第179話 医療施設 re


 襲撃から数日、私は拠点の医療施設に来ていた。目的は戦闘の負傷者を見舞うことだった。地下にある施設は象牙色のツルリとした鋼材で天井も壁も床も覆われていて、無機質な空間は清潔で静かだった。人の気配が感じられない廊下をひとり歩いた。


 左手にあるガラス窓の向こうは〈クリーンルーム〉になっていて、作業を行っている多数のマニピュレーターアームが見えた。そこで製造されているのは〈オートドクター〉で、この施設を稼働させるために、今まで溜め込んできた電子貨幣のほとんどを消費することになった。


 しかし〈オートドクター〉の安定した供給が確保されるのだから、無駄な投資にはならないはずだ。現に拠点に対して行われた今回の襲撃で、我々はひとりの死者も出すことなく襲撃者たちを退しりぞけることができた。


 負傷者との面会が終わり、戦士たちが回復している様子を見て安心したあと、深い森からやってきた〈眠りサクラ〉の病室に向かう。医療施設の無機質な廊下を歩いていると、死が現実感を持って胸の中に迫ってくるような奇妙な感覚を覚えた。


 それは激しい戦闘の中に身を置いているときにさえ感じない感覚だった。恐怖に圧し潰されないように普段は目を背けている死という単純な事象じしょうを、この場では否応なく意識させられるからなのかもしれない。


 扉横の端末に手をかざすと、音もなく扉がひらいていく。清潔だが何処どこか殺風景な部屋でサクラは眠っていた。私は彼女が横になっていたベッドの側にいくと、近くに用意されていたイスに座る。サクラを拠点に連れてきてから二日も経っていたけれど、彼女が目覚める様子はなかった。


 その間、我々は拠点周辺の警戒網に接近してきた人擬きを掃討すると同時に、襲撃者たちの遺体を処理する仕事に追われることになった。死体の多くが夜のうちに昆虫たちに無残に食べられていたが、残った肉や臓器、血液の臭いに誘われて拠点周辺には多くの人擬きや変異体の姿が確認できていた。


 イーサンは用事ができたと言って、屈強な傭兵たちを連れて何処かに行ってしまった。またすぐに顔を出すと言っていたので、たいして気にも留めなかったが、ヤトの戦士たちはひどく残念そうにしていた。それはイーサンの傭兵部隊に所属する連中も同じで、拠点を離れることをひどく残念がっていた。


 ヤトの一族は皆が整った顔立ちをしているので、傭兵たちが好感を持ってくれることは予想できたが、人間嫌いのヤトの一族が彼らと親しくなることは予想できなかったことだ。


 しかしそれは決して悪いことではないと考えていた。ヤトの一族はこの世界で生きていくと決め、異界からこちらの世界に渡ってきたのだ。どこかで折り合いをつけなければいけない。ヤトの一族は全員合わせても四十七名しかいない。人間との間に子孫を残さなければいけなくなるときがくるかもしれない。


 病室のベッドで眠るサクラの胸がゆっくり上下する。彼女は検査を受ける前にミスズとナミの手で身体からだを洗われていて、今は清潔な服を着て寝かされていた。彼女が身につけていた植物で編んだ外套やボロ布は丁寧に畳まれ、動物の牙のついた首飾りと一緒にベッドの側にある小さなテーブルに載せられていた。


 ふと病室の扉が開く音がして振り返ると、ペパーミントが立っているのが見えた。彼女は指を立てて唇に当てると、私のとなりまでゆっくり歩いてきた。私は立ちあがると壁際に置かれていたイスをとり、彼女に座ってもらった。


 ペパーミントは廃墟で暮らす人々が〈守護者〉と呼んでいる〈人造人間〉だった。元々彼女は旧文明の遺跡でもある〈兵器工場〉の管理者をしていた。〈混沌の領域〉に関する異界をめぐる騒動で、彼女とは不思議な縁で結ばれることになった。今では私たちの大切な仲間として拠点で一緒に生活していた。


 そのペパーミントは清潔な人参色のフード付きツナギを着ていて、綺麗な黒髪をひとつに結んで背中に流していた。

『検査の結果、サクラの身体からだに異常は見られなかった』と、彼女の声が内耳に聞こえる。


『けどサクラはずっと眠ったままだ。これは普通の状態じゃない』

 私は声に出さずにそう言うと、ペパーミントに視線を向ける。

『そうね。たしかにこれはただの睡眠障害じゃない』


 彼女はそう言うと、白銀色のイヤリングを揺らす。

『昆虫を操るために使用している装置がかすかな信号を発しているのだけれど、私にはその理由が分からないし、それがどんな意味を持つのかも分からない」


 サクラの長い睫毛まつげを見つめながら言う。

『〈母なる貝〉がもたらした技術が関係しているのかもしれないな……』

『母なる貝ね……それはどんな宇宙船なんだろう?』と、ペパーミントのぼんやりとした声が聞こえる。『もしかして〈人造人間〉が搭乗しているのかしら?』


『それはないと思う』と私は頭を振る。

『どうして?』

『人間は自分たちに似た存在を神として崇めたりしないからさ』


『それはどうかしら? 私たち〈人造人間〉は永遠に生きることはできないけれど、それでも普通の人間にくらべたら途方もない時間の中を生きられる。何世紀も生きている〈人造人間〉がいれば、鳥籠で暮らすモノたちに神と呼ばれてもおかしくないんじゃないのかな?』


『でも母なる貝だ。貝殻から出てくる人間を神とは呼ばないんじゃないのか』

『どうして?』とペパーミントは肩眉を上げた。

『たとえば、インディオが語る神話には、貝を女性に変身させて妻にした男の逸話がある。文明から遠く離れた人々が、貝殻に見える巨大な宇宙船から出てきた〈人造人間〉を神に見立てていたとしても、なんら不思議なことじゃないと思う』


 ペパーミントの怜悧れいりさの感じられる綺麗な青い瞳を見つめた。

『ペパーミントは物知りなんだな』

『〈データベース〉を使って調べただけよ』とペパーミントは頭を振る。

『あれにできないことはほとんど存在しないの』


『そう言えば、ペパーミントも直接〈データベース〉に接続できるんだったな』

『それが特別なことには思えないけど』と、彼女は言う。

『廃墟で暮らす人間には特別なことなんだよ』


『でも端末を所持していれば、誰でも〈データベース〉に接続できるし、システムを使って互いに連絡し合える。電子貨幣を使えば音楽や映像を手に入れて再生したり、ゲームを楽しんだりすることもできるんだから、普通でしょ』

『でもそれ以上のことはできない』


『誰もそれをしようとしないだけよ。膨大なデータを自分だけのプライベート空間に保存することもできるし、望めば地球上のほとんどの言語を瞬時に翻訳ほんやくすることだってできる。医療関係のソフトウェアをダウンロードすれば病気の治療法だって確認できる。

 ううん、それだけじゃない。〈旧文明期以前〉には数日を要した複雑な計算も瞬時にできる。でも彼らが計算機能を使うのは、買い物の代金を払うための些細な計算にだけ』


 可愛らしく肩をすくめるペパーミントに私は苦笑する。

『知っていると思うけど〈データベース〉で高度な作業を行うには、それなりの権限が必要なんだよ。そしてほとんどの人間は、なんの権限も持たない。それなりの権限を持っている俺だって、旧文明期の正確な歴史すら調べられないんだ。普通の人間は、〈ライブラリー〉にある映画や書籍を楽しむことくらいしかできないんだ』


『別に誰かを責めているつもりはないの。ただ勿体もったいないって思っているだけ』

『分かってる』と私は言う。

「ペパーミントは優しいからな」


 うっかり声を出した私に対してペパーミントは眉間にしわを寄せると、人差し指を柔らかな唇に当てて注意した。

『すまない』と私は言う。

『でも声を出したところで、きっとサクラは起きない』


『それでもよ』とペパーミントは言う。

『眠っているってことは、身体からだが睡眠を必要としている証拠なの。無理に彼女を起こして、私たちの知らない症状が出たら大変でしょ?』


『そうだな』と素直にうなずく。

『それでデータベースだけど――』


『レイは』とペパーミントは私の言葉をさえぎる。

『〈データベース〉に関してあまり興味を示さないけど、何か理由があるの?』


『理由か……』私はそう言うと象牙色の天井を見上げた。

『俺にはカグヤがいるからな』


『つまり、レイはカグヤに何でもやってもらっているから、〈データベース〉に無関心なの?』

『あらためて聞かされると、たしかにカグヤにおんぶに抱っこだな。でも俺が使っている〈データベース〉のシステムは、インターフェースを通して見られる視覚情報の強化や、ハンドガンの残弾確認や弾薬選択だけだし――』


「あっ!」と、ペパーミントは声を出して、急いで口を両手で押さえる。

『急にどうしたんだ?』

『ハンドガンの改良について、レイと話をしたかったの』


『なら、ペパーミントの作業場に行こう』

『そうね』

 イスから立ち上がったあと、サクラに視線を向ける。彼女に変わった様子は見られなかった。相変わらず眠り姫のように、静かに、そして深い眠りの中にあった。


 象牙色の無機質な廊下を歩いて、上階にある整備室に向かう為のエレベーターに二人で入る。

「〈オートドクター〉の製造は順調なのか?」

「ええ、とくに問題はないわ」


「必要なモノがあったら教えてくれ。すぐに用意するから」

「今のところは大丈夫かな……ジュリとヤマダが物資の管理をしてくれているから、施設の稼働に不備はないはず」

「当分は安心できるか」


「何か不安なことがあるの?」と、彼女は私に青い瞳を向ける。

「俺たちの組織は人数が少ないからな。今回の襲撃も何とか耐えられたけど、この先どうなるか分からない」


「だから〈オートドクター〉がもっと必要になる……」

「ああ。ヤトの一族は優れた戦士だけど、それでも負傷者が出ることは避けられない」

「そうね……」


 うつむいてじっと何かを考えていたペパーミントにたずねる。

「なにか気になることでもあるのか?」

「みんなの装備の強化をしようと考えていたの」

「装備の強化か、たしかに従来の火器では人擬きや巨大な昆虫を相手するのは厳しい」


「それにこの拠点は海岸沿いにある。もしも――」と彼女は真剣な面持ちで言う。

「もしも海の深いところから、あの巨大な化け物がやってきたら、私たちの装備ではどうすることもできない」


 暗い洞窟の奥でうごめく魚人のれや、レリーフが刻まれた石柱の気配を感じて鳥肌が立つのが分かった。私は反射的に太腿のホルスターに収まるハンドガンに手を伸ばした。


『大丈夫だよ』とカグヤの声が内耳に聞こえる。

『ここはまだ安全だよ』

「まだ安全か……」と私は顔をしかめる。

「それで、カグヤは今まで何をしていたんだ?」


『ミスズたちと拠点警備についての打ち合わせをしていたんだよ』

「そう言えば、そんなことをするって言っていたな……お疲れさま」

『うん。それで装備に関してだけど、ペパーミントには何か心当たりがあるの?』


「ええ。兵器工場で新しいライフルの設計図が手に入れられるかもしれない」

「新しいライフル?」と私は首をかしげる。


「新式のアサルトライフルよ。レイの〈第二種秘匿兵器〉には到底及ばない性能だけど、それでもヤトの戦士に支給できれば、大幅な戦力強化が期待できる」

「ライフルか、それは〈ジャンクタウン〉にある軍の販売所でも手に入らないモノなのか?」

「手に入らないわ」


 エレベーターを出ると我々は整備室に向かい、ペパーミントの作業場に入っていった。作業場は相変わらず散らかり放題で、ペパーミントはマットレスの上に無造作に脱ぎ捨てられていた下着をブランケットの下に押し込むと、私にイスをすすめた。


「この広告はすでに見ていると思うけど」

 彼女はそう言うと、カード型の端末をテーブルに載せる。すると端末からホログラムディスプレイが投影されて、ライフルの広告を表示した。


 広告映像はアニメーションで、戦闘用のスキンスーツを着た女性がアニメ調にデフォルメされたアサルトロイドを相棒に、宇宙の何処どこかにある赤い惑星を探検している映像だった。赤い大地から湧いて出てくるのは、触手しょくしゅだらけの奇妙な宇宙生物で、女性は手にしたアサルトライフルを使ってあっという間に生物を肉片に変える。という趣旨の広告だった。


 最後に銃の詳細な情報が画面いっぱいに表示された。

「М14よ」とペパーミントが言う。

「強力なライフルで〈ワタツミ〉と同等の射撃能力を持っていて、人擬きも殺せる」


『〈ワタツミ〉……たしかミスズの所持するハンドガンの名前だったよね』とカグヤが言う。

『そう。ワタツミのようにシールドの薄膜で身体からだを覆うことはできないけど、弾薬の選択も可能になってる。さすがに〈反重力弾〉や〈重力子弾〉は使えないけれど……』


「それはすごいな」と私は素直に感心する。

「兵器工場に向かえば手に入るのか?」


「設計図を入手すれば工場に行く必要もないんだけど、ひとつだけ問題があるの」とペパーミントは言う。「兵器工場でも、そのライフルを製造することはできない」


「何が問題なんだ?」

「特殊な材料が必要なの」

「特殊な材料って言われても、俺からすれば旧文明のモノは全部特殊だ」


「そんなこと言わないで」とペパーミントは言う。

「材料の心当たりならあるから安心して」


「材料……もしかして」

「ええ、繁華街を中心にして広がる砂漠。あそこで採掘できる鉱物資源があれば、〈М14〉を製造できるようになる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る