第189話 汚染地帯 re
完全栄養食品とされている未開封の〈国民栄養食〉を荷物の中から取り出すと、密閉されていたビニールの袋を
パッケージは拡張現実に対応していて、原材料などの情報が映像で確認できるようになっていることが分かった。どうやら原料の一部には遺伝子操作されたハイブリット
原材料を確認しながらボソボソした食感の栄養食を食べていると、向かいの席に座っていたイーサンの声が聞こえる。
「まだ食べるのか、レイ」
ゆっくり
「食べるか?」
「食べない。そんなに食べたら、もしものときに素早く動けなくなるだろ」
「そうか? 食べないと逆に動けなくなると思うけど」
「ほどほどがいいんだよ。それに用を足すのも面倒だからな」
「たしかに戦っている最中に小便は漏らしたくないな」
「だろ」とイーサンは肩をすくめた。
「でも俺の場合、食べたモノはすぐに消化されて栄養素に分解されるんだ。だから動けなくなる心配をする必要がない」
「本当なのか?」と、彼は金色の瞳を大きく開いた。
「もしかして、お前さんはトイレに行かないのか?」
「まさか。小便くらいするさ。たまにだけど」
イーサンは顔をしかめると、頭をゆっくり振った。
「内臓の働きを強化するインプラントが
「俺が知る限りでは、人工臓器は使ってないと思う」
「お前さんが本当に人間なのか分からなくなるよ」
イーサンはそう言って苦笑した。
我々は現在、旧文明期の地下施設に侵入するため〈五十二区の鳥籠〉に向かっていた。作戦に同行しているのはイーサンとエレノア、そしてウェンディゴを操作するウミだけだった。隠密行動を主体とする作戦なので、少数で施設に潜入することになる。そのため〈ヤトの戦士〉たちは連れてきていなかった。ミスズを連れてきたかったが、敵対する鳥籠の資産を根こそぎ奪う危険な仕事だったので、無理はしないことにした。
ちなみにハクも我々と一緒に来たくて駄々を
廃墟の街に林立する高層建築群の中心に、一際高い構造体が建っているのが見えた。尖端に向かって
その構造体には、十五メートルほどの巨体を持つ建設用の機械人形が数体、建物の外壁にしがみつくようにしてぶら下がっているのが見えた。しかしそれらの建設人形が小さいと錯覚してしまうほどに、建設途中の構造体は巨大で異様な姿をしていた。
ウェンディゴの車内、素通しのガラスのように外の風景が透けて見えている壁に触れると、そこに〈カラス型偵察ドローン〉から受信する映像を表示した。構造体の外壁にぶら下がっている数体の建設人形は、まだ作業を継続しているようだったが、あまりにも高いところで作業を行っているため、カラスの視界からは、その様子をハッキリと確認することはできなかった。
それらの建設用機械人形の中でも、とくに私の興味を
菜園のための植木鉢がいくつも並び、日の光や雨をしのぐためのブルーシートが何枚も張られていた。建設人形の装甲には作業用の足場や鎖、それに落下防止用の柵が張り巡らされていて、移動時の安全が確保されていることが分かった。
機械人形の骨組みに描かれた子どもの落書きや生活の痕跡を眺めていると、カグヤのやわらかな声が内耳に聞こえた。
『あんな危ない場所でも人は暮らしていけるんだね』
彼女の言葉にうなずいたあと、熱中症対策に持ってきていたスポーツドリンク的なアイソトニック飲料を飲み、空になったペットボトルを潰して車内に設置されていた〈リサイクルボックス〉に放り込む。
「あそこで生活するのは、地上に
『あの場所なら、襲撃に
「暮らせるのかもしれない。それでも建物の高層にも危険な昆虫や人擬きはいるから、安心することはできないと思う」
『どうやってあんな高い場所まで登ったんだろう』
「見当もつかないよ」と私は肩をすくめる。
「それに、今もあそこで暮らしている人間がいるのかも分からない。それより動く建設人形が存在していることのほうが驚きだ」
『たしかに
「さぁな、そもそもあの異様な建物がなんのために建てられているのかも分からない」
『タワーマンション、とか?』と、カグヤの自信なさそうな声が聞こえる。
「窓のないマンションを建てるのか?」
『ウェンディゴの装甲に使われている技術と同じで、きっと内側からは素通しのガラスみたいに周囲の風景がリアルタイムで投影されてるんだよ』
「建物全体にそんな技術を使うとは思えないけどな」
『たしかに
「軍が管理していた建物、あるいは何かを収容するための施設だった可能性はないか?」
『なにかの?』
「旧文明の人々が〈深淵の娘〉たちと
『でもこんな街中に建てるモノなのかな?』
「さすがにそれは危険か……。ハクは人間の言葉が分かるけど、深淵の娘たちが話をするなんて聞いたことがないし」
『言葉か……』
「気になることでもあるのか?」
『ハクは私の存在を感じ取れるって言ってたけど、それでも私の言葉は
「ドローンにスピーカーを付けて話しかければいいんじゃないか?」
『それはもう試した』
「そんなこと本当にしたのか?」
『うん。ペパーミントが協力してくれて一緒にやってみたの』
「結果はよくなかったみたいだな」
『理由は分からないけど、ハクは私の言葉の半分も理解できなかった』
「不思議だな」私はそう言うと、別の建設人形に目を向ける。
「機械から発せられる音声が認識できないわけじゃないんだろ?」
『ウミが戦闘用機械人形を遠隔操作しているときに話しかけていたけど、ちゃんと言葉の意味を理解していた。でも私だけ何をやっても
「それは奇妙だ。なにかあったときのために、ハクとのコミュニケーション方法を考えたほうがいいな」
『例えば?』
「ホログラムのアニメーションを表示したり……情報端末を介して会話してみたりとか」
『他には?』
しばらく腕を組んで思考したが、あまりいい考えは浮かばなかった。
「レイ」
声がして振り向くと、イーサンが手招きしているのが見えた。
「何かあったのか?」
彼はホログラムで投影された地図の一角を
「また検問所があるようだ」
「やけに多いな。これで三つ目だ」
「仕方ありません」とエレノアが言う。
「〈五十二区の鳥籠〉は現在、砂漠地帯の鳥籠〈
「なら、また迂回しないといけないな」
「それには少し問題があります」
エレノアの
「この先には汚染地帯がある?」
「はい、広大な汚染地帯になっています」
『ウェンディゴは汚染物質対策が施されているから、周囲の状況を気にしないで安全に移動できるけど、他にも何か問題があるの?』
カグヤの言葉に彼女はうなずく。
「危険な変異体が多く目撃されている地域でもあります」
「変異体か……」
イーサンは立体的に表示されている地図を動かしながら、汚染地帯の詳細が分かるように移動経路付近の情報を表示する。それは彼が持参した地形データを参考にして作成されているので、信頼性の高い地図だった。
「人間が
「やけに広いな」と私は素直な感想を口にした。
「ああ。けど、別の道を探している余裕はない。検問所の人間に俺たちの存在が知られたら、すぐに鳥籠に情報が伝わる。そうなれば地下施設の侵入が難しくなる」
「汚染地帯での戦闘は避けたほうがいいのか?」
「いや」とイーサンは頭を振る。「あそこは危険な場所だ。戦闘は避けられないだろう。検問所の警備員に戦闘音を聞かれる心配はあるが、この
「それだけ戦闘の多い場所なのか……」
「貴重な〈遺物〉を目当てに、スカベンジャーや傭兵が汚染地帯に侵入するからな」
カラスをウェンディゴのコンテナに収容すると、我々は深緑色の
太い管の陰には四十センチほどの体長を持つ甲虫がひしめいていて、昆虫の
網膜に汚染情報を示す警告が投射されたあと、ウェンディゴの車内にも同様の警告表示がホログラムで投影される。しかしいずれも外の危険を知らせる警告で、ウェンディゴの車内は安全が確保されていた。私は警告表示から視線を外すと、建物から
道路沿いには破壊された多脚車両や、防護服姿の傭兵の亡骸が多く残されていた。といっても死体は
傭兵たちの近くには小銃やバックパックが落ちていて、彼らが持ち込んだと思われる物資も手付かずで残されていた。スカベンジャーたちが危険な汚染地帯にやってくるのは、傭兵たちが残した物資を目当てにしているからかもしれない。
高速道路に続く高架を道なりに進むと、放置された車両の間に
「ウミ、戦闘準備だ」
『すでに準備はできています』
車内に設置されたスピーカーからウミの凛とした声が聞こえると、車体横の装甲につなぎ目があらわれて、装甲の一部が展開して収納されていた重機関銃が姿を見せる。兵器の展開を確認したあと、イーサンたちに声をかけてからコクピットに向かう。
コクピットシートに座ると
立ち尽くしたまま動かなかった人擬きは、ウェンディゴが接近すると急に奇声を上げ、猛然と駆けてきた。ウミは冷静にウェンディゴを操作して、人工筋肉の詰まった重い脚で人擬きを踏み潰していった。私は操縦をウミに任せると、コンソールを操作してイーサンが提供してくれた地図と周辺の地形を照らし合わせながら移動経路を決める。
すると突然コクピット内に警告音が鳴り響いた。反射的にモニターに表示されていた索敵マップを確認した。どうやら高速道路に放置されていた多くの車両に、爆弾が設置されているみたいだった。
『厄介だな』と、イーサンの声がスピーカーから聞こえた。
『レイ、あれは即席爆弾の一種だ』
「よく分かったな」
『こっちのディスプレイでも確認できるからな』
「それで、その即席爆弾の何が厄介なんだ」
『規格化されていない手製の爆弾だ。爆発の規模が判断できないし、軽い衝撃で簡単に爆発するから対処も難しい。それにもしも爆弾を設置した人間が近くにいれば、任意のタイミングで爆破することができる』
「こんな環境に長くとどまる傭兵がいるとは思えない」
『〈五十二区の鳥籠〉の警備員が設置したのかもしれないな。連中もバカじゃないから、汚染地帯が鳥籠の抜け道に使用できることくらい想定しているだろうからな』
『爆弾が設置された車両の近くに人擬きがいるけど、爆発してないね』
カグヤの言葉にイーサンが答えた。
『だから怪しいのさ。標的を選んでいる可能性がある』
「爆弾を設置した
『どうするの、レイ?』とカグヤが心配そうに言う。
「車両ごと破壊する」
『まぁそうなるよね、時間も無駄にできないし』
「ウミ、爆弾が設置されている車両をすべて破壊してくれ」
『承知しました』
重機関銃から弾丸が
爆発の衝撃は
衝撃波で飛ばされた小石や
爆発の被害を確認したあと、コンソールを操作して射撃のためのシステムを立ち上げ、操縦桿を握る。周辺の建物から多くの人擬きが
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