第214話 双子 re


 水草が浮かぶ浅い川を横断していると、大樹のずっと高いところから六十センチほどの甲虫が次々と落下してくる。そのときに生じた衝撃で水柱が立ち、水飛沫みずしぶきと共に光沢を帯びた黒色の殻や鋭い突起物がついた脚が宙を舞い、ウェンディゴに降ってくる。


「ひどいな」

 思わず溜息をつくと、カグヤの声が聞こえた。

『昆虫同士の樹液の取り合いに負けたのかも』


 コクピットのモニターから周囲に立ち並ぶ大樹を仰ぎ見る。

「ウェンディゴの上に落下してこないことを願うよ」


『そうだね。あの高さから勢いよく落下してきたら、ウェンディゴも潰れるかも』

「脅かさないでくれ」

 そう言うとシートの背に深くもたれる。すると変化した姿勢に合わせてシートの状態がゆっくり変わっていくのが感じられた。


『見て、レイ』

「敵か?」カグヤの言葉に反応して、モニターに表示されていた簡易地図ミニマップを確認する。


『敵じゃないよ』とカグヤが言う。

『旧文明の遺跡が見える』


 大樹の間に流れている川に視線を向けると、水面から顔を出す旧文明期の高層建築物が見えた。それは周囲の大樹が小さく見えるほど巨大な構造物だったが、建物は傾いた状態で深緑の苔や草に覆われ、崩れた外壁と窓からは水が滝のように流れ落ちていた。


 足下に視線を向けると、全天周囲モニターを通して透明度の高い水の底が見えた。水草の間からは、巨大な彫像の頭部が埋まっているのが確認できた。ウェンディゴはちょうどその彫像の上を移動していた。


「本当に旧文明の都市が森の下に埋まっているんだな……」

『ちゃんとした調査をすれば、貴重な遺物も沢山見つけられそうだね』


 カグヤの言葉にうなずいたあと、凄まじい速度で落下してきていた昆虫に目を向ける。昆虫は雑草に覆われた地面に落下し、その衝撃で破裂していく。


「でも大規模な発掘調査はできそうにないな」

『この森は昆虫たちに完全に支配されちゃってるから、確かに調査は難しそうだね』


「昆虫だけじゃないさ、危険な生物は数え切れないほどいる」

『こんな危険な森で暮らす〈森の民〉って、どんな人たちなんだろ』


「さぁな」と私は頭を振る。

「けど昆虫と共存することを選んだ理由は何となく分かったよ」


『そうでもしなければ、この危険な森で生き延びることができなかったんだね』

「ああ」


 どこからともなく蟻があらわれると、落下してきた昆虫の死骸に群がるのが見えた。鉄黒色の蟻は体長が四十センチほどあり、瞬く間に百を越える群れに変わっていく。その蟻の群れが強力な大顎を使って昆虫の死骸を切断し、運んでいく様子を眺めていると、エレノアから通信が入る。


『レイ、子どもたちが起きましたよ』

「わかった」と私は答える。「すぐにそっちに行くよ」

 ウミに操縦を任せると、コクピットを出てウェンディゴの後部コンテナに向かう。


 小鬼たちの大規模な繁殖地で見つけ保護した子どもたちは、ウェンディゴで熱中症の応急処置を受けたあと、コンテナの拡張空間に用意されたベッドで休ませていた。子どもたちは浅い眠りと目覚めを何度か繰り返していたが、状態は安定していて、重症になることはなかった。エレノアとペパーミントが行った適切な処置がよかったのかもしれない。


 子どもたちは植物の繊維を加工して作られた粗末な服を着ていたが、それは酷く汚れて擦り切れていたので、ふたりの身体からだを綺麗にしたあと、清潔なシャツと短パンを着させていた。


 ちなみにサイズの合う服がなかったので、子どもたちが着ている服はウミが手直ししたものになっていた。ウミが使用する新しい機体は指先が器用に動き、大抵の仕事を誰よりも上手にこなすことができた。


 子どもたちは飲料水が入ったペットボトルを両手で持ったまま、ぼんやりとベッドの上に座っていた。ふたりは横浜の拠点で留守番してくれているジュリよりも若く、ずっと身体が小さかった。成長に必要とする栄養素が不足しているのかもしれない。


「二人の様子は?」とエレノアにたずねる。

「昨日と比べれば、たいぶ良くなりましたよ」

 彼女はそう言うと、子どもたちに菫色の瞳を向ける。

「でも、まだ安静にしていないとダメですね」


「そうか……」

「ふたりはレイが見つけた場所から、ずいぶんと遠い集落からさらわれてきたみたい」


「ふたりに聞いたのか?」

「いえ」とエレノアは頭を振る。


「サクラが子どもたちの刺青を確認して、それで分かったみたいです」

「刺青?」


「産まれてすぐに、へその下に小さな刺青を入れるみたいです」

「なんでそんなことを?」


 それまで変異体カブトムシの世話をしていたサクラが言う。

「儀式的な意味合いがあるんだよ」


「儀式? それはどういったものなんだ?」

「子どもが産まれると、父親は森の中に入っていって、〈イアエーの枝〉を拾ってくるの。それで祈りを込めながら木彫りの人形をつくる」


「木彫りの人形?」鉈の手入れをしていたナミが疑問を口にする。

「それは何のために作るんだ?」


「魂を分けるために使うの」とサクラが言う。

「私たちは危険な森に住んでいて、いつ死んでもおかしくない状況にいる。もしも昆虫や大きな生物に食べられてしまったら、身体が残らないでしょ? すると魂が失われてしまうの。けど、あらかじめ魂を人形に分けておけば、たとえ大切な人を失くしても魂とは一緒にいられるし、大切な人の魂が宿った人形を埋葬して、あの世に送り出すことができる」


「それで、その刺青にはどんな意味があるんだ?」

「魂の通り道よ、私たちは臍の下にある刺青で人形とつながっているの」


「刺青で区別できるってことは、部族ごとに決まった刺青があるのか?」

「そういうこと。だからふたりがどこからやってきたのか分かったんだよ」


「なあ、サクラ」とナミが言う。

「イアエーってなんだ?」


「とても大きな樹木のことよ」

 サクラは木の大きさを表現するために、両腕を左右に大きく広げる。

「この森のすべての命は、その大樹から誕生したって言われているの」


「イアエーか……」と私は言う。

「それは森の民にとって重要な木なのか?」

「とてもね」


「でも」と、ナミは鉈を鞘に納めながら言う。

「人形を作るために、枝は切り落とすんだな」


「切らないよ」とサクラは赤髪を揺らす。

「イアエーは満月の夜に必ず枝を落とすの。私たちはその枝を拾ってきて使っているだけ」


「満月の夜に枝を落とす?」

 ナミは首をかしげる。

「不思議な木だな」


「神秘的で、とても美しい樹木よ」


 そこでずっと気になっていたことをサクラに訊ねた。

「イアエーって、何を意味する言葉なんだ?」


「森の民に伝わる古い言葉で〈月〉を意味している」

「月か……」とナミが言う。「素敵な名だな」


 イアエーが褒められたことが嬉しかったのか、サクラは微笑みを見せる。


「ところで」そう言ってから、サクラに視線を向けた。

「目を覚ましたとき、ふたりは名前を教えてくれたか?」


「うん。ふたりは兄妹だった。男の子はシオンで女の子がシュナ。ふたりとも身体は小さいけど、もう六歳になる」


「ふたりとも?」

「双子なの」とサクラは言う。


「シオンにシュナか……うん。覚えた」

『本当に?』カグヤが言う。


「本当だ」

 ふたりの輪郭を青色の線で縁取り、頭の上に名前が大きく書かれたタグを貼り付けた。


「それで、シオンとシュナは何処から来たんだ?」

「子どもたちの集落は〈豹のうたげ〉に近い場所にある。今は泥地が広がっていて、まともに人が暮らしていけるような場所じゃないって聞いていたけど……」


「〈豹の宴〉ってなんのことだ?」

「豹人が住む地域のことよ」


「待ってくれ」と、私は困惑しながら言う。

「そもそも豹人ってなんだ? それは部族の名前なのか?」


「違うよ。文字通り、豹の頭部を持つ人たちのことよ」


「ナミ?」

 思わずナミに助けを求める。


「異界で何度かそんな連中を見たことがあるぞ」ナミは思い出すように言う。

「その見た目から〈混沌の種族〉と勘違いされるからなのか、他の種族と争いが絶えないみたいだけど、基本的に平和を好む種族だったと思う」


「争い? かれらは異界で戦争でもしているのか」

「してるぞ。連中には王がいて、輝かしい歴史のある軍も持っているからな」


『戦闘狂なのかな……』とカグヤが不安になる。

「それで――」と、もう一度サクラに訊ねる。

「その地域に暮らす豹人は危険な存在なのか?」


「ううん。豹人はアリの集団と同じで、この森の最上位に属している生物よ。数が少なくて簡単に死んでしまう人間と敵対するようなことはしないし、気が向けば私たちの援助もしてくれる」


『本当に独特な生態系がこの山梨県の森にはあるんだね』カグヤが感心する。

「そうだな……」と私は深く同意する。


「それで子どもたちはどうするの?」サクラが私に天色の瞳を向ける。

「ふたりを集落に送り届けようと考えている」


「あまりいい結果は期待できなさそうだけど……仕方ないかな」

「何かあるのか?」と、不安そうにするサクラに質問する。


「さっきも言ったけど、あの辺りは泥地が広がっていて、今は森の恵みすら手に入らない場所になってる。大樹も腐っていて、とても人が生きていけるような環境じゃない」


「そうか……」腕を組んで思案する。

「集落の正確な場所は知っているのか?」


「うん。敵対している部族じゃなかったから、正確な場所は知ってる。交流もあったし」

「サクラの鳥籠からは遠いのか?」


「ここから向かうなら、そんなに遠くないと思う」

「ふたりが回復したら、少し寄り道するか」


「それなら集落を刺激しないように、少人数で向かったほうがいいと思う」

「困窮している集落に大人数で押しかけるのは確かに迷惑だな……。それなら、ハクと一緒に行くよ。昆虫に慣れている森の民がハクの姿に怯えることはないだろう」


「私が案内するよ」

「いや、サクラはここに残ってくれ。子どもたちもハクの背中に乗せないといけないし、あまりハクに無茶はさせたくない」


「かえれるの?」

 それまでぼうっとしていた男の子の声が聞こえた。


「そうだ」とナミが微笑む。

「レイラ殿がお前たちのお母さんやお父さんのいるところまで、送り届けてくれる」


「おかあちゃんはいないよ」とシオンは頭を振る。

「お父さんは?」

 エレノアがそう訊ねると、シュナが口を開く。


「いないよ」

「それは困りましたね」


「ううん」とシュナが頭を振る。

「イアエーさまといっしょにいる。だから、もうこまらないって、みんなそういってた」


「……もう亡くなったのね」サクラが小声で呟く。

 やつれている以外にふたりに目立った怪我はなかった。シオンは適当に切られた黒髪に茶色い瞳を持っていた。妹のシュナも同じで、ふたりともしっかりとした太い眉を持っていた。睫毛が長く、瞳には意思の強さが感じられた。


「小鬼に捕まったときのことを覚えているか?」

 私の問いにシオンがうなずき、シュナが答えた。


「もりにいたら、だきかかえられた」

「集落を出て森で何をしていたんだ?」


「そこにいなさいって、おとなのひとにいわれた」


 シュナはそう言うと、茶色い瞳を私に向けた。ふたりとも驚くほど冷静だった。同年代の子どもがするように、意味もなく騒いだり、泣き出したり、不安になって愚図るようなこともなかった。親と死別してしまったことが関係しているのかもしれないが、おとなしくしているふたりを見ていると、なぜだか私が不安になった。


「危険な森で迷子になったのか」と私は言う。

『親のいない子どもたちだから、口減らしにされたのかも……』

 カグヤの言葉に頭を横に振る。


「胸糞悪い話だけど、集落が本当に食糧で困っているなら、その可能性も捨てきれないか……」

「どうしよう」と、サクラが急に不安な顔で言う。


「どうしようもないな」と私は言う。「とりあえず二人を集落に連れて行って、そこで何が起きているのか把握しないといけない」


「でも……」

「本当に口減らしなら、その時にふたりをどうするか決めればいい」


『そうだね』とカグヤが同意してくれる。

『ここで悩んでいても仕方ないし』


「小鬼たちからはどうやって逃げたんだ?」と子どもたちに訊ねる。

「おおきなハチがきて、それでけんかになった」とシオンが言う。


「それでね」とシュナが続ける。

「はしって、きをのぼったの。ははさまがいってたの、あぶないっておもったら、イアエーさまがまもってくれるから、きにのぼりなさいって」


「頑張りましたね」

 エレノアは優しい声で言うと、シュナを抱いて膝に乗せた。


「シオンがてをひっぱってくれたの」

 シュナがそう言うと、シオンは笑顔を見せる。

「おれはシュナのおにいちゃんだからな」


『しおん』

 ハクの声が聞こえたかと思うと、白蜘蛛は脚を伸ばしてシオンを持ち上げる。


「わぁ」

 シオンが目を大きくして、突然あらわれたハクに感動する。

「しろいくもだ!」


『ん、くもちがう。ハクだよ』と、シオンに大きな眼を近づける。

「ハク!」シオンが笑うと、ハクは腹部をカサカサと揺らした。


『しおん、あそぶ』

 ハクはそう言ってシオンを背に乗せ、彫像のようにじっとしていたカブトムシの側に向かう。


 シュナがその光景を羨ましそうに見ていたが、まだ彼女に訊ねたいことがあった。

「大きな小屋の中に隠れたのは、あのサルがハチと争っているときだったのか?」


「うん」とシュナが頭を振る。

「シュナたちをさがしにきたから、かくれるばしょを、なんどもかえたの」


「よく頑張ったな。無事で本当によかった」

「こわかった」と、シュナは大粒の涙を零した。


「もう大丈夫ですよ」と、エレノアはぎゅっとシュナを抱きしめた。

 シュナは鼻水をすすると、私に茶色い瞳を向ける。

「たすけてくれて、ありがとう」


「どういたしまして」と私は微笑む。「ハクも一緒にいたんだ。だからハクに元気な姿を見せれば、喜んでくれるかもしれないよ」


「ほんとうに?」

「本当だ」


 エレノアはシュナを抱いたまま立ち上がる。

「さっそくハクと遊びにいきましょう」

「うん!」シュナは無邪気な笑顔を見せてくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る