第170話 宣教師 re


 さすがに〈ジャンクタウン〉で遺体を放置するのは問題になるので、適当な掘っ立て小屋に放り込むことにした。死体を引きってほこりが舞う小屋に死体を押し込むと、その場をあとにする。ちなみにムカデの死骸に触れる気はなかったので、そのまま放置することにした。


 派手なネオンが目に付く看板の下を通って、ホログラムで投影される消費者金融の広告の側で立ち止まると、振り返って暗い通りを眺めた。しかし人の気配は感じられなかった。


「カグヤ、なにか怪しい動きをする人間はいるか?」

 大通りに視線を戻すとあたりの様子をうかがう。

『今のところ怪しい動きをする人間は確認できない。たぶんレイのことを尾行していたのは、あの〈蟲使い〉の傭兵だけだった』


「蟲使いか……たしか山梨県を拠点にしている傭兵集団だったな。昆虫をしたがえているって聞いていたけど、まさかムカデをあやつる人間がいるとは思わなかった」

『ムカデは厳密に言えば昆虫じゃないんだけどね』

「昆虫どころか、もはや化け物だったよ」

『たしかに身の毛のよだつ化け物だった』


 カグヤの操作するステルス型偵察ドローンが何処どこからともなく飛んでくると、私の周りをぐるりと飛行する。それは機体の周囲に特殊な重力場を発生させて浮遊しているからこそできる変則的な軌道だった。


「けど最後には使役していたムカデに襲われて殺された」

 私はそう言うと、ゴミの山から飛び出してきたドブネズミを足先で払う。

『ううん、あれはムカデに襲われたんじゃないよ』

「どういうことだ?」


『蟲使いとムカデは、あの奇妙な――ツノみたいな装置でつながっていて、死ぬ寸前まで接続は切れてなかったんだ』

 カグヤの言葉に思わず顔をしかめた。

「ムカデにワザと自分を襲わせたってことか?」

『うん、あれは自殺だよ』


「それが本当なら、ひどく馬鹿げた行動だな。なんのためにそんなことをする必要があったんだ」

『秘密を守るため……とか?』

「俺を襲うように指示した依頼主のことを知られないように?」


『そうじゃなくて、蟲使いが使用している技術にはまだ多くの謎があるでしょ。それを知られないために、自害したんじゃないのかな』

「まさか拷問されて、技術に関する情報を奪われると思ったのか?」

『たぶん』


「だから死ぬことを選んだ。ずいぶん短絡的たんらくてきな考えだな」

『自分たち以外のすべての人間を〈異邦人いほうじん〉なんて呼ぶ野蛮やばんな人たちだよ。彼らが何を考えていたのかなんて、私たちに分かるわけがない』


「たしかに」思わず溜息をつくと、路地に視線を向ける。

「とにかく、そいつは他の人間のおとりにされた可能性がある。用心してくれ、襲撃は続くかもしれない」

『了解、警戒を続けるよ』


 カグヤが操作するドローンが〈熱光学迷彩〉を起動して姿を隠すと、私は頭部全体を覆っていたガスマスクの形状を変化させて、口元だけを保護するようにした。するとマスクは甲冑を着こんだ侍がつけている面頬めんぼおのような形状に変化する。マスクで頭部全体を覆い隠すのは何かと目立つが、口元だけなら人の目に付くようなことはないはずだ。


 派手なガスマスクを装着している人間はどこにでもいるが、私が装着していたマスクは旧文明期の〈遺物〉だった。マスクの価値を理解する人間に興味を持たせて、厄介な問題事を抱えるようなことはしたくなかった。


 倒壊した建物の瓦礫がれきやゴミが散らばる通りを歩いて、黄ばんだマットレスの上で抱き合っていた男女をまたいで薄暗い路地を離れて大通りに出る。丈の短いスカートに薄いストッキング、そして高さ十センチのピンヒールを履いた女が私にぶつかる。前を向いて歩いていなかったのは女だったが、彼女は舌打ちすると型の古いガスマスクの奥から私を睨んだ。


『嫌な女』とカグヤが毒づいた。

 私は女の視線を無視して通りに向かう。

「あの女だけじゃないさ。廃墟の街から〈ジャンクタウン〉にやってくる人間のほとんどが、レイダーギャングと変わらない嫌な連中ばかりだ」


 露店ろてんつらなる通りでは、廃車の上で殴り合う男たちがいて、それを遠目に眺めている野次馬やじうまたちは手を叩いて喜んでいた。〈鳥籠〉の外で暮らす人間にモラルなんてものを期待してはいけない。

「それに、俺たちも同じようなものだ。この世界で好き勝手に生きている。誰かの文句が言えるほど偉い人間じゃない」


 通りの反対側では〈不死の導き手〉と呼ばれる宗教団体の宣教師が、人だかりの中心で相も変わらず世界の終わりについて声高らかに語っていた。男はプロビデンスの目にも似た教団のシンボルマークが金糸で刺繍された紺色の外套がいとうを着ていて、腕を大きく広げると空をあおいいた。その芝居がかった仕草しぐさに人々は酔いしれるように視線を向ける。


「〈守護者〉たちが我々の救いなのです!」と宣教師は声を上げる。

「この荒廃した世界で〈守護者〉たちだけが我々に救いの光を、そして希望を見せてくれるのです!」

 宣教師は力強く拳を握ると言葉を続けた。


「貴方たちは知らず知らずのうちに守られてきた。いいですか、〈守護者〉は自分たちの行為こうい傲語ごうごすることなく、我々の世界を数多の脅威、そしておぞましい化け物や悪意から守っている。それにもかかわらず、彼らは決して見返りを求めないのです。それは何故なぜでしょうか?」


 宣教師は言葉を切ると、群衆ひとりひとりに視線を向ける。

「〈守護者〉たちが我々、人類のことを愛しているからに他ならないからです!」


「脅威が減っているようには見えない!」と、ほほのこけた病的な女が言う。

「その救いの手とやらが私たちに差し伸べられているのなら、その証拠を見せろ!」


「そうだ!」

 タイミングを見計らったかのように、女の後ろに立っていた男が声を上げた。


「落ち着いてください」と宣教師は微笑む。

「今から私がそれを説明――」


「俺には!」と、私のとなりに立っていた男が急に声を上げた。

「俺には娘がいたんだ。けど廃墟の街で変異体の化け物どもに襲われて殺されたんだ。一緒にいた俺も危うく命を失いかけた。そのときだった!」


 男の大声に私はうんざりしていたが、宣教師は異なる反応を見せた。彼は男の言葉に耳をかたむけ、子どもをあやす母親のような、そんな優しい眼差まなざしで男を見つめていた。


「〈守護者〉が俺を窮地から救い出したんだ。そして!」と、男は群衆に顔を向けながら言う。「あろうことか、〈守護者〉は俺に謝ったんだ。娘を救えなくて申しわけないと、助けるのが遅くなってすまない、と」


 男はそう言って涙を流す。

「自分自身の娘さえ救えない不甲斐ない男なんて放っておけばよかったんだ……でも、〈守護者〉は俺に優しい言葉をかけてくださった。俺はあれほどの優しさに触れたことは今まで一度もなかった」


「それは違います」と宣教師はゆっくり頭を振る。

「あなたは娘を救うために、きっと精一杯のことをしたのでしょう。決して不甲斐ふがいない父親なんかではありませんよ。〈守護者〉の行いは素晴らしいです。しかし、そんな〈守護者〉の優しさに気づくことができるあなたも、きっと素晴らしい人間なのです」


「俺が?」と男はワザとらしく困惑する。

「こんな俺が優しいわけがない」


「〈守護者〉が救った人間に悪人はいません」と宣教師は微笑ほほえむ。

「私たちと共に〈守護者〉について学びませんか? あなたの優しさは人々のために行使されるべきモノなのですから。そして皆さまの中にも、きっと私たちと共にあゆみたいと思っている人間がいるはずです。どうか恐れずに一歩踏み出してください。我々は歓迎します」


 どこからか拍手はくしゅが聞こえてきて、気がつけば群衆ぐんしゅうも一緒になって手を叩いていた。人々の中には目に涙をめ、笑みを見せる者もいた。


『何これ?』とカグヤが言う。

『こんな茶番を見るために、こんなに沢山たくさんの人が集まってるの? 全然泣ける話じゃないし、娘が目の前で襲われているのに何もしないことは、不甲斐ふがいないで済まされる問題じゃない。彼は卑怯者ひきょうものでどうしようもない臆病者おくびょうものだ』


「教団が仕込んだ人間が群衆にまぎれているんだろうな」

『こんなに分かりやすくやるものなの?』

「信者を増やすためなら手段を選ばないんだろう。それに、相手は学のない人間の集まりだ。群集心理に精通した人間なら、どんなことだってやって見せるさ」


 人間には他人から評価され、認められたい願望がある。そのためにはどんなことだってする人間がいる。彼らはうわべだけの世辞には反感を覚える。だからこそ群集心理を利用しているのだろう。皆の前でめ、皆に評価してもらうという快感を与える。


 どんなに些細なことでも惜しみなく心からめる。すると人間は簡単に心を開いてくれる。そのあとはお決まりの言葉で自分たちの組織に引き入れる。もちろん、全員を騙すことはできない。けれど教団の噂は広がり、信者の数は着実に増やすことができる。


『〈守護者〉たちは、自分たちが宗教の勧誘に利用されているのを知ってるのかな?』

 カグヤの言葉に私は頭を振る。

「おそらく何も知らないだろう。そもそも彼らが〈鳥籠〉の人間に興味を持っているように見えない」


 ちなみに〈守護者〉は〈人造人間〉と呼ばれる種族のことだ。彼らは人間と同様の骨格を持っている。しかし皮膚がなく、き出しの骨格には旧文明の特殊な〈鋼材〉が使われていて、金属で造られた骸骨のような外見をしている。


 そして謎に包まれた〈人造人間〉は、彼らが神々と呼ぶ創造主の言葉にしたがい、文明が崩壊して荒廃した国の管理を続けていた。けれど私には彼らが具体的に何をしているのかは、ハッキリと分からない。しかし〈人造人間〉が教団の布教活動に利用されることをこころよく思わないことくらいは安易に想像できた。


 スリに注意しながら群衆の中から抜け出すと、職人の多くが店を構える〈ジャンク通り〉に向かう。裏通りに入ると人気ひとけのない道を進み、廃品が山のように積まれている通りに出る。するとガラクタ置き場にもゴミの集積地にも見える場所に、かすれた文字で〈製作所〉と大きく書かれた看板と掘っ立て小屋が見えてくる。


 私は迷うことなくその小屋に入っていく。廃材で建てられた貧相な外見と異なり店内は驚くほど広く、売られている商品は棚に綺麗に並べられていた。一部を除いて掃除が行き届いた店内は居心地がよかった。


 しばらく商品を見て回ったあと、ジャンク品の陰に埋もれるようにして作業をしていた初老の男に声をかけた。

「久しぶり、ヨシダ」


 汚れた灰色のツナギにエプロンという質素な格好をしたヨシダの片腕は特殊な義手で、その機械の腕は戦闘用のモノではなく、細かい作業をするのに特化していて複数の指がついていた。ヨシダはそれらの指を器用に使い、手元の複雑な作業を続けながら私の言葉に答えた。


「レイか」と彼は渋い声で言う。

「そろそろ来るころだと思っていたよ」


「ミスズたちは来ているか?」

じょうちゃんたちなら、ジャンク品置き場にいる」

「買い物はもう済ませたのか?」


「ああ、ヴィードルのフレームやら機械人形の残骸やらを大量に注文していったよ」

 それからヨシダは手を止めて顔を上げた。

「なぁ、レイ。俺が言うのも変だが、本当にあんなモノが必要だったのか?」


「ああ。問題ないよ」と私は微笑ほほえむ。

「拠点の強化に鉄屑が必要なんだ」

 ヨシダは無精ぶしょうひげを撫でたあと、険しい表情でうなずく。

「そう言えば、レイは廃墟の街に拠点があるんだったな」


「最近、何かと物騒だからな。拠点の周囲にバリケードを築くつもりだ」

「戦争か」と、ヨシダは溜息をついた。

「まさか〈鳥籠〉の間で争うことになるとはな……」


 ヨシダにミスズたちの居場所を聞いたあと、許可をとって店の裏口から出て行った。至るところに無造作にジャンクが積まれていた場所を歩いていると、ジュリとヤマダの姿が見えてくる。どうやら二人は拠点で必要になるジャンク品の素材を確かめているようだ。


「レイ!」と、ジュリが茶色い短髪を揺らしながら駆けてくる。

「見て、こんなにいっぱい機械人形がある!」

 彼女が指差ゆびさしたガラクタの山を見ると、たしかに機械人形は沢山あったが、そのほとんどが残骸で、原型を保っている機体はひとつもなかった。


「危ないから、ジャンク品の山に無闇に近づかないようにしてくれよ」

 苦笑しながら言うと、ジュリは頬を膨らませる。

「分かってるよ。何度も言うけど、俺はもう子どもじゃないんだ。それくらい言われなくても分かってる」

 彼女は十三歳の女の子らしく不貞腐ふてくされた。


 ジュリは〈ジャンクタウン〉で孤児として育ち、自分自身の力だけで過酷な世界で生きていた。けれどひょんなことでチンピラに因縁をつけられ、襲われているところを助けて以来、拠点で一緒に生活していた。今では家族同然になっていて、彼女は商人としての経験を生かして廃墟の街で手に入る〈遺物〉を取引するさいに手助けをしてくれていた。


「ミスズは?」と、ジュリのとなりに立っていたヤマダにたずねる。

「ミスズさんは……」と彼女は振り返る。

「あれ? いない……さっきまで一緒だったけど……」


「彼女を探しに行くから、ヤマダはジュリと一緒にいてくれ」

「うん。わかった」

 ヤマダもジュリ同様、危険な立場から救い出して保護した女性だった。ちなみに彼女も商人として働いていた過去があって、遺物を取引するさいに手伝ってくれていた。


 ジャンク品を眺めながら歩いていると、ガラクタに埋もれた機械人形の前に立っているミスズの姿が見えてきた。彼女は東京にある旧文明期の施設から横浜にやってきていて、今は一緒に仕事をする相棒として家族同然の間柄あいだがらになっていた。


 ちなみに東京は文明崩壊のキッカケにもなった争いの影響で海中に沈んでいると噂されていたが、実際にそこがどうなっているのかを知る人間に会ったことはない。


「レイラ」と、彼女は琥珀色の大きな瞳を私に向けた。

「こんなところで何をしているんだ?」

「機械人形の残骸が戦闘用の〈アサルトロイド〉だったので、貴重なパーツが残ってないか確認をしていました」


『貴重なパーツは残ってないと思うよ、ヨシダが見逃すわけがないからね』

 カグヤの言葉で気がついたのか、彼女は恥ずかしそうに言う。

「それもそうですね」

 顔を赤くして微笑ほほえむミスズに〈蟲使い〉のことを話す。

「まだ他にも襲撃者が潜んでいるかもしれないから、今日はもう帰ろう」

「そうですね、わかりました」

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