第188話 油断 re
上空のカラスから受信していた映像を確認すると、林立する廃墟の屋上を伝って移動しているハクの姿と、その後を追う傭兵たちの姿が見えた。彼らは身体能力を向上させる義肢を装備しているのか、建物に飛び移るのに必要な五メートルほどの距離を簡単に飛んでいた。どうやら我々が相手にしていたのは、高価なインプラントを買い揃えられるだけの組織力がある傭兵団だったようだ。
ハクの脚に掴まりながら位置を調整すると、振り返ってハンドガンを構える。我々のすぐ背後まで迫って来ていたのは、鉛色の戦闘服を着た六人の傭兵だった。それぞれが金属と炭素繊維で覆われた義肢を装着していて、傭兵たちの先頭にいた男性の頭部には緑色に発光する義眼が五つもついていた。
何度か傭兵たちに照準を合わせるが、移動中のため揺れが激しく、正確に狙いがつけられなかった。深呼吸して心を落ち着かせたあと、ホログラムで投影される照準器の先に映る傭兵たちに集中する。
複数の義眼を持つ男性に銃口を向けると、世界が一瞬静止し、視界の
傭兵に狙いをつけ引き金を引いた。すると世界は
『レイ』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。
『
「一瞬の間、時間の流れが遅くなったように感じられたんだ。カグヤが何か操作をしたのかと思った」私はそう言うと、必要以上に強力な〈貫通弾〉から通常弾に弾薬を切り替えて、傭兵たちに銃口を向ける。
『私は何もしてないよ。たぶん、それはレイに
「便利な能力だな」
もはや皮肉を言う気にもなれなかった。医療用ナノマシンにバイオモニター、それに脳の神経活動を高めて体感時間を遅くする得体の知れない能力まで備わっている。果たしてそれは人間の肉体と呼べるものなのだろうか。
義足に銃弾を受けた傭兵は足を
『けど、レイがその能力を意識して使うには、脳の負担が大き過ぎるかも』
急に飛び上がった白蜘蛛の足から落ちないように、しっかりとハクの体毛に掴まる。
「能力の発動条件が分からないけど、継続して使えないなら使いモノにならないな」
私はそう言うと、残り四人になった傭兵の内のひとりに照準を合わせる。
『レイがその
「なら――」口を開いた瞬間、傭兵の腕からワイヤロープが射出され、ハンドガンを握っていた腕に巻き付く。人工皮膚の下にグラップリングフックを仕込んでいたようだ。〈サイバネティック・アーム〉から伸びるワイヤロープに引っ張られるように建物屋上に引き倒されると、
すぐ近くで見る傭兵たちの
上体を素早く起こすと、ワイヤロープが巻き付いていた腕を力任せに
私は
「ありがとう、ハク!」
白蜘蛛の脚の間から抜け出ると、目の前の傭兵を蹴り飛ばし屋上から落とすと、もうひとりの傭兵に銃口を向ける。けれど背中から首に向かって複数のチューブが伸びていた女性のほうが速かった。彼女が口を開くと喉の奥から赤い光線が発射された。反射的に光線を避けたが、視界に警告が表示され、マスクの一部が損傷してしまったことを知らせる。
「口からレーザーを吐き出すな!」と、
銃声がして振り向くと、白蜘蛛の脚にワイヤロープを巻き付けた傭兵が、その脚に振り回され空中を舞っている
私は屋上に転がっていた鉄製のパイプを拾い上げると、ハクに向かって射撃を行っていた傭兵の背中に突き刺した。パイプの先から人工血液が噴き出ると、傭兵はライフルから手を放し、背中に突き刺さっていたパイプを抜こうとしていたが、血液に濡れた手が
片膝をついた傭兵の首をしっかりと締め上げると、そのまま首を引き抜くように力の限り引っ張った。すると男の首と胴体をつなげていた部品が
男の頭部を屋上から投げ捨てると、脚に巻き付いたワイヤロープを取ろうとして頑張っていたハクの側に向かう。ワイヤロープをハクに巻き付けた女性は屋上の床に何度も叩きつけられたのか、自分自身の血溜まりに顔を突っ込んだまま死んでいた。
「すぐに取るからじっとしていてくれ」
ハクを撫でたあと、脚に絡み付いていたワイヤロープを外す。
ワイヤロープを外している間、ハクはじっと私に大きな眼を向けていた。
『けが、ない?』
ハクは別の脚を伸ばすと私の
「ハクが助けてくれたから大丈夫だったよ」
ガスマスクの形状を変化させると、ハクを安心させるために笑顔を見せる。
「さっきは本当に助かったよ。ありがとう、ハク」
『んっ!!』
興奮して腹部を震わせるハクを撫でたあと、ワイヤロープを捨て、死体になった傭兵の側に向かう。
『レイ』と、カグヤの偵察ドローンが急に目の前にあらわれる。
『すぐにここから移動したほうがいい。その死体を
拡張現実で表示される地図を確認すると、敵を
「しつこい連中だ」
『護衛しなければいけない人間を、私たちに簡単に
「油断していた連中が悪い」
『そうだよ。油断したから
「了解……」
気持ちを落ち着かせるために深呼吸したあと、地面に横たわる死体を
「合流地点に急ごう」
人擬きや昆虫の変異体との戦闘を避けながらハクと一緒に合流地点に向かう。超高層建築物が建ち並ぶ区画は植物が少なく、この区画だけは季節を通して変わらない姿を見せていた。
道路脇に細長く異様に高い構造物が立っていて、そこから蒸気を吹き出しているのが見えた。多脚車両のウェンディゴは〈環境追従型迷彩〉を起動して、その構造物のすぐ横に止まっていた。私の視界には青色の線で
上空のカラスから受信する映像で追跡者がいないか確認する。それからウェンディゴに近づく、すると周囲の景色にぼんやりと溶け込んでいた多脚車両が姿を見せる。ウェンディゴの後部コンテナが開くと、ミスズとナミが外に出てくる。
「おかえりなさい、レイラ」とミスズが微笑む。「ハクもおかえり」
『スズ、ハク、もどった』
ハクは地面をベシベシ叩いたあと、ミスズを抱き抱えながらコンテナに入っていった。
「戦士たちは無事か?」
私の問いにナミは親指を立てる。
「それは大丈夫だったけど、問題がひとつある」
「怪我人が出たのか?」
「いや」ナミは
「問題は私たちじゃなくて奴隷商人だ」
ナミがコンテナに向かって歩き出すと、私はカラスを待って、それから一緒にコンテナに入っていった。ハッチが閉じると〈環境追従型迷彩〉が起動して、ウェンディゴの姿を隠した。
コンテナ内の白い空間の先にヤトの戦士たちが集まっているのが見えた。
「何事だ?」と、歩きながらナミに
「アレナ・ヴィスが持ってきた奴隷商人が、少しおかしなことになってるんだ」
「持ってきた……? 奴隷商人は死んだのか?」
「死んでるといえば、死んでるのかな?」
ヤトの戦士たちが興味深そうに見ていたのは、地面に横たわる年配の女性だった。女性は床に敷かれた布の上に寝かされていて、乱れた服装で身動きひとつしなかった。私は女性の側にしゃがみ込むと、その顔を確認する。
『この人で間違いないよ』
女性の目や鼻、口元を照合しながらカグヤが言う。
『目元にある
「ありがとう、カグヤ」
感謝したあと、女性の手首を取って脈を測る。
「死んでいるな……」
たしかにその女性は標的の奴隷商人だったが、彼女は右足を負傷していて、脇腹にはヴィードルの装甲の一部だと思われる鉄片が突き刺さっていた。血液はすでに流れていないが、大きく避けた傷口からは彼女の体内にある人工臓器が見えていた。
それに損傷した足は〈サイバネティクス〉で、そもそも生身じゃなかった。確かなことは言えないが、斜めに突き刺さった鉄片が心臓につながる太い管を大きく裂いていて、それが致命傷になったようだ。
「これは生物なのか?」とナミが質問する。
「それとも機械人形なのか?」
「イーサンからは、奴隷商人は人間だと聞かされている」
「
「趣味で人間を捕まえて奴隷にしているくらい裕福な人間だからな、いつまでも若々しくいるために人体改造をしていたのかもしれない」
「ならこの顔も偽物か」と、ナミは女の頬を突っついた。
「若さを保つために手を加えているのは
私はそう言うと、胸をはだけた女性に視線を向ける。年若い女性のように乳房にはハリがあり、廃墟で生きる女性たちのように、栄養失調で
「変なの」とナミが言う。
「ここまでやるなら顔も新しくすればよかったのに」
『相当な自信家だったんじゃないかな』とカグヤが言う。
『身分が高い人間だから、今まで誰にも顔を悪く言われたことがないとか、純粋に自分自身の顔が好きだったとか?』
私は顔をしかめると、カグヤに言った。
「死んだ人間にこんなことを言うのは気が引けるけど、きつい性格をしていそうだな」
『サディスティックな顔をしてるもんね』
「それがどんな顔なのかは分からないけど」と遺体を確認しながら言う。
「とりあえず、生体情報が記録されているチップを探してくれるか?」
『了解』
カグヤはドローンを操作して、奴隷商人の遺体にレーザーを照射してスキャンを行う。
「レイラさま」とアレナ・ヴィスが言う。
「申し訳ありません。生きたまま捕まえることができませんでした」
「大丈夫だよ」と、アレナが不安にならないように笑顔を見せる。
「奴隷商人が生きている必要は元々なかったんだ。重要なのは生体情報だけだから」
「そうでしたね」と、アレナはホッと息をついた。
「連れ出すときに何かあったのか?」
「いえ、奴隷商人を見つけたときには、すでに瀕死の状態でした」
「激しい戦いだったからな、あのときのロケット弾にやられたのかもしれないな」
ちらりと視線を動かすと、ミスズたちに自身の武勇伝を聞かせているハクの姿が見えた。脚を大きく広げて、
「合流地点に到着したころには、すでに息を引きとっていました」
アレナの言葉にうなずいたあと、奴隷商人の死体を眺める。
「多くの人間を奴隷にして人生を台無しにしてきた割には、彼女は楽に死ねたと思う。そのことには彼女自身も満足して
「そうですね」と、アレナはうなずいた。
『見つけたよ』
カグヤのドローンがぐるりと我々の周りを飛行した。
「どこにあるんだ」と、胸元からコンバットナイフを引き抜く。
『
「なんでそんなところに生体チップが?」
『狂人が考えることなんて、私には分からないよ』
「それもそうだな」
肩をすくめたあと、死体の人工皮膚を切り裂く。薄い膜の奥にプラスチックのような特殊な素材で造られた
「こいつで間違いないか?」
『うん、生体情報が記録されたチップだよ。これで目的達成だね』
ヌメリのある液体に濡れたチップを眺めながら言う。
「今回の奇襲は、傭兵たちが油断していたからこそ成功したようなモノだった」
『そうだね。でも次も
『だから気を引き締めよう。なんたって次の目的は地下施設に侵入することなんだから』
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