第六部 遺跡 re
第169話 異邦人 re
その男は小太りで異様に肌白く、〈ジャンクタウン〉の
『まだ追ってくるね』
カグヤのやわらかな声に反応して振り返ると、多くの買い物客で
「
『たしかに不自然だね……でもだからこそ警戒したほうがいいのかも』
カグヤの言葉にうなずくと、ベルトポーチから手のひらに収まる金属製のツルリとした球体を取り出した。
「少しの間、あの男の監視を頼めるか?」
『了解』
金属製の球体が形状を変化させながら浮き上がると、〈熱光学迷彩〉を起動して、徐々に周囲の環境に姿を溶け込ませていった。
私の目からは、カグヤの操作する偵察ドローンの
我々を尾行していた男が何を考えているのかは分からないが、なにか
しばらくすると視線の先に
眼球を覆うナノレイヤーの薄膜には、各種情報が表示されるインターフェースが
それらの情報は
旧文明のシステム、
カグヤは〈
だから彼女がコンピュータの
我々は現在〈ジャンクタウン〉と呼ばれる〈鳥籠〉に来ていた。
廃墟の街で生きる人々が〈鳥籠〉と呼ぶ場所は、旧文明期の施設を利用して形成されていった集落のことだ。危険な〈変異体〉が徘徊する廃墟の街で人々が安全に暮らし、安らぎを得られる数少ない場所でもあった。
多種多様な人種で込み合う通りを
「なぁ兄ちゃん」と、油と
「金を少し
その男のとなりに立っていた女が汚い歯を
「私たちさ、食べ物を買う金がないんだ。兄さんは立派な恰好をしてるけど、傭兵なんだろ。私たちに少し金を分けてくれよ」
「俺は傭兵じゃない」と頭を横に振る。
「廃品回収を
「ゴミ拾いしか能のないネズミに、そんな高価な装備が買えるわけねぇだろ」と、下品な男は唾を飛ばす。
通りを歩いていた人々は、自分たちが男女に絡まれなかったことに
『レイ?』
「大丈夫、問題ない」と、心配するカグヤに返事をする。
「やった!」と女が笑みを見せる。
「お金を恵んでくれるんだね!」
彼女の言葉にうなずいたあと、ユーティリティポーチを
「受け取れ」と女に差し出した。
「兄ちゃんよ」と男が臭い息で言う。
「そいつはなんのつもりなんだ」
「食い物がほしかったんだろ?」
「ふざけるな!」と、男は私の胸倉を
私は溜息をついて頭を横に振った。新調したばかりの戦闘服が台無しだ。ボディアーマーの胸元からコンバットナイフを抜くと男の腕に突き刺し、痛みに驚いて視線を
「なにするんだ!!」と、女が目やにで汚れた目を私に向ける。
「食べ物がほしかったんだろ?」
その場にしゃがみ込むと、ナイフに付いた血液を男の服で
「違う! どうしてこんなことをしたのか
女は声を上げると、痛みに
「さぁな」と私は頭を振る。
「きっとこのクソ熱い日差しの
「ふざけるな! 私たちは金がないから診療所にだって行けないんだぞ! こんな怪我をしたら……お前は私たちに死ねって言うのか!」
泣くのを我慢している女性を見ながら溜息をついたあと、ちらりと周囲に視線を向けた。我々を囲むように人だかりができていて、ある者は迷惑そうな目を向け、またある者は興味深げな視線を向けていた。
けれど誰も
『どうするの、レイ?』
カグヤの言葉に反応して、目の前の女性に視線を合わせた。
「金がほしかったのは食い物のためじゃなくて、違法ドラッグを買うためだったんだろ?」
女は動揺するが何も答えない。
ベルトポケットに手を入れると、名も知らない略奪者から手に入れた〈IDカード〉を取り出す。〈
「これで治療をして、なにか食い物を買え」
そう言うと女にIDカードを差し出した。
「……いいのか?」と、女は困惑しながらカードを受け取る。
「無駄遣いするなよ。覚醒剤もダメだ」
「分かってる!」
女は笑みを見せたあと、男を抱き起して人波に消えていった。
薄汚い
「カグヤ、あのIDカードの反応を追跡してくれるか?」
『いいけど、あの二人になにか気になることでもあるの?』
「いや」と私は頭を振る。
「あいつらは俺の忠告を無視して今から覚醒剤を買いに行くだろ?」
『十中八九、そうするだろうね』
「どこで覚醒剤を入手するのか知りたい」
『それを知って何をするつもり?』
「なにもしないよ」と苦笑する。
「念のために販売所の場所が知りたいだけだ」
『念のため?』
「覚醒剤の販売元は、俺たちと
『……たしか〈製薬工場〉がある鳥籠だったね』
「本当に鳥籠の関係者が覚醒剤を販売しているのなら、その小さな販売所にはいずれ世話になるかもしれない」
『世話ね……まぁ、別にいいけどさ』
しばらく歩くと、銃弾の
「スローイングナイフは売っているか?」
獣の視線を無視して店主に
「ナイフなら、ここにあるモノだけだ」と、店主は視線を合わせることなく言う。
「手にとっても?」
「好きにしな」
店主がそう言うと獣は静かに
そのナイフはステンレス
「いくらだ?」
「そこに書いてある」と、店主は視線だけ動かして値札の場所を
「なら全部買うよ、問題ないか?」
「ない」店主は素っ気無く答えると、支払いのための端末を差し出した。
その端末にカードをかざして支払いを済ませる。
ボディアーマーの脇腹にある専用のケースに数本のナイフを収めたあと
「この獣は変異体か?」
「知らん」と、店主は私の顔を見ずに答えた。
「それとも〈人擬きウィルス〉に感染した犬なのか?」
「知らん」と男は繰り返す。
「用が済んだのならさっさと
私は肩をすくめるとその場を離れた。
暗い路地に視線を向けると、廃墟の街で捕らえたと思われる人擬きを射撃の的にして、客を楽しませている店主の姿が見えた。彼女は暇そうに
人擬きは廃墟の街を徘徊する不死の化け物のことで、人々は〈ヒトモドキ〉と呼称していた。〈旧文明期以前〉の人間が作り出した不死の薬〈
だから無力化することを念頭に置いて戦う必要がある。手足を潰したり頭部を破壊して行動不能にしたりと、いくつかの方法が存在した。しかし人擬きに咬みつかれたり、鋭い爪によって怪我をしたりした場合、その人間は高確率で〈人擬きウィルス〉に感染して化け物に変異してしまう。
ひとたび感染してしまえば終わりだ。なにかを食べたいという本能だけを残し、思考能力が徐々に失われていく。そして気がつけば檻の中に入っている人擬き同様、不死の化け物に変異している。実際、その檻の中にいる人擬きも旧文明期から存在している人擬きではなく、人擬きの攻撃で感染して変異した個体なのだろう。
その化け物を横目に見ながら薄暗い路地に入っていくと、振り返ることなく
「カグヤ、奇妙な男の尾行はまだ続いているのか?」
『うん。レイのあとに続いて路地に入っていくところ』
「それなら仕方ないな」
首巻で隠れていた特殊なガスマスクを起動する。すると首元から顎下まで保護していたマスクが粘度の高い液体に変わり、瞬時に形状を変化させながら頭部全体を覆っていく。
鬼のようにも悪魔の顔にも見える赤と黒に染められたフルフェイスマスクは、旧文明の貴重な〈遺物〉で、視覚情報を強化するだけでなく高い防御力を持っていた。銃弾の直撃や砲弾の破片から頭部を保護して、汚染物質からも守ってくれる優れた装備だ。
あちこちに穴が開いたトタンや廃材で建てられた掘っ立て小屋が並ぶ通りに出ると、素早く周囲に視線を走らせ、不審な動きをする人間がいないか確認した。しかし薄暗い通りには人の姿そのものがほとんどなかった。先ほど購入したナイフに手をかけると、振り向くのと同時に尾行していた男に向けて投げた。
すると男が羽織っていたボロ布から、異様に長い胴体を持つ生物が顔を出してナイフを
「ヘビなのか?」
『違う!』と、すぐにカグヤが答える。『あれはムカデだ!』
奇妙な変異体は姿を隠すように周囲の景色と同化しているため、ぼんやりとしかその姿を確認することができなかったが、たしかにそれは巨大なムカデだった。
『レイ、気をつけて!』
カグヤのドローンから受信する情報をもとに、男の腕に絡みつくムカデの輪郭が赤色の線で縁取られる。太い胴体を持つムカデは二メートルに近い体長があり、男が腕を振ると
後方に飛び
立て続けに弾丸を撃ち込むと、男の太腿から赤い霧が前後に噴き出した。彼が膝をつくと、動かなくなったムカデの変異体に銃弾を撃ち込んで処理する。それから射撃によって熱をもった銃口を男の頭部に突きつけた。彼は泥だらけの赤銅色の戦闘服を着ていて、旧式の義手は
「無駄なことを
「尾行していた理由だけ教えてくれ」
「
男の言葉に顔をしかめて、それから
「どうして俺をそんな風に呼ぶんだ?」
男はニヤリと口の端を持ち上げてから鼻を鳴らした。
「俺たち以外の人間は全て異邦人だ」
「俺たちか……。お前は何者なんだ?」
「あんたのことを痛めつけるように依頼を受けた傭兵だ」
「痛めつけるね……依頼主は誰だ」
「知るかよ」と男は唾を吐く。
「依頼を受けたのは親分だ。俺は手足に過ぎない」
「親分? そいつは誰だ」
「さぁな」男がそう言うと、地面に横たわっていたムカデが鎌首をもたげる。そして凄まじい速さで男の首に噛みついた。
私は驚いて後方に飛び退くと、泡を吹いて死んでいく男の様子を眺めた。
『死んじゃったね』とカグヤが言う。
「ああ。あの奇妙なムカデの変異体も死んでいる」
『ねぇ、もしかして〈蟲使い〉って呼ばれてる傭兵じゃない?』
「わからない。身元が分かるようなモノを持っていないか調べてみてくれないか」
偵察ドローンは光学迷彩を解くと、死体に向かってレーザーを照射してスキャンする。その様子を眺めていると、不意に誰かの視線を感じて周囲に目を向けるが、
『何も持ってなかったよ』とカグヤが言う。
「そうか……」
私は溜息をつくと、薄暗い路地に視線を向けた。
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