第189話 汚染地帯 re


 完全栄養食品とされている未開封の〈国民栄養食〉を荷物の中から取り出すと、密閉されていたビニールの袋をいてブロック状の食品を口に入れる。


 パッケージは拡張現実に対応していて、原材料などの情報が映像で確認できるようになっていることが分かった。どうやら原料の一部には遺伝子操作されたハイブリット穀物こくもつと、各種ビタミンが濃縮されたが使われているらしい。ちなみに穀物は成長速度が驚くほど速く高タンパク食品なので、異種合成肉よりも人気のある商品のようだ。


 原材料を確認しながらボソボソした食感の栄養食を食べていると、向かいの席に座っていたイーサンの声が聞こえる。

「まだ食べるのか、レイ」

 ゆっくり咀嚼そしゃくして飲みこんだあと、イーサンに栄養食を差し出した。

「食べるか?」


「食べない。そんなに食べたら、もしものときに素早く動けなくなるだろ」

「そうか? 食べないと逆に動けなくなると思うけど」

「ほどほどがいいんだよ。それに用を足すのも面倒だからな」

「たしかに戦っている最中に小便は漏らしたくないな」

「だろ」とイーサンは肩をすくめた。


「でも俺の場合、食べたモノはすぐに消化されて栄養素に分解されるんだ。だから動けなくなる心配をする必要がない」

「本当なのか?」と、彼は金色の瞳を大きく開いた。

「もしかして、お前さんはトイレに行かないのか?」


「まさか。小便くらいするさ。たまにだけど」

 イーサンは顔をしかめると、頭をゆっくり振った。

「内臓の働きを強化するインプラントがいくつか存在するのは知っているけど、レイはそういったインプラントは使っていないんだろ?」


「俺が知る限りでは、人工臓器は使ってないと思う」

「お前さんが本当に人間なのか分からなくなるよ」

 イーサンはそう言って苦笑した。


 我々は現在、旧文明期の地下施設に侵入するため〈五十二区の鳥籠〉に向かっていた。作戦に同行しているのはイーサンとエレノア、そしてウェンディゴを操作するウミだけだった。隠密行動を主体とする作戦なので、少数で施設に潜入することになる。そのため〈ヤトの戦士〉たちは連れてきていなかった。ミスズを連れてきたかったが、敵対する鳥籠の資産を根こそぎ奪う危険な仕事だったので、無理はしないことにした。


 ちなみにハクも我々と一緒に来たくて駄々をねていたが、ミスズも拠点で留守番をすると教えると、すんなり拠点に残ることに納得してくれた。その訳をハクにたずねると、ミスズを守るためだと言っていた。何から守るのかは分からないが、ハクにミスズのことを任せて拠点を出た。〈深淵の姫〉であるハクに守られることほど頼もしいことはないだろう。


 廃墟の街に林立する高層建築群の中心に、一際高い構造体が建っているのが見えた。尖端に向かってじれたような構造をした建設途中の不格好な建物は、紫黒色しこくしょくの光沢を帯びていた。


 その構造体には、十五メートルほどの巨体を持つ建設用の機械人形が数体、建物の外壁にしがみつくようにしてぶら下がっているのが見えた。しかしそれらの建設人形が小さいと錯覚してしまうほどに、建設途中の構造体は巨大で異様な姿をしていた。


 ウェンディゴの車内、素通しのガラスのように外の風景が透けて見えている壁に触れると、そこに〈カラス型偵察ドローン〉から受信する映像を表示した。構造体の外壁にぶら下がっている数体の建設人形は、まだ作業を継続しているようだったが、あまりにも高いところで作業を行っているため、カラスの視界からは、その様子をハッキリと確認することはできなかった。


 それらの建設用機械人形の中でも、とくに私の興味をいたのは地上から八十メートルほどの高さで停止していた建設人形だった。その建設人形の胴体の一部は解体されていて、まるで人間が住み着いているように、胴体内部には何者かの生活の痕跡が残されていた。


 菜園のための植木鉢がいくつも並び、日の光や雨をしのぐためのブルーシートが何枚も張られていた。建設人形の装甲には作業用の足場や鎖、それに落下防止用の柵が張り巡らされていて、移動時の安全が確保されていることが分かった。


 機械人形の骨組みに描かれた子どもの落書きや生活の痕跡を眺めていると、カグヤのやわらかな声が内耳に聞こえた。

『あんな危ない場所でも人は暮らしていけるんだね』

 彼女の言葉にうなずいたあと、熱中症対策に持ってきていたスポーツドリンク的なアイソトニック飲料を飲み、空になったペットボトルを潰して車内に設置されていた〈リサイクルボックス〉に放り込む。


「あそこで生活するのは、地上にたむろする危険なレイダーギャングがいないからなのかもしれないな」

『あの場所なら、襲撃におびえずに安心して暮らせる?』

「暮らせるのかもしれない。それでも建物の高層にも危険な昆虫や人擬きはいるから、安心することはできないと思う」


『どうやってあんな高い場所まで登ったんだろう』

「見当もつかないよ」と私は肩をすくめる。

「それに、今もあそこで暮らしている人間がいるのかも分からない。それより動く建設人形が存在していることのほうが驚きだ」


『たしかにめずらしいね。旧文明期から作業を続けているのかな?』

「さぁな、そもそもあの異様な建物がなんのために建てられているのかも分からない」

『タワーマンション、とか?』と、カグヤの自信なさそうな声が聞こえる。


「窓のないマンションを建てるのか?」

『ウェンディゴの装甲に使われている技術と同じで、きっと内側からは素通しのガラスみたいに周囲の風景がリアルタイムで投影されてるんだよ』

「建物全体にそんな技術を使うとは思えないけどな」


『たしかに大袈裟おおげさな気もするね。なんだか墓石みたいで景観を悪くしてるし』

「軍が管理していた建物、あるいは何かを収容するための施設だった可能性はないか?」

『なにかの?』


「旧文明の人々が〈深淵の娘〉たちとなにかしらの共生関係にあったことは知っているだろ? もしかしたら、あの大きな蜘蛛たちを収容するための施設だったんじゃないのか?」

『でもこんな街中に建てるモノなのかな?』

「さすがにそれは危険か……。ハクは人間の言葉が分かるけど、深淵の娘たちが話をするなんて聞いたことがないし」


『言葉か……』

「気になることでもあるのか?」

『ハクは私の存在を感じ取れるって言ってたけど、それでも私の言葉は上手うまく理解できないみたいなんだ』


「ドローンにスピーカーを付けて話しかければいいんじゃないか?」

『それはもう試した』

「そんなこと本当にしたのか?」

『うん。ペパーミントが協力してくれて一緒にやってみたの』


「結果はよくなかったみたいだな」

『理由は分からないけど、ハクは私の言葉の半分も理解できなかった』

「不思議だな」私はそう言うと、別の建設人形に目を向ける。

「機械から発せられる音声が認識できないわけじゃないんだろ?」


『ウミが戦闘用機械人形を遠隔操作しているときに話しかけていたけど、ちゃんと言葉の意味を理解していた。でも私だけ何をやっても上手うまくいかなかった』

「それは奇妙だ。なにかあったときのために、ハクとのコミュニケーション方法を考えたほうがいいな」


『例えば?』

「ホログラムのアニメーションを表示したり……情報端末を介して会話してみたりとか」

『他には?』

 しばらく腕を組んで思考したが、あまりいい考えは浮かばなかった。


「レイ」

 声がして振り向くと、イーサンが手招きしているのが見えた。

「何かあったのか?」

 彼はホログラムで投影された地図の一角を指差ゆびさした。

「また検問所があるようだ」


「やけに多いな。これで三つ目だ」

「仕方ありません」とエレノアが言う。

「〈五十二区の鳥籠〉は現在、砂漠地帯の鳥籠〈紅蓮ホンリェン〉と戦争中ですから、この程度の警備は普通のことです」


「なら、また迂回しないといけないな」

「それには少し問題があります」

 エレノアの菫色すみれいろの瞳を見つめながらたずねる。

「この先には汚染地帯がある?」

「はい、広大な汚染地帯になっています」


『ウェンディゴは汚染物質対策が施されているから、周囲の状況を気にしないで安全に移動できるけど、他にも何か問題があるの?』

 カグヤの言葉に彼女はうなずく。

「危険な変異体が多く目撃されている地域でもあります」


「変異体か……」

 イーサンは立体的に表示されている地図を動かしながら、汚染地帯の詳細が分かるように移動経路付近の情報を表示する。それは彼が持参した地形データを参考にして作成されているので、信頼性の高い地図だった。


「人間が滅多めったに侵入しない地域だから、大量の人擬きが処理されることなく徘徊はいかいしている場所だ。けど問題は人擬きだけじゃない。この時期には危険な昆虫の姿も多く確認されている」


「やけに広いな」と私は素直な感想を口にした。

「ああ。けど、別の道を探している余裕はない。検問所の人間に俺たちの存在が知られたら、すぐに鳥籠に情報が伝わる。そうなれば地下施設の侵入が難しくなる」


「汚染地帯での戦闘は避けたほうがいいのか?」

「いや」とイーサンは頭を振る。「あそこは危険な場所だ。戦闘は避けられないだろう。検問所の警備員に戦闘音を聞かれる心配はあるが、このあたりでは日常的に激しい戦闘が起きている。ウェンディゴの姿を見せなければ、通報される心配もない」


「それだけ戦闘の多い場所なのか……」

「貴重な〈遺物〉を目当てに、スカベンジャーや傭兵が汚染地帯に侵入するからな」


 カラスをウェンディゴのコンテナに収容すると、我々は深緑色の濃霧のうむの中に入っていく。すると途端に周囲が薄暗くなる。高層建築物の間に架かる橋からは、歪曲した太い管が垂れ下がっていて、そこから絶えず蒸気が噴き出している。


 太い管の陰には四十センチほどの体長を持つ甲虫がひしめいていて、昆虫の甲殻こうかくにウェンディゴの照明があたると虹色に輝くのが見えた。その奇妙な甲虫は我々が近くを通過しても知らん顔で、蒸気によって青緑色に変色した管を舐め続けているだけだった。


 網膜に汚染情報を示す警告が投射されたあと、ウェンディゴの車内にも同様の警告表示がホログラムで投影される。しかしいずれも外の危険を知らせる警告で、ウェンディゴの車内は安全が確保されていた。私は警告表示から視線を外すと、建物からがれ落ちた外壁が転がる大通りに目を向けた。


 道路沿いには破壊された多脚車両や、防護服姿の傭兵の亡骸が多く残されていた。といっても死体はい散らかされていて、骨しか残されていない状態だった。おそらく昆虫や人擬きに食べられてしまったのだろう。


 傭兵たちの近くには小銃やバックパックが落ちていて、彼らが持ち込んだと思われる物資も手付かずで残されていた。スカベンジャーたちが危険な汚染地帯にやってくるのは、傭兵たちが残した物資を目当てにしているからかもしれない。


 高速道路に続く高架を道なりに進むと、放置された車両の間にたたずむ複数の人擬きが見えた。その化け物は何をするでもなく、ただぼうっとその場に立ち尽くしている。服を身に着けていない変異体が多く、そのほとんどが数十年もの間、この場所を彷徨さまよっていた個体だと推測できた。


「ウミ、戦闘準備だ」

『すでに準備はできています』

 車内に設置されたスピーカーからウミの凛とした声が聞こえると、車体横の装甲につなぎ目があらわれて、装甲の一部が展開して収納されていた重機関銃が姿を見せる。兵器の展開を確認したあと、イーサンたちに声をかけてからコクピットに向かう。


 コクピットシートに座ると身体からだに合わせてクッションが変形し、全天周囲モニターが起動する。コクピットの入り口に向けられていたシートは回転して正面に向けられる。モニターが起動したことで外の風景がリアルタイムで投影されるようになり、まるでシートが空中に浮かび上がったように感じられた。足元を確認すると、道路に散らばる放置車両や瓦礫がれきを踏み潰しながら進むウェンディゴの脚が見えた。


 立ち尽くしたまま動かなかった人擬きは、ウェンディゴが接近すると急に奇声を上げ、猛然と駆けてきた。ウミは冷静にウェンディゴを操作して、人工筋肉の詰まった重い脚で人擬きを踏み潰していった。私は操縦をウミに任せると、コンソールを操作してイーサンが提供してくれた地図と周辺の地形を照らし合わせながら移動経路を決める。


 すると突然コクピット内に警告音が鳴り響いた。反射的にモニターに表示されていた索敵マップを確認した。どうやら高速道路に放置されていた多くの車両に、爆弾が設置されているみたいだった。


『厄介だな』と、イーサンの声がスピーカーから聞こえた。

『レイ、あれは即席爆弾の一種だ』

「よく分かったな」

『こっちのディスプレイでも確認できるからな』


「それで、その即席爆弾の何が厄介なんだ」

『規格化されていない手製の爆弾だ。爆発の規模が判断できないし、軽い衝撃で簡単に爆発するから対処も難しい。それにもしも爆弾を設置した人間が近くにいれば、任意のタイミングで爆破することができる』


「こんな環境に長くとどまる傭兵がいるとは思えない」

『〈五十二区の鳥籠〉の警備員が設置したのかもしれないな。連中もバカじゃないから、汚染地帯が鳥籠の抜け道に使用できることくらい想定しているだろうからな』


『爆弾が設置された車両の近くに人擬きがいるけど、爆発してないね』

 カグヤの言葉にイーサンが答えた。

『だから怪しいのさ。標的を選んでいる可能性がある』


「爆弾を設置したやつが死んでいる可能性のほうが高いと思うけどな」

『どうするの、レイ?』とカグヤが心配そうに言う。

「車両ごと破壊する」

『まぁそうなるよね、時間も無駄にできないし』


「ウミ、爆弾が設置されている車両をすべて破壊してくれ」

『承知しました』


 重機関銃から弾丸が物凄ものすさまじい速度で撃ち出され、薬莢がパラパラと地面に落ちていくと、複数の爆弾が爆発し轟音と共に黒煙が立ち昇る。


 爆発の衝撃はすさまじく、旧文明の特殊な建材が使用された高速道路の構造体を揺らし表面を傷つけ、複数の人擬きを爆発に巻き込み原型が分からないほどにぐちゃぐちゃにした。


 衝撃波で飛ばされた小石や瓦礫がれきが風切り音を鳴らしながらウェンディゴに衝突したが、シールドを起動していたので被害はでなかった。


 爆発の被害を確認したあと、コンソールを操作して射撃のためのシステムを立ち上げ、操縦桿を握る。周辺の建物から多くの人擬きがい出てきていて、こちらに向かって来ているのが見えた。

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