第166話 水中都市 re
ハクは暗くて冷たい水の中を器用に泳いで、偵察ドローンのあとを追った。落石の
カグヤが操作する偵察ドローンは進行方向にライトをあて、後方には
その横穴のすぐ側には、ぽっかりと大口を開いた
『この竪穴に飛び込んだら、水流に引き
「それでも行くしかない」と、寒さに震える唇で返事をした。
『水流に押し流されて引き返すことはできなくなるから、絶対にハクから離れないでね』
「ああ、大丈夫だ」
私はそう言うと、暗い竪穴に視線を向ける。ここまで来ておいて
けれど時間は待ってくれない。地底湖の水は冷たく徐々に体力を奪っていく。そして問題はそれだけじゃない。魚人たちの存在も忘れてはいけない。連中が巨大生物を引き連れて戻ってくるのに、それほど時間の
「行こう、ハク」と、白蜘蛛に気持ちを伝えるように言葉を口にする。
『ん』
ハクは平泳ぎするように、複数の脚を使ってゆっくり竪穴に近づいていく。
すると偵察ドローンが竪穴の奥を照らしながらハクに接近する。
『気をつけて、レイ。この先は水の流れがとても速くて、吸気口みたいになってる』
「カグヤのドローンは、そんな場所で止まっていて平気なのか?」と、疑問を口にした。
『ドローンは重力場を利用して動いていて、厳密に言えば水に干渉してないからね』
「不思議だな……」
『それより注意してね。この先は曲がりくねっていて、沢山の
ハクは脚を広げて縦穴の
ハクの体毛を
激しい水流に
「ありがとう、ハク。油断した」
『レイ、あぶない』と、いつになく真剣な声が頭に響いた。
どうやらハクに怒られたようだ。
ハクはしばらく竪穴の奥を見つめていたが、やがて意を決して穴の中に飛び込んだ。凄まじい水流が
けれど道幅が狭まっていくと、それもできなくなっていく。
『レイ、そっちじゃない!』
カグヤの声が聞こえた瞬間、私は
このまま流されたら
地底湖の水は不純物が混じっていて、とても衛生的だとは言えなかった。手のひらをはじめ、
『もう、だいじょうぶ』
ハクは近くの
不意に
まるで古代ギリシアの都市を思わせる石造りの
はじめのうち私はそれが海中に没した都市遺跡だと考えていた。しかしずっと遠くに見えている都市からは、ぼんやりとした光が――
「カグヤ、あれはなんだ?」と、驚愕しながら口を開いた。
『水中都市……かな?』
「いや、たしかにそうだけど……」
『見て、レイ』
すると先行していたドローンから映像を受信する。
「あれは……洞窟で見た奇妙な石柱か?」
『うん。それも数え切れないほどある』
水中都市の周辺にはオベリスクのようにも見える石柱が並び、それらは脈動するように青白く輝いていた。石柱の側には魚人や巨大生物の影と、得体の知れない生物の存在が確認できた。しかしその魚人の集団とはずいぶん離れた場所にいるため、我々の存在に気がつくことはなかった。
「カグヤ、あそこが魚人たちの
『わからない。けどこれ以上近づくのは止めておいたほうがいい』
カグヤはそう言うと、ドローンを操作して都市の反対に向かって進んでいった。ハクがドローンのあとを追って泳ぎ始めたときだった。都市の方角から
ガスマスクの視界を拡大すると、髪の長い美しい女性たちの姿を見た。
彼女たちは身を寄せるように何かを
そのさい、彼女たちの下半身に
「人魚……?」と、思わず言葉を口にする。
『人魚?
「ほら」と、オベリスクのような綺麗な断面を持った石柱を指差した。
「あの石柱のすぐ側だ。俺たちに手を振っている」
『人魚なんていないよ』と、カグヤはキッパリと言う。
「なら、あの女性たちはセイレーン――」
『違うよ。そもそもセイレーンは魚じゃなくて鳥でしょ』カグヤはそう言って、ドローンを進める。『それに、私にはあれが人魚なんて可愛らしいモノには、とても見えない』
彼女たちは
「どういうことだ?」と、私は疑問を口にした。
『どういうことも何も』と、カグヤは素っ気無く言う。
『私が見ている光景をレイに送信するから、よく見て』
ドローンから受信した画像が表示されると、私はひどく困惑してしまう。
「あれは何なんだ?」
静止画像には、たしかに人魚たちがいる場所が映っていた。レリーフが刻まれた石柱の角度も、水底に横たわる巨大な構造物も同じだった。問題は彼女たちの姿だった。
それは全長が二メートルほどあるナマコにも、クラゲにも見える細長い半透明の胴体を持つ奇妙な生物だった。透けて見える
その生物に腕や足などの器官はなく、ヒレすらなかった。代わりに八本の長く太い触覚が植物の根のように
「俺はあの光を見て、それで幻覚か何かを見せられていたのか? だから動画じゃなくて静止画を見せたのか?」
『そうだよ。そもそもこんな奇妙な場所に人魚なんているはずない』
「獲物を魅了するために、人間の欲望を形にして見せたのか?」
『欲望というよりは、レイが望んだものかな?』
「俺が望んだもの?」
『うん。レイは都市を見たときにきっと思い浮かべたんだよ。もしかしたらこの都市には人魚がいるかもしれない、とか何とか』
「まさか俺の心を読んだのか?」
『ううん。そうじゃなくて、なにかしらの方法を
「誘い込むって、やっぱり俺を捕食するためか?」
『そうだと思う』
振り返ると、奇妙な生物がいた場所の
「どうしてそれが分かるんだ?」
『わからないよ。ただ想像しただけ。だってこの洞窟に入って、暗闇で私たちが見てきた光は決まって危険なモノだった。だからなんとなくそう考えたの』
「そうか……」
『あながち間違いでもないと思うよ。それより気持ちを切り替えて。私たちは今、とても危険な場所にいるんだから』
「そうだな……それにこの場所はひどく寒い」
ガスマスクから吐き出された無数の気泡を見つめていると、気泡はゆっくりと流れて、視線の先にある横穴に吸い込まれていった。
『こっちに水流が続いている』とカグヤが言う。
『先を確認してくるから、レイとハクはここで少し待ってて』
「わかった」
返事をすると、ハクにカグヤの言葉を伝えた。
ハクは横穴に続く岩壁に張り付くと、じっとカグヤのドローンを待った。
「苦しくないか、ハク」
『くるしい、ない』
ハクはそう言うと、岩壁をトントンと叩いた。すると
「ハクは酸素を必要としないのか?」と、率直に
『くうき、いる』ハクは抗議するように壁を叩いた。
「その空気は何処からか取り込んでいるのか?」
『おなか』
「ハクはすごいんだな」
よく理解できなかったが、とりあえずハクを
『んっ。はく、すごい』ハクは喜んで腹部を揺らした。
そのさい、私はハクの背中から振り落とされそうになる。体勢を整えようと、顔を上げた瞬間だった。何かがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。
「ハク、敵だ!」
私が言葉を言い終える前にハクは壁を蹴って飛んできた槍を避けた。槍は次々と飛んできたが、ハクは長い脚を使って器用に水中を泳ぎながら回避した。
さっと視線を動かして魚人たちの姿を探した。すると魚人たちが海底の砂の中から飛び出して、我々の足元から迫ってくるのが見えた。
「見つけた!」
そう言ってハンドガンに手を伸ばしたが、すぐに残弾がないことを思い出した。
『レイ!』とカグヤが言う。
『この先に出口がある。急いで穴に飛び込んで!』
飛んできた槍を
「ハク、さっきの穴に入ってくれ!」
『ん、まかせて』
我々が水流に吸い込まれるようにして横穴に入る寸前、水中都市から巨大生物が向かってくるのが見えた。
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