第158話 発光器官 re
夜の闇に
海岸に打ち寄せる波を避けるように、道路沿いにピックアップトラックを止める。海面を叩く雨音に耳を澄ませ、それからトラックを降りた。そのまましばらくじっとしていたが、周囲に人の気配は感じられなかった。ハクも荷台から降りると、音もなく私のとなりに来て闇に眼を向ける。
「ここから先は歩いて行くしかなさそうだな」
トラックの助手席から降りたジョージはそう言うと、荷台から回収した対物ライフルを肩に
視界の
「手に入れられる地図が古いみたいだな」
『どうだろうね?』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。
『情報によれば、この
海岸の地図は今まで正確だったので、カグヤの言っていることは間違っていないのかもしれない。ならばこの先に見えている岩礁地帯はどうして地図に表記されていなかったのだろうか?
『レイ』と、ペパーミントが搭乗していたヴィードルが近づいてきた。
『洞窟までヴィードルで行こうと思うの』
「そのほうがいいのかもしれない。この先からは、なにか良くない気配を感じる」
私はそう言うと、夜の闇に
ヴィードルの防弾キャノピーが素通しのガラスに変化して、コクピット内のペパーミントの姿が確認できるようになる。すると後部座席のシートに〈カラス型偵察ドローン〉がちゃっかり乗り込んでいるのが見えた。
『嫌な予感がするってこと?』と、ペパーミントが首をかしげる。
「ハクと〈混沌の領域〉を旅していたときにも、同じような気配を感じたことがあるんだ」
それは得体の知れない悪意に満ちた気配だ。
『異界と同じか、私たちは〈混沌の領域〉に踏み込もうとしている。どこかに異界につながる〈転移門〉が開いているのかもしれないわね』
「その確証はないけど、用心しよう」
『ええ、了解した』
ペパーミントがうなずくと、防弾キャノピーは光を通さない球体に戻った。
「レイラ、こいつを見てくれ!」と、先行していたジョージが言う。
岩場を慎重に歩いてジョージのもとに向かう。彼が
「タカアシガニに似ているな」と、奇妙な生物の死骸に近づく。
その生物の脚は異様に長く、一本一本が三メートルほどあって、数本の脚は
「その
ジョージは生物の巨大な
「わからない」と私は言う。
「そもそも、こいつがタカアシガニなのかも俺には分からない」
周囲に危険な生物が潜んでいないか、さっと視線を動かして確認した。
「でも似ているんだろ? 街で見かける昆虫みたいに、変異して巨大化した可能性があるんじゃないのか?」
「タカアシガニは
「深海の生物がこんなところで何をしてるんだ?」と、ジョージは丸メガネのようなゴーグルを通して暗い海を見つめた。
『おいしい?』
「これがタカアシガニなら、味は悪くないと思う。けど死んでからどれくらい時間が経っているのか分からないし、味が悪くなっているかもしれない。だから――」
言葉を言い終わる前に、ハクは正体不明の生物の脚を口に入れてバリバリと噛砕いた。
『んっ、わるくない』
ハクは私の言葉を真似すると、もう一本脚を拾った。
私は肩をすくめると、暗い岩場に向かって歩き出した。
注意深く闇に目を凝らす。すると数十メートルの高さがある不自然な岩壁のふもとに、薄気味悪い岩の切れ目が見えた。どうやらそこが目的の洞窟の入り口だった。
「例の洞窟か?」とジョージが言う。
「ああ。上空から見る感じとはずいぶんと雰囲気が違うが、間違いない」
そう言って
空が青紫色に瞬いて遠くで雷鳴が
「ハク、もう洞窟に入るよ」
『ん、いく』
ハクは最後にカニの脚をひと
我々は風がつくり出す悲鳴にも似た嫌な音を聞きながら、洞窟に近づいて行った。
その洞窟の入り口からは、奈落を思わせる闇が延々と奥に続いているのが見えた。どうやら思っていたよりもずっと深い洞窟になっているようだった。
ガスマスクの視界を通して見える範囲にも限界はあったが、入り口の先は足場の悪い
「ここで少し待っていてくれ」
ペパーミントを待機させたあと、ハクと一緒に闇の中に歩いて行く。すると
竪穴から吹きつけてくる風が
『かなり深いみたいだね』
カグヤの言葉にうなずくと、深くて暗い闇が持つ独特な
『大部分が石灰岩で形成されている竪横複合洞窟って呼ばれている鍾乳洞かな……水没してる可能性もあるし、すごく危険な場所になってると思う』
足元に注意しながら洞窟の入り口に戻ると、壁に寄りかかって待っていたジョージに言う。
「この先には深い竪穴がある。先に進むには穴を下りていくしかなさそうだ」
「そいつは最悪だな……。けど集落の住人が使っていた移動経路が
「探してみよう。けどなにか変じゃないか?」
「たしかに変だな」とジョージは鼻を鳴らす。
「
『なにかの〝儀式〟のために連れてきたんじゃないのかな』と、ヴィードルのスピーカーを通してペパーミントの声が聞こえる。車両は洞窟の入り口に入ってすぐのところで停車していた。
「儀式? なんのことだ?」と、ジョージはドレッドヘアーを揺らす。
『ほら、集落でレイが船首に侵入したでしょ? そのときに
どうしてペパーミントが祭壇のことを知っているのかは分からないが、私の視界を盗み見ていた可能性はある。
「つまり」と、ジョージは対物ライフルを
「この洞窟は集落の連中が、宗教的な儀式のために使っていた場所だって言うのか?」
『そうじゃなきゃ説明がつかないでしょ?』
「たしかにそうだな……この先に道があるか探してくるよ」
ジョージはそう言うと、ひとり暗闇の中に歩いて行った。
『ここから先は徒歩ね』ペパーミントはそう言うと、ヴィードルを降りた。
「ねぇ、レイ。荷物はバックパックだけでいいかな?」
「そうだな。大荷物を持って移動するのは厳しいかもしれない」
「なら、ショルダーバッグは置いていく」ペパーミントはバックパックを背負うと、後部座席の収納からレーザーライフルを取り出した。そのさい、カラスが首をかしげて不思議そうな顔で彼女を見つめる。
ペパーミントが背負ったバックパックは防水加工の施されたモノだったが、洞窟探索には心細い装備だった。けれど、そもそも洞窟探索なんて予定していなかったのだ。装備の文句は言えない、今手元にある物を活用するしかない。
ペパーミントの側に行くと、荷物の中から集落で回収していた〈軍の端末〉を取り出して彼女に手渡した。
「これもヴィードルに収納してくれ」
「これが今回の探索の目的だった端末?」と、彼女はノート型の端末を見つめる。
「ずいぶんと頑丈な作りなのね」
「一応、軍の端末だからな」
ペパーミントはヴィードルのタラップに足をかけて、コクピットに上半身だけをいれると、こちらにお尻を突き出した。
「端末はショルダーバッグに入れておくね。バッグの中に入れておけば、取り出す権限を持っているのは私とレイだけだから、誰かに奪われる心配をしないですむ」
目の前で揺れる形のいいお尻を眺めながらうなずく。
「そうだな。用心するに越したことはない」
「レイラ! こっちに来てくれないか」と、ジョージの声が聞こえる。
ペパーミントと装備の最終確認をしたあと、ジョージがいる場所に向かった。
「
「どうって言われても……住人が残したモノで間違いないだろう」
暗い竪穴に視線を向けると、複数の場所に
「なら降りてみるか」と、ジョージは手を
「そうだな。他に道はなさそうだ」
「それにしても」と彼は顔をしかめた。
「ひどい臭いだな」
「臭い?」
「レイラはその
ジョージはそう言うと、背中のバックパックからガスマスクを取り出して装着した。
「視界は悪くなるが、背に腹は変えられないか……」
ジョージが
『ハクはあそこだよ』と、カグヤがハクの輪郭を青い線で縁取る。
ハクは洞窟の天井に逆さに張り付いていた。何か興味を引くモノを見つけたのだろう、天井から動こうとしなかった。
「迷子にならないように、ちゃんとついて来るんだよ」
ハクが腹部を揺らして反応したのを確認したあと、
ジョージはさっさと
いくつかの
「大丈夫か、ペパーミント?」と、手頃な岩に腰掛けながら
「平気よ」と彼女は笑みを見せる。
「けど、ここはずいぶん深いわね」
「もう少し下りることになりそうだ」
「本当にこんな場所に
「正直、それは分からない。けど集落の半魚人がこの場所に来ていたのは確かだ」
「半魚人……か」
それからペパーミントは口を閉じて、暗闇の向こうを
岩壁には
「デカいな」と思わず口にする。
「人間くらいなら、簡単に飲みこめそうな口をしてるわね」と、彼女は率直な感想を口にした。
その不思議な生物は、
しばらくすると喉の奥から汚物の塊のようなモノがあらわれて、生物はそれを竪穴の底に向かって吐き出した。長い
「発光器官があるんだわ」とペパーミントが言う。
「きっとあの光で獲物を呼び寄せるのね」
「詳しいんだな」と、私は光をぼんやりと眺めながら言う。
「なんだか深海の生物みたいだなって思っただけ。別に詳しくないわ」
「深海の生物か……」
生物の喉の奥には二つの発光器官があって、まるで互いに交信をするように光のやり取りをしていた。淡い青色の光や、赤色の光が
光を放っているモノの正体さえ忘れて、私は優しい光に呼ばれている気さえした。その気持ちはどんどん強くなっていって、すべてを投げ出して光のもとに向かいたくなった。謎の
「大丈夫、レイ?」
ずっと遠いところからペパーミントの声が聞こえてくるような気がした。
「大丈夫だ」と、
奇妙な光は瞳に焼き付いたように、しばらく
「もう少し休んだら、出発しよう」と私は言った。
「そうね」と、彼女は不思議そうな顔で私を見つめた。
ペパーミントはあの奇妙な光を見ても何も感じていないようだった。彼女が〈人造人間〉であることが関係しているのかもしれない。いずれにしろ、あの光は危険だ。ガスマスクのシステムにアクセスすると、同様の生物に出会った場合に対処できるように、先ほど記録した光の波長にフィルターをかけるように設定した。マスクさえ装着していれば、あの光に誘惑されることはもうないだろう。
しばらくすると、ペパーミントは立ち上がって私に手を差しだした。
「そろそろ行きましょう、レイ」
「そうだな。先に下りて行ったジョージのことも気になるし」
彼女の手を取ると、ゆっくり立ち上がった。
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