第224話 奇病 re


 森の奥から獣の咆哮が聞こえてくると、私は足を止めて暗い森に目を向ける。すると視線の先に拡張現実で立体的な簡易地図ミニマップが浮かび上がる。


 そのなかに危険な生物を示す赤い点が幾つか確認できたが、現在地から相当な距離があったので、警戒する必要はないようだ。同様に、襲撃者たちを示す赤い点も鳥籠から遠ざかっていくのが見えた。


 襲撃者の数は想像していたよりもずっと多く、追撃を行っていたら包囲されて四方から攻撃を受けていたかもしれない。地図で確認できる味方を示す青色の反応は、こちらに向かってくるサクラとゲンイチロウが率いる守備隊だけだった。


『レイ』カグヤの声が内耳に聞こえる。

『すぐに電池を排出したほうがいいと思うよ』


 ベルトに挿していた長方形の〈シールド生成装置〉を確認する。すると網膜に投影されていたインターフェースに、〈超小型核融合電池〉の異常を示す警告と、電池の取り出し方法を教えるアニメーションが表示される。


 長方形の小さな装置に触れると、本体を保護する黒いカバーが自動的にスライドし、口を開くようにしてカバーが持ち上がる。電池の先端が装置から僅かに突き出てきたが、電池は赤熱していてとても触れられるような状態じゃなかった。


 赤熱する電池の周囲に浮かび上がる蒸気を見ながらたずねる。

「なぁ、カグヤ。これって普通の状態なのか?」


『短時間にシールドを連続使用したからだと思う』

「そんなに使っていたようには見えなかったけど?」


『気づいていなかっただけで、数十発の弾丸を同時に弾いていたよ』

「あの短い戦闘で、そんなに狙撃されていたのか?」


『うん。なにか特別な消音器のついたライフルによる攻撃だった』

「シールドがなければ、厄介な状況になっていたかもしれないな……」


『ペパーミントに感謝しないとね』

「そうだな。けど、この装置は実戦での使用には耐えられない」


『たしかに古い装置でエネルギー消費効率は最悪だけど、そもそも銃弾を連続で受ける状況になっている方がマズいと思う』


 カグヤの言葉に頭を横に振る。

「今回みたいにどうしようもないときがあるんだよ」


 外気に触れて急速に冷えていく電池を装置から取り出すと、専用の収納箱に押し込んでベルトポーチに入れると、充電済みの電池を装置に挿し込む。使用済みの電池はウェンディゴや拠点に設置されている装置で充電できるので、その辺に捨てるようなことはしない。


「ハク」

 襲撃者の死体を突っついていた白蜘蛛を近くに呼ぶと、ハクは私を抱き寄せる。

『どした?』


 好意のある相手を抱きしめる癖があることは知っていたので、普段ならあまり気にならない行動だったが、今のハクは泥や砂埃でひどく汚れていたので、申し訳ないと思いながらも身体からだを少し離した。


「サクラたちが来るまで周辺一帯を守る必要があるんだ」と私は言う。

「危険な生物が近くまで来るかもしれない、そいつらが来たら追い払ってくれるか?」


『ん、いいよ』

 ハクはカサカサと腹部を振ると、近くの大樹の幹に飛びついた。


 それからハクは襲撃地点を囲む木々に長い糸を吐き出していく。ハクはそれらの糸を移動経路として使い、さっそくとなりの大樹に向かって移動していた。


「さてと……」

 破壊された多脚車両ヴィードルの脚からは、切断されたケーブルが垂れ下がり、放電していて切断面から周囲に青白い光を放っていた。


 その車両の周囲には、襲撃者たちの攻撃で負傷した人間が地面に横たわっていた。かれらのことも気になったが、まずはサクラの母親である族長の安否を確かめることにした。


 車両の厚い装甲には銃弾が貫通した痕が幾つも確認できた。車両の前部、操縦者が搭乗するコクピットは大樹に衝突したさいの衝撃で完全に潰れていた。カグヤの操作するドローンは、そのコクピットを通り過ぎて車体後部のコンテナに向かう。


『ヴィードルを操縦していた人間には悪いけど、この状態で生きているとは考えられない。だから族長の安否確認を優先する』


 カグヤの言葉にうなずくと、車両の後部に回り込んだ。コンテナハッチは強い衝撃でゆがんでいたので、ハッチを開くときにはひどく苦労しそうだった。


 そのハッチに手をかけると、銃弾が貫通して残した穴からコンテナ内を覗き込んだ。その瞬間、額に強い衝撃を受けて仰け反る。幸いなことに、旧文明の貴重な遺物でもあるフルフェイスマスクを装着していたので、突然撃ち込まれた銃弾で致命傷を負うことはなかった。


「敵じゃない、助けに来たんだ!」

「その言葉を信じられるとでも」


 コンテナ内から女性のくぐもった声が聞こえて、すぐに銃声がとどろいた。コンテナの横に飛び退いて出鱈目に乱射される銃弾を避けていると、カグヤの冷静な声が聞こえた。


『狭いコンテナのなかでよく銃が使えるよね。跳弾が怖くないのかな?』

「そんなことより、この状況をどうするんだ?」


『コンテナ内の様子を見てくるよ。この機体は小さいから難しくないと思う』

 カグヤのドローンは光学迷彩を起動すると、コンテナの壁に出来た隙間から内部に侵入する。ドローン見届けたあと、コンテナ内に向かって声を上げた。


「俺はサクラの知り合いで、あんたたちを救いに来たんだ! もしも族長がそこにいて、怪我をしているのなら教えてくれ!」


 返事は数発の銃弾だった。交渉は諦めると、カグヤの操作するドローンから受信する映像を確認する。


 コンテナ内は衝突のさいの衝撃でひどく散らかっていて、搭乗員用の座席に突っ伏して死んでいる人間の姿も複数確認できた。私に向かって発砲していた赤髪の女性は、負傷していながらも片手で何とかアサルトライフルを支えているような状態だった。


 薄暗いコンテナ内から得られる映像だったので、負傷の度合いを確かめることはできなかったが、女性の腕から滴り落ちる血液は相当な量だった。


「マズいな……」

 あの出血量は命にかかわる。急いで対処したほうがいいのかもしれない。


「カグヤ、コンテナのハッチを貫通弾で破壊する。彼女に被害が及ばない適切な射撃位置を指示してくれ」


『了解』

 コンテナ内からドローンがいそいそと出てくると、ハッチにハンドガンの銃口を向ける。


 甲高い金属音と共に発射された弾丸は、鋼鉄製の厚いハッチを捩じ切るように破壊して、周囲に砂煙を立てる。


 念のために〈シールド生成装置〉を起動してからコンテナ内に入っていく。数発の銃声と共にシールドの薄膜が展開されるのが見えた。けれど銃撃に構うことなく煙の中を進み、壁に寄りかかるようにして座っていた女性の手からライフルを取り上げる。そして弾倉を素早く外すと薬室内の弾薬を吐き出させ、ライフルをその場に捨てる。


 それからしゃがみ込むと、抵抗する女性の腰と太腿に手を回して抱き上げる。

「カグヤ、他に生存者は?」

 コンテナ内を見回しながら訊ねる。


『残念だけど、その人だけだよ』

「そうか……」


『その人、サクラの母親かな?』

「想像していたよりもずっと若いけど、たしかにサクラに似ているな」


 女性は暗い赤髪に、鼻筋の通った綺麗な顔立ちをした美人で、気の強そうな天色あまいろの瞳を持っていた。目元のしわを除けば、サクラにとても似ていた。しかし病的に青白い肌は血に濡れ、肌触りのいい豪華な白い着衣も乱れ破れていた。


 彼女の乳房にある藍鉄色の特徴的な刺青をちらりと見たあと、戦闘服の上着を脱いで彼女に着せる。その頃になると、出血の所為で彼女の意識は朦朧もうろうとしていて、ほとんど抵抗されることはなかった。


「あんたが族長で間違いないか?」

 そう訊ねると、彼女は息を吐いた。


「そうだ……どうせ私は死ぬ身だ。凌辱したければ好きにすればいい、野蛮な山猿どもが……」


『レイは負傷者を凌辱するほど野蛮な人間に見えないけど……襲撃者と勘違いしているのかな?』


 肩をすくめたあと、ベルトポーチから小さな箱を取り出しながら言う。

「彼女は血を流し過ぎたんだ、今の状況をまったく理解していないんだろう」


『たしかに数発の銃弾を受けてるみたい。肩と太腿の肉が抉れていて、お腹にも銃弾が貫通した痕がある』


「そんな状態でよく生きていたな」

『驚異的な精神力のおかげかも』


 常時温度管理されている角筒状の医療ケースから注射器を取り出す。それは〈オートドクター〉と呼ばれる旧文明の医療用ナノマシンで、注射器を使って濃縮した栄養剤と共に体内に取り込むことで、身体の損傷や病気を治すことのできるものだった。


 ちなみに〈オートドクター〉は文明の崩壊した現在の世界では入手が困難で、貴重な遺物とされていた。しかし我々はペパーミントのおかげで自由に手に入れられるようになっていた。


「すぐに良くなる、だから諦めるな」

 そう言って注射器を近づけると、族長は弱々しく抵抗する。


「止めろ……傷を治したとしても、私はいずれ死ぬ」

「そうだな。誰もが老いて、いずれ死んでいく」


 彼女は軽口を無視して言う。

「私は病気なんだ」


『病気?』とカグヤが反応する。

『母親が病気だって、サクラは一言も言ってないよね?』


「それはどんな病気なんだ」と族長を地面に寝かせながら訊ねる。

「身体が植物に変わって……いずれ動けなくなる……」


『動かなくなる? 筋肉と神経に関係する難病かな……』

 カグヤは族長の身体をスキャンしながら言う。

『でも植物ってなんだろう?』


 族長の着衣を裂くと、傷口の状態を確認する。しかし柔らかくて、すべすべとした肌をしていること以外に何も分からなかった。私は肩をすくめると、傷口近くに注射を打つ。


「サクラはその病気のことを知っているのか?」

 族長にそう訊ねたが返事はなかった。


『眠っちゃったね』とカグヤが言う。

「族長は回復すると思うか?」


『レイはこの状態よりも酷い怪我を頻繁にするけど、すぐに良くなってるよ』

「俺は元々体内にナノマシンを飼っているからな」


『飼ってるわけじゃないよ。生き物じゃないんだから』

 カグヤが余計な突っ込みを入れる。

「わかってる、ただの比喩だよ。それで、カグヤはどう思う?」


『たぶん良くなるよ。それに族長が話していた病気もきっと治ると思う』

「そうか」思わず息をついた。「それなら、他の負傷者たちの状態も確認しに行くか」


『そうだね。族長は私が見てるよ』

 視線を上げると、大樹に糸の巣を張って遊んでいるハクの姿が見えた。


「なぁ、カグヤ。サクラと連絡を取れるか?」

『できるよ、すぐにつなげるね』


 サクラに現在の状況を簡単に説明して、族長が無事なことを伝えた。

『よかった』

 サクラは震える声で息をついた。母親のことを心配していたのだろう。もうすぐ現場に到着するとのことだったので、早々に会話を切り上げると、負傷者の確認をすることにした。


 族長の護衛をしていた半数の者が死に、残りの半数は重傷だった。持参していた水筒の水で傷口を洗ってから、止血剤入りのコンバットガーゼで傷口を圧迫し、包帯を巻いていく。丁寧な手当とは言えなかったが、応急処置としては充分だろう。


 数人の手当てを済ませたころ、サクラとゲンイチロウの率いる部隊が到着する。負傷者の手当てを守備隊の人間に任せることにした。


「なんと感謝すればいいのか……」

 ゲンイチロウが深く頭を下げて感謝する。


 私は頭を横に振ると、この場で起きたことを改めて説明し、族長の様子も伝えた。

「病気?」とサクラが慌てる。

「病気のことなんて私は一言も聞いてない!」


「彼女からは詳しく聞けなかったけど、その病気のことは知っているのか?」

 ゲンイチロウが問いに答えた。

「呪術師の家系にのみ稀に発症する者があらわれる奇病だ」


「奇病……植物になると言っていたが?」

「病状が進行すると、身体は木の幹のように固くなり、死んだときには背中から植物が生え、大きな花を咲かせる」


 鳥籠で見たモザイク画に描かれていたゾンビのような人々のことを思いだす。彼らの背中にも植物が生えていた。


「花を……それは一体どんな病気なんだ?」

 困惑しながら訊ねる。

「治療することはできないのか?」


「遠い昔から様々な治療法が試みられた。しかし無駄だった。異邦人の薬や医者にまで頼ったが、成果は得られなかった。発症後、数か月で完全に動けなくなり、呼吸もできずに苦しみながら死んでいく」


「そして植物に変わるのか」

「そうだ……」


「どうしよう……」

 サクラが眠っている母親に膝枕しながら、大粒の涙をぼろぼろと零す。

「お母さまが死んでしまう」


「いや、死にはしないさ」

「でも……」


「オートドクターを使ったんだ。ペパーミントに確認しないといけないけど、おそらくその病気も治っている」


「オートドクター!」ゲンイチロウが大袈裟に驚く。

「何度か噂を聞いたことがある。どんな病も治療するものだと」


「そう、そのオートドクターをつかったんだ」と私は素っ気無く言う。

「旧文明の貴重な遺物だと聞いていたが……」


「サクラのためだ。気にしないでくれ」

「しかしそれは我々部族のためでもある。これほどの恩に我々はどのように報いればいいのか……」


 口をへの字にして肩をすくめると、その場を離れて襲撃者たちの遺体を確認しに向かう。


 他人に必要以上に感謝されることや褒められるのが苦手だった。自分の功績を誇って偉そうにするのも嫌いだった。基本的に救いたい人間しか救わないので、偽善者だと思われることも分かっていた。


 だから大袈裟に感謝されることは――上手く説明できないけれど、たまらなく嫌いだった。私に力があれば、救える人間はもっといたはずだ。けれど全員を救うことはできない。誰かを助けて感謝されるたびに、救えなかった人々のことを想い、どうしようもない無力さを感じてしまうのだ。


 それが嫌だった。何かを手に入れたいと望みながら、同時にそれが手に入らないことを知りながら生きることは耐え難い。だから自分にできることだけをしようとしている。感謝される必要はない。


 守備隊が一箇所に集めた襲撃者の遺体を確認する。死体は全部で四体、刀で殺した者たちの遺体は含まれていない。刀の毒で遺体は腐り、流れ出した腐敗液が地面に広がっていて、近づくことも躊躇ためらわせた。


『レイ』カグヤが言う。

『このライフル、ジョージが使っていたものと同じタイプだ』

 ジョージは横須賀の傭兵で、魚人たちとの騒動で知り合った男だった。


 ハクが吐き出した糸で殺された襲撃者たちのそばにしゃがみ込む。たしかに彼らの持つライフルは見慣れないモノだった。


「どうして森の民がこんな高価な対物ライフルを?」

『それは分からない……でも銃声がほとんどしない強力なライフルだから、怪しいと思ってたんだ』


「たしかジョージのライフルも銃声を制御することができたな」

『うん。ジョージはあのとき、不死の導き手のために仕事をしていた』


「このライフルが教団から蟲使いたちの手に渡った可能性は?」

『生活に困窮する蟲使いの傭兵に、こんな高価なライフルは買えない。そう考えると、教団の関与は否定できないと思う』

 彼女の言葉に溜息をついたあと、暗い森に目を向けた。

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