第210話 周辺地図 re


 ヤモリに似た奇妙な生物は大型犬ほどの体長があったが、大樹たいじゅの粗い樹皮じゅひに張り付くようにして軽快に移動していた。その生物はみどりがかった深い黄色のうろこを持ち、尾は太く短かった。


 ウェンディゴの車体に乗っていたハクは生物の気配を感じ取ると、大樹たいじゅに大きな眼を向けてじっと周囲の様子を観察する。そして奇妙な生物の姿を見つけると、行動の予備動作として身体からだをゆっくり沈めて、ヤモリに似た生物を捕まえるために跳びかかろうとした。


 けれど奇妙な生物は周囲の景色に溶け込むようにして姿を隠してしまう。ハクはそのことに驚いて低く跳び上がり着地する。その行動が恥ずかしかったのか、あの動作は上手うまく跳べるか練習していただけとでもいうように、その場で何度か同じように跳んでみせた。


 そんなハクを嘲笑あざわらうかのように、ヤモリの変異体は大樹たいじゅの根元に姿をあらわすと、何度かまばたきをしてみせた。クリっとした黒い瞳を保護するまぶたをもっていたので、もしかしたらトカゲなのかもしれない。いずれにしろ、その生物は樹皮じゅひに溶け込むようにして姿を隠すと、もうあらわれることはなかった。


 素通しガラスのように外の景色がけて見えているウェンディゴの車内から、ミスズとナミになぐさめられているハクを見ていると、カグヤの操作する偵察ドローンが飛んでくる。


『レイ、準備ができたよ』

「報告ありがとう、カグヤ。すぐに行くよ」

 しょんぼりするハクの姿を一瞥いちべつしたあと、ウェンディゴの後部コンテナに向かうためハッチに近づく。


 ハッチの先には黒いもやが立ち込めていて、こちらがわからでは得体の知れないもやの先がどうなっているのか確認することはできない。

 ウェンディゴのコンテナは、重力場と空間のゆがみを利用した〈空間拡張〉技術によって広い空間が確保されている。それがどんな原理で実現しているのかは分からないが、それが問題なく動作して安全が確保されているのなら、その技術を使わない訳にはいかなかった。


 旧文明期の未知の技術を目にしたとき、何故なぜだがアマゾンの奥地で暮らす先住民たちのことを思い出すことがあった。それはひまつぶしに〈データベース〉のライブラリーで見た〈旧文明期以前〉のドキュメンタリー映画だったと思う。


 アマゾンで暮らす先住民たちに携帯電話を与えると、電子回路や電波の仕組みは理解できないのに、使い方さえ教えれば数日もしないうちに端末を使いこなすことができるようになる。


 すでに滅んでしまったかもしれない部族のことを悪く言うつもりはないが、旧文明の人間からすれば、きっと我々は野蛮やばんで不見識で無教養な人間に見えることだろう。我々は建造方法も分からない旧文明の施設を利用し、そこで手に入れられる情報端末にどのような技術が使われているのか、それすら理解できずに使用しているのだから。


 もちろん、自分たちを卑下ひげしている訳ではない。先住民たちが研究者たちを必要とせずに薬草を使い分けるように、我々は文明の崩壊した世界で生き残るすべを学んだのだ。

 思考を打ち切ると、正体も分からない黒いもやの中に入っていく。


 その先は短い通路になっている。鈍い銀色の壁で囲まれた通路の両側には扉があり、目的別の部屋につながっている。右手の扉の先にはトイレと洗面台があって、左手の扉からは調理室を兼かねた作業室につながっている。


 それぞれの部屋で使用される水は、主に雨水や川から取り込み〈浄水システム〉で飲用に適するまで綺麗にして使用していた。今回の遠征では使用頻度が高く、重宝している設備でもあった。


 通路を歩いていると調理室の扉が開いていたので、部屋の中を覗いて見ることにした。そこではなにかの作業をしている機械人形の姿が確認できた。


 その機械人形に声をかけることにした。

「これから作戦会議をするけど、ウミも一緒に来るか?」

 ウミが操作する機械人形はビープ音を鳴らす。


「そうだな」と私はうなずく。

「ウミはウェンディゴの何処どこにいても、ちゃんと俺たちの声を聞くことができるから、わざわざ一緒にいなくても大丈夫だったな」


 機械人形は頭部モニターに、アニメ調にデフォルメされた笑顔の女性を表示して、それからビープ音を鳴らしてうなずいた。


 彼女は人工知能のコアに宿やどる〝生命体〟で、旧文明期に活躍した兵器としても知られていた種族だ。普段は〈家政婦ドロイド〉に意識を転送していて、拠点の管理をしてくれていた。


 彼女専用の戦闘用機械人形を操作することもあるが、ウミの本体であるコアが直接接続されているのは軍用大型車両の〈ウェンディゴ〉だった。もっとも、機械人形にいつでも自由に意思を転送できるため、その存在は曖昧だった。


 例えば拠点にいるときには、旧式の家政婦ドロイドを好んで使用していたし、今回のような遠征をするときには、戦闘用の機械人形を好んで使うことが多かった。


 しかし戦闘用の機械人形が失われてしまったため、現在は一般家庭用に普及していた機械人形を使っていた。平均的な女性の骨格を持つ機体で、丸みのあるツルリとした白菫色しろすみれいろの外装に覆われ、頭部には表情を再現してコミュニケーションを円滑にするためのモニターがついていた。


 不死の薬〈仙丹せんたん〉を服用しなかった人々の生活を支援するために、旧文明の初期に製造された機体であるとも言われていた。彼女が使用する機体は、ペパーミントが〈兵器工場〉のデータベースから設計図をダウンロードして、拠点の地下で特別に製造した機体だった。


 なめらかな指使いでジャガイモの皮をいていたウミの邪魔にならないように、調理室を出ると後部コンテナに向かう。ちなみにジャガイモは拠点地下にある〈食糧プラント〉で育てたモノだった。


 それが本物のジャガイモなのか、それともジャガイモをしたなにか他の作物なのかは分からないが、味は同じだったのであまり気にならなかった。ジャガイモは好きだったし、好き嫌いができる世界でもなかった。


 コンテナ内の無機質な空間は、バスケットコート四面分ほどの広さが確保されていて、壁や天井は白くぼんやりとした場所になっている。まるで別の空間に入り込んだような奇妙な違和感を持つが、コンテナ内にいるのは確かだった。


 食糧等の物資が詰まったコンテナボックスや銃器が保管されている棚に加え、今回の遠征に同行した仲間のための簡易ベッドなどが置かれている。〈ヤトの一族〉からは族長の息子である〈ヌゥモ・ヴェイ〉や、ミスズが指揮する〈アルファ小隊〉が同行していた。


 もちろんハクとサクラの甲虫のための空間も用意されていた。そこにはウッドチップが敷かれていて、ハクの糸でカイコのまゆのようなフワリとした巣がつくられ寝床に使用されていた。


 ハクの寝床には、廃墟の街で拾ってきたと思われる大量のガラクタが貼り付けられていた。ハクのお気に入りは大きな姿見の破片で、寝床に向かうたびに自分自身の姿を映して楽しんでいた。


 外に出るためのハッチのそばには、すぐに出撃できるように〈ワヒーラ〉が待機していた。今回の遠征のために改良された機体だ。残りの機体は軍用規格の多脚車両ヴィードルを含め、すべて拠点に残してきた。


 ウェンディゴの積載量を考えてのことだったが、拠点の警備でも車両型偵察ドローンのワヒーラは活躍していたので、無理をしてまで今回の遠征に参加させるつもりはなかった。頻発していた〈五十二区の鳥籠〉からの襲撃は途絶えていたが、だからと言って拠点を警備しない訳にはいかなかった。


「レイ」とイーサンが言う。

「外の様子はどうだった?」


 テーブルとパイプイスを適当に並べてつくった仮設の作戦指揮所に、イーサンとエレノア、それにサクラとヤトの一族が集まっていた。


「野営地の周囲を重点的に見て回ったけど――」と皆の顔を見ながら言う。「脅威になるような昆虫は確認できなかった。ペパーミントが周囲に設置してくれたセンサーにも、突発的な動きを見せる生物はいなかった」

「そうか……世話を掛けたな。本来は俺たちが見回りをしないといけないんだが」


「大丈夫だ」と肩をすくめながら言う。

「ついでにハクの様子を見ることができた」


「ミスズとナミがいないのは……」

「ハクと遊んでくれているんだ」

「なら今回は仕方ないな……。俺たちだけで始めよう」


「そうですね」とエレノアが同意する。「ハクが何処どこかに遊びに行ってしまったら大変ですし、ふたりにはハクのおりをしてもらいましょう」

「そうだな」と私は苦笑する。


 イーサンは〈ジャンクタウン〉で情報屋をしながら、有名な傭兵団を率いる男でもあった。右も左も分からない状態で〈鳥籠〉に転がり込んだ私に仕事を紹介し、色々と世話を焼いてくれた。そして気がつくと彼とはそれなりの仲になっていた。


 それなりの仲とはつまり、信用できる仲間だってことだ。この世界で命を預けられるほど信用できる仲間を見つけるのは難しい。だから私はイーサンとの関係を得難いものとして大切にしていた。


 そのイーサンは灰色を基調とした特殊なスキンスーツに黒いタクティカルベストを装着していた。彼の装備は人工知能を搭載した〈スマートスーツ〉と呼ばれる代物で、〈ジャンクタウン〉の施設で購入できる戦闘服のなかでは最上位のモノだ。ミスズやヤトの一族が使用するスーツとほぼ同等の性能を持っていた。


 イーサンのとなりには、いつものように〈エレノア〉が立っていた。菫色すみれいろの美しい瞳を持つ女性で、無骨な装備をしていてもハッキリと分かる官能的なスタイルを持ち、くすんだ金色の髪は戦闘の邪魔にならないように綺麗に切り揃えられている。


 彼女も戦闘用の装備を身につけ小銃を背中に吊るしていたが、それでも彼女の美しさが損なわれることはなかった。敵対する鳥籠の地下施設に侵入したさい、足にひどい怪我を負っていたが、傷痕が残らないほどに今は回復していた。


「レイラ殿」

 声がして振り向くと、パイプイスから立ち上がった〈ヌゥモ・ヴェイ〉とアルファ小隊の面々が、胸の前で握った両拳を合わせるのが見えた。それはヤトの一族が行う独特の挨拶の仕方だった。


 私も彼らに倣って挨拶をする。ヌゥモはヤトの一族が使う古い言葉で〈赤い雲〉の名を持つ一族の若き指導者だった。戦闘能力が高く剣術に優れ、近接戦闘に関しては彼の右に出る者がいないほどの戦士だった。


「そっちはどうだった?」とヌゥモにたずねる。

「アルファ小隊と共に池の先を偵察しましたが、危険な生物は確認できませんでした。おそらくハクさまの気配を感じとって、このあたりから離れたのでしょう」


『そっか……人擬きの姿は見た?』とカグヤが質問した。

「いえ」ヌゥモは鈍色にびいろの髪を揺らす。

「それに、女神さまが探していた傭兵たちの死体も見つけられませんでした」

『全員、骨も残さず食べられちゃったのかな……』


 カグヤのドローンが姿をみせるとイーサンが口を開く。

「傭兵って言うのは、教団の護衛を引き受けていた連中のことか?」

『うん。部隊が全滅したことは分かっているけど、まだ遺体が見つかっていないんだ』


「その遺体に何かあるのか?」

『連中がキャンプに残した端末には、〈不死の導き手〉につながるような情報が得られなかったんだ』

「目的は教団の情報か」


『そう。護衛部隊が所持していた端末を見つけられたら、教団がこの森で何をたくらんでいるのか、そのヒントが得られるかもしれないって思ったんだ』

 彼女の言葉にイーサンは腕を組む。

「教団のたくらみか……それは俺も気になるな」



「そう言えば」と、私はイーサンに質問する。

「ペパーミントがいないみたいだけど」


「あの綺麗な姉ちゃんなら、ハカセと一緒に池のほうに行くって言っていたな」

「イーサン」と、エレノアがイーサンをにらむ。「彼女に失礼ですよ。ちゃんと名前で呼んでください」

「そうだったな、すまない」


『ハカセと一緒なら大丈夫かな』とカグヤが言う。

『ふたりとも〈人造人間〉だし』


「そうだな……」

 彼女の言葉にうなずいたあとイスに座った。とくに座る必要は感じていなかったが、私が座らないとヤトの一族も座ってくれないので座ることにした。戦士たちとは上下関係のない対等な関係になりたかったが、ここでイスに座るか座らないかで意固地になる必要もないと考えていた。


「なら、始めるか」

 イーサンはそう言って情報端末をテーブルに載せる。すると〈ワヒーラ〉が取得した詳細な地形図がホログラムで投影される。それは森の姿を立体的に映し出していて、巨大な〈機動兵器〉が多数放置された場所から、危険な水棲生物が潜む池のあたりまで確認できるようになっていた。


「これはワヒーラから受信している周辺地図だ」とイーサンは言う。

「そしてこっちは、ペパーミントが野営地の周囲に設置してくれた各種センサーで取得した昆虫や動物の位置情報だ」

 青色の線で立体的に表示されていた森が、途端に赤い点で埋め尽くされていく。


「こんなに昆虫がいたんだね」と、押し黙っていたサクラが言う。

樹木じゅもくの上に潜んでる昆虫たちには普段から注意していたけど、まさかこんなに沢山いるとは思わなかったよ」


「そこでだ」とイーサンが言う。

「サクラには危険な昆虫と、比較的安全な昆虫を分ける手伝いをしてもらいたい」


「無理だよ!」と、サクラが赤髪を揺らしながら頭を振る。

「こんな赤い点を見ただけじゃ、昆虫たちを区別することはできない」


「大丈夫ですよ」とエレノアが言う。

「こうやって拡大すれば、しっかり昆虫の姿が確認できます」


 エレノアが昆虫を示す赤色の点に向かって手を広げると、映像が拡大表示されて、枝の上にいるテントウムシに似た大きな甲虫の姿を映し出した。


「すごい……」とサクラが感心する。

「ペパーミントのおかげだな」とイーサンがうなずく。


「待って」と、サクラが私に天色あまいろの瞳を向ける。

「もしかしてこの赤い点を全部、ひとつひとつ確認しなくちゃいけないの!?」


「そうだ」とイーサンが言う。

「たとえば――この昆虫は危険か?」


 イーサンがテントウムシに似た甲虫を指差ゆびさすと、サクラが頭を横に振る。

「ううん。この子たちは安全だよ。人間を襲ったりしない」


 サクラの言葉を聞いたエレノアが端末に何かを入力すると、テントウムシが青色の線で縁取ふちどられていく。するとホログラムの地図内に存在する他のテントウムシも青色の点で表示されるようになる。かすかな変化だったが、地図上に存在する赤色の点が減った。


 イーサンは地図を見てうなずいたあと、サクラに言った。

「こうやって昆虫の情報を入力して分けていくことで、俺たちは危険な昆虫だけを避けて行動できるようになる」

「すごいね……」とサクラが言う。


「それと同時に、危険な昆虫の対処の仕方も俺たちに説明してもらいたい。サクラはここで唯一ゆいいつの〈森の民〉だ。俺とエレノアは森に入ったことがあるけど、そのときには部族の案内人が付き添っていた。今回は彼らなしで森の奥にある〈鳥籠〉に向かわなければいけないからな」


「そっか……ごめん。そこまで考えてなかった」

 サクラは素直に自分の態度を反省する。


「気にしないでください」とエレノアは微笑む。

「では、さっそく始めましょう」

 そう言って彼女は、大樹たいじゅの根元に潜んでいたモグラのような生物を拡大表示した。

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