第六部 遺跡 re

第169話 異邦人 re


 その男は小太りで異様に肌白く、〈ジャンクタウン〉の人混ひとごみのなかで、まるで森でくまに遭遇したときのようなおびえた表情を浮かべていた。この世界ではめずらしくもないインプラントによる人体改造じんたいかいぞうをしていて、禿げ上がった頭部からは、ツノにもアンテナにも見える金属製の突起物が飛び出ていた。


 外套がいとうのように羽織はおっているボロ布から見える腕は、炭素繊維で覆われた旧式の義手で、そこには奇妙な物体が巻き付いていた。しかしそれは注意して見なければ気づけないほど、男の腕に巧妙こうみょうに擬態して姿を隠していた。


『まだ追ってくるね』

 カグヤのやわらかな声に反応して振り返ると、多くの買い物客でにぎわいを見せる通りの向こうに、不気味な男の姿が確認できた。その得体の知れない男は、一定の距離を保ったまま追跡してきていた。


下手へた尾行びこうだな。あれでは気づいてくれと言っているようなモノだ」

『たしかに不自然だね……でもだからこそ警戒したほうがいいのかも』

 カグヤの言葉にうなずくと、ベルトポーチから手のひらに収まる金属製のツルリとした球体を取り出した。


「少しの間、あの男の監視を頼めるか?」

『了解』

 金属製の球体が形状を変化させながら浮き上がると、〈熱光学迷彩〉を起動して、徐々に周囲の環境に姿を溶け込ませていった。


 私の目からは、カグヤの操作する偵察ドローンの輪郭りんかくが青色の線で縁取ふちどられてしっかりと表示されていたが、この人混みで光学迷彩を使用しているドローンの存在に気づく人間はいないだろう。

 我々を尾行していた男が何を考えているのかは分からないが、なにかみょうな動きをすればカグヤが知らせてくれるだろう。


 しばらくすると視線の先に拡張現実ARで表示されたディスプレイが浮かび上がり、ドローンの視点をかいして追跡者の姿が確認できるようになった。


 眼球を覆うナノレイヤーの薄膜には、各種情報が表示されるインターフェースがつねに投射されていて、拡張現実でも情報が確認できるようになっていた。たとえば、システムに対応している武器の残弾数や偵察ドローンが取得した周辺映像、それから環境情報などが表示できた。


 それらの情報はれ流しに近い私の脳波、あるいは思考電位と呼ばれるモノを拾い上げたシステムが適切な情報を瞬時に表示してくれる仕組みになっていた。知りたければ自分自身の健康状況も細かく確認できるようになっていた。


 旧文明のシステム、所謂いわゆる〈データベース〉と呼ばれるモノを操作しているのは〈カグヤ〉で、彼女は静止軌道上の軍事衛星から、地上の至るところに設置されている旧文明期の遺物でもある特殊な電波塔を介して直接私に語りかけていた。


 カグヤは〈自律式対話型支援じりつしきたいわがたしえんコンピュータ〉の一種だと思っていたが、彼女はかたくなにそのことを否定していた。その理由は分からなかったが、記憶を失った状態で文明が崩壊した世界で目が覚めてから今日まで、一緒に戦い生きてきた唯一無二ゆいいつむにの相棒だった。


 だから彼女がコンピュータのたぐいだろうと、なんだろうと、私が彼女に対していだいている気持ちは変わらない。それほどカグヤのことを信頼していた。


 我々は現在〈ジャンクタウン〉と呼ばれる〈鳥籠〉に来ていた。

 廃墟の街で生きる人々が〈鳥籠〉と呼ぶ場所は、旧文明期の施設を利用して形成されていった集落のことだ。危険な〈変異体〉が徘徊する廃墟の街で人々が安全に暮らし、安らぎを得られる数少ない場所でもあった。


 多種多様な人種で込み合う通りをうように歩いていると、突然、緑色に髪を染めたみすぼらしい格好の男女に声をかけられる。

「なぁ兄ちゃん」と、油とほこりまみれた汚らしい長髪の男が言う。

「金を少しめぐんでくれねぇか?」


 その男のとなりに立っていた女が汚い歯をき出しにしてニヤケ面を見せる。

「私たちさ、食べ物を買う金がないんだ。兄さんは立派な恰好をしてるけど、傭兵なんだろ。私たちに少し金を分けてくれよ」


「俺は傭兵じゃない」と頭を横に振る。

「廃品回収を生業なりわいにしている〈スカベンジャー〉だ」

「ゴミ拾いしか能のないネズミに、そんな高価な装備が買えるわけねぇだろ」と、下品な男は唾を飛ばす。


 通りを歩いていた人々は、自分たちが男女に絡まれなかったことに安堵あんどしながら、彼らの標的にされた私に同情の目を向ける。


『レイ?』

「大丈夫、問題ない」と、心配するカグヤに返事をする。


「やった!」と女が笑みを見せる。

「お金を恵んでくれるんだね!」


 彼女の言葉にうなずいたあと、ユーティリティポーチをあさって手軽に食べられる携行食でもある〈国民栄養食〉の未開封のパッケージを取り出した。


「受け取れ」と女に差し出した。

「兄ちゃんよ」と男が臭い息で言う。

「そいつはなんのつもりなんだ」


「食い物がほしかったんだろ?」

「ふざけるな!」と、男は私の胸倉をつかむ。


 私は溜息をついて頭を横に振った。新調したばかりの戦闘服が台無しだ。ボディアーマーの胸元からコンバットナイフを抜くと男の腕に突き刺し、痛みに驚いて視線をらした男の膝頭ひざがしらを蹴った。膝の関節が綺麗にれ曲がると、男はくぐもった悲鳴を漏らしながらその場に倒れた。


「なにするんだ!!」と、女が目やにで汚れた目を私に向ける。

「食べ物がほしかったんだろ?」

 その場にしゃがみ込むと、ナイフに付いた血液を男の服でいた。


「違う! どうしてこんなことをしたのかいてるの!」

 女は声を上げると、痛みにうめいていた男を抱き起す。

「さぁな」と私は頭を振る。

「きっとこのクソ熱い日差しの所為せいだ」


「ふざけるな! 私たちは金がないから診療所にだって行けないんだぞ! こんな怪我をしたら……お前は私たちに死ねって言うのか!」


 泣くのを我慢している女性を見ながら溜息をついたあと、ちらりと周囲に視線を向けた。我々を囲むように人だかりができていて、ある者は迷惑そうな目を向け、またある者は興味深げな視線を向けていた。


 けれど誰も仲裁ちゅうさいに入るようなことはしなかったし、男を刺したことをとがめる者もいなかった。この世界では喧嘩なんて日常の光景で、〈鳥籠〉の外では殺しすらありふれたことだった。だから少しめたからと言って、大袈裟おおげさに騒ぐような人間はいなかった。もちろん鳥籠には治安維持のための〈警備隊〉が常設されている。けれど彼らも喧嘩の仲裁をするほど暇ではないのだ。


『どうするの、レイ?』

 カグヤの言葉に反応して、目の前の女性に視線を合わせた。

「金がほしかったのは食い物のためじゃなくて、違法ドラッグを買うためだったんだろ?」

 女は動揺するが何も答えない。


 ベルトポケットに手を入れると、名も知らない略奪者から手に入れた〈IDカード〉を取り出す。〈接触接続せっしょくせつぞく〉を行うと、そのIDカードを介して〈データベース〉に管理されている〈電子貨幣〉の残高が網膜に投射された。男の腕と足の治療費、それに一週間は食うに困らない金額があることが確認できた。しかし私には端金はしたがねだった。


「これで治療をして、なにか食い物を買え」

 そう言うと女にIDカードを差し出した。

「……いいのか?」と、女は困惑しながらカードを受け取る。


「無駄遣いするなよ。覚醒剤もダメだ」

「分かってる!」

 女は笑みを見せたあと、男を抱き起して人波に消えていった。


 薄汚い身形みなりの男女がいなくなると、我々を囲んでいた野次馬やじうまたちもつまらなさそうな表情をして散っていった。


「カグヤ、あのIDカードの反応を追跡してくれるか?」

『いいけど、あの二人になにか気になることでもあるの?』

「いや」と私は頭を振る。

「あいつらは俺の忠告を無視して今から覚醒剤を買いに行くだろ?」

『十中八九、そうするだろうね』


「どこで覚醒剤を入手するのか知りたい」

『それを知って何をするつもり?』

「なにもしないよ」と苦笑する。

「念のために販売所の場所が知りたいだけだ」


『念のため?』

「覚醒剤の販売元は、俺たちとめている〈五十二区の鳥籠〉の可能性がある」

『……たしか〈製薬工場〉がある鳥籠だったね』

「本当に鳥籠の関係者が覚醒剤を販売しているのなら、その小さな販売所にはいずれ世話になるかもしれない」

『世話ね……まぁ、別にいいけどさ』


 しばらく歩くと、銃弾のあとがくっきり残るレンガと、適当な廃材を組み合わせて建てられたあばら家が見えてくる。そこには数人の物乞ものごいがいて、両手を差し出しながら金を要求した。先ほどの騒動を見て、金をせびれば簡単に電子貨幣を恵んでもらえると思ったのだろう。私は物乞ものごいを無視しながら歩くと、粗末な布の上に銃器を並べていた男の店の前で立ち止まる。


 髭面ひげづらの店主のとなりには尾が二本ある犬に似た獣がいて、その獣はよだれを垂らしながら私を睨んでいた。


「スローイングナイフは売っているか?」

 獣の視線を無視して店主にたずねた。


「ナイフなら、ここにあるモノだけだ」と、店主は視線を合わせることなく言う。

「手にとっても?」

「好きにしな」

 店主がそう言うと獣は静かにうなった。


 そのナイフはステンレスこうで造られていたが、見るからに安物で普段使いには向かない。けれど軽く、数もそれなりにあった。いくつか手に持って状態を確かめたあと、支払いのためにIDカードを取り出した。


「いくらだ?」

「そこに書いてある」と、店主は視線だけ動かして値札の場所をしめした。

「なら全部買うよ、問題ないか?」

「ない」店主は素っ気無く答えると、支払いのための端末を差し出した。

 その端末にカードをかざして支払いを済ませる。


 ボディアーマーの脇腹にある専用のケースに数本のナイフを収めたあとたずねる。

「この獣は変異体か?」

「知らん」と、店主は私の顔を見ずに答えた。


「それとも〈人擬きウィルス〉に感染した犬なのか?」

「知らん」と男は繰り返す。

「用が済んだのならさっさと何処どこかに行ってくれ。商売の邪魔だ」

 私は肩をすくめるとその場を離れた。


 暗い路地に視線を向けると、廃墟の街で捕らえたと思われる人擬きを射撃の的にして、客を楽しませている店主の姿が見えた。彼女は暇そうに欠伸あくびをしていて、人擬きは錆びた檻のなかで歩き続けていた。閉じられた檻から出ることは叶わないが、それでもまともな思考ができない人擬きは、うつろろな眼で足を動かし続けていた。


 人擬きは廃墟の街を徘徊する不死の化け物のことで、人々は〈ヒトモドキ〉と呼称していた。〈旧文明期以前〉の人間が作り出した不死の薬〈仙丹せんたん〉によって、この世界に誕生した化け物で、驚異的な生命力と再生能力によって、基本的に殺すことはできない。


 だから無力化することを念頭に置いて戦う必要がある。手足を潰したり頭部を破壊して行動不能にしたりと、いくつかの方法が存在した。しかし人擬きに咬みつかれたり、鋭い爪によって怪我をしたりした場合、その人間は高確率で〈人擬きウィルス〉に感染して化け物に変異してしまう。


 ひとたび感染してしまえば終わりだ。なにかを食べたいという本能だけを残し、思考能力が徐々に失われていく。そして気がつけば檻の中に入っている人擬き同様、不死の化け物に変異している。実際、その檻の中にいる人擬きも旧文明期から存在している人擬きではなく、人擬きの攻撃で感染して変異した個体なのだろう。


 その化け物を横目に見ながら薄暗い路地に入っていくと、振り返ることなくたずねた。

「カグヤ、奇妙な男の尾行はまだ続いているのか?」

『うん。レイのあとに続いて路地に入っていくところ』

「それなら仕方ないな」


 首巻で隠れていた特殊なガスマスクを起動する。すると首元から顎下まで保護していたマスクが粘度の高い液体に変わり、瞬時に形状を変化させながら頭部全体を覆っていく。


 鬼のようにも悪魔の顔にも見える赤と黒に染められたフルフェイスマスクは、旧文明の貴重な〈遺物〉で、視覚情報を強化するだけでなく高い防御力を持っていた。銃弾の直撃や砲弾の破片から頭部を保護して、汚染物質からも守ってくれる優れた装備だ。


 あちこちに穴が開いたトタンや廃材で建てられた掘っ立て小屋が並ぶ通りに出ると、素早く周囲に視線を走らせ、不審な動きをする人間がいないか確認した。しかし薄暗い通りには人の姿そのものがほとんどなかった。先ほど購入したナイフに手をかけると、振り向くのと同時に尾行していた男に向けて投げた。


 すると男が羽織っていたボロ布から、異様に長い胴体を持つ生物が顔を出してナイフをはじいた。

「ヘビなのか?」

『違う!』と、すぐにカグヤが答える。『あれはムカデだ!』


 奇妙な変異体は姿を隠すように周囲の景色と同化しているため、ぼんやりとしかその姿を確認することができなかったが、たしかにそれは巨大なムカデだった。


『レイ、気をつけて!』

 カグヤのドローンから受信する情報をもとに、男の腕に絡みつくムカデの輪郭が赤色の線で縁取られる。太い胴体を持つムカデは二メートルに近い体長があり、男が腕を振るとむちのように胴体をしならせながら襲いかかってきた。


 後方に飛び退きながら男に向かって数本のナイフを投げたあと、素早くハンドガンを引き抜いた。得体の知れない男は飛んでくるナイフをかわすのに手一杯になり、私から視線をらした。そのすきを見逃さなかった。


 立て続けに弾丸を撃ち込むと、男の太腿から赤い霧が前後に噴き出した。彼が膝をつくと、動かなくなったムカデの変異体に銃弾を撃ち込んで処理する。それから射撃によって熱をもった銃口を男の頭部に突きつけた。彼は泥だらけの赤銅色の戦闘服を着ていて、旧式の義手はすなほこりに汚れていた。


「無駄なことをしゃべる必要はない」と私は言う。

「尾行していた理由だけ教えてくれ」


えらそうなんだな、〈異邦人いほうじん〉」

 男の言葉に顔をしかめて、それからたずねた。

「どうして俺をそんな風に呼ぶんだ?」

 男はニヤリと口の端を持ち上げてから鼻を鳴らした。


「俺たち以外の人間は全て異邦人だ」

「俺たちか……。お前は何者なんだ?」

「あんたのことを痛めつけるように依頼を受けた傭兵だ」


「痛めつけるね……依頼主は誰だ」

「知るかよ」と男は唾を吐く。

「依頼を受けたのは親分だ。俺は手足に過ぎない」


「親分? そいつは誰だ」

「さぁな」男がそう言うと、地面に横たわっていたムカデが鎌首をもたげる。そして凄まじい速さで男の首に噛みついた。


 私は驚いて後方に飛び退くと、泡を吹いて死んでいく男の様子を眺めた。

『死んじゃったね』とカグヤが言う。

「ああ。あの奇妙なムカデの変異体も死んでいる」


 擬態ぎたいが解けた黒紅色の奇妙なムカデは、男の首に噛みついたまま絶命していた。そのムカデの頭部には金属の突起物が取り付けられていて、その形状は男の頭についている装置に酷似こくじしていた。


『ねぇ、もしかして〈蟲使い〉って呼ばれてる傭兵じゃない?』

「わからない。身元が分かるようなモノを持っていないか調べてみてくれないか」


 偵察ドローンは光学迷彩を解くと、死体に向かってレーザーを照射してスキャンする。その様子を眺めていると、不意に誰かの視線を感じて周囲に目を向けるが、あたりに人の姿はなかった。


『何も持ってなかったよ』とカグヤが言う。

「そうか……」

 私は溜息をつくと、薄暗い路地に視線を向けた。

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