第163話 巨大生物 re


 得体の知れない石柱せきちゅうから生じた衝撃波は、半魚人の死骸や焚き火を吹き飛ばし、くすぶったまきを吹き飛ばした。その薪の中には炭化した人間の腕や足も含まれていた。


 そして焚き火や篝火かがりびがなくなったことで新たに生まれた濃密な暗闇が、洞窟全体を支配しようと幾重もの層をつくっていくのを感じた。それはまるで目に見えない薄い膜のように、静かに空間全体に広がっていく。


 石柱に身体からだを接触させ抱きついていたおぞましい生物に視線を向ける。それは奇妙で邪悪な姿をした巨大な怪物だった。


 頭部にはギョロリと飛び出した大きな眼があって、その眼は白くにごっている。恐ろしい牙が並ぶ異様な大きさの口は、首元にあるえらまで切れこんでいた。牙さえなければ、生物の頭部は古代魚のアロワナに似てなくもなかったが、首元にあるえらのすぐ下に、動物の腕のような器官が存在していた。その太い腕の先には水掻みずかきがあって、鋭いかぎづめが指のように伸びていた。


 鉤爪を持つ魚を見るのは初めてだったが、そもそもこの生物は魚ですらないのかもしれない。体表は蜥蜴とかげうろこのようにゴツゴツとしたモノで覆われていて、粘液の滴る赤くヌメリのあるいびつな背びれを持っていた。


 邪悪で悍ましい生物はとにかく巨大だった。二十メートルをほどの高さがある石柱に抱きついていて、柱とほとんど変わらない巨躯であった。そして地底湖に向かって伸びる生物の下半身を加えれば、ほとんど石柱と変わらないほどの巨体だということが分かる。


 その生物はいとおしそうに石柱のレリーフを撫でていた。鉤爪で傷つけないようにそっと撫で、醜い頭部を近づけた。それからゆっくりした動作で私を睨んだ。生物の眼が妖しく発光した瞬間、ガスマスクの視界にフィルターが掛かって生物の頭部が不自然にゆがみ色を失くした。


『気をつけて、レイ』と、カグヤの声が内耳に聞こえた。

『人の精神に影響を与える何かが、あいつの眼から発せられている』

「人の精神?」


『催眠術だか何だか分からないけど、それは確かだよ。ここに来る途中に遭遇したウナギみたいな馬鹿デカい生物のことを覚えてる?』

「ああ」

 あの気味の悪い感覚は簡単に忘れられるモノじゃない。


『あの奇妙な生物が持っていた発光器官と同じような作用を持っているのかもしれない。だから光の波長に反応してガスマスクが自動的にフィルターを掛けたんだ』

「対策をしておいてよかったな……」

『そうだね……それで、どうするの?』


「逃げるよ」と、カグヤの質問に即答する。

『その考えには私も賛成だよ』


 鋭利な尾鰭おひれのようなモノがついた巨大な尾が地面を叩くと、水面に波紋が広がっていき、やがて大量の魚人が地底湖から姿を見せた。しかし魚人が襲いかかって来ることはなかった。ベチャベチャと泥濘ぬかるみを歩いてくると、巨大な生物の横に立って私とハクに大きな眼を向けた。


「ハク。全部の相手をしなくてもいいからな……様子を見て逃げよう」

『んっ』と、ハクは眼を赤く発光させた。


 巨大な生物はゆっくりとした動作で天井をあおぎ、それから口を大きく開いた。


 そして耳をつんざく音が洞窟内にとどろいた。それは咆哮ほうこうだった。しかし私には地の底から響いてくる地鳴りのようにも、巨大な喉の奥から聞こえる岩のこすれる音にも聞こえた。そしてそれを追いかけるように、周囲の硬い岩盤がこすれてきしみむと、地面が大きく揺れた。それが合図になったのか、数十体の魚人が私とハクに襲いかかってきた。


 それらの魚人に向かってハクは強酸性の糸の塊を吐き出した。糸の塊が当たった場所は、それが何処どこであれけ、蒸気をあげながらけ出すとぽっかり穴があいた。糸の塊を受けた魚人たちは、身体からだのあちこちを溶かされていく痛みに耐えられず、汚泥おでいの中をのたうち回ることになった。


 けれど地底湖から次々と姿をあらわす魚人たちは、哀れな仲間を余所よそに、我々に襲いかかって来る。私は迫りくる魚人にハンドガンを向けると、弾薬を〈自動追尾弾〉に切り替えて引き金を引いた。乾いた破裂音が聞こえるのと同時に魚人たちの頭部が次々と破裂し吹き飛んだ。しかし化け物は仲間の死などお構いなしに猛然と駆けてくる。


 ハクは私の前に出ると、逆棘かえりのついた長い槍を持って突撃してきた魚人を地面に叩きつけた。魚人の肩にはハクのかぎづめが食い込んだままで、ハクはその魚人を軽々と持ち上げると、集団の中心に向かって放り投げた。それから網のように広がる糸で魚人たち拘束して地面にい付けたが、化け物の攻勢は止まない。次から次に地底湖から出現して、眼に妖しい狂気を宿しながら駆けてくる。


 突然、数百発の銃弾が飛んできて、魚人たちのうろこを貫いた。銃声が洞窟の壁に反響する中、魚人たちは積み重なるように倒れていく。地底湖を挟んだ向こう岸に武装した人間の集団が見える。その中心には、こちらに向かって腕を振るペパーミントの姿があった。


 集団は半魚人に捕らえられ、生贄として鉄の棒に縛り付けられていた人々だった。彼らは奪われていた装備を取り返すと、半魚人たちを殲滅するべく戻ってきたのだ。


『レイ』と、ペパーミントの声が内耳に聞こえた。

『全員、解放できたよ』

「助かったよ。最高のタイミングで掩護えんごに入ってくれた」


『でも、このまま戦っても切りがなさそうね』

「そうみたいだ」

 地底湖からは次々と魚人たちが這い上がってくるのが見えた。


『あのデカい生物が動いてないのが救いだね』

 たしかにカグヤの言うように、邪悪な姿をした巨大生物は石柱を抱いたまま動いていなかった。


「このまま戦闘を継続しながら後退する」と、私は魚人を蹴り飛ばしながら言う。

『後退って、何処に向かうつもり?』

 ペパーミントの困惑する声が、騒がしい銃声の間に聞こえる。


『今、ドローンを使って洞窟の奥に出口がないか探してる』とカグヤが言う。

『すこしの間、そこで持ち堪えて』


『そっちに出口がなかったらどうするの?』

「大丈夫だ」と、魚人の攻撃を避けながら言う。

「今は状況が好転するように最善を尽くそう。これ以上、状況が悪くなることはないんだから」

『そうね……分かった。掩護えんごするから、レイとハクはそこからすぐに移動して』


 魚人と交戦しながら後退を続けていると、突然、巨大生物の咆哮が洞窟に木霊こだました。

『最悪ね』と、ペパーミントがつぶやくのが聞こえた。

 向こう岸に視線を向けると、地底湖から這い出る魚人の集団がペパーミントたちに襲い掛かる様子が見えた。そして石柱を抱いていた巨大生物が、丸太のように太い腕を使って泥濘ぬかるみいずるようにして移動するのが見えた。


 最初にその〝異変〟を感じ取ったのは、魚人たちに向かってレーザーライフルによる攻撃を行っていたペパーミントだった。

『みんなの様子がおかしい』


 襲いかかって来る魚人の大群に対して射撃を行っていた者たちが、突然、狂ったようにわめき出すと、その場にライフルを捨てるように手放した。ある者は気狂きぐるいのように笑い、ある者は子どものように泣き叫んだ。


『もう、なんだっていうの!』

 ペパーミントが声を荒げると、私は彼女に聞こえるように叫んだ。

「あいつの眼だ! あの巨大生物の眼は人を惑わせる!」

『惑わせるって、私は平気だけど!?』

 人造人間であるペパーミントには効果がないのだろう。


「頼む、そいつらに化け物の光る眼を見ないように指示してくれ!」

『無理よ! 暗視装置を持っているのだって数人だけだし、暗闇の中で光るモノを見つけたら、本能的に目を向けてしまう!』


 魚人の集団は無防備に立ち尽くしていた人間に襲いかかっていた。何人かの人間はまだ魚人に射撃を継続していたが、それも時間の問題だろう。巨大生物の眼を見たら、たちまち気が変になる。


「クソっ!」と私は思わず声を荒げる。

「このままだと出口を見つける前に全滅させられる」


『あともう少し……』と、カグヤのつぶやきが聞こえてくる。

『多分、出口はこっちで合ってる……』


 やっとのことでペパーミントたちがいた場所にたどり着けたが、状況は想像していたよりもずっと悪かった。至るところに人間の死体が転がっていて、その死体にらいついている魚人の姿も多く目にする。倒れた人間に覆い被さり、その首に牙を立てている魚人の頭に銃弾を撃ち込んだあと、巨大生物に視線を向けた。


「いない?」

 素早く周囲に視線を走らせると、巨大な影が迫っていることに気がついた。

『レイ!』

 魚人の集団と交戦していたハクの声が聞こえた瞬間だった。


 おそらく私は巨大生物の水掻みずかきのついた巨大な腕で殴られたのだろう。殴られた衝撃で吹き飛び、汚泥おでいの中を転がり石筍せきじゅんに衝突した。口の中を切ったのか血反吐ちへどを吐き、視界はグルグルと回転した。


 痛みにあえぎ、自分自身の血で窒息しかけながら、喉に引っかかった温かい血液を吐き出した。顔を上げると、牙がぎっしりと並ぶ大きな口を開いた魚人が跳び込んでくるのが見えた。けようとして咄嗟とっさに起き上がろうとするが足がもつれる。


 しかし間一髪のところで魚人は頭部に銃弾を受けて死ぬことになった。

『大丈夫か、レイ!』とジョージの声が聞こえた。

掩護えんごするから、すぐにそこから離れろ!』


 ジョージの狙撃で何とかなんをのがれると、素早く身体からだを起こした。

『ダメだ……間に合わない』と、カグヤが言葉をこぼした。


 私の目の前には巨大生物が立ちはだかっていた。怪物は太い腕を広げ巨体をさらに大きく見せると、私に向かって咆哮した。身体からだの芯までも震わせる不気味な重低音に思わず顔をしかめた。


 薙ぎ払うように振るわれたかぎづめを屈んでかわすと、まるで猫から逃げるネズミのように、汚泥の中を無様ぶざまに駆けた。石筍せきじゅんの間をうように走り、篝火かがりびがある場所までやってきて振り返るころには怪物の姿を完全に見失ってしまっていた。


 立ち並ぶ石筍せきじゅんの間に揺らめく影を見たかと思うと、背後からぬっと怪物が姿をあらわした。私は巨大生物が腕を振り下ろして、私を叩き潰す幻影を見た。


 しかし次の瞬間、鋭いかぎづめのついた長い脚が怪物の首を破って飛び出し、どす黒い体液を噴き出させた。それは一度だけではなかった。二度、三度と長い脚が怪物の首を貫いていく。


 その長い脚は白蜘蛛のモノで、ハクは怪物の首に脚を絡めて何度も攻撃を行っていた。邪悪な化け物は地鳴りを起こすような咆哮をあげると、首の後ろにいるハクを捕まえようとして腕を伸ばすが、白蜘蛛はすでに地面に飛び退いて避難していた。


 巨大な生物は耳をつんざく咆哮をする。その間も傷ついた首からは体液が噴水のように噴出する。しかし怪物はそれに構うことなく、すさまじい速度でハクに腕を振り下ろす。私はハンドガンの銃口を巨大生物の頭上に向けると、鍾乳石しょうにゅうせきの根元に向かって弾丸を撃ち込んだ。


 銃声が洞窟に響き渡ると、鋭い牙のような鍾乳石が巨大生物の上に落下する。天井のずっと高い場所にあった鍾乳石は、怪物の下半身、尾鰭おひれのある巨大な尾に突き刺さった。その瞬間、うろこを裂いて骨が砕ける音が聞こえたような気がした。


 怪物は狂暴な痛みにもがき、周囲の石筍せきじゅん身体からだをぶつけながら狂ったように暴れた。体液が滴り、肉片があたりに飛び散る。それでも私とハクは巨大生物への攻撃を続けた。ハクが吐き出す糸の塊は怪物の肉を溶かし、ハンドガンから発射された〈貫通弾〉がうろこを貫いて生物の巨躯をズタズタに破壊していく。


 怪物は不気味な口元から粘液をしたたらせ、恐ろしい眼を向ける。私はその奇妙な眼にハンドガンの銃口を向けると、躊躇ちゅうちょせずに引き金を引いた。ギョロリとした巨大な眼玉めだまが破裂すると、怪物は泥濘でいねいのなかにくずおれた。


 怪物のひれからは粘度の高い体液が流れ出し、空気を震わせる不気味な呼吸音が聞こえる。ハクは生物に赤い眼をじっと向けたまま動かなかった。私は身体からだの節々に感じている痛みに我慢しながら、生物の側まで行くと、その頭部に照準を合わせた。引き金を引くと甲高い金属音がして、ハンドガンを握っていた腕が反動で持ち上がる。


 質量のある銃弾はすさまじい運動エネルギーを得て、巨大生物の頭部を貫通し破裂させると、そのすぐ後方にあった石筍せきじゅんを粉々に破壊した。


 インターフェースに表示されるハンドガンの残弾を確認して、思わず溜息をついた。

 生物の不気味な呼吸音が止まると、近くに来ていたハクにたずねる。

「死んだと思うか?」

『ん。しんだ』

 ハクは私に身体からだをピッタリとくっつけながら、そう答えた。


 けれど私にはすべてが終わったようには感じられなかった。それは絶えず奇妙なささやき声が頭の中で響いていたからなのかもしれないし、あるいは地底深く、暗闇の中に長時間いた所為せいなのかもしれない。いずれにせよ不安は胸騒ぎとなって、私を不快な気持ちにさせていた。


 すると突然、地底湖近くの石柱から衝撃波が生じる。それは洞窟を揺らし、落石を引き起こした。地底湖の水面に向かって鍾乳石しょうにゅうせきが落下して、次々と波を立てるのが見えた。


『ねぇ、レイ』と、困惑するペパーミントの声が聞こえた。

『これ以上、状況が悪くなることはないって言ったよね』


「ああ」と私は答えた。

「言ったような気がする」


『でも、悪いことは続けて起きるみたい』

「そうだな……」

 泡立つ水面から顔を出した複数の巨大生物を見ながら、私は息を吐き出した。

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