第201話 die for you re
『どうして〈老人〉がこんな場所にいるの!?』
カグヤの声を内耳に聞きながら立ちあがると、太腿のホルスターからハンドガンを抜いた。
照準の先には深紫色の肌をした変異体が立っている。まるで枯れ木のような細い
老人の姿をした化け物は三メートルほどの体高があったが、工場地帯で遭遇した変異体よりも
化け物は地面に届きそうなほどの異様に長い腕を持っていて、その腕をそっと持ち上げると、腕の先がふと
『レイ!』
警戒音が聞こえると、フェイスプレートを通して見ている視界に左側面からの攻撃に対する警告が表示される。反射的に前方に転がるように飛び
ボディアーマーの胸元からコンバットナイフを抜くと、化け物が私を踏み潰そうとして持ち上げていた足にナイフを突き刺そうとする。しかし切っ先が深紫色の肌に触れる瞬間、〈老人〉の姿は
急いで立ち上がると周囲に目を向ける。銃声がして振り向くと、背後から私を
「レイ、撤退だ!」と、ライフルを構えたイーサンが声を上げる。
「まともに戦っても、今の俺たちに勝ち目はない!」
彼の言葉にうなずいたあと、すぐに駆けだした。
公園の出口が近づくと、急に目の前に〈老人〉の大きな手があらわれて私を捕えようとする。素早く横転して、すんでの所で手を
「なんとかならないのか」
『とにかく今は逃げよう。中層区画に向かうための施設は、公園のすぐ近くにある』
視界の先に拡張現実で表示される地図が浮かび上がる。カグヤが建物に目印をつけると、そこが目的の複合商業施設だと分かった。公園を出ると、振り向くことなく走り続ける。
通りの先にはエレノアと先行していたウミの姿が見えた。
「イーサン!」少し先を走っていたイーサンに向かって声を上げる。
「エレノアを連れて先に行ってくれ!」
「レイはどうするんだ」と彼は振り返ることなく言った。
「ここであいつを食い止める」
「いくら何でも無謀過ぎる!」
「けどここで手を打たなければ、俺たち全員あいつに殺される!」
「クソ!」と、彼は声を荒げる。
「カグヤ、イーサンの端末に〈キティ〉から受け取った権限を送信してくれ」
「仕方ない……」とイーサンが言う。
「用事を済ませたらすぐに戻ってくる。それまで
「大丈夫だ。俺にはカグヤとウミがついている」
そう口にしたときだった。右足首に違和感を覚えると、私は空中に放り出されていた。
おそらく〈老人〉に右足首を
一瞬、息が詰まってもがくように
蹴り飛ばされた衝撃で破壊された柱の一部ごと建物の外に吹き飛ばされる。
「クソったれ」
しかし〈老人〉は騒がしいホログラムのことなど少しも気にすることなく、私のすぐ目の前に出現する。化け物の体重で車のボンネットが
老人は腕を伸ばすと、私の首に冷たく長い指を
化け物がその大きな口で私の頭を
化け物の拘束から解放された私は車の上から転がり落ちて、そのまま地面で
呼吸が落ち着くと、ウミの戦闘用機械人形が私のすぐ近くに立っていることに気がついた。右腕の形状が変化していて手の甲から銃口が飛び出ていたので、おそらく至近距離から電動ガンの一撃を化け物に食らわせたのだろう。
『レイ、大丈夫?』
カグヤの声を聞きながら立ち上がる。
「大丈夫だ。それより、どうしてウミの攻撃が効いたんだ?」
『分からないけど、想像はできる』
通りの向こうからゆっくり歩いてくる無傷の化け物を見ながら
「理由を教えてくれるか」
『機械の反応を
「まさか」と私は頭を振る。「そんなことがあるのか?」
『生物から発せられる意思のようなモノを感じ取って、今までは攻撃を避けていたのかもしれない……』
「機械からはそれを感じられなかった? ならあの化け物は俺が異界で手に入れた能力のように、敵対者が発する攻撃の意思や悪意を察知して戦っているのか?」
『そうだとしたら、レイよりもずっと器用に能力を使ってる。でも本当にそんなことをしているのかは分からない。だってあいつは意思のない弾丸を
「ウミ、さっきは助かった」とハンドガンを握りながら言う。
『気にしないでください、レイラさま』と表情の見えないウミが言う。
『
「叱ったりしないさ」
私が口を閉じた瞬間、化け物の足がすぐ目の前にあらわれる。
もう少しで顔面に直撃しそうだった化け物の足をウミが両腕で受け止める。すると
ウミの機体は火花を散らしながら道路を派手に転がり、車に衝突して、その勢いのまま建物にぶつかった。
私は続けざまに繰り出される〈老人〉の足蹴りを
高速で撃ち出されたワイヤロープが直撃すると化け物の巨体は後ろに
「クソ!」
貫通弾が直撃しなかったことに対して苛立つが、すぐに頭を動かして化け物の姿を探す。
すると視界に警告が表示される。攻撃予測位置は私の足元を
「え」間抜けな声を出した瞬間、私は蹴り上げられる。
空中に打ち上がった
割れたガラスの破片が戦闘服に突き刺さり、転がりながら何度も壁や床に
化け物は腕を振り上げ、そして私に向けて拳を振り下ろした。
そして世界が
視界の端が仄暗くなり視野が狭まったように感じられると、〈老人〉の動きがまるでハイスピードカメラで撮影されたスローモーション映像のように遅くなっていることに気がついた。化け物の
時間が止まったかのような世界で私は普通に動けた。化け物の拳を
その瞬間、タクティカルグローブを通して拳が鋼鉄のように硬化していくのが分かった。拳が老人に触れた瞬間、世界は
『レイ!』と、カグヤの声が聞こえる。
「大丈夫だ。一瞬だけ
鼻から噴き出した血液を拭こうとしてガスマスクを装着していたことを思い出した。
『また来るよ、警戒して――』
カグヤが言葉を言い終える前に、不意の攻撃を受けて一瞬意識を失う。気がつくと空中にいて、向かいの建物の壁に衝突していた。脇腹の痛みに顔をしかめながらも、建物の
視線を上げると、向かいの建物、割れた大きな窓の
「痛かったか?」と、鼻で笑う。
「殴られると痛いんだ。いい教訓になっただろ」
私の言葉が気に入らなかったのか、〈老人〉は助走もせずに飛んでみせると、こちらに向かって突進してきた。
しかし下方から飛んできたウミに捕まり、空中でもみくちゃになりながら道路に落下していった。ウミと老人が殴り合う嫌な打撃音を聞きながら、建物の窓を撃ち抜いたあと、
そこは個人用の特殊なヴィードルを設計する事務所だったのか、室内の壁には色々な種類の多脚車両の設計図が貼られていた。レース用に改良されたヴィードルの色彩豊かなポスターを見ながら息を整え、そろそろと立ち上がった。
『レイ、どうするつもりなの?』と、カグヤが言う。
「ウミが
『ペパーミントが用意してくれた弾倉を使って狙撃するんだね』
「そうだ」
ユーティリティポーチに手を伸ばすが、ポーチを固定していたハーネスが切断されてなくなっていることに気がつく。防刃能力のある軍用のアラミド繊維でつくられたモノだったが、老人の蹴りの前ではあまりにも貧弱だった。
『蹴り上げられたときに失くしたのかな……。ちょっと探してくるね』
カグヤの偵察ドローンが姿を見せると、すぐに〈熱光学迷彩〉を起動し
そのときだった。突然、建物のガラスを揺らすほどの轟音が響き渡る。私は割れたガラス窓から身を乗り出して音の正体を確かめる。その轟音は〈老人〉に組みついて、電動ガンの強力な弾丸を撃ち込んでいるウミから聞こえていた。
轟音は立て続けに鳴り響き、最後にそれが聞こえたとき、ウミの腕が粉々に吹き飛ぶのが見えた。おそらく射撃の反動に耐えられなくなった腕の関節部に亀裂が生じて、そこから一気に壊れてしまったのだろう。
化け物は電動ガンの最後の一撃を受けると後方に吹き飛ぶが、地面に倒れる前に姿を消した。次に〈老人〉が通りの向こうに姿を見せたとき、その周囲には警備システムによって派遣された数十体の機械人形が立っていた。
しかし不思議なことに、それらの機械人形は脅威であるはずの〈老人〉に対して
ハンドガンの銃身が開いて形状が変化していく。銃身の内部で紫色の光の筋が銃口の先に向かって走ると、銃口の周囲の空間が
助走のための距離が確保できると、一気に駆けて建物を飛び降りた。
着地する先には〈老人〉がいる。弾薬を貫通弾に切り替えると、化け物に照準を合わせながら何度も引き金を引いた。甲高い銃声が建物の壁面で反響するが、化け物の姿はすでに弾丸の先にいなかった。受け身を取り転がりながらそのまま立ち上がると、次々と圧縮されていく機械人形の向こうに立っている〈老人〉を
そのまま老人から目を離さずに、すぐ背後に立っていたウミに向かって言う。
「大丈夫か、ウミ?」
『機体構造に深刻な損傷を確認しました。何もせずともいずれこの機体は行動不能に
「今すぐウェンディゴに意識を転送できるか?」
『施設の警備システムによって、外部との通信が完全に
「なら後退してくれ、あとは俺がどうにかする」
『まだ戦えます』
「無理だ」
『超小型核融合ジェネレーターを暴走させて、変異体と共に自爆します』
「ダメだ」一挙一動も見逃さないよう老人に目を向けながら言う。
「その爆発で上層区画が吹き飛ぶのは構わないが、ウミを失うわけにはいかない」
『私の意識と記憶が保存されたコアをレイラさまに預けます。それをウェンディゴまで持ち帰ってください。そうすれば何も問題はありません』
ウミはそう言うと私の前に出てくる。
老人との戦闘で機体の外装はほとんど失われていて、フレームも曲がり頭部の装甲も破壊されていた。その頭部の前後についているカメラアイは、大きくひび割れていて
ウミはぎこちない動きで、側頭部から半透明の――将棋の駒にも似た小さな〈クリスタル・チップ〉を抜き出した。
『私のこれまでの記憶と意思が保存されています』
「これまでの……?」と、老人から目を離してウミに視線を向けた。
「どういうことだ」
『そのままの意味で解釈してくれて構いません』と彼女は静かな声で言う。
「意識を分けたのか?」
『はい』と、単眼のカメラアイが明滅する。
「意識を分けるようなことはしたくなかったんじゃないのか?」
『緊急事態ですから、そうする他ないのです』
ウミは〈クリスタル・チップ〉を私に握らせると、発光する球体状の小さな装置をまとめてポーチから取り出して、足元で次々と割っていく。
我々の周囲にドーム状のシールドが展開すると、ウミは〈老人〉に向かって歩き出す。私はすぐに手を伸ばしてウミを引き止める。
「ダメだ、行かせない。ウミをみすみす死なせたりはしない」
『私は死んだりしません』
「チップに保存されたウミは死なない。でもここにいるウミは――」
『それでも私は行きます』
一瞬の沈黙。
『私の最上の喜びはレイラさまに尽くし、そしてあなたのために死ぬことなのですから』
「奉仕するためだけに創造されたのはウミの種族で、ウミには関係ないことだ」と戸惑いながら声を上げる。「ウミは自由に生きていいんだ。以前そう話したじゃないか」
『私はいつだって自由でした。だから悲しまないでください。果てのない暗闇から拾い上げてもらってから、私の喜びはレイラさまの
「なら――」
『さよならは言いません。またすぐに会えるのですから』
機体内部から直視することのできない
ウミの機体を中心にして一気に膨張した光の
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