第222話 宿泊所 re
襲撃を警戒し武器を隠し持って鳥籠〈スィダチ〉に入ったが、入場ゲートでのひと悶着以降、争いに巻き込まれることはなかった。我々はゲンイチロウを含めた鳥籠の幹部との会談のあと、ウェンディゴと共に鳥籠に入場を許可されたヌゥモ・ヴェイたちが待つ宿泊所に案内されることになった。
我々を案内してくれたのは、会談の場にもいた赤髪の幼い男の子で、彼はサクラと手をつなぎながら機嫌よく歩いていた。どうやら男の子はサクラの従弟で、彼女が無事に鳥籠に帰ってきたことが嬉しかったようだ。
歩くたびに土埃が立つ石畳の道は、経年劣化により石に僅かな段差や凹みがあって歩きにくかったが、通りを行く人々には慣れた道なのか、少しも気にする様子がなく、薄い草履のようなものを履いて軽快な足取りで歩いていた。
その迷路のような通りは多くの人々で賑わい、至るところに屋台が出ていて、炭火で焼かれた肉の香ばしい匂いが何処からか漂ってきていた。
『なんの肉だと思う?』カグヤの声が内耳に聞こえる。
私は屋台の屋根に吊るされた土色の昆虫の太い脚に視線を向ける。五十センチほどの脚は逆関節で、鋭い突起物と針金のようにも見える黒くて太い毛が生えていた。
「わからない」
頭を横に振ると、カグヤの笑い声が聞こえる。
『そうだね、世の中には知らないほうがいいことも沢山ある』
果物を販売している屋台や、道路に木製の机やイスを並べて食料品を販売している屋台もあり、いずれも繁盛しているように見えた。
麺類を販売している屋台の前で立ち止まったナミに
「どうしたんだ、ナミ。お腹が空いたのか?」
「いや」彼女は鈍色の髪を揺らす。
「なんて言うか……拠点で食べる麺はもっと、くるくるしてるだろ?」
「ああ、たしかに」
若い店主がつくる麺料理を眺める。
「けど、あの麺はまっすぐだ」
『拠点で食べている麺は――』と、カグヤが言う。「ジャンクタウンの地下施設で手に入る乾麺だからだよ。保存期間を考慮して乾燥させたものになってるんだけど、あの屋台で使ってるのは生麺で――』
「拠点の麺と何が違うんだ?」と、前のめりにナミが言う。
『何だろう、食感かな?』
「食感か……」
ナミは眉を寄せて腕を組む。
「なんなら食べていくか?」
そう訊ねると、ナミは撫子色の瞳を私に向ける。
「いや、みんなを待たせているから、また今度にしよう」
通り過ぎていく人々の好奇の視線にさらされながらしばらく歩いていると、我々の背後から、ホバー機能を備えた台車を牽引する守備隊が近づいてくるのが見えた。
地面から僅かに浮遊して移動する台車は、木箱に入った食料で満たされていて、それを牽引する隊員たちの表情には緊張が見て取れた。
「避難民に提供する食料だよ」
サクラの言葉にうなずいたあと、通り過ぎていく三台目の台車を見ながら言う。
「すごい量だな」
するとサクラのとなりにいた男の子が彼女の耳元で何かを伝える。サクラはうなずいて、それから男の子の代りに口を開いた。
「私が鳥籠を出てからどんどん避難民が増えていって、今では毎日あれだけの量の食料が無償で提供されているみたい」
『炊き出しだね』
カグヤの言葉にサクラはコクリとうなずく。
「食料が全員に行き渡るように充分な量があるみたいですけど、それでも毎日、食事の取り合いで喧嘩が起きているみたいです」
『だから守備隊の隊員があんなにいるんだね』
「ジャンクタウンとは大違いですね」とエレノアが言う。
「そうだな」とイーサンが同意した。「ジャンクタウン周辺にも浮浪者は腐るほどいるが、食料を無料で配る人間なんて見たことがない」
『泥水にも値段がついているような世界だからね』
台車が通り過ぎると、通路の脇に寄って台車のために道をつくっていた人々が通りに戻ってきて、すぐに人の流れが生まれる。
「森の民はもっと排他的な人間の集まりだと思っていたが、同族には優しいんだな」
イーサンの言葉にサクラは溜息をつく。
「基本的にその認識で間違ってないと思う。異邦人に対して森の民は恐ろしく非情になるけど、森で暮らす人々は、ある意味では同族だから……部族同士の争いは絶えないけど、それでも元は同じ部族の人間だったから」
「だから避難民には寛容なのか?」
私がそう訊ねると、彼女はうなずいた。
「石のように冷たい心を持っているからって、身内に対しても石を投げつける必要はないからね」
「そういう考え方をする人間がいるのに、どうして〈スィダチ〉は今まで他部族と積極的に関わろうとしなかったんだ?」
「複雑なの」彼女はそう言って赤髪を揺らす。
「誰も彼もが寛容になれるわけじゃない」
「身内に石を投げ続ける人がまだいるのか」
「石どころか槍を投げてくる」
「それは酷い」
思わず苦笑したが、笑い話では済まされないことなのだろう。
我々は人波をかき分けるようにして宿泊所に向けて歩き出した。
「それで、サクラの考えは?」
「私の?」
「今までのように保守的な生活を続けるのか、それとも他部族のために鳥籠を開放して、かれらとの合流を進めるのか」
「わからない。そんなこと今まで考えようともしなかったし」
「そうか」
「レイは――」彼女は遠慮がちに言う。
「レイが同じ立場ならどうする?」
「そうだな……」と、日が傾き始めた空に視線を向ける。
「俺は臆病な人間だから、たぶん信用できる人間だけをそばにおくと思う」
「なにそれ」
彼女がクスクス笑うのを見ながら、肩をすくめる。
「だから鳥籠は今まで通り、他部族には開放しないことを選ぶよ」
「それで信用できる人々のそばで閉じこもり続けるの?」
『発展は望めないね』カグヤが言う。
『まるでこの世界みたいだ』
「でも……」とサクラは続けた。
「今はダメでも、信用できそうな人があらわれたらどうするの?」
「もし今信用できないのなら、いつまで経っても信用できないと思う」
「人は変わるものだよ。いつまでも愚かなわけじゃない」
「未来が現在よりも良くなるなんて考えている奴は、どうかしていると思う」
「どうして?」
「人が変わり続ける生き物だってことには同意するよ。でも世の中には変わらない人間もいる。悪意が人間の姿をして歩き回っているような略奪者たちを見ればそれが分かる。他人を苦しめて平気な顔をして生きている奴らと、心が通じ合うなんて決して考えないほうがいい。奴らは宇宙人と同じさ、俺たちと分かり合えるわけがない」
「うちゅうじん?」
「別の次元の生物だってこと、例えだよ。純粋な悪意の前では、もはや人種すら関係ない」
「この世界には、そんなに悪い人たちが沢山いるの?」
『世界は悪意で満ちている』とカグヤが言う。
『サクラがそれを知らずに生きてこられたのは、きっと恵まれた環境にいたからなんだよ』
「恵まれた環境……ですか?」サクラは難しい顔をして考え込む。
『それが間違っていた何て言うつもりはないよ。サクラが大切に育てられてきた証なんだからね。それに、森に生きる人々にだって私たちの知らない苦労はあるんだから』
「苦労……」
サクラはそうつぶやくと、通りを行く人々の顔を見つめる。
鳥籠を囲む壁に等間隔に配置されていた殺虫灯が青白く輝き始めると、大樹の切り株を利用した家々の屋根から、タンポポの綿毛のような体毛で身を包んだ小さな昆虫が毒々しいキノコの間から次々と浮かび上がり、体毛を輝かせ、街灯のように周囲をぼんやりと照らしていく様子が見えた。
鳥籠の上空に浮かび上がった数え切れない昆虫がつくり出す幻想的な光景は、かつて台湾で行われていたランタン飛ばしのお祭りを思い起こさせた。たしか、〝
しかし昆虫たちは鳥籠の低いところをフワリと漂っているだけで、どこかに行く気配はなかった。それが昆虫のどのような習性に基づく行動なのかは分からないが、森の民は昆虫の習性を上手く利用して、夜でも快適な生活を手に入れているようだった。
『他の昆虫から襲われることはないのかな?』
「襲われないために、壁よりも高いところには飛んでいかないのかもしれないな」
『……とても綺麗だね』
「そうだな」
我々のために用意された宿泊所は、あの〈カスクアラ〉を利用してつくられた大きな宿泊施設で、客は我々の他に誰もいなかった。それどころか、鳥籠の中心地から離れた場所にあって、住人の姿もほとんど見かけなかった。
昆虫のぼんやりとした光に照らされる紫黒色の外骨格を利用した建物を見上げる。その外骨格は四階建てほどの高さがあり、大型の
『まるで貸し切りだね』
カグヤの言葉にうなずいたあと、〈カラス型偵察ドローン〉を呼び寄せて、上空からの監視を続けてもらうことにした。ゲンイチロウたちは友好的だったが、我々の存在を
問題があるとすれば、それはカラスが夜の偵察に向かないことだった。ワヒーラのレーダーを使用したほうがいいのかもしれない。
ヌゥモ・ヴェイは我々の到着を確認すると、ウェンディゴのそばにアルファ小隊の面々を待機させ、こちらにやってくる。彼を笑顔で迎えると、子どもたちとウェンディゴの警備に対して感謝し、問題が起きなかったか
「いえ」ヌゥモは頭を横に振った。
「酔っ払いが何人か絡んできましたが、大きな問題は起きていません」
「酔っ払いか、それは大変だったな。それで、ハクは――」
さっと視線を動かして白蜘蛛の姿を探した。何に対しても興味を持つハクは、さっそく我々が宿泊する予定だった〈カスクアラ〉に登っていた。背中にはシオンとシュナが乗っていて、ひどく危険な状況だったが、ハクなら上手く対処してくれる、という謎の安心感があったので、放っておくことにした。
「レイラ殿」ヌゥモが言う。
「そちらは何か問題がありましたか?」
鳥籠に入場するさいに起きた軽い揉め事や、ゲンイチロウたちとの会談で話し合われたことを説明した。
「しかし、出発は遅れることになりそうですね」
ヌゥモの言葉に眉を寄せる。
「何か問題があるのか?」
ヌゥモは暗い空に緋色の瞳を向ける。
「おそらくですが、嵐がやってきます」
「台風か……どうして分かったんだ」
「雲の流れと、風の匂いです」
暗い空に視線を向けて、それから風の匂いを嗅いでみた。しかし風にのって漂ってくる植物の青臭さしか感じられなかった。
私は腕を組んで思案する。
「つまり俺たちは、この鳥籠に数日間、足止めされることになるのか……」
「それはマズいな」イーサンが言う。
「ゲンイチロウが言うように、あの壁に問題が起きているとしたら、嵐が過ぎるのを待っている間にも、危険な生物がこちら
イーサンの言葉に思わず溜息をついたあと、カグヤの操作するドローンを探した。
『ここだよ』光学迷彩を解いたドローンが姿を見せる。
『台風の間、大樹の森がどうなるのかは分からないけど、無茶しないほうがいいと思うよ。森に関して私たちは素人だからね』
「そうだな……」とイーサンが言う。
「これからの予定について、ゲンイチロウたちと相談しなければいけないな」
鍵束を持った少年が木製の頑丈な大扉を開けようと格闘している間、サクラが腰に手をあてながら我々に言う。
「みんなにはこの場所に泊まってもらう。部屋の数はそれほど多くないけど、ふたり部屋になってるから部屋の数は足りてると思う。それと浴場があるから、遠慮しないでどんどん使ってね」
サクラの言葉を聞いたカグヤが感心しながら言う。
『浴場まであるのか……豪華な宿泊施設なんだね』
「ここは賓客のための宿泊施設になる予定の場所だったので……」とサクラは言う。「ですが、他の家にも小さな貯水槽があるので、浴場があるからといって驚くほど豪華な施設でもないんです。〈スィダチ〉には住民たちがいつでも使える公衆浴場もありますから」
『何だか〈森の民〉は廃墟の街で暮らす人々よりも充実した暮らしをしてるね』
「まったくだ」とカグヤの同意する。
ウミとハカセは子どもたちと一緒にウェンディゴに残り、ミスズとナミは同じ部屋を使用し、イーサンとエレノアも用意された部屋に入っていった。ヌゥモはヤトの小隊と共にそれぞれの部屋に向かった。
「レイはペパーミントと同じ部屋だね」サクラが言う。
「それとも、部屋を分けたほうがいいかな?」
ペパーミントは頭を振ってから言う。
「私は別にそれで構わないわ」
「それなら……」
サクラは指を顎にあて、何かを考えたあと口を開いた。
「なにか欲しいものがあったら私に伝えて、できるだけ用意するから」
「ありがとう」と感謝する。
「でも大丈夫だ。宿を貸してくれるだけでも充分感謝している」
「そう? レイたちには大変な依頼を押し付けたんだから、これくらい当然だと思うけどな……それと、みんなのためにご馳走も用意してると思うから、屋台には行かないで、ちゃんとここにいてね」
「サクラはこれから何処かに行くのか?」
「お母さまを迎えに行く準備をしないといけないから、一度、家に帰るよ」
『サクラのお家は何処にあるの?』
カグヤの質問に彼女は照れくさそうに言う。
「さっきまで私たちがいたカスクアラです」
『〈スィダチ〉にとって重要な建物だって言ってたけど、あそこでサクラが暮らせるのは、呪術師の血筋だから?』
「そうです……最初の呪術師の直系の子孫だからだと思います」
「サクラは、聖人の子孫ってわけね」
ペパーミントの言葉に、何故かサクラは居心地が悪そうだった。
「どうしたの?」
「いえ、私は別に偉くないので……」
「自分の境遇に引け目を感じているってこと?」
ペパーミントの言葉にサクラはうつむく。
「なぁ、サクラ」と私は言う。
「ゲンイチロウにも頼んだけど、シオンとシュナの集落から避難してきた人間がいるかもしれないから、探してもらえるか」
「……うん」とサクラは言う。
「ちゃんと探してもらえるようにするよ」
サクラがミスズたちに宿泊施設を案内するために建物内に入っていくと、ペパーミントが溜息をついた。
「レイって本当に人に興味がないよね」
「興味がないわけじゃないよ。上手く説明できないけど、暗い雰囲気が苦手なだけだ」
「でも、もしも誰かに興味があるなら、色々と話を
「そうだな」
ペパーミントはまた溜息をついた。
「浴場が気になるから見に行く。レイも一緒に来る?」
私はうなずいて、それからカスクアラに向かって歩き出した。
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