第213話 繁殖地 re


 ハクと共に大樹の枝に立つと、険しい道のりが続く森のなかをウェンディゴがゆっくりと進んでいくのが眼下に見えた。そこから周囲を見渡すと、人の背丈よりも高い植物に森が覆われていて、しだいに道と呼べるような場所がなくなっていくのがハッキリと分かった。


 我々は枝から枝へと飛び移るようにして移動した。途中、枝葉や草陰に隠れている顔の青い小鬼を見つけると、ハクは網のように広がる糸を吐き出して、次々と小鬼たちを捕まえていった。


 そうして捕らえた小鬼たちの手足に向かって弾丸を撃ち込み、彼らの自由を奪っていく。小鬼たちを一思いに殺さず、失血死を待つようなやり方は残酷に見えるかもしれないが、こうでもしなければ小鬼たちはやがて糸から抜け出し人々に脅威を与える存在になる。そうさせないためにも、小鬼は捕まえるだけでなく殺すことも考えなければいけなかった。


 小鬼は痛みに悲鳴を上げて身をよじり、大声で必死に叫び続けた。かれらの叫び声は森の木々に反響し、近くにいる小鬼たちを引き寄せることになった。


 それらの小鬼は捕らえられた仲間を見つけると、何も考えずに素手でハクの糸に触り、そして粘着質な糸に絡めとられてしまう。まるで網にかかった魚のように、小鬼はのた打ち回り、それを聞きつけた他の小鬼が集まってくる。そうして我々はさらに多くの小鬼を処理することができた。


 先行して小鬼を処理していったからなのか、ウェンディゴが小鬼の大群に襲撃されるようなことは起きなかった。


『ずいぶん騒がしくなってきたね』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、百メートルを優に超える木々が林立する森に目を向ける。


「小鬼たちが騒いでいるからな」

『そう言えば、イーサンから連絡がきてたよ』


「彼はなんて?」

『ウェンディゴの移動経路上に、大樹の枝や泥で築かれたバリケードを見つけたって』


「小鬼たちの棲み処が近いのかもしれないな……」

『そのことなんだけど、〈ワヒーラ〉から得られる情報を確認してたら、この先に小鬼たちの反応が多く集まってる場所を見つけたんだ』


 視線の先に拡張現実で投影されていた簡易地図ミニマップを確認すると、確かに我々の少し先に小鬼の反応が密集している場所があるようだ。

「移動経路からは離れているけど、連中の棲み処がどうなっているのか見に行かないか?」


『どうしてそんなことをしたいと思うの?』

 カグヤはどこか呆れた様子で言う。

『わざわざ危険な場所に行く必要はないよ。私たちの目的はサクラを鳥籠に送り届けて、〈母なる貝〉に起きている異変を調査することでしょ?』


「探検だよ。ほら、森にくる機会なんて滅多にないだろ。それに小鬼みたいに知識をつけた化け物の生態がどうなっているのか、すこし気になる」

『だからって命を危険にさらす必要はない』


『たんけん!』

 大きな葉の上に着地したハクが言う。

『ハク、たんけんする』


「ほら」と私は言う。

「ハクも探検したいって言ってる。少しくらいなら、問題ないだろ」


『……ウェンディゴに置いていかれちゃうよ』

 カグヤは否定的だった。

「大丈夫だ。ちょっと見てみるだけだ」


『まあ、少しだけなら問題ないかな……』

 なにか奇妙な揺れを感じたのは、そのときだった。


 私は素早く周囲に目を向け、それからハクが着地していた大きな葉に注目した。それは大樹を締め上げるようにして伸びてきていた太いツルの先にある葉だった。周囲に生えている若緑色の葉と異なり、紫紺色の茎は人間の腰よりも太く、力強く大樹に絡みついていた。


 興奮したハクが巨大な葉をトントンと叩いたときだった。突然、葉のふちから灰色の鋭い骨のようなものが無数に突き出てくるのが見えた。


「ハク!」

 私から発せられた感情の波を鮮明に受け取ったハクは、素早く大樹の幹に向かって飛び退いた。一瞬の後、勢いよく閉じていく葉の中央がぱっくりと開き、その中に紫色のヌメリのあるひだが幾つも茎の奥に続いているのが見えた。


 どうやらハクは無自覚なまま食虫植物の上に着地していて、葉の上に獲物が止まったことに気がついた植物が一気に葉を閉じたようだった。

『ちょっと、こわい』ハクが腹部を震わせた。


「たしかに恐ろしいな……ハクは怪我してないか?」

 ハクの柔らかな体毛を撫でながらたずねた。


『ぱっくん、した』

 ハクは興奮気味に言う。

『けど、ハク、けがないよ』


「良かった」

 そう言って、森の奥に視線を向ける。森の入り口付近と異なり、この辺りは鬱蒼とした植物に覆われ、大樹に絡みつく植物や苔も多く見られるようになっていた。大樹の樹皮から顔を出した名も知らぬ植物が、となりの樹木に茎を伸ばし絡みつく様子も見られ、そうした植物を利用して何者かが木々の間に橋を架けた痕跡も確認できた。


 ベルトポーチからモゾモゾとカグヤの操作する偵察ドローンが出てくると、ハクの周囲をくるりと回り、その最中にハクの触肢しょくしに捕まってしまう。


『私が案内するから、小鬼たちの棲み処を少しだけ見に行こう』

「賛成してくれないと思っていたよ」


『危険だから本当は嫌だけど、それでレイの気が済むのなら少しだけ見に行こう』

「分かった。チャチャっと奴らの棲み処を確認して、それからウェンディゴに戻ろう」

 ハクが球体型の小さな機体を解放すると、ドローンはカグヤの操作で森の奥に向かって飛んでいく。


 移動の途中で小鬼に出くわすと、ハクの糸で樹皮にはりつけにしたり、枝に吊るしたりしていく。ハクは遊び感覚でやっていたけれど、小鬼からしたらいい迷惑だった。


 小鬼の棲み処に近づくと、ハクは身を隠し、音を立てないようにしながら移動した。ハクは真剣そのもので、一緒に行動していた私も緊張してしまうほどだった。きっとハクの雰囲気がいつもと違ったからだろう。


 しばらくすると、大樹の枝や植物の葉で作られた丸みのある〝小屋の出来損ない〟が見えてきた。それは地上から五十メートルほどの高さがある場所につくられていて、それらの小屋は一箇所に集中せず、周囲の樹木に分散してつくられていた。いくつかの小屋らしきものは、樹皮を削って幹の内側も利用しているようだった。


 猿に似た小鬼たちは、森の至るところから聞こえてくる仲間の悲痛な叫びを聞いて棲み処を離れていたが、それでも相当な数の小鬼が棲み処の周辺で確認できた。ハクは小鬼たちに見つからないように、大樹の枝や葉によってつくられる死角を利用して大樹を登っていった。


 大きさは不揃いだったが、小鬼が利用する小屋はざっと確認しただけでも百は越えていた。この場所が小鬼たちの大規模な繁殖地になっていることは間違いないのだろう。


「まるで小鬼の集落だな」

『レイ、あれを見て』


 ドローンから受信していた映像が拡大表示されると、枝に吊るされたシカや小型の哺乳類が見えた。おそらく小鬼たちの食料なのだろう。数が多く、その中には頭部のない人間のようなものも吊るされているのが確認できた。


「小鬼たちの保存食か……森で消えた傭兵や、教団の人間もあの中にいるのかもしれない」

『あり得そうだね』とカグヤが同意する。

『一応、この場所の様子を記録しておくよ』


「そうだな……小鬼たちの存在は森の民にとって脅威以外のなにものでもない」

『ここに来てよかったのかもしれないね』とカグヤが言う。


「こんな光景は期待していなかったけどな」

 人は何かを探しているとき、驚くほど視線を上に向けることがないという。どうやらそれは小鬼たちも同じだったようだ。


 高い場所にある小屋の出来損ないに近づいても、小鬼は我々の存在にまったく気がつかなかった。我々は草臥くたびれた小屋のまえで止まる。その出来損ないの小屋は入り口が狭く、しゃがんでようやく中に入ることができる作りになっていた。


『レイ』

 ハクは小屋の上部に飾られた動物の骨を叩きながら言う。

『なにか、いる』


「小屋の中に小鬼がいるのか?」

 ツル植物で縛られた枝の間から小屋の内部を確認しようとしたが、枝の間に詰められていた泥や石によって視界が通らず、内部の様子は見えなかった。


『さる、ちがう』

「小鬼じゃないなら、なにがいるんだ?」

『いきもの』

 ハクはそう言うと、トントンと枝を軽く叩いた。


「カグヤ」

 ドローンの姿を探しながら言う。

「小屋の中を確認してきてくれるか?」


『了解』

 ドローンが光学迷彩で姿を隠しながら小屋の中に侵入していくのを確認したあと、小屋に近づいてくる小鬼がいないか警戒することにした。


『それにしても暗い……』

 カグヤのつぶやきが聞こえてくる。


 視界の隅に投影されていた映像には、狭い入り口を進んでいくドローンの視点映像が表示されていた。徐々に内部が広がり、やがて薄暗い小屋の全容が見えてくる。


 どうやら天井は植物の葉を適当に何枚も重ねただけの簡素な作りになっていて、その葉の隙間から小屋の中に光が差し込んでいるようだった。おかげで視界が通り、室内が確認できるようになった。


 大量の毛皮や何処からか拾ってきた旧文明のゴミやガラクタ、それに昆虫から剥ぎ取った殻で埋め尽くされていた。


『もう使われていない小屋なのかな?』

 カグヤはあちこちに転がる毛玉に照明をあてながら言う。

『小鬼たちが使っている形跡はないね』


「注意して探してくれ、そこに何かいるはずだ」

 黒茶色の毛皮を持つ小鬼が粗い樹皮を伝って登ってくるのが見えると、ライフルのストックを引っ張り出し、いつでも射撃できるようにライフルを構えた。


 小鬼は私とハクの姿を見つけたわけではなく、枝に吊るされていたシカを取りに来ていただけなのかもしれないが、このままでは発見される可能性があった。


「カグヤ、急いでくれ」

 小鬼に照準を合わせながら言う。


『ちょっと待ってね……レイ、見つけたよ!』

 引き金から指を離して映像を確認すると、日焼けした健康的な肌を持った幼い子どもが二人、毛皮に隠れるようにして眠っているのが見えた。


「カグヤ、あれは……?」

 私の困惑にカグヤがすぐに反応する。

『小鬼たちにさらわれてきたのかもしれない』

「なんで子どもを攫うんだ?」


『そんなこと私には分からないよ』

 カグヤはきっぱり言う。

『サクラに確認するから待ってて』


 ライフルを背中に回すと、胸元のナイフを抜いた。

「ハク、掩護してくれ。小鬼たちに見つかるわけにはいかない」


『ん。えんご、まかせて』

 ハクは頼られることが嬉しいのか、触肢でトントンと私の肩を軽く叩く。


 機嫌のいいハクに見張りを任せると、できるだけ音を立てないように歩いて、すぐ下の枝を移動していた小鬼の背後に回る。


『ハク』

 声に出さずにそう言うと、小屋の側で待機していたハクが脚をあげて合図する。


 枝にぶら下がると、音を立てないように最大限の注意を払いながら小鬼のいる枝に飛び下りた。着地に問題はなかったが、想定していたよりも枝は大きくしなり、異変に気がついた小鬼が振り向く。その醜いサルは、私の姿を見つけると大きく口を開いた。叫び声を上げて、侵入者がいることを仲間に知らせるつもりなのだろう。


 間に合わない、私はそう思ったが迷うことなく駆けた。


 小鬼が叫び声を上げる瞬間、なにかが凄まじい速度で飛んできて小鬼の口を塞いだ。驚いて動きを止めた小鬼の懐に入ると、首元のゴワゴワした毛皮にナイフを突き刺し、力任せに柄をねじった。小鬼は喉と鼻から血液を噴き出すと、痙攣しながら倒れた。


 すぐに手を伸ばして小鬼の腕を掴む。落下させてしまったら、すぐに他のサルに死骸が発見されてしまうだろう。小鬼の口を確認すると、ハクの吐き出した糸が詰まっていた。おかげで叫ばれることなく小鬼を処理することができた。


『ありがとう、ハク』

 声に出さずに感謝したあと、ハクに小鬼の死骸を引き上げてもらう。少しでも敵からの発見を遅らせるため、死骸は小屋に隠すつもりだ。


 その死骸を小屋の入り口に詰め込んでいるときだった。

『レイ』とカグヤの声が聞こえる。

『子どもたちのことが分かったよ』


 死骸を無理やり押し込みながら訊ねる。

「サクラは何か知っていたのか?」


『うん。鳥籠は違うみたいだけど、森の民で間違いないって』

「もしかして食料にするため、ここまで連れてこられたのか?」


『そうだと思う。でも、どうしてまだ食べられていないのかは分からない』

「逃げたのかも」


『食べられないように逃げてきて、使われていない小屋に隠れた?』

「殺されそうになったら、誰だってそうするだろ?」


『そうだね、その可能性は高い。それより、この子たちをどうするの?』

「放っておくわけにはいかない、ウェンディゴに連れて帰ろう」


『わかった。ミスズたちに報告しておく』

「サクラは子どもたちについてなんか言っていたか?」


『何か?』

「もしも敵対している部族の子どもたちなら、話がややこしくなるだろ?」


『たとえば?』

「俺たちが攫ったことにされて、それが原因で争いの火種になったり」


『最近、色々なことがあったからレイが人間不信になっているのは分かるけど、さすがに子どもたちの証言を無視するようなことはしないでしょ』


「どうだかな……。ハク、小屋の中に子どもが二人いる。連れて帰ろうと思っているんだけど、協力してくれるか?」


『ん。でも――』

 ハクは小屋の入り口を叩きながら言う。

『ハク、とおれない』


「それなら大丈夫」と小屋の天井を指差した。

「小屋の屋根に使われている大きな葉っぱを退かせば、簡単に入れるよ」


 ハクはトコトコと小屋に身体からだを向けると、脚を伸ばして屋根を確認する。

『ハク、しってたかも』

 ハクは私にパッチリした眼を向ける。


「うん……? あぁ、そうだな。ハクは初めから知っていた」

『ハク、しってた』

 白蜘蛛は腹部を振りながら屋根に向かう。

『ちょっと、あそんだ』


「冗談だったのか」とハクの調子に合わせる。

『ん。じょうだん、だった』

 ハクは脚を伸ばして大きな葉っぱを退けると、長い脚で子どもたちを抱き上げる。ふたりはハクの脚に抱えられながらも、ぐったりとしていて、その様子に少し不安になった。


「カグヤ、子どもたちは大丈夫か?」

『熱中症かな? 軽い脱水症状かも』


「なら、早くウェンディゴに戻った方がいいな。ハク、お願いできるか」

『まかせて』

 ハクが身体を傾けると、子どもたちを背に乗せていく。

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