第168話 津波 re


 猛進してくる巨大生物に対して、ヴィードルは後退しながら的確な射撃を続ける。怪物は丸太のように太い腕を交差させ、重機関銃の攻撃に耐えながら長い尾をむちのようにしならせ執拗しつように我々を攻撃した。


 操縦席に戻ったペパーミントはヴィードルを的確に操縦しながら、重たい尾の一撃をかわすと、廃墟の街に続く堤防ていぼうに飛びのって射撃を継続する。


 私はコンソールディスプレイで機関銃の残弾数を確かめて、それからカグヤの操作する偵察ドローンから受信する映像を確認した。その間もヴィードルは、堤防の斜面にむらがるようにして張り付いていた魚人たちに対して射撃を行う。肉片が飛び散り、魚人が無残に死んでいく。しかしそれでも化け物の進行は止められない。


「カグヤ、そっちの状況は!?」

『問題ないよ。間に合わせの材料で〈レーザー目標指示装置〉をドローンに取り付けたけど、ちゃんと機能してる』

「それはよかった」


『不格好なダクトテープがなければ、〈熱光学迷彩〉もまともに機能したんだけどね』

 魚人が投げた槍がヴィードルのシールドにはじかれて、何処どこかに飛んでいくのを見ながら言う。

「少しの間だけだから我慢してくれ。それよりどうなんだ?」

『触手の動きに変化があったのが少し気がかりだけど、それ以外に問題はないよ』


「動きに変化? 攻撃されたのか?」

『ううん。ドローンはずっと高いところを飛んでいるから、そもそも触手は届かないよ。そうじゃなくて、なんだかドローンの存在に気がついているみたいなんだ』


「まさか」と、否定するように頭を横に振る。

「旧文明期のセンサーにも引っかからないドローンだ。光学迷彩が機能してなくても、この状況で小さなドローンを見つけるのは困難だ」

『それは分かってる。でも、なんだか変だ』


「なら避難するか?」

『ううん。あの触手から攻撃を受けたとしても、破壊されるのはドローンだけだし、作戦は継続する』

「貴重なドローンだけどな。それにあの化け物は、もともと俺たちが相手にする必要のない化け物でもある」


『必要だよ』とカグヤは言う。

『言ったでしょ、この化け物は海から出しちゃダメだって』


「俺たちに関係ないと思うけど」

『関係あるのかも』

「なにが?」

『わからないけど……でもあれはダメなんだ』


「わかったよ」と私は溜息をついた。

「ならさっさと始めよう。これ以上、この危険な海岸には留まれない」

『そうだね。レイも同じ映像を見ているから分かると思うけど、海にはすごい数の魚人と怪物がいる』


 カグヤの言うように、沖合には数え切れないほどの魚人や巨大生物の姿があり、それらの化け物は巨大な触手しょくしゅに付きしたがうように廃墟の街に向かって移動していた。

「たしかに化け物の群れを陸にあげるのは危険だな」


「レイ!」とペパーミントが声を上げる。

「ハクにも後退するように言って! このままだと囲まれて怪物にやられちゃう!」


 堤防を上がり海岸沿いの道路に出た我々と異なり、ハクはまだ砂浜にいて魚人たちと間で激しい戦闘を続けていた。

「ハク」と、白蜘蛛に直接声を届けるようにつぶやいた。


 ふわりとしたハクの心に触れた気がしたけど返事がない。それからも何度か呼び掛けたけど、魚人たちとの戦闘で興奮状態なのか、ハクは呼びかけに答えてくれない。


「マズいな……」

 後部座席の収納からライフルを引っ張り出した。

「何をするつもりなの?」と、ペパーミントが振り返る。

「ハクの掩護えんごに向かう」


「ダメよ。もうすぐ爆撃機が上空にやってくるでしょ?」

「けど、あのままだとハクが――」

『どうしたの、レイ?』と、カグヤの声が聞こえた。


「ハクが海岸を離れようとしないんだ」

『離れないって、どうして?』

「わからないけど、たぶん魚人たちとの戦闘に夢中になっている」

『レイの言葉は届かないの?』

「ダメだ」


「もう!」とペパーミントが言う。

れったい!」

 ヴィードルは海岸に面して建つ高層建築物の壁面に向かって飛ぶと、そのまま外壁に張り付き、ハクを包囲しようとしていた魚人たちに向かって機関銃の残弾が尽きるまで掃射を行う。


「ハク!」とペパーミントは声を上げた。

「そこはもういいから、こっちに来なさい!」

 ヴィードルの外部スピーカーから発せられた大きな声はしっかりと白蜘蛛に届いたのか、ハクはこっちに向き直る。


『いっしょ、いく』とハクの声が聞こえる。『まって』

「待ちません。早くきなさい!」

 ハクは突き殺していた魚人を放り投げるように捨てると、怪物の頭上を跳び越えてこちらに向かってきた。


「こうすればいいのよ」とペパーミントは言う。

「レイはハクに甘すぎる」

「ハクはまだ子どもだ」


「子どもだからこそ、しっかりと気持ちを伝えなければいけないの。そうじゃないといつまでたっても気持ちは伝わらない」

「そうなのかもしれない」と私は肩をすくめた。


 ハクがヴィードルのそばまで来ると、我々は執拗に追いかけてくる魚人たちを蹴落としながら、高層建築物の屋上を目指した。怒り狂った魚人や、巨大生物はそのまま廃墟の街になだれ込み、昆虫や人擬きとの血生臭い争いを始めた。


 巨大生物は陸上での移動に不慣ふなれなのか、廃墟の街に侵入した途端とたんもろくなっていた高速道路の高架に衝突し、近くにいた魚人たちと共に崩れてきた瓦礫がれきの下敷きになっていくのが見えた。


 高層建築物の屋上にあがると、航空機の離着陸場を囲うように設置されていた防護板の陰に入る。

「カグヤ。こっちの準備はできた」


 我々がいる場所からは、ずっと遠くにある触手しょくしゅがよく見えた。それは海面上でうねうねと奇妙な動きを続けていた。

『爆弾を誘導するためのレーザー照射はもうやってる。爆撃機はすぐそこまで来てるから、レイたちは爆発の衝撃に備えて』

「了解」


 カグヤの操作するドローンからの映像を確認すると、視点が遥か上空に向かって進むのが確認できた。ドローンはぐんぐんと高度を上げて、ついに暗い雲の層を突き抜けた。


 そこでは地上と異なり何処どこまでも空が晴れ渡っていた。すると何かが日の光を反射して輝く。それはすさまじい速度で街の上空を通り過ぎていった爆撃機が残した置き土産だった。爆弾は標的に向かって厚い雲の中に入っていく。


 マスクのフェイスプレートに表示されている映像を切り替えると、空から降って来る物体に目を向ける。視線のずっと先、うごめく触手の真上に、すさまじい速度で落下してくる爆弾の姿がハッキリと確認できた。


 そして世界から音が消える。強烈な光から目を保護するように、マスクの視界に自動的にフィルターがかる。色を失くし薄暗くなった世界が、真っ白な光に侵食されていくのが見える。その強烈なまぶしさに思わず顔をしかめまぶたを閉じた。


 ずっと遠く、触手しょくしゅの頭上で破裂した小さな光は、青白い球体を生み出した。その輝きは何よりも美しく、鳥肌が立つような、ぞっとする神々しさをまとっていた。その輝きと共に広がった青白い球体は、やがて収縮しゅうしゅくするように中心に向かって小さくなっていった。


 輝く球体の中心に向かったのは光だけではなかった。海面にぽっかりと大きな空間をつくるように、海水が青白い球体に引き込まれると、まるで潮が引いたように海の一部に水のない空間がつくられる。そして私は水底にたたずむ巨大な化け物の影を見た。


 それはグロテスクな触手を持つ恐ろしく巨大な生物で、全身がうろこに覆われていて背中にコウモリの翼のようなモノを持っていた。無数の触手しょくしゅがなければ西洋の巨大な悪魔にも、あるいはドラゴンにも見えたかもしれない。


 しかしその生物の姿を見ることができたのは、ほんの一瞬の間のことで、生物の全体像を確認することは叶わなかった。しかしそれでかったのかもしれない。あれは人間が直視していいモノではなかった。


 収縮しゅうしゅくした青い輝きは静止すると、静寂を破るように一気にぜた。


 その瞬間、世界はすべての音と色を失う。次に海が見えたときには、海面には恐ろしく高い水柱が立っていて、衝撃波が爆心地から広がっていくのが確認できた。水底に潜んでいた生物の禍々まがまがしい姿はすでに何処どこにもなく、空をおおっていた厚い雲も衝撃波によって掻き消されていた。


 そして間をおいて、空気をつんざすさまじい破裂音がとどろいた。爆発の衝撃で飛び散った水飛沫がまるで銃弾のように高層建築物を叩き、魚人や巨大生物の肉片が青い空から降ってきていた。


「ハク!」と防護板の周囲に糸を張っていたハクに言う。

「衝撃波が来る。危ないからハクもこっちに来てくれ!」

『んっ!!』

 ハクは糸を吐き出すのを止めると、すぐにヴィードルの側までやってきた。それから車両に身体からだをくっ付けて身をちぢこまらせた。


 そして衝撃波がやってくる。身体からだしんを震わせる衝撃波が通り過ぎると、高層建築物は激しい揺れに襲われる。しかし幸いなことに、旧文明期の建築物は大きく揺れはしたが、倒壊することなく衝撃に耐えてくれた。

 そして――それは信じられないような光景だったが、爆発の衝撃で海底から打ち上げられた船舶の残骸や大きな岩が、我々の頭上を次々と通過していくのが見えた。


「終わったのか?」

 しばらくして私がそう言うと、ペパーミントは頭を振った。

「まだよ。津波が来る」

 ヴィードルを動かすと、防護板から覗き込むようにして海に目を向けた。数十メートルの高さの水柱によって生じた壁のような高い波と、奇妙に膨らんでいく海面が確認できた。


「レイ、何してるの!」

 ペパーミントは素早くヴィードルを動かすと、ハクの糸で補強された防護板の陰に入る。

「悪い、少し気になったんだ」

「衝撃波の影響でなにが飛んでくるか分からないんだよ、危ないからドローンの映像で確認して」


「そういえば、ドローンは無事か?」と、カグヤにたずねた。

『無事だよ』と、すぐに映像を送信してくれる。


 映像には高層建築物に直撃し水飛沫を上げる高波と、廃墟の街を呑み込んでいく恐ろしい津波が確認できた。その波は人擬きや昆虫、そして瓦礫がれきに潰されていく魚人と巨大生物を巻き込んで、恐ろしい速度で廃墟に流れ込んでいった。


「触手の化け物はどうなった?」

 雲のように広がっていく巨大な水柱を眺めながらたずねた。

何処どこかに行っちゃったよ』

「驚いて逃げたのか?」


『そうは見えない。爆発の衝撃を受けたみたいだけど、まるで効果がなかったみたいだし』

「でも地上に来るのは諦めたみたいだな」

『うん、幸運だった』


 カグヤが表示してくれた録画映像を確認すると、爆発の直後、海面に映る巨大な黒い影がすさまじい速度で沖に向かうのが確認できた。


「たしかに幸運だった……でも、目的は達成できた」

『そうだね……散々な結果だけど』


 カグヤが操作するドローンは廃墟の街の上空を飛行した。私は津波によって無残むざんに破壊されていく廃墟の街に目を向けた。人間が近くにいるのなら、相当な被害を受けているかもしれない、と私は他人事のように考える。そしてふとジョージたちのことを思いだした。


「なぁ、ペパーミント。ジョージはどこにいるんだ。一緒じゃなかったのか?」

「ああ、あれね」とペパーミントは言う。

「生き残りを自動車の荷台に乗せると、そのまま車に乗ってどこかに行っちゃったよ」


「車って、集落で俺が手に入れたピックアップトラックのことか?」

「そうよ」と彼女はうなずいた。

「今度、レイに感謝するために必ず横浜に戻ってくるって言ってた」


「ジョージは運転できたのか」と私は感心した。

「それで彼らは無事なんだな?」

「もちろん」

 それからペパーミントは防弾キャノピーを開いた。

 衝撃波による被害の心配がなくなったのだろう。


 爆発の衝撃で雨雲は綺麗になくなり、気持ちのいい青い空が広がっていた。


 ハクは濡れた白い体毛を乾かすために、まるで犬のように身体からだを震わせて水滴を飛ばしていた。ペパーミントはハクの横を通って、屋上のふちに向かう。私もヴィードルを降りると、ペパーミントのあとを追う。頭部全体を覆っていたガスマスクの形状を変化させると、久しぶりに自分自身の目で青い空を眺める。


「もう安全なのか?」

「私たちは安全ね」と、彼女は眼下の街を眺めた。

「でも下は悲惨なことになってる」


『わぁお』と、となりにやってきたハクが可愛らしい声で驚いてみせる。

『うみ、ばくはつ』

「ああ、すごい光景だな。まるでハクが見る娯楽映画の一場面みたいだ」

『ん。ばくはつ、すき』と、白蜘蛛は興奮してベシベシと地面を叩いた。


 ハクの言葉に苦笑したあと、爆発の衝撃で飛び散った危険な飛散物ひさんぶつでハクが怪我をしていないか確認して、それから廃墟の街に視線を向けた。


「俺たちがやったことは間違ってないよな?」

「どうしたの?」と、ペパーミントは私に青い瞳を向けた。

「これだけの破壊を見せられると、自分のやったことが間違っていたんじゃないのかって不安になるんだ」


「大丈夫」と彼女は優しい微笑ほほえみをみせる。

「海の底にいた化け物を見たでしょ? あれが上陸していたら、たぶん、もっとひどいことになっていたはずよ」

「そうなのかもしれない……」


「かもしれないじゃない、絶対にそうだった。だってあの化け物は、旧文明の恐ろしい爆弾を使っても、かすり傷をつけることすらできなかった危険な相手なのよ。私たちのやったことは絶対に間違ってない」

「そうだな……」


「……ねぇ、レイ。何か不安を抱えているの?」

 私はペパーミントの眸を見ながらたずねた。

「突然どうしたんだ?」


時々ときどき、レイはすごく不安そうな顔をしている」

「たしかに不安だけど、心配するようなことじゃない」


「そう……ならいいけど」と彼女は私の手を引いた。

「見て、魚人たちが海に帰っていく」


 屋上の縁に立ったペパーミントを抱き寄せる。

「危険だ。落ちたら大変なことになる」

「大丈夫」と彼女は目の端で笑う。

「私は泳ぐのが得意なの」

「冗談は止してくれ」


「私は本気」と彼女は私に青い目を向ける。

「レイが胸のなかに何をかかえているのかは分からない。けど不安に押しつぶされそうになって、深いところで……それが何処どこなのかは見当もつかないけれど、深みにとらわれてレイがおぼれそうになっていたら、私が絶対に救い出してあげる」


「不安は――」

 私は軽口を言おうとして口を開いたが、言葉が続かなかった。

「私を信じて」とペパーミントは微笑む。

「だって私はレイのパートナーなんだから」


「そうだったな」と思わず笑みを浮かべる。

「ありがとう、ペパーミント。気持ちは嬉しいよ。けど、そんな日が来ないことを祈るよ」

「そうね」とペパーミントは海を見つめる。

「レイならきっと大丈夫」


 濡れた廃墟の街が太陽の光を反射してきらめいた。

 まるで老廃物を吐き出すように、廃墟の街が津波に洗われていく。しかしなにもかもが綺麗に流されていくわけではない。海から運ばれてきた新たな不純物が街に根を張るだけだ。


 廃墟の街はずっと昔から――数世紀も同じような循環の中にあった。そしてそれはこの先もきっと変わることがないのだろう。


 波が通り過ぎると、廃墟の街につかの間の静けさが戻った。



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 いつもお読みいただきありがとうございます。

 これにて第五部(異海いかい)は終わりです。

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 〈感想〉は執筆しっぴつの参考に、〈いいね〉は執筆しっぴつの励みになります!

 それでは、引き続き第六部を楽しんでください。

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