第164話 ワイヤロープ re


 地底湖から次々とい上がってくる邪悪な姿をした巨大生物は、レリーフの刻まれた石柱の側に集まっていく。それはひどく異様な光景だった。怪物たちからは絶えず、不気味な呼吸音が聞こえてくる。まるで首を切り取られたラクダのれが、首の切断面にできたゾッとする穴から血をしぶかせ、喉笛を鳴らしているようでもあった。


 その怪物じみた邪悪な姿をした生物は、じっとレリーフの刻まれた石柱を見つめる。すると柱は怪物の視線に応えるように脈動し、そしてぼんやりと青白く輝く。


『この洞窟にも、地底湖にも、それから魚にもうんざり!』

 半魚人の集団と戦闘を続けながら、洞窟の奥に向かって後退していたペパーミントの声が内耳に聞こえた。

「この状況が永遠に続くわけじゃない、もう少しだけ我慢してくれ」

『それはどうかしら、私の人生はほとほと洞窟に縁があるみたい』


「信じてくれ、これは悪夢みたいなモノだ。怖い思いもするし悪いことは重なるかもしれない、けど必ず終わりはやってくる」

『そうだといいけど……』


「それに、あの怪物が複数存在していたことは、石柱に刻まれたレリーフで予想できたことだ」

『そうね。あれに似た生物が集団でクジラを狩っている場面が描かれていた。それより、レイはどうするつもりなの? まさか怪物の相手を全部ひとりでするわけじゃないんでしょう?』


「ハクと一緒だ。だから気にせずペパーミントは生き残った人たちを連れて脱出してくれ」

『脱出って、どこに向かえばいいの?』


 偵察ドローンを使って洞窟の出口を探してくれていたカグヤにたずねる。

「カグヤ、そっちの状況は?」

『出口はさっき見つけたよ。でも岩に挟まれた通路で人が通るにはせますぎる。だから別の経路を探してるところ』


「それは見つかりそうなのか?」

『大丈夫だと思う、実は何箇所なんかしょか通れそうな場所は見つけてあるんだ。道は険しいけど、地鳴りが起きて塞がれない限り、外に出られると思う』


「聞こえたな、ペパーミント。カグヤから情報を受信したら、すぐにそこを離れてくれ」

『レイはどうするの?』

「ペパーミントたちが撤退できるまでの時間を稼ぐ」

『……わかった。無理はしないでね』


「そのつもりだよ。けど、あの怪物どもの相手をするんだ。無理をしなければ生き残れないかもしれない」

『そうね……』


 魚人の大群と戦闘を行っていたペパーミントたちが後退を始めると、洞窟に響き渡っていた騒がしい戦闘音も一緒に遠ざかっていった。レーザーライフルから断続的に射出され、その間だけ洞窟を照らしだす赤い光線を横目に見ながら、となりに寄りっていてくれた白蜘蛛の体毛を撫でる。


「ハク。これから少しの間、あのデカい怪物の相手をすることになる。一緒に戦ってくれないか?」

『んっ。でかい、たたかい、する』

 ハクは腹部を揺らすと、ベシベシと地面を叩く。

「それなら、まずは怪物どもを引き寄せている厄介な柱を潰そう」

 ハンドガンを構えると、石柱に銃口を向ける。


 薄闇にホログラムで投影される照準器が浮かび上がり周囲をぼんやりと照らし出すと、巨大生物の間から見えていた石柱に照準を合わせた。使用する弾薬は、強力だが〈重力子弾〉のように破滅的な被害を出さない〈貫通弾〉を選択した。引き金を引くと、硬い金属を互いに打ち合わせたような甲高い銃声が響いて、射撃の反動で腕が持ち上がった。


 撃ち出された弾丸は真直ぐ標的に向かって飛んでいった。しかし石柱を破壊することはできなかった。弾丸が命中すると思われた寸前すんぜん、巨大生物が柱を守るようにして射線上に入ったのだ。怪物の太い腕をズタズタに破壊しながら通過した弾丸は、そのまま別の怪物の頭部に食い込んだ。その際に生じた螺旋状の衝撃波は、怪物の頭部を削り取るように破壊した。


 体液を噴き出しながら倒れていく巨大生物を余所よそに、複数の怪物が血走った眼をあやしく発光させながら私を見つめた。

「怒らせたと思うか?」

『わかんない』と、ハクは未熟な発音で答えた。


 邪悪な姿をした恐ろしい怪物は、地の底を揺らすような咆哮ほうこうを上げると、我々に襲いかかってきた。ハクは石筍せきじゅんの間に糸を吐き出すと、網のように広げた糸で巨大生物の進攻の阻止しようと試みた。しかし怒り狂った怪物は、目の前に張り巡らされた糸を石筍せきじゅんごと破壊しながら猛進してきた。


 ハクが数体の怪物に粘液質の糸を吐き出し、からみついた無数の糸で拘束している間、私は眼前に迫ってきていた怪物に対して、効果範囲を制限した〈反重力弾〉を使って攻撃を行う。威力の調整を行った理由は、洞窟の壁を破壊して落石や落盤を引き起こすことを恐れてだったが、重力場が影響する範囲をせばめることで、発射される発光体を強化したいという思惑もあった。


 撃ち出されたプラズマ状の発光体は、れていた怪物の中心に到達すると、甲高い音を洞窟内に響かせた。そして怪物が持つ邪悪さごと、その巨体を紫色に発光する球体に向けて凄まじい力で引き寄せた。けれど数体の怪物は、すさまじい重力に抵抗して腕を地面に突き刺すと、発光体に引き込まれないようにその場で踏ん張ってみせた。


 発光体に最も近い位置にいた怪物は、凶悪な尾鰭おひれごと尾が千切れ、その切断面から体液と共に内臓や骨が絞り出されるようにして発光体に引き込まれていった。しかしそれでも怪物は私たちに向かって唸り声を上げていた。そして発光体から最も離れていた怪物は、恐ろしい腕力で重力に引き込まれないように抵抗していたが、やがて飛んできた石筍せきじゅんの破片に片腕を潰され、岩の塊と共に圧殺されることになった。


 圧殺された怪物の死骸や周囲の岩で形作られた物体を押しのけるようにして、別の巨大生物が迫ってきた。私は高く太い石筍せきじゅんの間に入って怪物の攻撃をやり過ごした。しかし怪物は石筍せきじゅんの隙間に腕を突き入れ、かぎづめのある大きな手で私を捕まえようとする。


 周囲に視線を走らせると、眼窩がんかにナイフが突き刺さった状態で横たわる半魚人の死骸を見つけた。反射的にそのナイフを抜いて、怪物の手に突き刺した。しかしチタン合金のナイフは、怪物の湾曲した長い鉤爪が触れた瞬間、簡単に折れてしまう。


 すぐにナイフの柄を捨てると、右手首から刀を出現させ、巨大生物の手首を切り落とした。切断された手首からは大量の体液が噴出し、怪物はさらに激昂げきこうする。しかしそれでも怪物は私を捕まえて殺すことを諦めなかった。石筍せきじゅんを破壊しようとして何度も体当たりを行う。


 その邪悪な怪物は、いかなる生物も及ばぬ生命力を持っていて、かなりの深手をものともせず、また〈ヤトの刀〉が持つ強力な毒でさえ効果がないようだった。生物の毒に対する耐性に驚愕するが、攻撃を止めることはしない。


 しかし切っ先が軽く振れただけで相手の生命力を奪い、強力な毒で血液を凝固させ内臓を腐らせる刀でさえ、この生物を殺しえないのだ。私は恐怖で思わず後退あとずさると、〈貫通弾〉を数発、巨大生物の頭部に撃ち込んだ。そうすることで、ようやく怪物の息の根を止めることができた。


 ハクは数体の巨大生物に囲まれていたが、石筍せきじゅんの間を器用に跳びながら、周囲に糸を張り巡らせていた。怪物は〈深淵の娘〉であるハクの姿を見失うが、時折ときおり姿を見せるハクを追うように動き、気がつくと幾重いくえにも張り巡らされた糸の中心に誘い込まれてしまう。


 そして糸によって身動きが取れなくなると、ハクの鋭い鉤爪で頭部を貫かれた。それはハクにしかできない周囲の環境を最大限に利用した狩りのような恐ろしい戦い方だった。


『レイ!』と、カグヤの焦った声が聞こえた。

『ペパーミントが危ない!』


 視線の先に拡張現実で表示された映像を確認すると、巨大生物に襲われているペパーミントの様子が映し出されていた。彼女の側には武装した数人の人間と、ジョージの姿があった。しかし怪物と魚人の攻撃によって、集団は壊滅しようとしていた。


 怪物は恐ろしいかぎづめがついた手を振り下ろし、傭兵と思われる男の身体からだを軽々と引き裂き、骨を砕くと、その肉塊を暗闇に放り投げた。怪物が我々に向ける敵意は、捕食のためのモノではなく、明らかに殺すためだけの悪意そのものだった。


 私は立ち並ぶ石筍せきじゅんの間をうように走り、巨大生物の追跡をかわしながらペパーミントたちのもとに向かう。背後から野太い咆哮ほうこうと共に石筍せきじゅんを破壊する音が聞こえてくる。


 弾薬の消費量を気にすることなく、素早く目的の弾薬を選択すると、銃口を後方に向けて引き金を引いた。撃ち出された特殊な弾丸は巨大生物の目の前で破裂し、細い金属製のワイヤネットを吐き出した。


 それは怪物の上半身に覆いかぶさり、その勢いのまま怪物の巨体を後方に跳ね飛ばした。そして常に水が流れている奇妙な造形の岩壁に怪物をはりつけにしてしまう。


 怪物は己の身体からだに覆いかぶさるように広がる鋭いワイヤロープから逃れようと暴れるが、怪物がもがけばもがくほど、特殊な合金で編まれた金属製の網は怪物の身体からだをきつく締めあげていった。そしてワイヤロープはカミソリのように怪物のうろこを裂き、肉に食い込んでいった。


 巨大生物が発する苦痛を帯びた絶叫の間にも金属の網はさらにきつく締まっていく。私は怪物の叫びを無視して走った。すると前方にレーザーライフルから射出された閃光が見えてきた。ペパーミントたちは巨大生物との戦闘を継続しながら、カグヤに指定された避難場所まで後退していた。


 つかみ上げた人間の身体からだを引き裂いていた怪物に照準を合わせると、躊躇ためらうことなく引き金を引いた。〈貫通弾〉によって怪物の頭部が破壊されるのが見えたときだった。ハンドガンの残弾に関する警告表示が視界の先に表示して、警告音声が内耳に聞こえた。しかしどうすることもできないので、警告を無視してペパーミントたちに接近する。


 頭部を破壊された怪物の体液がドロリと流れ出しているのを横目に見ながら、魚人たちの姿を探した。しかし付近に彼らの姿は確認できなかった。怪物が死んだのを間近に見て、恐れをなして逃げ出したのかもしれない。あたりには先ほどまで人間だった肉塊と、魚人たちの死骸が散乱していた。


「ありがとう、レイ」と、泥に汚れたペパーミントが言う。

「まだ安心はできない。カグヤから連絡はきたか?」

「ええ。地底湖の側に、洞窟の出口に続く横穴があるみたい」

「なら先に行ってくれ、俺とハクで連中を食い止める」

「わかった」


「俺も残るぜ」とジョージが姿を見せた。

「あの怪物の相手をするには、もっと戦力が必要だろ?」


「いや」と私は頭を振った。

「ジョージは残った人たちの支援をしながら脱出してくれ」

「そう言われてもなぁ」と、ジョージはドレッドヘアーをいた。


「ところでマリーはここにいたのか?」

「ああ、そうだった」と、ジョージは思い出したように言う。「嬢ちゃんも見つけたよ。他の人間と一緒に捕らえられていたんだ」

 彼の視線を追うと、少し離れた場所に待機していた集団の姿が見えた。


 集団はひどく怯えていて、非常に頼りなさそうに見えた。巨大生物の眼を見てしまったことによって、そのような状態になっているのかもしれなかったが、この洞窟の暗闇も影響しているのだろう。完全な暗闇の中で敵に襲われ続ければ、どんなに屈強な人間でも精神に異常をきたす。


 その集団の中には教団関係者が使用する紺色の外套がいとうを着た女性がひとりいた。フードで隠れていて顔は見えなかったが、おそらく彼女がマリーなのだろう。ジョージが何かを言おうとして口を開こうとしたとき、彼の背後からすさまじい咆哮が聞こえた。


「時間がない。もう行ってくれ」

 ペパーミントとジョージが生き残りを連れて暗闇の中に消えると、巨大生物が石筍せきじゅんを破壊しながら姿を見せた。鋭い牙の間からよだれを垂らし、色のない瞳で私を睨んだ。ガスマスクのマスキング効果によって、怪物の眼がどんな色で発光するのかは分からない。けれど人々を誘惑し狂わせるのなら、きっと綺麗な色をしているのだろう。


 猛然と迫りくる巨大生物にハンドガンを向けたときだった。地底湖から勢いよく怪物が飛び出してきて、薙ぎ払うように腕を横に振った。すぐに後方に飛び退いて何とか鉤爪をかわすことができたが、視界の外から振るわれた尻尾しっぽの強烈な一撃を受けてしまう。


 私は吹き飛び、鉄の棒が樹木じゅもくのように立ち並ぶ場所まで転がっていった。衝撃で意識が飛んでいようだったが、それはほんのわずかの間のことだった。顔を上げると、二体の巨大生物はまだ地底湖の側にいた。


 私は汚泥のなかをうように動いて鉄の棒の側までいくと、杭のような鉄棒に背中を預けながら息を吐いた。身体からだのあちこち痛み、意識も朦朧もうろうとしていた。息をあえがせ、冷たい汗を掻いた。


『少しだけ動かないで』と、いつにもまして真剣なカグヤの声が聞こえる。

『オートドクターによって注入されたナノマシンを使って負傷した箇所の修復を始めてる』


「それで戦えるようになるのか?」

『少なくとも歩けるようにはなる』

「そうか……」


 私は腕を持ち上げると、ハンドガンの銃口を怪物に向ける。残弾数の警告が表示されるが、私は構うことなく引き金に指をかけた。


 口を大きく開き、泥濘ぬかるみのなかをうようにして近づいて来ていた巨大生物は、しかしその奇妙な動きを止めることになった。怪物の身体からだには網のように広がったハクの糸が絡みつき、怪物は糸で雁字搦がんじがらめにされて拘束されてしまう。


 ハクはもう一体の怪物に向けて糸の塊を吐き出すと、怪物のギョロリとした大きな眼に直撃させた。怪物の眼はけ、またたく間に溶けていく痛みに怪物はのたうち回った。その間にハクは私の側に飛んできた。


『レイ?』と、ハクのやわらかくて優しい声が聞こえた。

「大丈夫だ。すぐに動けるようになる」

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