第165話 深み re


 何処どこか遠く、深い闇の向こうから響き地鳴りが聞こえてくる。地の底からやってくるその不気味な音は、徐々に我々が立っている場所に近づいているようだった。岩盤がんばんきしみ、地面が震える。


 我々の足元には不吉で邪悪なモノがうごめいていた。そしてその得体の知れない何かは、我々が目にしている邪悪で異質な怪物よりもずっとおぞましく、悪意に満ちた存在だった。


 岩盤がんばんこすれ合う音は鼓動こどうのようにも聞こえる。まるで我々のもとに近づいていることに興奮し、邪悪な心を震わせているような、そんな不気味な鼓動。しかしそれの正体は見当もつかない、深く底のない暗闇が我々に見せている幻覚や妄想のたぐいなのかもしれない。


 けれど私には分かるのだ。それはそこにいて、今この瞬間も我々を捕らえようと、地の底の深い闇の中から植物の根のように触手しょくしゅを伸ばし、暗いよどみの底に我々を引き込もうとしている。


 恐ろしい怪物は傷ついた眼を押さえ、怒りに満ちた唸り声を上げる。私は重たい腕を持ち上げると、こちらに向かってくる巨大生物に銃口を向ける。薄闇のなかにホログラムで投影された照準器が浮かび上がり、ハンドガンの形状が変化していく。青白い光の筋が幾何学模様きかがくもようえがきながら銃口に向かって走る。


 すると天使の輪にも似た青白く輝く輪が銃口の先にあらわれる。この絶望的な暗闇にあって、その輝きは何よりも美しいモノのように思えた。そして音もなく発射された光弾は、青白い閃光となって周囲を照らしていく。


 閃光を受けた怪物は、腕の一部と長い尾だけを残し融解ゆうかいすると消滅した。恐ろしい破壊をもたらす閃光は、射線上にあったレリーフが刻まれていた石柱せきちゅうにも直撃した。閃光が貫通した箇所を中心にして石柱は赤熱し、溶けだすと一気にぜた。光弾の勢いはおとろえることはなく、そのまま洞窟の岩壁に直撃して貫通していった。


 青白い閃光が残した貫通痕は赤熱してぼんやりと周囲を明るくしていた。しばらくすると、その穴の奥から轟音が響いてきていた。

 ハンドガンの残弾を撃ち尽くすまで、私は引き金を引くことを止めなかった。


 銃口の先に浮かぶ青白い輪を通過して撃ち出された光弾は、次々と巨大生物たちを消滅させていった。閃光が通過したあとには何も残らなかった。落盤によって引き起こされるであろう事態について、すでに頭の中にはなかった。この忌々いまいましい洞窟に入ってから、我々は竪穴たてあなから横穴へと、細心の注意を払って移動した。


 しかしどれほど進んでも安心して休める場所はなかった。奇妙で異質な生物の数々を目にして、百にとどく半魚人を殺した。それなのに怪物どもは次々と姿を見せた。


 私はひどく疲れていた。意識を集中することができなくなっていて、頭の芯がぼんやりしとしている。集中力が低下したことで、自分自身に対する危機感や、死に対する想像力が欠如していた。そしてそれは意識の中に危険な空白をつくり出すことになっていた。


 落石は激しさを増し、鋭く危険な鍾乳石しょうにゅうせきが次から次に水面に落下した。岩盤がこすれ合う音は周囲に鳴り響き、今にも地割れが起きて何もかもが呑み込まれそうな、そんな錯覚すらあった。


 残弾が底を突いたハンドガンを太腿のホルスターに収めると、震える唇からゆっくり息を吐き出した。残念なことに巨大生物のクソったれはまだ数体残っていた。そして最悪なことに、怪物どもはレリーフが刻まれた石柱を破壊した私に対して憎悪を含んだ敵意を向けていた。


 その恐ろしい敵意は赤紫色のもやとなって、暴風のように私に打ち付けていた。まぶたを閉じると、泥濘ぬかるみに力なく横たわる自身の身体からだに視線を向ける。足の感覚はまだなかった。この状態では戦えそうにない。


 すると白蜘蛛が私と怪物たちの間に入った。

「ハク、無理して怪物の相手をする必要はない」と、私はきこみながら言う。

「動けるようになったらすぐにこの場所を離れよう」

『んっ』と、ハクは腹部を震わせながら答える。


 それからハクは行動の予備動作として身体からだを深く沈めると、巨大生物に向かって一気に跳躍した。怪物は太い腕を振り下ろしてハクを叩き潰そうとするが、ハクは糸を使って怪物の腕を地面にい付けると、怪物の眼にかぎづめを突き入れた。


 眼を失った怪物は悲痛な声を上げながら乱暴に頭を振り、ハクを地面に振り落とすと、強酸性の液体を吐き出した。ハクは滝のように降ってくる液体を跳躍しながらかわしていたが、暗闇から伸びてきた怪物の手に捕まってしまう。


 ハクは巨大生物の手から逃れようと、水掻きがある怪物の手に何度も噛みついた。しかし怪物は太い腕を凄まじい速度で振り、ハクを石筍せきじゅんに叩きつけ、そして勢いよく投げつけた。ハクは岩や石筍せきじゅんに何度も衝突し、岩の柱を破壊しながら闇の中に消えていった。ハクがその不格好な奇岩に叩きつけられたときの衝撃はすさまじく、飛び散った破片が私の側まで飛んでくるほどだった。


 ハクが傷つけられるのを見た瞬間、頭が真っ白になるほどの怒りを感じた。身体中からだじゅうの痛みも忘れて立ち上がると、地面に突き刺さっていた鉄の棒を腕力だけで強引に引き抜いた。指が鉄棒に食い込み、三メートルほどの長さのあるくいのような棒がきしんだ。


 そのまま腕をしならせると、怪物に向かって鉄棒を槍投げの要領で投げつけた。

 鉄棒は巨大生物のうろこを突き破って深く刺さると、その衝撃で怪物をはるか後方にね飛ばし、ヌメリのある岩壁にはりつけにした。それでもなお、怪物は鉄棒から抜け出そうと腕を伸ばしたが、もう一本の鉄棒が頭部に突き刺さると動きを止めた。致命傷になる決定的な一撃を受けて怪物は絶命した。


 ハクを攻撃した巨大生物は殺せた。しかしそれでも怒りは収まらなかった。熾烈しれつな破壊衝動が頭を支配し、怪物どもに対する憎しみが力を生み出していく。疲労困憊ひろうこんぱいした身体からだを突き動かす精神力が何処どこからき上がるのか、もはや私には分からなかった。けれど、そんなことはどうでもよかった。怪物どもが殺せるのなら何だってよかったのだ。


 幸いなことに武器になる鉄棒は周囲にいくらでもあった。腕を伸ばして錆びの浮いた鉄棒を引き抜くと、突撃してきていた怪物に向かって投げた。凄まじい勢いで鉄の棒が怪物の頭部に突き刺さると、その頭部は胴体から千切れ、天井付近の岩壁まで飛んでいった。私は鉄の棒を投げ続け、迫りくる怪物を串刺しにしていった。


 勢いよく鉄の棒を投げるたびに腕の皮膚が裂け、筋繊維が千切れ、骨がきしむのが分かった。しかしナノマシンの影響なのか、それとも激しい怒りが痛みの感覚を麻痺させているのか、少しの痛みも感じることなく、怒りのまま怪物どもに鉄の棒を投げ続けていた。


 結局のところ、私はうんざりしていたのだ。この果てのない暗闇にも、おぞましい怪物たちにも、それから暗闇から向けられている得体のしれない敵意にも。だからすべてを破壊したかった。こんな邪悪な世界は必要ないのだ。


 まるでスイッチを切るように突然意識を失う。気がつくと地底湖のすぐ側に倒れていた。

 私が先ほどまで立っていた場所には、金属製のあみ身体中からだじゅうを切り刻まれた巨大生物がいて、その化け物はよだれを飛び散らせながら咆哮していた。ワイヤネットから逃れるさいに負傷したのか、水掻きのついた大きな手はズタズタに破壊され体液がしたたっていた。


 血液と一緒に胃液を吐き出したあと、上体を起こそうとしたが腕が動かなかった。どうやら殴られたさいに脱臼したようだった。


「あいつにやられたのか……」

 口を開くと粘度の高い血液がこぼれた。その血液はガスマスクの機能によって、またたく間に排出されてなくなった。おかげで自分自身の血に溺れて窒息せずに済んだ。


『大丈夫、レイ?』と、カグヤの声が内耳に届いた。

「ああ、まだ生きているよ」

『何度も呼んだんだよ』

 カグヤが操作する偵察ドローンが暗闇の中から姿を見せる。


「あのくそったれどもがハクを――」

『ハクなら大丈夫』と、彼女は私の言葉をさえぎる。

『ハクの反応はずっと見失っていない。それに見て』

 顔を上げると、巨大生物に向かって飛び掛かるハクの姿が見えた。


「よかった……」

 ハクの姿を見て安堵あんどしたからなのか、身体からだの力が一気に抜けていく気がした。

『でも無理をした所為せいで傷の状態は悪化した。今はまともに歩くことすらできないと思う。詳しく調べるから、じっとして動かないで』

「ああ、どこにもいかないよ」

 ドローンがそばに飛んでくると、スキャンのためのレーザーが照射される。


 暗い洞窟に視線を向けると、数体の怪物が汚泥に倒れ絶命するのがみえた。

『レイ?』と、ハクの幼い声が聞こえる。

 泥濘ぬかるみの中でもがくようにして身体からだを動かして、ハクの姿を確認する。


「大丈夫だよ。すぐによくなる」

『ほんと?』と、ハクは大きな眼を私に向けた。

「本当だよ。そんなことより、ハクのことが心配だ」

 力なく震える腕を伸ばすと、ハクの脚に触れた。

「大丈夫かハク、痛くないか?」


『すこし、いたい』と、ハクはしゅんとした声で答えた。

「そうか……。ハクの傷を治すためにも、すぐにここを出よう」

『んっ』


「ところで、ハクは泳げるか?」

『およぐ?』

 ハクは疑問を浮かべると、首をかしげるように身体からだを斜めにかたむける。

「ああ、地底湖に潜ってこの場所から出ようと考えているんだ」


『地底湖に潜るなんて危険だ!』とカグヤが言う。

『あの深みには何があるか分からないんだよ』

「でも」と、私はき込みながら言う。

「あの地底湖は外海がいかいにつながっている可能性がある。水の流れにのって移動すれば外に出られるかもしれない」


『たしかにつながっているのかもしれないけど……そんなの無茶だよ』

「無茶をしなければ、ここからは脱出できそうにない」

 あえぐように息を吸ったあと、周囲に視線を向ける。何体かの巨大生物の死骸が目に入ったが、動いているモノはいなかった。


『ハクの背に乗せてもらいながら、この先にある抜け道に行こう。確実に外に出られるし、ペパーミントたちとも合流できるかもしれない』

 カグヤの言葉に私は頭を振る。

「ハクが通れる場所はあるのか?」


『それは……探せばきっと見つけられる……』

「その間に半魚人や怪物に追跡されて、身動きが取れなくなる」

『でも地底湖は危険だ。外海につながっていなくて、何処どこか、ずっと深い場所に流されたらどうするの? 窒息して死んでいくレイの姿なんて見たくない』


「ここにいても同じだよ。怪物どもが大群で押し寄せてきたら、俺とハクは八つ裂きにされる」

『そうかもしれないけど……』

「頼む」


 地底湖に視線を向けると、カグヤの操作するドローンが飛んでいって水面に光をあてた。地底湖の水はひどくにごっていて、照明を使ってもほとんど先を見通すことができなかった。しかし光量を調整して水中を照らすと、地底湖の奥に広い空間があるのが見えた。


 どうやらその場所は以前から水の中に沈んでいたのではなく、水面上にあった洞窟に、何らかの理由で水が流れ込んで形作られた場所だったようだ。


 その証拠に、外海につながっているかもしれない横穴には二次生成物である鍾乳石しょうにゅうせきと、石筍せきじゅんが水の中で交差し牙のように伸びているのが見えた。潜っているときに少しでもそれに触れてしまえば、簡単に皮膚が裂けてしまうことは容易よういに想像できた。そして最悪なことに、水中にはそういった二次生成物であふれ、深い地底湖の奥底まで続いていた。


『レイが装備しているガスマスクは、数時間の潜水に耐えられるように設計されている。だからすぐに窒息することはない。けど本当に潜るつもりなの、レイ?』

 余程危険な場所なのか、カグヤはいつも以上に心配する。

「ハクがおぼれないで泳げるなら、潜るつもりだ」と、私はきっぱり答えた。


『みず、へいき』

 ハクはそう言って水面をバシャバシャと叩いた。

「俺を背負って、泳いでくれるか?」

『んっ。ハク、およぐ』


 ドローンにハクの体毛をスキャンさせていたカグヤが言う。

『ハクは〈ミズグモ〉みたいに、体毛の表面に空気の層がつくれるのかな?』

「それは分からない。けどハクが大丈夫っていうなら、今は信じるしかない」


 身体からだを起こすと、ゆっくり息を吐き出した。それから気合を入れるとフラフラと立ちあがる。

『いと、ひつよう』

 ハクはそう言うと細い糸を吐き出して私の腰に器用に巻き付けてから、自分自身の脚にも糸を巻きつけようとしていた。私はそれを手伝い、糸をハクの脚にしっかり巻きつけると、ハクに抱きつくようにして背に乗った。


 ハクの機転きてんで互いの身体からだを糸でつなぐことができてホッとしていた。意識が朦朧もうろうとしているからなのか、水中でハクとはぐれてしまう危険性があることすら思い浮かばなかった。


 地底湖の泥の中に沈み込み、ヘドロに足を取られてしまえば、二度と浮き上がってはこられない。そのことを考えるだけで背筋が凍りついてしまうような恐怖を感じた。けれど、それでも行くしかないと考えていた。幸いなことに私が装備している特殊なガスマスクは、常に新鮮な酸素を取り込んでいるので水中に長時間いても溺れ死ぬようなことはないはずだ。


 血液と汚泥でぐっしょり濡れた戦闘服の上着を脱ぎ捨てると、ハクの体毛にしがみ付いた。

『水流を確かめながら慎重に進みたい』とカグヤが言う。

『私が先行する。ハクは私のあとからついてきて』


「ハク」と、私はドローンを見ながら言う。

「この空中に浮かんでいる小さなボールのあとについて行ってくれ」


『ぼぉる?』

 ハクは脚を伸ばしてカグヤのドローンに触れる。

「そうだ。そいつが俺とハクを出口に連れて行ってくれる」

『んっ、わかった』


 ドローンが水中を照らしながら地底湖に沈んでいくと、光源を失った洞窟は暗闇に支配された。ハクはドローンのあとを追って、ゆっくりと冷たい水の中に入っていった。

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