第190話 深淵 re


 重機関銃から三百発ほどの弾丸が発射されて、あたりの人擬きが一掃されたあと、我々は鳥籠に向けて濃霧のうむの中を進んだ。高速道路には赤茶色に錆びた車両が多く残されていて、人々がこの地域から必死に逃げ出そうとしていたことが分かった。


 それらの車両には大小様々な人骨が残されていだが、なかには昆虫の巣になっている車両もあって、大量の昆虫が密集してうごめくさまは、ひどくグロテスクなものだった。


 深緑色の濃霧の中からは人擬きや巨大な昆虫が姿を見せていたが、我々を困惑させ、そして恐怖をいだかせたのは三十メートルほどの体長があるゾウにも似た奇妙な生物だった。それは体毛が一切なく、桃花色ももはないろのたるんだ皮膚を持っていて、腹部からは人間の腕のようなモノが数え切れないほどぶら下がっていた。


 その異形の生物は深いきりの中からあらわれると、小さく暗い眸をウェンディゴに向けた。けれどすぐに興味を失くしたのか、十メートルを超える長い鼻を揺らしながら、高層建築群の間に消えていった。さすがのウミも生物の姿に驚いて、ウェンディゴの動きを止めていた。しかしそれでもすぐに攻撃できるように、レールガンの準備をしていた。


 それからは何事もなく深い霧の中を進んでいたが、ついに地図情報のない区画に侵入することになった。本来であれば別の道を選択するべきなのだが、イーサンが知る抜け道は〈五十二区の鳥籠〉の警備隊によってすでに封鎖されていた。だから我々は未知の領域に向かう他に手がなく、〈旧文明期以前〉の不確かな地図を頼りに、不安のなか進むことになった。


 高速道路は途中で崩れていて、その先に無数のクレーターがあるのが確認できた。旧文明の特殊なアスファルトは跡形もなく吹き飛んでいて、えぐれてき出しになった土には草すら生えていなかった。そのかわり無数の鉄片が土に突き刺さっているのが見えた。それらの鉄片はさびひとつなく、ウェンディゴの照明にあたると銀色の輝きを放っていた。


 ウェンディゴは積み上げられた瓦礫がれきの斜面をゆっくり下り、クレーターの間を通って進んだ。その間、コクピット内には警戒音が鳴り響き、いくつもの警告が全天周囲モニターに表示され続けていた。警告は汚染物質に関するモノだった。危険な毒ガスや、致死量を大幅に超える放射線、その他多くの警告が出ていた。


 不気味なクレーター群を抜けると、騒がしかった警戒音も鳴り止んだ。それからしばらく進むと、軍が残したと思われる検問所が見えてきた。道路を封鎖するように厚いコンクリートの障害物が複数設置されていて、多くの車両がそこで乗り捨てられていた。


 ウェンディゴの動体センサーを起動すると、周囲に人擬きがいないか確認する。

『何をするつもりなの?』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、モニターの映像を拡大表示する。

「あれが見えるか?」


 軍用規格のパワードスーツが道路沿いに放置されているのが確認できた。フレームは装甲がついた状態のモノで、牡丹色ぼたんいろの奇妙なツル植物が絡みついていたが、目立った損傷は確認できなかった。


『あれを回収するの?』

「ああ」カグヤの言葉にうなずくと、パワードスーツのすぐ側に置かれていた金属製のコンテナボックスを指差した。「できれば、あの箱も回収したい」


『それなら私が行きましょう』と、ウミの声が聞こえた。

『戦闘用機械人形ならなにか起きてもすぐに対処できますし、汚染対策が施された機体なので、放射線の影響を受けることもありません』


『……そうだね』とカグヤが同意する。

『ペパーミントが改良を加えた機体だから、放射線の中でも問題なく活動できるはずだよ。それに問題が起きても、ウミなら機体を捨てるだけで済む』

『では、すぐに回収しに行ってきます』


 ウェンディゴが止まると、後部コンテナのハッチが開く。その様子はコクピットのモニターでも確認できるようになっていた。


『レイ、どうしたんだ?』と、イーサンの声が聞こえる。

「検問所で気になるモノを見つけたから、ウミに回収してきてもらう。けどすぐに済むから、少しだけ時間をくれ」


『回収って、まさか外に出るつもりなのか』と彼は驚く。

『たしかにこのあたりには多くの〈遺物〉が残されているけど、外に出るのは自殺行為だ』


「ウミが機械人形を使って代わりに回収しに行ってくれる」

『そうか……。ところで、汚染除去システムを備えた装置は持っているのか?』

「あっ」と、間抜まぬけな声が出る。

 外の環境に気を取られ過ぎて、回収した〈遺物〉の除染じょせんについて失念していた。


『大丈夫ですよ、レイラさま』と、金属製のコンテナボックスをかついだウミが言う。

『コンテナ内に入るさいに、汚染物質はすべて取り除かれます』

「もしかして、コンテナの入り口にある黒いもやが関係しているのか?」


『そうです』と、ウミの機体がコンテナ内に入る様子がモニターに映し出される。

『同様に化学兵器のたぐいも侵入してくることはありません』


 ウミは適当な場所にコンテナボックスを置くと、パワードスーツを回収するため、また黒いもやを通って外に向かった。

『回収した箱の中身を確かめてくるね』

 カグヤはそう言うと偵察ドローンを起動して、フワフワと浮遊しながらコクピットから出ていった。


 動体センサーで周囲の状況を確認しながら、ウミがパワードスーツのフレームに絡みついたツル植物を除去するのを眺めていた。牡丹色ぼたんいろの得体の知れない植物は相当きつくフレームに巻き付いているのか、機械人形の力で引いてもびくともしなかった。


 ウミは何度か植物を引っ張るが、やがて諦めると、〈高周波ブレード〉がついた大ぶりのコンバットナイフを抜いた。ウミがナイフを近づけると、それまで少しも変化を示さなかった植物がうねうねと動きながら割れたアスファルトの中に消えていくのが見えた。それは一瞬のことで、ウミは呆気にとられてナイフを握ったまま立ち尽くしていた。


「大丈夫か、ウミ?」と、私は心配して声をかけた。

『はい』と、彼女の機械人形は動き出した。

『すこし驚いただけです』

「……あの奇妙な植物に絡みつかれたら大変だ。すぐにそこから離れてくれ」

『承知しました』


 ウミはそう言うと、軍用規格の装甲を装備したパワードスーツのフレームを軽々と持ち上げた。フレームが軽量化されているとはいえ、それを軽々と持ち上げる戦闘用機械人形の力は強く、奇妙な植物の異常さを際立たせた。


『レイ』とカグヤの声がする。

 コンテナ内の映像に視線を移すと、金属製の箱を囲むイーサンとエレノアの姿が見えた。

「中身が分かったのか?」


 手のひらに収まる球体状の装置を手に取ったイーサンが質問に答えた。

『短時間だけど、シールドを生成することのできる使い捨ての装置だ。高価だがそれなりに信頼できる品だ』

「シールド生成装置か……。グレネードみたいに使うモノなのか?」


『そうですね』

 エレノアはコンテナボックスの側にしゃがみ込むと、その中から装置を手に取る。それから装置の形状が確認できるように、カグヤが操作するドローンに見せる。モニターに表示されていた映像をドローンの視界に切り替えると、M67破片手榴弾アップルグレネードにも見える紺藍色こんあいいろの小さな球体が見えた。その小さな装置には、縦に緑色のラインが引かれていた。


「それはどうやって使うんだ?」

『地面に落としたりして、軽い衝撃を与えればいいんです。普通の状態では簡単に割れないほど頑丈ですけど、こうすれば……』

 エレノアがそう言って小さな装置を握りしめると、緑色のラインが赤色に発光する。


『この状態になれば、軽い衝撃を加えるだけで簡単にれます』

「装置がれるとシールドが起動するのか?」

『はい』

「やってみてくれないか」


『いいの? シールドを発生させる装置は、〈ジャンクタウン〉にある軍の販売所でも入手できますが、かなり高価なモノですよ』

「その箱にはどれくらい入っているんだ?」

『二百か三百はあるな』とイーサンが言う。

「ならやってみてくれ」


 エレノアが装置を地面に落とすと、赤色に発光していた装置は簡単に割れる。その瞬間、ドーム状のシールドが割れた装置を中心にして発生する。シールドの範囲はせまかったが、それでも腕を広げた状態の人間がぎりぎり二人ほど入る空間だった。シールドとして機能する青色の薄膜は、しばらくすると跡形もなく消えていった。


『軍の販売所でも購入できるが、廃墟の街では滅多めったに手に入らないモノだ』とイーサンは言う。『使い捨てのわりに高価なモノだから、頻繁に使う人間もいない。こいつは中々の戦利品なんじゃないのか、レイ?』

「そうだな。簡単に扱えるし、これなら〈ヤトの戦士〉も使ってくれるはずだ」


『売らないのか?』

「今は金より、戦力を強化したいからな」

『それもそうだな』とイーサンはうなずく。

『それにしても、レイは簡単に〈遺物〉を回収するんだな』


 軍用規格のパワードスーツをコンテナに運び込むウミを見ながら答える。

「今回はウミのおかげだよ。それにウェンディゴがなければ汚染地帯で探索なんてしようと思わないし、普通はできないからな」


 照明の下で見るパワードスーツの装甲は、灰色を基調とした市街地戦闘用のデジタル迷彩が施されていた。

『パワードスーツは整備が必要みたいですね』

 エレノアの言葉にカグヤが反応する。

『またペパーミントの仕事を増やしちゃったね』


「戦力強化のためだから仕方ないさ」と私は頭を振る。

「それより助かったよ、ウミ。ありがとう」


『レイラさまのために働くことは私の喜びなのです。だから気にしないでください』

 ウミはそう言うと、コンテナを出て検問所に向かう。彼女の言葉は素直に嬉しかったが、複雑な気分にさせられた。ウミに望んでいるのは対等な関係であって、主従関係ではなかったからだ。


「その箱には何が入っているんだ?」

 ウミはバールのようなモノを手に取ると、〈ダメージセンサー・テープ〉が貼り付けられたコンテナボックスを開いた。その中には大量の有機残留物が入っていて、見るからに危険な代物しろものだった。回収を諦めると、ウミに戻ってきてもらった。



 警戒しながら汚染地帯を進み、高層建築物に挟まれる暗い通りを進む。しばらくすると緊張を含んだイーサンの声が聞こえた。

『レイ、この先は〈深淵の娘〉たちが生息している噂がある場所だ。注意して進んでくれ』


「ハクの姉妹たちか……その噂は信用できそうか?」

『このあたりで実際に〈深淵の娘〉を見たって人間はいない』

「やっぱりただの噂なのか」

『いや。そもそも〈深淵の娘〉を見て無事でいられる人間なんて存在しないんだよ』


「ならどうしてそんな噂が立つんだ。ドローンを使って調べたのか?」

『少し先に行けば分かる』


 高層建築物が作り出す深くて暗い渓谷を進むと、風に吹かれてはためく布のようなモノが見えてくる。その布に見える何かは、縦横五メートルほどのはたのようなモノで、高層建築物をつなぐようにしてかる構造体からいくつも垂れ下がっている。


 その布の正体を確かめようとして映像を拡大表示したあと、異様な光景に思わず顔をしかめた。それは人間の皮膚をつなぎ合わせて作られたモノだった。皮膚は男女関係なく、子どもの皮膚や人擬きのモノまで一緒くたにされていた。


「カグヤ、あれは……」

『あれがなんのために作られたのかは分からないけど、ひどく悪趣味だ』


『レイ、皮膚をつなぎ合わせているモノを見てくれ』

 イーサンの言葉にうなずいて映像を拡大する。カグヤが画像の解像度を上げる処理を行うと、白銀に輝く糸が見えた。

『無事にこの場所から帰れた者たちは、〈深淵の娘〉を見ていない。けどあの異様なはたは、〈深淵の娘〉たちがこの場所で生息していることを証明してくれている』


「たしかにあの糸の輝きはハクのモノと同じだ」

『警戒しても――』

 突然聞こえなくなったイーサンの言葉に戸惑う。

「どうしたんだ?」


『レイ、屋根だ。ウェンディゴの上を見ろ』

 空をあおぐように顔を上げると、真っ黒な蜘蛛が車体に乗っているのが確認できた。動体センサーは反応を示さなかった。けれどそれは当然のことだった。〈深淵の娘〉たちはハクの姉妹なのだ。ハクの存在を検知できないように、彼女たちの存在もセンサーではとらえられない。


 その〈深淵の娘〉は赤い斑模様まだらもようが目立つ腹部をカサカサ揺らすと、長い脚をのっそりと動かして車体の前方に音もなく移動する。それからコクピットの真上に止まると、触肢しょくしでトントンと車体を叩いた。そのさい、ウェンディゴのシールドが反応して青い波紋が広がるのが見えた。


「カグヤ、どうする」と、何故なぜか小声で言う。

『分からない……』

「ウミ、様子を見るから攻撃はしないでくれ」


 その〈深淵の娘〉はハクより一回り大きな身体からだをもっていて、スズメバチのような攻撃的で恐ろしい頭部を持っていた。車体を通して私を見つめる大きな黒い眼は、見ているだけで寒気がするほどだった。その眼にはハクの優しい眼差しと違い、どこまでも深く暗い狂気が宿やどっているように感じられた。


 彼女はもう一度、トントンと車体を叩いたあと、興味を失くしたのか道路沿いの建物に向かって一気に跳躍ちょうやくした。彼女のあとを追って視線を動かすと、高層建築物の外壁に複数の〈深淵の娘〉がいることに気がついた。彼女たちは深いきりに煙る高層建築物の外壁に張り付いて、じっと我々の様子をうかがっていた。


『すでに囲まれていたのか……』

 イーサンの絶望的な声が聞こえる。

「でも敵対する気は無いみたいだ」


 瞳の持つ特殊な能力を使って数体の〈深淵の娘〉を観察した。彼女たちからは敵意を感じ取ることはできなかった。けれどその邪悪な存在感だけで、鳥肌が立つほどの恐怖を覚えた。


『なら、先に進みましょう』とエレノアが言う。

上手うまく言えないですけど、このあたりの空気はおかしいです』


『そうだな……』とイーサンが同意する。

『なにか恐ろしいものに心臓を握られている気がして、落ち着いていられない』


「そうだな」と私はうなずく。

「行こう、ウミ」


『承知しました』ウミはいつものように凛とした声で答えた。

 数え切れないほどの〈深淵の娘〉に見つめられながら、我々は薄暗い道路を進んだ。


 高層建築群が作り出す不気味な渓谷を抜けると、あたりを覆う空気が軽くなったような感覚がした。周囲の状況に変化はないが、それほど〈深淵の娘〉たちからプレッシャーを感じていたのだ。


 人々が〈深淵の娘〉にいだく恐怖がどんなものなのか、やっと理解できた。安全なウェンディゴの車内にいても、恐怖を感じるのだ。もしも生身で出会っていたらと思うと、それだけで背筋に冷たい汗が流れた。


『それにしても、どうして攻撃されなかったんだ?』

 イーサンの言葉に頭を横に振る。

「わからない。けどハクが関係しているような気がする」

『〈深淵の姫〉か……』


 ハクが必要とする特別な血液が、あるいは〈深淵の娘〉たちの深い欲望を制御したのかもしれない。いずれにしろ我々には分からないことだらけだった。

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