第178話 噂 re


 ハクに女性を背負ってもらうと、我々は拠点に戻ることにした。彼女は私にきかかえられハクの背に乗せられる間も、ぼんやりとした目を我々に向けるだけで、すぐに深い眠りに落ちてしまう。どうして彼女が警戒心を持たずに、こんな危険な場所で眠れたのかは分からないが、ハッキリいって異常なことだと感じていた。


 彼女の姿勢を直していると、カグヤの声が内耳に聞こえる。

『全然、起きないね』

「何か理由があるのかもしれない」

『睡眠障害とか?』


「かもしれない」

『まるで眠り姫だね』

「なら、彼女にキスをして起こさないとダメだな」

『レイはいつから王子さまになったの?』


 肩をすくめたあと、ハクが彼女のために作った巣をハンドガンで取り込む。〈秘匿兵器〉とも呼ばれるハンドガンは、旧文明期の貴重な遺物で、兵器固有の機能として旧文明の鋼材を使用した弾薬の補給機能が備わっている。


 ハンドガンで取り込まれた鋼材は、兵器の特殊な機構によって、弾薬として使用できる素材に再構築される。ハクが吐き出す糸は旧文明の鋼材に極めて似た特性を持つ素材で、ハンドガンの弾薬として利用できるのだ。


 ハクが作った小さな巣を解体したのは、弾薬として糸を使いたかったからだけではなく、ハクの痕跡をこの場から消したかったからだ。ハクが吐き出す糸に、こんなにも柔らかく耐久性のあるモノが存在すると知られたら、それを狙ってハクを捕まえようとする人間があらわれるかもしれない。もちろん、ハクが簡単に捕まったりしないことは分かっているが、用心するに越したことはない。


「ハク、もうひとり乗せてもいいか?」

 私がたずねると、ハクは腹部をカサカサと揺らした。

『んっ』


「ありがとう」ハクを撫でて、それから言った。

「お願いできるか、エレノア」

「まかせてください」


 エレノアはハクの背に乗ると、眠り姫を抱くようにして彼女の身体からだを支えた。これでハクが動いても彼女が落ちることはないだろう。


「そんな顔して、どうしたんだ?」と、顔をしかめたエレノアにイーサンがく。

 彼女は綺麗な眉を八の字にしながら言う。

「失礼ですけど、この子、少し臭います」


「ああ、そういうことか」とイーサンは納得する。

「でもそれは仕方ない。〈ヨコハマ〉まで来るのに相当な苦労をしたんだろう。身体からだを洗う余裕なんてなかったはずだ」


『昆虫を使役しえきしているし、やっぱり山梨県から来たんだね』

 カグヤの言葉にイーサンが答える。

「蟲使いの傭兵は何処どこにでもいるけど、たしかに彼女は〈ヤマナシ〉からここまでひとりで来たみたいだな」


『危険な場所を移動してきたと思うけど、やっぱりそれができたのはその昆虫のおかげなのかな?』

 イーサンは自動車ほどの体長を持つ大きなカブトムシの側に向かった。

「おそらくそうだろうな。他の昆虫はこのカブトムシと争うことを避けるだろうし、強力な火器を持たない略奪者や人擬きもかなわないだろう」


『この変異体、すごく強そうだもんね。立派なツノも持ってるし』

「それだけじゃないさ。この種の昆虫が恐ろしいのは、どっしりとした存在感と体表の堅さだ。大抵の生物は争うことを避ける」


『たしかに頑丈そうな甲殻だね』と、カグヤは感心しながら言う。

「昆虫の外骨格は、よう身体からだの外側にある骨だからな」


 苦手な昆虫から距離を取りながらイーサンにたずねる。

「そいつは大人しいけど、俺たちを襲うようなことはしないのか?」

「あの子を傷つけない限り、俺たちが襲われることはないだろう」


「それは眠り姫の意思が関係しているのか?」

「眠り姫?」と、イーサンは顔をしかめる。

「ああ、彼女のことか」


「名前を知らないんだ」

「〈サクラ〉。彼女はそう呼ばれている」

「なんだか普通の名前だな」


「もっと複雑な名前を期待していたのか?」

 苦笑するイーサンを見ながら頭を横に振る。

「ヤトの一族の名前にれた所為せいだよ、きっと」


 彼らの名付け方法は興味深いモノだった。子どもが産まれてから最初の満月の夜に、父親となった戦士が目隠しと耳に詰め物をした状態で歩く。そして己の感覚を信じて、ここだと思う場所で目隠しと耳の詰め物を外す。


 そしてそこで初めて目にしたり、聞いたりした事柄が子どもの名前になる。たとえば水辺で跳ねる魚を見たなら、〈水面で跳ねる魚〉になるという。そうやって彼らの名前が決まるそうだ。


 サクラとエレノアを乗せたハクが動き出すと、それまで置物のように動かなかったカブトムシもハクの後を追ってのっそりと動き出した。


 ナイトビジョンを起動すると、足元の瓦礫がれきに注意しながら歩いた。

「それで」とイーサンにたずねる。

「サクラは何のために横浜まで来たんだ?」 


「いつだったか、古の神々を信仰している鳥籠があるって話したのを覚えてるか?」

 イーサンの言葉に私はうなずいた。

「たしか異界の化け物たちについて話をしていたときだったな」

「そうだ。そのときに話した鳥籠が、サクラが暮らしている場所だ」


 街の何処どこかで銃声が鳴り響いた。ずっと遠くに見えている高層建築群に目を向ける。銃声はずいぶん遠い場所から聞こえてきた。襲撃を生き延びた傭兵が逃げた先で人擬きとそうぐうして、戦闘になったのかもしれない。


「その鳥籠は、深い森によって廃墟の街から隔絶かくぜつされた場所にある。その所為せいなのか、そこでしか見られない多くの風習が今も残っているんだ」

『サクラにもそんな雰囲気はあったよ』とカグヤが言う。


「鳥籠が信仰の対象にしているのは、目に見えない神々のことだけじゃない。彼らは現実に存在する神を信仰しているんだ」

 イーサンの言葉にカグヤは当然の疑問を口にする。

『神さまが本当に存在してるの?』


「まさか」とイーサンは頭を振った。

「旧文明の遺物を神として信仰しているだけさ」

『遺物を神として……?』


「その遺物とは話ができるんだ」

『旧文明の人工知能なのかな?』

「まるでカグヤみたいだな」と、思わずつぶやく。

『私は人間です』カグヤはきっぱりと言う。

「そうだったな」


 そのときだった。なにかが視界のはしで動くのを確認すると、素早く通りの向こうに目を向けた。しかし何も見つけられなかった。〈カラス型偵察ドローン〉から受信する映像を確認しようとしたが、日が落ちて暗くなったので、カラスを拠点で休ませていたことを思い出した。


『その遺物はどんなモノなの?』と、カグヤがイーサンにたずねる。

「森の民は〈母なる貝〉と呼んでいる」

『貝?』

「部族に許可をもらって見せてもらったことがあるが、不思議な光景だったよ。百メートルを優に超える樹木じゅもくが立ち並ぶ森の中に、巨大な貝殻があるんだからな」


『なにそれ、怖い』

「でもまぁ、あれはドーム型の装甲を持つ宇宙船のたぐいだな」とイーサンは言う。

『宇宙船か……つまり、その森の民は宇宙船の人工知能と話をしていたんだね』

「そういうことだ」


「人工知能の神か……その貝殻みたいな宇宙船を見るのに、どうして許可が必要なんだ?」

私の疑問にイーサンは真面目な顔で答えた。

「部族には呪術師がいるんだよ」


『呪術師!』とカグヤは興奮する。

『ねぇ、レイ。やっぱり森の民は、古い仕来りに沿って生きる蛮族の集まりなんだよ』

「森の民に失礼だ」

『そうだけどさ、呪術師だよ』


「ただの呪術師じゃないぞ」とイーサンは苦笑する。

「巨大な貝殻の神さまと話ができる呪術師だ」


「その鳥籠の関係者がイーサンの依頼主なのか?」と私はいた。

「そうだ。サクラの母親が依頼主で、彼女は部族の族長でもあるんだ」

「族長の娘がどうして危険をおかして横浜に来たんだ?」


「それには〈母なる貝〉のお告げが関係しているらしい」

『お告げ?』とカグヤが反応する。

「ここ数年の間、呪術師は神との意思疎通ができなくなっていたみたいなんだ」


『機械が故障したのかな?』

「俺にはからっきしだ」

 イーサンはそう言うと、廃墟の建物に目を向ける。


『サクラはレイと話がしたいって言っていたけど、それと何か関係があるのかな?』

 カグヤの言葉にイーサンは頭を振った。

「どうなんだろうな……。お告げの詳しい内容は教えてもらえなかったからな。けど〈データベース〉について、彼女の母親からあれこれ聞かれたよ」


『データベース? いきなりハイテクな話になったね』

「ちぐはぐした集団なんだよ。身体からだに泥をりたくっているかと思えば、頭部に端末を埋め込むような難しい手術も簡単にやってみせる」


『たしかに変な集団だ……でも〈データベース〉? その話は何処どこでレイにつながるの?』

「ヨコハマには蜘蛛を使役しえきしている男がいる。そのうわさが部族の耳に届いたんだろう」

『蜘蛛……それってハクとレイのことだよね』


「そうだ」

 イーサンはハクの背に乗るエレノアに目を向けながら言う。

「くだらない争いのために〈五十二区の鳥籠〉が傭兵をかき集めていたからな、その中に〈ヤマナシ〉からやってきた蟲使いの傭兵が、レイとハクの情報を手に入れたんだろう」


『それが問題になった?』

「昆虫をあやつるための装置は〈母なる貝〉からもたらされたモノだからな」

『レイが〈母なる貝〉となにかしらの関係があると思ったのかな』

「おそらく。一部の人間は部族の中に裏切り者がいて、そいつらがレイに技術を提供したと考えていたが、お告げを知る人間は違った。きっと族長たちは何かを知っていたんだ」


『ますますお告げの内容が気になるね』

「ついでに言うと、俺が抱えているややこしい依頼には、〈データベース〉に接続できる人間を族長のもとに連れて行くことも含まれている」

『だから私たちの助けを借りるかもしれないって言ったんだね』


「〈データベース〉に直接接続できて、操作できる権限を持つ人間は限られているからな」

『そうだね。私が知る限り、端末を使用せずに〈データベース〉に接続できる人間は、姉妹たちのゆりかごにいる双子やシンくらいだし』


「それに上位の権限を持っているのはレイだけだからな」

「イーサンは何でも知っているんだな」

 私がそう言うと、彼は口のはしに笑みを浮かべる。

「何でもは知らないさ――」

 イーサンはそこまで言うと急に口を閉じ、前方にカービンライフルの銃口を向ける。


 暗い通りの向こう、道路の真ん中に奇妙な影がたたずんでいるのが見えた。

「肉塊型の人擬きだ」そうつぶやくと、太腿のホルスターからハンドガンを抜いた。


「俺たちのことに気づいているみたいだな」

 イーサンの言葉を聞きながら、私は人擬きの奇妙にじれた太い胴体を見ていた。皮膚がなくき出しの脂肪が地面に向かって垂れ下がっていて、脂肪の間から脛毛が生えた短い足が数本、胴体から突き出すように垂れさがり、その内の数本は地面に足をつけていた。


 その人擬きには頭部や腕はなかったが、ヌメリのある赤黒い胴体の至るところに大きな眼と口がついていた。その充血した奇妙な眼は我々に向けられていた。

 それはぎょろりと眼を動かすと、小さな歯が大量に生えた無数の口を開いた。


 空気をつんざくような甲高い叫び声に顔をしかめる。

「連中が来るぞ!」

 イーサンがライフルを構えると、廃墟の街から人擬きの叫び声が聞こえてきた。


 エレノアがサクラを抱えてハクの背から降りるのを見て、私は口を開いた。

「俺とハクで敵の注意を引きつける!」

「了解」とイーサンが言う。

「エレノアは俺の後ろにつけ」


 建物の上階から降ってきた数体の人擬きが折り重なるように道路に落下する。そのさい、手足が折れ曲がるのが見えたが、化け物は痛みを感じる素振そぶりを見せることなく我々に向かって駆けてくる。


「ハク!」

 白蜘蛛は人擬きのれに向かって糸を吐き出した。その糸は群れの直前であみのように広がり、人擬きの身体からだを糸で雁字搦がんじがらめにして拘束する。糸から抜け出そうとしている化け物に向かって焼夷手榴弾しょういしゅりゅうだんを投げ込む。


 改良されていて効果範囲が広く、燃焼時間の長い特殊な焼夷弾は瞬く間に人擬きの群れを焼き尽くしていった。しかし喜んでもいられない、暗い路地の向こうから化け物が次々と走って来るのが見えた。


 ハンドガンの弾薬を自動追尾弾に切り替える。

『〈自動追尾弾〉が選択されました。攻撃目標を指示してください』


 機械的な合成音声を発する女性の声を内耳に聞きながら、標的である複数の人擬きに視線を合わせる。すると赤色の線で輪郭が縁取られていた人擬きに標的用のタグが貼り付けられていく。


『攻撃目標を確認。〈自動追尾弾〉の発射が可能です』

 すかさず引き金を引くと、乾いた射撃音が連続して鳴り、複数の標的に向かって弾丸が撃ちだされる。


 人擬きの頭部が次々とぜていくのを確認しながら後退する。空気をつんざくような甲高い叫びを耳にしたのはそのときだった。


『レイ』とカグヤが言う。

『まずは肉塊型に対処しよう。あれを放っておいたら、廃墟に巣くう人擬きが際限さいげんなく集まってくる』


「焼却する」

 焼夷手榴弾に手を伸ばすとカグヤの声が聞こえた。

『ダメ、きっと燃え尽きるまで悲鳴を上げ続ける』


 カグヤの言葉を聞いて私は手榴弾から手を放す。と、すぐ近くでうなり声を聞いて私は顔を上げる。〈旧文明期以前〉の倒壊した建物から、大量の人擬きがい出てくるのが見えた。瓦礫がれきの間から抜け出した数体の人擬きは、こちらに向かって真直ぐ駆けてくる。


 しかし人擬きの進路上にある道路が陥没していて、大きな穴ができていることを知っていたので慌てなかった。夏のこの時期にだけ繁茂はんもする植物で隠れた穴に人擬きが次々と落下していくのを確認して、それから肉塊型に視線を向けたときだった。


 水風船が割れるような破裂音がすると、肉塊型人擬きが壁の染みに変わる。

『今の見た?』と、カグヤが呆然としながら言う。

 人擬きを攻撃した巨大なカブトムシを見ながら答える。


「ああ、すさまじい体当たりだったな」

『動きも速かった……』

「今のうちに逃げよう」

 人擬きと交戦していたハクに声をかけると、我々はその場から離脱した。

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