け物に接近して、強力な打撃を加えることに成功したようだった。


 無数の矢が突き刺さり、糸の切れた人形のように倒れていた混沌の化け物の腕が脈動し、奇妙に膨れ上がると肉の鞭が伸びるのが見えた。そのグロテスクな肉の鞭はマシロや豹人たちに向かって振るわれた。


 マシロは空中に飛び上がることで、鞭によって受けた衝撃を逃すことに成功するが、豹人はそのまま吹き飛んで大樹の幹に身体を強く打ち付けていた。


 混沌の化け物が伸ばした肉の鞭に狙いを絞ると、数発の散弾を撃ち込み気味の悪い腕を破壊し、それを素早く火炎放射で焼却した。そうすることで、破壊された腕が修復されることを防げると考えていたが、どうやらその考えは甘かったようだ。


『腕がまた生えてきたね』

 カグヤがうんざりしながら言う。


「再生できなくなるまで、破壊し続けるしかないのかもしれないな」

 私はそう言うと、起き上がろうとする混沌の化け物に散弾を撃ち込みながら近づいていった。散弾を受けた混沌の化け物の身体からは赤黒い体液が噴き出し、それは空気に触れると薄い靄となって化け物の周囲に漂う。


 発生したガスの流れに注意を払いながら攻撃を継続した。あの気体は、死者に影響を与える奇妙なガスと同様の効果があるのかもしれない。


 混沌の化け物は私に向かって鞭のついた腕を振り上げるが、横手から飛んできたハクによって腕を切断され、さらに身動きが取れないように、糸で身体を雁字搦がんじがらめにされていく。


 そこにマシロが大樹の枝から急降下してきて、その勢いのままに、混沌の化け物の頭部を全力で踏み潰した。その衝撃は凄まじく、地面が広範囲に渡って放射状に窪むほどだった。が、化け物は健在で、剣腕を振ってマシロを攻撃しようとした。


 しかしハクの鉤爪によってその腕は切断され、空中に舞い上がった化け物の腕をマシロが掴み、それを逆手に持つと混沌の化け物に刃を突き刺した。


 ハクとマシロの攻撃によって混沌の化け物は満身創痍になったが、身体をびくびくと痙攣させ、すぐに損傷個所の修復を始めた。自身に突き刺さっていた剣腕は吸収されるように身体に沈み込み、破壊された甲殻は徐々に光沢を取り戻していった。


 ハクは化け物に強酸性の糸を吐き出して、その身体を破壊していくが、損傷した瞬間から傷の修復が始まり、我々の攻撃は一切通用しなかった。ライフルから手を放すと、すぐにハンドガンを引き抜いた。〈反重力弾〉はダメだったが、〈重力子弾〉を使って化け物の身体を修復できないほどに、跡形もなく破壊すれば殺せるかもしれない。


 混沌の化け物に照準を合わせたときだった。優先的に修復された化け物の頭部からナメクジめいた器官が伸びて、その先から赤い光線が放たれる。ハクはすぐに私を抱いて大樹に飛び上がり、マシロも空中に退避した。しかし化け物はグロテスクな器官をウネウネ動かして、我々のあとを追うように光線を操ってみせた。


 光線が通り過ぎた場所は焼き切られるように破壊され、大樹の幹に深い傷がつき、太い枝が切断されて次々と落下していく。ハクは私を抱いたまま器用に破壊光線を避け、強酸性の糸の塊を混沌の化け物に吐き出し続けた。


 しかし化け物は負傷することを気にする素振りも見せず、我々を執拗に狙い続けた。その間、豹人たちは化け物に攻撃を試みたが、化け物はその場から一歩も動かずに、剣腕を使って豹人たちに対処していた。


 豹人たちの攻撃が激しくなると、四本の腕を使って豹人たちの攻撃をしのいでいた混沌の化け物の姿がふっと消える。その瞬間、私とハクを執拗に狙っていた赤い破壊光線の輝きも消える。


 ハクは大樹の枝に着地すると、周囲の状況を注意深く観察する。私もハクの脚の間から抜け出して木々の間に視線を向ける。森に降って湧いた不自然な静けさに戸惑っていると、突然目の前にシールドの青い膜が展開し、強い揺れと衝撃を足元で感じた。


 我々が立っていた大樹の枝が砕けると、ハクと共に五十メートルほどの高さから地上に落下していった。しかしその状況でも周囲に視線を向けて、混沌の化け物の姿を探した。一瞬でも油断することはできない。


 化け物は我々の真向いに位置する大樹の枝に立っていて、グロテスクな肉の鞭を使って飛行していたマシロを叩き落とそうとしていた。ハクが大樹の枝を伝って近づいてくるのを確認すると、落下の心配をすることなく、化け物にハンドガンの銃口を向けた。


 甲高い音と共に〈貫通弾〉が発射されて、混沌の化け物の胴体を貫く。そして次の瞬間、化け物の上半身と下半身がじれるように別の方向に回転しながらそれぞれ吹き飛んでいった。飛び散った赤黒い体液は周囲の植物に降りかかり、それらを瞬時に枯らしていった。


 落下する私をつかまえてくれたハクに感謝したあと、すぐに化け物の状態を確認する。けれど化け物の姿は忽然と消え失せていた。


『レイ』カグヤが言う。

『化け物は豹人たちを襲っているみたい』


 豹人の部隊と混沌の化け物が戦闘している場所から、十メートルほど離れた位置にハクは着地すると、私をゆっくり降ろしてくれた。


「ありがとう、ハク」

 救ってくれたことに感謝したあと、豹人たちの戦闘の様子を眺めた。豹人の部隊は統率の取れた見事な動きで混沌の化け物と交戦していたが、化け物は長く太い肉の鞭を出鱈目でたらめに振り回し、豹人たちをそばに近づけないように牽制していた。


 豹人の部隊は混沌の化け物に対する決定打を持ち合わせていなかった、その所為で無理な消耗戦を強いられていた。けれどバグの大群との戦闘を終えたコケアリたちが隊列を組みながらやってくると、形勢は一気に逆転した。


 しかし残念なことに、どれほど混沌の化け物の身体を傷つけても、化け物を完全に殺すことはできなかった。膠着状態におちいった戦いを見ていると、何処からともなくマシロが飛んできて、ハクの背にそっと座った。


「マシロ、怪我はしてないか?」

 質問にマシロはうなずきで答えた。


「見せてくれ」

 そう言ってマシロの手を取ると、怪我してないか直接確かめて、それからハクに言った。

「あの化け物の動きを止める必要がある」


『ん』

 ハクは私にパッチリした大きな眼を向けた。

「だからハクの力を借りたい」


『いと、つかう?』

 ハクは地面をベシベシと叩いた。


「そうだな……」攻撃手段を考えながらハクを撫でる。

「だけど今までと同じ糸を使っても、化け物には通用しないかもしれない」


 ちらりと混沌の化け物に視線を向けると、コケアリたちに向かって剣腕を振り下ろしている姿が見えた。あの刃はハクの強靭な糸すら、簡単に切断できるほど鋭い。


『とくべつ、いと』

「何か考えがあるのか?」


『ち、ほしい』

 ハクは身体を近づけながら言う。

「俺の血が必要なのか?」


『ん。すこし、ひつよう』

「わかった」

 戦闘服の袖を捲ると、ハクに腕を差し出した。


『〈不死の子供〉は、相変わらず無茶なことをしているな』

 女性の声が聞こえて振り向くと、巨大な黒蟻にまたがった〈大将アリ〉の姿が目に入った。

『何か妙案が浮かんだか?』と、常闇を駆ける者は私にたずねた。


「いえ」頭を横に振る。

「けど無茶をしなければ、あの化け物の相手はできません」


『痛い思いをするぞ』

「誰だってときにはこっぴどく殴られるものです」


『そうだな』大将アリは大顎を鳴らして笑った。

『けれど、あれは簡単には殺せない厄介な相手だ』


「あの化け物のことをご存じなのですか?」

 彼女はハクに挨拶したあと、化け物に複眼を向けながら言った。

『〈混沌の領域〉から数十年に一度、ふらりとこちらの世界にやってくる迷惑な奴だ』


「やはり混沌に属する化け物だったのですね」

『ああ、そうだ』


 常闇を駆ける者は黒蟻から降りると、私のすぐとなりに立ってコケアリたちの戦闘の様子を眺めた。兵隊アリは奮闘していたが、すでに多くのコケアリが燃やされ、そして破壊光線によって身体を切断されていた。


『以前に、ずっと昔のことだ……連中の手で戦士長を含め、多くの兵士たち、そして非戦闘員の命が奪われた』


 常闇を駆ける者はそう言うと、右手に持っていた白銀の槍を軽く振った。それは空気を切り裂くような、鳥肌の立つ鋭い音を立てた。


「この森で戦ったのですか?」

『いや、あれが姿を見せたのは我々の坑道だった』


「森の地下にある坑道ですか?」

 常闇を駆ける者は触角を揺らすようにうなずいてみせた。


『ずっとずっと深い場所さ。それも、非戦闘員が多くいる区域にふらりとあらわれた。そこで奴らは何をしたと思う?』


「コケアリたちを攻撃した?」

『奇妙なガスを吐き出したんだ』


「ガス……死者を生き返らせることのできる、あの不思議な気体のことですね」

 彼女はうなずくと、緑の苔に覆われた触角を小刻みに動かした。


『ああ、そのガスだよ。私が兵たちを率いて現場に到着したときには、すでに姉妹たちのほとんどが動くしかばねに変化していた』


「失礼ですが、コケアリたちにもあのガスは効果があるのですか?」


『ある』彼女はハッキリとうなずく。

『それどころか、死んでいる必要もない。ガスを吸い込んだ者は無条件で死に至り、連中の操り人形にされる』


「最悪ですね」

 彼女は大顎をカチカチと鳴らすと、近くに待機していた精鋭アリに何か指示を出した。


『最悪なんてものじゃないさ。狭い坑道で毒ガスを使用されたら、我々に逃げ場はない』

「どうやって対処したのですか?」


『どうしようもなかった。意図的に坑道を崩落させて、連中と共に多くの姉妹たちを生き埋めにしたが、それでも大した効果が得られなかった。気がつくと連中は別の場所に姿を見せて、我々に襲いかかってきていたからな』


 腕に噛みついていたハクは満足したのか、腕を解放してくれた。手を握ったり開いたりして手や指の感覚を確かめて、それから常闇を駆ける者にたずねた。


「何か目的があって、あれは坑道に侵入したのですか?」

『正直、あれの目的については何も分かっていない。殺すだけ殺して満足すると、〈混沌の領域〉に帰っていくからな』


「それは――」

『連中の所為せいで封鎖し、すでに使えなくなった坑道がこの森の地下には幾つもある』

「それなら、あれを殺す手段は存在しないのですか?」


『ないな』常闇を駆ける者はあっけらかんと言った。

『定命の者に異界の神は殺せない、そうだろ?』


「神……」

 私はそう呟くと、戦闘服の袖から見えていた刺青に視線を落とした。

「〈混沌の領域〉で手に入れた遺物なら、あれを殺せるでしょうか?」


『異界に存在する〈神々の遺物〉のことを言っているのか?』

 常闇を駆ける者の問いにうなずく。

「そうです」


『ふむ……』

 彼女は手にした白銀の槍で地面を突いた。突き立てられた石突からは、鷹の鳴き声のような大気をつんざく鋭い音が鳴り響いた。それは周囲に立ち並ぶ大樹を震動させ、周囲の空気を震わせた。しばらくその響きは耳に残ることになったが、決して嫌な音ではないと感じた。


『この槍は〈古のものたち〉が鍛えた業物だ。しかしこの遺物をもってしても、あれを殺すことはできなかった』


『やっぱり』カグヤが言う。

『混沌の化け物は塵ひとつ残さないほど、徹底的に破壊しないとダメみたいだね』


「そのようだな……」

 私はそう言うと、狂おしいほどに美しい白銀の槍に視線を向けた。

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