第157話 故障 re


 集落の通りには瓦礫がれきや廃材が散らばり、武装した住人が騒がしく動き回っていたが、〈環境追従型迷彩〉を起動しているおかげなのか、私の存在に気づく者はいなかった。崩れかかった掘っ立て小屋のそばを通ったとき、トタン屋根を激しく叩く雨音に混じってうめき声のようなモノが聞こえてきた。


 周囲に視線を向けながら立ち止まると、音の正体を確かめるために小屋のなかを覗き込む。そこには身ぐるみをがされた人間が数人、汚泥おでいかるように横たわったまま放置されていた。


 いずれも後ろ手に縛られ、身動きができないように拘束されていた。そして小屋の中にいたのは人間だけではなかった。別の小屋でも見かけていた〝ナマコ〟に似た奇妙な生物も数えきれないほど吊るされていて、それぞれが人間に向かってあの気色悪い突起物を伸ばして、吸い付くようにして人間の肉をむさぼっていた。


 小屋に放置されていた人間は、半魚人めいた集落の住人が廃墟の街でさらってきた略奪者や行商人なのかもしれない。彼らをさらってきた理由は分からない。食べるためなのかもしれないし、ナマコのえさにするためなのかもしれない。


 しかしそれは私に関係のないことだった。掘っ立て小屋の入り口にハンドガンの銃口を向けると、火炎放射で奇妙なナマコもろとも焼き尽くした。


 くすぶる小屋を横切ると、狭い通りの向こうから悲鳴が聞こえて思わず足を止める。

『何かあったのかな』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

「これ以上の何かがあるとは思えないけど……」と集落の惨状さんじょうに目を向ける。


『うん……? 待って、ハクの反応があるよ』

 ガスマスクの視界を操作して視線の先を拡大表示すると、逃げ惑う住人を容赦なく殺している白蜘蛛の姿が通りの向こうに見えた。

「様子がおかしいな……」


『本当だ。眼が赤くなってる。ハクは半魚人が嫌いなのかな?』

「半魚人に化け物呼ばわりされたことを根に持っているのかもしれない」

 ハクが怒っている理由は想像できたが、とにかく急いで集落から脱出しなければいけない。声に出さずハクに呼び掛けることにした。


 ハクは脚先についた鋭い鉤爪かぎづめで半魚人を切り刻んでいたが、私の声が聞こえると、ピタリと動きを止めてこちらに身体からだを向ける。ハクの周りには半魚人の切断された手足が転がっていて、内臓が飛び出している腹を抱えて、奇妙な鳴き声を上げている化け物もいた。


『レイ』と、ハクの幼い声が聞こえた。

『どうした?』


 ハクの体毛は半魚人の血液と雨でぐっしょりと濡れて酷い状態だったが、私も同じような状態なのだろう。血液で体毛を赤く染めるハクの姿は恐怖そのもので、半魚人が逃げる理由がなんとなく理解できた。


「ハク、これからペパーミントと合流する」

『てき、いらない?』と、ハクが大きな眼を私に向ける。

「ああ、ここの連中はもう俺たちに何もしない。もう相手にする必要はない」


『なにもしない』と、ハクは水溜まりを叩いた。

 さっと視線を動かすと倒壊した掘っ立て小屋に潜んでいる者や、軍艦の残骸に身を隠している者の姿が確認できた。しかし住人はハクを恐れているのか、我々に襲いかかってくることはなかった。武装している者がほとんど残っていないことも関係しているのかもしれない。いずれにしろ、この奇妙な集落にもう用はなかった。


 集落から出るため〈重力子弾〉によって破壊された壁の側まで向かうと、屋根付きの狭い駐車場に無造作に積まれていた鉄板や鉄骨と一緒に、一台のピックアップトラックが放置されているのが見えた。


 トラックの荷台には砂浜から拾ってきたと思われる大量のゴミと、機関銃が備え付けられていた。日本製の車両は信頼性があり、ちょっとした改造をすれば戦場でも運用可能なのは知っていたが、まさかこんな場所で完全な状態のモノが見られるとは思っていなかった。


「カグヤ、この車は使用できると思うか?」と、トラックに触れながらたずねた。

『すぐに調べる……。えっと、車両のシステムに異常は確認できなかった。自己診断情報が正しければ、故障している箇所はないし、エンジンやジェネレーターにも問題はない』

「ならこいつに乗っていくか」


 その場にしゃがみ込んでトラックのタイヤを確認する。経年劣化のない特殊なゴムで製造されているタイヤは汚れていたが、極端にすり減っていることもなく状態は良かった。


『所有者の情報にレイの生体情報を上書きして、それから――』

 カグヤのつぶやきを聞きながら荷台に乗ると、折れ曲がったパラソルの骨組みの側に置かれていたシャベルを拾い、それを使って荷台のヘドロやガラクタを地面に落としていった。


『くるま?』

 ハクはそう言って塗装がげたトラックのドアをベシベシと叩いた。カグヤと話をしていたときに『車』という単語が聞こえたのだろう。ハクはその言葉を繰り返していた。


「ハクも乗れるように荷台を片付けるから、少しの間、集落の通りを見張っていてくれるか?」

『のる?』ハクは身体からだを斜めにかたむけながら、疑問を口にする。

「そうだ。廃墟の街で壊れた車を何度も見ていると思うけど、こいつは走るんだ」


『はく、しってるよ?』

「ああ。だからハクには荷台に乗ってもらおうと思っているんだ」

『ハク、てつだう』

 ハクは長い脚を伸ばすと、荷台に載っていたゴミやら何やらを一気に地面に落とした。


「助かったよ、ハク。おかげで面倒な作業がすぐに終わった」

『ん。たすかった』

 ハクはそう言うと、いそいそとトラックの荷台に乗りこんだが、ハクにはいささか狭いようだった。私はシャベルを手放すと、ゴミやヘドロに埋まるようにして地面に落ちていた小銃を拾い上げて、状態を確認してから荷台に戻していった。


「狭くないか、ハク?」

『せまい、ない』と、ハクは荷台をベシベシと叩いて車両を揺らした。

 へこんでいたドアにガラスはなく、車内は砂やゴミでひどく汚れていた。


 シートに載せられていた大量のビール瓶を地面に捨てると、ひどく汚れていたシートに座った。車内にはハンドルに各種計器類、そしてペダルがあって、いたって普通の車に見えた。


 おそらく〈ヴィンテージカー〉のレプリカモデルなのだろう。廃墟の街で見かけることはまれだが、たいしてめずらしいモノでもなかった。実際、その車体よりも、車が動くことの方がめずらしいのだから。


 ちなみに旧文明期に使用されていた多くの自動車はもっとシンプルで、そもそも操縦が必要ないため、豪勢なシートや冷蔵庫、オーディオにホログラムモニターなどを備え、乗っている人間の快適性を追求した作りになっていた。


 もっとも、完全な状態の自動車はほとんど残っていないので、その知識は廃墟で見かける広告映像で得た情報だった。だから旧文明期の車が本当はどんなモノなのかよく分からない。空を自由に飛行できる乗り物が自動車に取って代わったのかもしれない。


『ねぇ、レイ』と、カグヤが興奮気味に言う。

『この車のシャーシが凄いんだよ。〈距離測定レーザー〉に〈ミリ波レーダー〉まで備えてるんだ』

 アクセルとブレーキペダルを踏んで異常がないか確かめながらたずねた。

「シャーシ? 車の足回りのことか? その何とかってレーダーがあると、なにがすごいんだ?」


『自動で障害物の検知をしてくれるんだ』

「廃墟の街は瓦礫がれきで埋もれているから、その機能は便利そうだな。でも警告音が鳴るタイプなら、それは切っておいたほうがいい。俺は騒がしいのが苦手なんだ」

『つまらない皮肉なんて言わないで』と、カグヤはぴしゃりと言う。


「そうだな、悪かった。……それで、この車はすぐに動かせるのか?」

『うん。自動運転も備えてるから目的地を設定するだけで、レイが運転しなくてもペパーミントたちとの合流地点に連れて行ってくれる』


「ならすぐに出発しよう。集落の外に出ていた武装集団が他にいるのかもしれない。そいつらが戻ってきたら面倒なことになる」

『了解』


 しばらく黙ったまま前方を見つめていたが、自動車は動かなかった。

「カグヤ?」

『ごめん。自動運転はレーダーが故障している所為せいで使えないみたい……』

「いいよ」と私は頭を振る。

「車の運転くらい、自分でやれる」


 革のハンドルカバーは酷く汚れていて、汚物のような塊がこびり付いていたのでカバーは外して窓の外に捨てた。ジェネレーターが起動すると車体がかすかに振動するのが分かった。バックミラーがなかったので、振り返ってハクが荷台に乗っているのかを確認する。


 ハクはトラックが動き出すのを今か今かと待っていて、荷台をトントンと小気味よいリズムで叩いていた。サイドブレーキを下ろしてアクセルを踏む。すると意外なことに、トラックはスムーズに動き出した。


 この世界の自動車にしてはめずらしいことだったが、フロントガラスは割れていなかった。走行中に飛んできた瓦礫がれきや石で付いたと思われる細かな傷は残っていたが、雨に濡れる心配はしないでよさそうだった。


 トラックを走らせても住人はただ黙って我々を睨んでいるだけで、とくに何もしてこなかった。ハクが荷台にいたことが関係していたのかもしれないが、集落からさっさと出て行くのを待っているようでもあった。


 集落を散々破壊しておいて、今さら住人のことをあわれむ気はないが、やり過ぎたのは確かだった。必要のない恨みは買いたくなかったが、さすがに今回のことは言い訳できない。憎しみのこもった眼を向けてくる住人の近くを通って、我々は集落の外に出る。しばらく走って、それから振り返ると、半魚人めいた住人はまだ我々のことを睨んでいた。


 トラックで合流地点に向かっていることをペパーミントに報告すると、なぜが彼女は喜んでくれた。

『動く車は珍しいから』と、ペパーミントは言う。

『もちろん、拠点に乗っていくよね?』


「途中で故障しなければ」

『大丈夫、故障しても私が直してあげる』

「そうだな。それで、そっちの様子は?」


『問題ないわ』

「怪我はしてないのか?」

 ハンドルを切って瓦礫がれきを避ける。カグヤが話していたレーダーは故障しているので、運転には細心の注意が必要だった。


『私は怪我してないし、ヴィードルにも被害はないわ』

「よかった。もうすぐ到着するから、あと少しだけそこで待っていてくれ」

『了解』

 ペパーミントはそう言うと、通信を切らずに黙り込んだ。


「どうしたんだ?」

『本当にあの不気味な洞窟に向かうの?』

「そのつもりだけど、ペパーミントは反対なのか?」


『捕らわれているかもしれないって子は、レイの大切な人なの?』

「まさか」と私は苦笑する。

「ただの知り合いだ」


『ただの知り合いのために、レイは危険をおかすの?』

「たしかに彼女は厄介な事態に巻き込まれているみたいだけど、助けられるなら助けたいと思ってる」

『お人よしなのね』

「そう? 冷たくて人間味のない人だとは言われるけど……」


『レイの意思で助けに行くの?』

「そうだよ。でも、ペパーミントが嫌だって言うなら無理はしない」

『嫌じゃない。レイが利用されているのが気に食わなかっただけ』


「誰にも利用はされてないよ。俺の意思で助けに行きたいんだ」

『そう。それなら、行きましょう』

「いいのか?」

『もちろん』


 海岸沿いの合流地点に着くと、ジョージが車体を撫でながら運転席に近づいてきた。

「こいつはめずらしいな」とジョージは言う。

「連中は動くトラックを所有していたのか」


「それで、ジョージ。首尾はどうだ?」

「俺は狙撃しかしてなかったからな、簡単な仕事だったよ」

「集落の住人に尾行はされなかったか?」

「尾行はないな」とジョージはきっぱり言う。

「ここに来るついでに、周辺の確認も済ませた」


「そうか」

「例の洞窟に一緒に来てくれるんだろ?」

「そのつもりだ。だから乗ってくれ。連中が追ってくる前にさっさと出発したい」


「荷台に乗るのは……無理そうだな」

 ジョージは荷台を占拠するハクを見ながら言った。それからハクに睨まれながら、荷台に対物ライフルを載せると、彼は助手席に乗り込んだ。ヴィードルに乗っていたペパーミントに出発することを伝えたあと、アクセルを踏んだ。激しくなる雨の中、我々は洞窟に向けて進む。


「寒くないか、ハク!」と、窓から顔を出すと声を上げた。

『さむい、ない』とハクは答える。

『たのしい』

「降りたくなったら教えてくれ、すぐに車を止める」

『んっ!』とハクは荷台を叩いた。


 ピックアップトラックのライトは故障していたが、ガスマスクのナイトビジョンで問題なく海岸を走ることができていた。


「これまでも何度か車に乗ってきたが、やはり乗り心地がいいとは言えないな」と、ジョージは言う。

「海岸だからさ。道路を走れば、この揺れも少しはまともになるはずだ」

「ずいぶんと運転に慣れているみたいだ。レイラは車の運転を何処で教わったんだ?」


「さぁな、なんとなく運転の仕方を覚えていただけだ」

「覚えていたって言うのは?」

「そう言えば、ジョージには言ってなかったな。俺には記憶がないんだ」

「記憶がない? つまり……それはどういうことだ?」と、ジョージはドレッドヘアーを揺らした。


「文字通りの意味さ。横浜に来る以前の記憶がないんだ。だから自分がどこにいて、それまで何をしていたのか、何者だったのかも覚えていない」

「それが本当なら、難儀なんぎな人生だったんだな」

 私はちらりとジョージに視線を向けた。

「本当のことだ。嘘を言う必要がないだろ」


「そうか?」とジョージはニヤつく。

「そうだよ」

「例えば、あの戦闘で使っていた兵器のことを俺に隠したいから、そんな作り話をしているんじゃないのか?」

「兵器?」と私は顔をしかめる。

「ああ、集落でのことか」


「そうだ。あれはなんだったんだ?」

「旧文明の〈遺物〉を使用した攻撃だ。別に隠すようなことは何もない」

「その〈遺物〉も記憶を失う前から持っているものなのか?」


「そうだ」

 嘘をつく必要はないが、本当のことを言う必要もない。

「そうか」と、ジョージは険しい表情をみせる。


「なんだ?」と私は訊ねる。

「何か気になることがあるのか?」


「同じような閃光と、その閃光が残した破壊を見たことがある」とジョージは言う。

「それは何処で?」

「ヨコスカで仕事をしていたときのことだ」

 砂浜に横たわるクジラに似た巨大な腐乱死体を避けると、ジョージの言葉を待った。


「教団の仕事を請け負ったときのことだ」

「〈不死の導き手〉か……」

「そうだ。俺以外にも多くの傭兵が参加していたから、誰が何の目的でそれだけの破壊を残したのかは分からなかったけどな」

「それは横須賀でみたのか?」


「そうだ。……さてと」と、ジョージは気を取り直してから言う。

「お待ちかねの洞窟探検だ。気合を入れるぞ」

「そうだな」と、私は薄暗い海岸に目を向けた。

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