第167話 海岸 re
激しい水流に呑まれると、私とハクは横穴から放りだされるように回転しながら狭く暗い空間に出た。
『レイ!』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。
『急いでこっちに来て!』
暗闇の中で水流に
赤色のマーカーを追うと頭上に狭い縦穴が続いていて、その先にストロボライトを点滅させるドローンの姿が見えた。ハクに次の行き先を素早く伝えると、振り返って魚人たちが追ってきていないか確認する。
その間にハクは
広大な海の
それからカグヤが表示してくれた地図情報と誘導マーカーを確認し、それをハクに伝えながら陸を目指した。海岸が近づいてくるとハクは海面に顔を出し、砂浜を目指して一生懸命に泳いだ。頑張っているハクを
「ありがとう、ハク」
ハクに精一杯の
『ぼーる、おかげ』と、ハクは浮遊していた偵察ドローンを脚で捕まえた。
「そうだな」と、私は仰向けになりながらうなずく。
「カグヤがいなければ、今も俺たちは深い水の底で迷子になっていた」
『まいご』
ハクのフワフワした白い体毛は、まるで濡れた犬の毛のように情けない状態になっていて、しょんぼりしたハクの姿がおかしくて思わず笑ってしまう。
『レイ、たのしい?』と、ハクがあどけない眼を向ける。
息を詰まらせて笑ったあと、私はゆっくり息をついた。洞窟から脱出できたことで緊張の糸が切れたのか、一時的におかしな精神状態になっていたのだろう。
そこでふとペパーミントのことを思い出して、すぐに
「カグヤ、ペパーミントは無事なのか?」
『大丈夫だよ。少し前に洞窟から脱出していて、合流するためにこっちに向かって来てる』
「そうか」ホッと息をついたあと、海に視線を向ける。
波間に魚人の頭部が一瞬見えた気がして目を細める。マスクの視界を拡大させると、荒れた波間に魚人のギョロリとした大きな眼があちこちに浮かんでいるのが見えた。
「マズいな……。ハク、敵だ」
私はそう言うと、ふらふらと立ち上がる。
『てき、きらい』
ハクはその場でトコトコと
手早く自分自身の状態と装備の確認を行う。
魚人たちの大群は余裕があるのか、波に揺られながら
「
『
「何かって、あの不気味な巨大生物じゃないよな?」
『わからない。けど気をつけて、連中がレイに対して
カグヤはそう言うと、ドローンの〈熱光学迷彩〉を起動して姿を隠した。
「恨まれても仕方がないさ。あの集落でもそうだったけど、洞窟でも散々連中の仲間を殺したからな……」
じりじりと接近していた魚人の集団は、
ハクが行動の予備動作として
廃墟の街に反響していた重機関銃の特徴的な射撃音が止むと、周囲に雨音が戻ってきた。砂浜に上がってきていた魚人の多くが傷つき、そこら中に倒れているのが確認できた。
ヴィードルが近づいてくると、防弾キャノピーが素通しのガラスのように変化して、コクピット内にいるペパーミントの顔が見えた。
「無事でよかった」
『お互いにね』とペパーミントは
『ハクも無事でよかった』
『んっ。ぶじ、だった』と、ハクは腹部を震わせる。
『ところで、レイとハクはどこから来たの?』
「海からだよ」
『海って……もしかして地底湖を使って脱出したの?』
「そうだよ。他に選択肢がなかったんだ」
『そんな無茶をして――レイ、早くここから逃げましょう』
ペパーミントの視線を追うようにして振り返ると、重たい
ヴィードルの梯子式の乗降ステップに足をかけたあと、無意識にもう一度振り返って海を眺めた。動かない私に
「何してるの、レイ。早く乗って!」
「なぁ、ペパーミント。あれがなにか分かるか?」
「何って、魚人でしょ……?」
我々の視線の先にはグロテスクな姿をした巨大生物が複数体いて、怪物は海からゆっくり
「タコ……かしら?」と、目を細めたペパーミントは首をかしげた。
我々がいる海岸から沖に二キロほど先の海面に、うねうねと顔を出す気味の悪い
「ありえない」と、拡大表示された映像を見ながら頭を振る。
「あれが何かは分からないが、一本一本が軽く十メートルはある……そんな腕を持つタコは存在しないはずだ」
「けど、吸盤がついている」
マスクの視界を最大まで拡大すると、たしかに触手に吸盤のようなモノが大量についているのが確認できた。
「ならタコの本体は海の中か?」
「そうでしょうね」とペパーミントは言う。
「すぐに逃げましょう」
「ハク。あれがなにか分かるか」
『とても、わるい、もの』と、ハクは眼を赤く発光させる。
後部座席で
「ならすぐに逃げるぞ、ハク」
『ん』と、ハクは海を見つめたまま答えた。
防弾キャノピーが閉じると、カグヤの声が聞こえた。
『待って、レイ』
カグヤの操作するドローンが〈熱光学迷彩〉を解くと、コクピット内に姿を見せた。
「いつの間に入り込んだんだ」
『それより聞いて』とカグヤはぴしゃりと言う。
『集落にいたとき、ウミに支援を頼んだでしょ?』
「ウミ?」と思わず首をかしげた。
「たしかに支援を頼もうとしたけど……もしかして〈ウェンディゴ〉が近くまで来てくれているのか?」大型軍用車両の姿を探すように、素早く周囲に視線を向ける。
『ううん、ウェンディゴは来てない。でも支援を行う準備は整った』
我々の視線の先には、牙がビッシリと生えた口から
「支援って、何をするつもりなんだ」と私は訊ねる。
『空爆だよ』
「この怪物どもをやるのか?」
『ううん。沖にいる怪物だけ』
「あの巨大な
『うん。あれの正体が何かは分からない。でも海中から出しちゃいけないような気がする』
「それはそうだけど、こんな場所に爆弾を落としたら俺たちもただじゃ済まない」
『爆弾は
「待って」と、ペパーミントが振り返る。
「こんな天気で、どうやって正確にタコの化け物に爆弾を落とすつもりなの? 誤爆なんて考えたくもないけど、その可能性もあるよね?」
巨大生物は曇り空を
私は後部座席のコンソールを操作すると、海から
「あっ!」
ペパーミントは何かを思い出すと、シートを乗り越えて後部座席にやって来ると私の膝の上に
ペパーミントと
視線を動かし標的を指示するだけで機関銃が自動的に攻撃を行ってくれるので、手の動かせない状態でも問題なく怪物どもに対処することができた。
「レイ!」
ペパーミントに呼ばれて視界に表示されていた映像を切り替えると、ペパーミントの青い目がすぐ目の前にあった。
「どうした?」
「これを使って」
ペパーミントはそう言うと少し
「これは?」と、レンズのついた小さな装置を手の中で転がす。
「〈レーザー目標指示装置〉よ。それを使って爆弾を誘導して」
「そんなことができるのか?」と、すぐにカグヤに質問した。
『可能だよ』と、私の代りにヴィードルを操作して、飛び掛かってくる魚人の攻撃を避けていたカグヤが言う。
『ウェンディゴのシステムと接続しなければいけないけど』
「待ってて、必要なプログラムを急いで組むから」
そう言ってペパーミントは
『それは別にレイに
「ごめん、集中したいの」と、ペパーミントは素っ気無く答えた。
沖合では、まるでオーケストラの指揮者のように巨大な
魚人たちとの戦闘を続けていたハクに声を
「ハク、シロアリの大群と戦ったときのことを覚えているか?」
『んっ。母、きた!』
「そうだったな、あのときは驚いたよ。そのときに使った爆弾を今から落とそうと思ってる」
『ばくだん』
「ハクが巣をつくって、俺を守ってくれたやつだ」
『ひかり、いっぱい』
「そうだ。だから攻撃の準備ができたら、一緒に逃げるぞ」
『ん。いっしょ、にげる』
「出来た!」と、耳元でペパーミントが叫ぶ。
「それで」と私は
「どうすればいい?」
「レーザー目標指示装置は?」
ペパーミントが差し出した手に四角い装置をのせた。
「レイの手も」
損傷がひどくない手を差し出すと、ペパーミントはズタズタに破れていたタクティカルグローブをそっと外して、自身の手を
「あとは……」と、彼女は
ペパーミントの整い過ぎた顔をじっと見つめたあと、ハクの支援を続けながら作業が終わるのをじっと待った。
「もう大丈夫」彼女はそう言うと、つないでいた手を離して、代わりに四角い装置を私の手のひらにのせた。
「これで
「あとは、それをどうやってやるかだな」
「そんなの簡単よ。スイッチを押すだけ」
「そうじゃない。海岸からレーザーを照射した場合でも、化け物にちゃんと届くのか?」
「問題ない、レーザーは届く。でも……」と、ペパーミントは言い
「でも?」と彼女の顔を覗き込む。
「海岸から正確にタコの化け物にレーザーを当てるのは、とても難しい」
「カラスなら」と、首をかしげるカラスに目を向けて、それから頭を振った。
「いや、ダメだ。この天候で飛ぶのは難しい」
『私が行こうか?』
ヴィードルを遠隔操作しながら魚人の腹部を踏み潰していたカグヤが言う。
『ほら、私が使うドローンなら天候なんて関係ないし』
「重力場を利用した飛行は風や天候に左右されない……」と、ペパーミントはつぶやく。「そうね、ここはカグヤにお願いしましょう」
彼女の笑みを見て私はうなずいた。
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