第223話 追っ手 re


 油で揚げられた鶏肉に似た謎の肉は、噛んだ途端に肉汁が溢れ出て非常に美味しかったが、何の肉なのかは敢えて聞こうとしなかった。温かい味噌汁のようなものも旨味があって、どの料理も美味しくいただけた。


 料理を用意してくれた〈森の民〉の女性たちに感謝をする。彼女たちは鳥籠の外から来た人間に初めて会ったと言っていたが、終始穏やかな態度で接してくれた。


 ただ、やはり刺青をじろじろと見られることには抵抗があるのか、彼女たちが恥じらうように素肌を隠すようになってからは、できるだけ刺青を見ないように心掛けた。しかし森の民は露出度の高い格好をしているので、目の置き場に困る。


 敵対的な派閥からの毒殺の危険性について考えていたが、カグヤが偵察ドローンの機能を使って料理をスキャンして毒物の確認をしてくれていたので、安心してご馳走をいただくことができた。


 しかし何かしらの事情があって我々を始末したいのであれば、姑息な手を使わず、彼らは直接武力に訴えると考えていたので、毒殺の心配はしなくてもよかったのかもしれない。


 それよりも襲撃を警戒していた。宿泊所は〈スィダチ〉の中心地から離れた場所にあるため、何か起きたときには守備隊の派遣が遅れてしまうことは容易に想像できた。そのため、環境追従型迷彩を起動した〈ワヒーラ〉を宿泊所のそばに待機させ、つねに外の動きを警戒することにしていた。


 ゲンイチロウたちとの会談の場でもいただいた飲み物も用意されていたが、今回はアルコールが含まれる酒になっていた。甘味の強い酒だったが後味が酸っぱく、どうしても好きになれない味だった。しかしヤトの一族の面々や、イーサンは気に入ったのか、強い酒にも関わらず何度も盃を空にしていた。


 ミスズとエレノア、それからペパーミントは浴場での湯浴みが気に入ったらしく、薪を使ってお湯を沸かしてくれた女性たちの負担を減らすため、ペパーミントはウェンディゴから小型の給湯器を持ちだして浴場に設置したくらいだった。台風の影響で数日の間この宿で世話になるかもしれなかったので、ペパーミントのアイディアは歓迎できた。


 酒を楽しんでいるイーサンたちを横目に、料理を用意してくれた女性たちに感謝して部屋を出た。長く薄暗い廊下を歩きながら、ぼんやりとこれからについて考える。


「ハクのことも洗ってやらないといけないな」

『お風呂の前にやったほうがいいかも』カグヤが言う。

『毎回、ハクにずぶ濡れにされるんだから』


「そうだな……それなら、ハクの様子を見に行くか」

 カスクアラを利用した宿泊所のすぐとなりには広い空き地があって、そこにウェンディゴが駐車されている。その車両の屋根にハカセが座っているのが見えた。


『ハカセ』とカグヤが呼びかける。

『そんなところで何してるの?』


 小さな昆虫のぼんやりとした灯りに照らされたハカセが、こちらに気づいて微笑む。

「碑文の解析を行っていました」

『碑文っていうのは?』


「以前、不死の子が見つけたものです」

 ウェンディゴの屋根に飛び乗ると、ハカセのとなりに腰掛ける。


「海岸沿いの洞窟で見つけた石柱に彫られていた浮き彫りのことか?」

 私がたずねるとハカセはうなずいて、それから情報端末を取り出す。


 カード型の小さな端末からホログラムの小さなディスプレイが浮かび上がると、洞窟で撮影していた石柱の映像が表示される。


『これについて何か分かったの?』

 カグヤの質問にハカセはうなずく。


「これは魚人たちの歴史の一部が描かれたものです」

『そんな気がしていたよ』


「それと、神への祈りの言葉ですね」

 ハカセはそう言うと、荘厳な神殿の前でひざまずく魚人たちの姿が彫られた箇所を拡大する。古代の文字が表示されていたが、ナメクジが這ったあとにしか見えなかった。しかしハカセは理解しているようだった。


「ここには魚人たちが崇める神への賛辞、そしてその神の復活を切実に願う言葉が刻まれています」


「復活? あの魚人たちは神を復活させようとしているのか?」

「そのようですね」


 カグヤの操作するドローンが何処からともなく飛んでくる。

『魚人たちが捕えていた人々は、その神に捧げる生けにえだった?』


 ハカセはこくりとうなずく。

「かれらの歴史は古く、普段は海底都市で暮らしているようですが、地上世界にも影響を及ぼす大きな組織があるようです」


「横須賀の海岸線でも目撃されているみたいだし、魚人が潜んでいる場所は他にもあるのかもしれない……それにしても、水棲生物に崇拝される神か、一体どんな神なんだ?」


 ハカセはローブの袖を直しながら言う。

「混沌の偉大な神々の一柱ですね」


「混沌の神々か……」

「不死の子がハクさまと共に訪れた〝最果ての地〟にも、かの偉大な神の石像はありましたよ」そう言ってハカセは、私が記録していた異界の映像を表示させる。


 秩序の守護者とも呼ばれていた女性との激しい戦闘によって、フェイスマスクが破壊され、最果ての地の様子を記録したデータチップにも少なからず影響が出ていて、画像はひどく粗かった。


 それでも幾つかの巨大な石像の姿は確認できた。しかしどの石像も邪悪で名状し難い姿をしていて、ハカセの言う偉大な神がどの石像なのか分からなかった。


 ハカセはその映像を見ながら残念そうに言う。

「これらの映像も解析し異界の情報が得られないか研究しているのですか、今のところ、良い成果は得られていません」


「ところで、こちらには何をしに?」彼は思い出したように言った。

 そこで私は本来の目的を思い出す。

「ハクを洗ってあげようと思っていたんだ。泥だらけになっていて、ひどく臭うから」


「そうですか」とハカセはカラカラと笑う。

「ハクさまならすぐそこに――」


 そこでハカセは急に黙り込んでしまう。

「どうしたんだ、ハカセ?」

「森から悪意を持った何者かが、こちらにやってきています」


 ハカセが微かに発光する青い目で森を見つめると、私も殺虫灯で明るく照らされた高い壁に視線を向ける。


『レイ』カグヤが言う。

『ワヒーラの索敵範囲にも侵入したみたい。こっちでも複数の反応が確認できた』


 拡張現実で投影した簡易地図ミニマップを開くと、ワヒーラが捉えた反応を確認し、鳥籠に接近する複数の点を見ながらカグヤにたずねる。

「なんだと思う?」


『謎の武装集団がヴィードルを追跡しているみたい』

「追跡か……相手が何者なのかは分からないんだな?」


『昆虫じゃないのは確かだよ』

 鳥籠の入場ゲートに視線を向ける。


「サクラの反応があるな」

『鳥籠に向かって来ているヴィードルには、サクラの母親が乗っているのかも』


「そう言えば、母親を迎えに行くって言っていたな」

『それなら遠くに見えている反応は、族長を追跡する敵対的な集団なのかも……』


「穏やかじゃないですね」ハカセが言う。

「ハクさまと確認に行かれてはどうですか?」


「そうだな。ハクは――」

 私が口を開こうとした瞬間、白蜘蛛の脚に抱き寄せられる。


『レイ』

 ハクの幼い声が内耳に聞こえた。

『どこ、いく?』


「鳥籠の外に用事があるんだ」

 私は振り向いて、ハクの大きな眼を見ながら言う。

「敵がすぐそこまで来ているかもしれない。確認しに行くから、ハクも手伝ってくれないか?」


『ん。いっしょ、いく!』

 ハクは私を抱き上げて器用に背に乗せる。


「不死の子よ」ハカセが言う。

「宿泊所の警備は私にお任せください」


「ありがとう、ハカセ!」

 ハクが動き出すと、すぐにヌゥモ・ヴェイとイーサンに連絡を取り、状況を説明して鳥籠の外の様子を確認しに向かうことを告げた。酒の飲み過ぎなのか、イーサンの呂律は怪しかったが、ヌゥモはしっかりとした受け答えをしていたので、なにか不測の事態が起きても対処してくれるだろう。


 ライフルやらバックパックを持ってきていなかったので、攻撃されたら隠し持っていたハンドガンで対処するしかなさそうだったが、たいていの問題はハンドガンでどうにか出来るので問題ないだろう。


 廃車や多脚車両ヴィードルの残骸が放置されていた入場ゲートまでやってくると、サクラとゲンイチロウ、それと守備隊の人間が数十人待機しているのが見えた。やはり族長であるサクラの母親を迎えに来ていたのだろう。守備隊が突然あらわれた白蜘蛛の姿に驚き、ハクにライフルを向けた。


「待て! レイラ殿だ」

 ゲンイチロウは手を伸ばすと、隊員が向けていた銃口を無理やり下げた。


「どうしたの、レイ?」

 サクラも驚いたような表情を見せた。


 ハクは積まれていた廃車から飛び降りて、サクラのそばに向かう。守備隊はハクの気配に当てられ、ひどくおびえているようだった。


「鳥籠に向かってくる不自然な反応を確認した」

「それはたぶん、お母さまが乗ったヴィードルだと思う」


 私は頭を振る。

「そのヴィードルを追跡する不気味な集団の反応を捉えたんだ」


「もしや追っ手か?」

 ゲンイチロウは眉を寄せる。


「追っ手? 族長は誰かに狙われていたのか?」

 そう訊ねると、サクラが口を開いた。


「お母さまは族長の集まりに出かけていたの」

「そう言えば、そんな話をイーサンから聞いていたな」


「族長会議よ、森の異変についての話し合いが行われる予定だったの」

「追っ手と言うことは……他の部族から追われているのか?」


「そうだと思う……会議で何かあったのかもしれない、すぐに助けに行かなくちゃ!」

 走り出そうとしたサクラをハクが捕まえる。


「俺とハクが先行する。サクラは守備隊と共にあとから来てくれ」

「でも!」


「夜の森が恐ろしいことは、森の民じゃない俺でも知っていることだ」

 彼女の端末に接近する集団の位置情報を送信する。


「レイラ殿」とゲンイチロウが言う。

「我々もすぐに向かう。くれぐれもお気をつけて」

 私がうなずくと、ハクは大樹に向けて糸を飛ばした。


 ハクは遥か昔に墜落したと思われる苔生した航空戦艦の残骸に飛び乗ると、暗い森に視線を向ける。私もすぐにフルフェイスマスクで頭部をおおうと、ナイトビジョンを使って林立する木々の間を見つめる。


「見つけた」

 すでに襲撃が行われたあとなのか、負傷している人間の姿が確認できた。


『すぐに確認するよ!』

 カグヤの操作するドローンが姿を見せると、負傷した人間のそばに飛んで行く。


 サクラの母親が乗っていたと思われる大型多脚車両は脚を破壊され、大樹の根元に正面から衝突していた。ハクは枝の上から地面に飛び降りようとしたが、すぐにハクを止める。


「敵がいる」

 そう言うと、ハクは眼下の草むらに眼を向けた。


『てき、さる?』

 背の高い雑草に身を潜めていたのは、黒茶色の汚れた毛皮を持つ猿に似た生物で、青色の皮膚をした大きな頭部を持っていた。一見すれば小鬼のように見えたが、どうも様子がおかしい。


「あれは小鬼の毛皮を被った人間だな」

『小鬼の反応と混同していたから、ワヒーラでも集団の正体が判明しなかったのか』


「そうみたいだな」

 破壊された多脚車両のそばに横たわっていた人間に目を向ける。


 森の民は守備隊が装備している甲虫の外骨格を身につけていたが、襲撃によって頑丈な殻は破壊され、隊員のほとんどが殺されていた。


『強力なライフルで狙撃されたみたいだね。どうするの、レイ』

「連中が草むらから動かないのは、なんでだと思う?」


『守備隊を誘い出すために、ヴィードルに残っているかもしれない族長を餌にするつもりなんだと思う』


「わかり易い罠だな」

『そうだね。でも族長が負傷している可能性がある』


 破壊された多脚車両に視線を向ける。

「つまり、罠だと分かっていても急いで助けに行かないとダメなんだな……」


 ベルトに挿していた長方形の小さな装置に触れる。なんの変哲もない装置は小型のシールド生成装置で、以前、拠点に襲撃を行った傭兵から手に入れたモノだった。


 本来、その装置には大きくて嵩張かさばる旧式の〈核融合電池〉が搭載されていたが、ペパーミントが手を加えて、〈超小型核融合電池〉が使用できるように改良していた。狙撃が想定される戦いになりそうだったので、その〈シールド生成装置〉を実戦で試すことにした。


「ハク、これから――」口を開いたときだった。


 ハクが止まっていた枝の上方から、小鬼の毛皮を被った男が大ぶりのなたを手に飛び掛かってきた。ハンドガンを抜こうとしたが間に合わないと気がつき、襲撃者に向かって腕を向けた。


 戦闘服の袖口から手首に刺青があるのが一瞬見えた。それは縄文土器に見られる模様のように荒々しく、それでいて複雑な模様だった。そしてその刺青には〝ヘビ〟が描かれていた。ソレは手首をくるりと一周して、己の尾に噛みつく姿として描かれていた。


「ヤト」と、刀の名を口に出した。

 するとヘビがするすると移動して、手のひらの中心までやってくると、ソレは液体状になり、皮膚の表面からプツリと染み出してきた。染み出した黒い液体は空中に浮き上がるように零れ出すと、刀を形作っていく。そしてそのすべては、ほんの一瞬の出来事だった。


 私は現出した刀を横薙ぎに振るった。襲撃者の身体からだは何の抵抗もなくスパッと切断される。しかし体勢が崩れていた私もハクの背中から落ちる。


「クソ!」刀から与えられる高揚感の所為せいなのか、大樹の枝から落下しているにも関わらず余裕のある悪態をついた。「どうして敵に見つかったんだ!」


『ハクが止まった枝に敵が元々潜んでいたのかも』

「それはツイてないな」


『今の状況も、それなりにツイてないと思う』

 刀の強力な毒による効果なのか、落下していく襲撃者の血液はゼリー状に変質していて、切断されふたつに別れた胴体はすでに腐り始めていた。そこに風切り音が聞こえたかと思うと、周囲にシールドの青色の薄膜が展開されるのが見えた。


『レイ、狙撃だ!』

「分かってる」


 何度か枝に衝突を繰り返しながら落下していたが、空中で何とか体勢を立て直すと、近づいてくる地面の衝撃に備える。といっても、できることなんてほとんどなかった。


 シールド生成装置は落下の衝撃を和らげてくれるのだろうか?

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ハクの声が聞こえた。


『つかまえた』

 地面に叩きつけられる寸前でハクに抱き寄せられ、音もなく地面に着地する。呼吸を止めていたのか、私は一気に息を吐き出して、それからハクに感謝した。


『レイ、すぐにそこから離れて!』

 前方の草むらが光ったかと思うと、シールドの膜が展開するのが見えた。私はすぐに駆け出すと、草むらに身を隠していた襲撃者に向かって刀を振り下ろした。小鬼の毛皮を被った襲撃者は咄嗟にライフルを盾として使ったが、そのライフルもろとも襲撃者を切断した。


 ハクも飛び上がりながら糸の塊を吐き出し、襲撃者たちの多くを射殺していた。

『敵が撤退する』

 カグヤの声に反応して地図を確認したあと、追撃のために走り出そうとしたが、すぐに立ち止まる。


『レイ、族長の様子を確認しに行こう』

 私は刀を見つめて、それから気持ちを落ち着かせるようにゆっくり息を吐き出した。刀身は手の中で微かに震えると、瞬く間に黒い液体に変わり、手のひらに沁み込むようにしてヘビの姿に戻ると、手首の刺青に移動していった。


「そうだな、襲撃者は引き際を心得ている。追っても無駄だろう」

 ハクをそばに呼ぶと、警戒しながら破壊された車両に近づいた。

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