第155話 祭壇 re


『ハク、てつだう』何処どこからともなくフワフワした柔らかな声が聞こえる。

 ゆっくり周囲に視線を向けるが白蜘蛛の姿は見つけられなかった。

「ハク、昆虫を捕まえたときのことを覚えているか?」と、気持ちを伝えるよう言った。


『ハク、とくい』

 機嫌がいいのか、くすぐったくなるような気持ちがハクから伝わってくる。

「それなら、ハクの糸を使って連中の動きを止めてくれないか?」

『んっ!』


 ハンドガンを両手で握ると、武装集団の先頭を歩いていた老人に照準を合わせる。ホログラムの照準器は目立つので使用していないが、標的とは十メートルも離れていないので、カグヤの支援があれば外すことはないだろう。


 集団の後方にいる人間の頭上にタグをつけて、それをジョージに転送し、ついでに攻撃開始の合図を送る。


『レイ?』と、ハクの可愛らしい声が聞こえる。

「ハクの好きなタイミングで始めてくれ」

『ん、わかった』

 暗い空に雷がまたたくと、ハクが吐き出した糸が反射して白銀に輝く。


 ハクが放った複数の糸の塊は、武装集団の頭上で網のように広がる。集団は糸で身体からだ雁字搦がんじがらめにされて、ライフルを構えることすらできなくなってしまう。集団は突然の出来事に驚き、そして声を上げようとした瞬間、ジョージの狙撃によって次々に死んでいった。


 しかしその攻撃で全員を仕留められた訳ではなかった。老人を狙った弾丸は、急に射線上に出てきた別の男に命中する。その男は老人をかばおうとした訳ではなかった。ハクの糸から逃れようと、たまたま動いただけだった。


 目の前で血液を噴き出しながら倒れていく男を見た老人の動きは素早かった。老人は身にまとっていた布だけをその場に残すと、たるんだ皮膚を揺らしながら私に向かって猛然と駆けてきた。その眼は輝き、飢えた獣のように大きく開いた口からは異様に長い舌が見えていた。老人の素早さに戸惑っていると、ソレは勢いよく跳躍してトタン屋根に飛び乗ってきた。


「この暗闇のなか、俺の姿が見えているのか?」

 困惑しながら老人にハンドガンの銃口を向ける。


 老人は奇声を上げながら向かってきた。しかし私に触れる一歩手前のところで動きを止めた。ハクの長い脚が私の背後から伸びて、老人の腹を貫いていたのだ。老人はまばたきもせずに、大きな眼で私をギョロリと睨み、それから吐血した。老人の頭部に銃弾を撃ち込むと、ハクは脚を乱暴に振って、だらりと項垂うなだれる老人の遺体を放り捨てた。


 私はすぐに集団に視線を向けた。ハクの糸から逃れようと暴れていたが、ハクの糸からは逃れられなかった。狙撃を継続していたジョージと一緒になって集団に銃弾を撃ち込んでいく。ひとり、ふたり、と射殺していくと、周囲に動く者はいなくなった。私は深く息を吐き出したあと、ハクに感謝する。


「ありがとう、ハク」

 ハクは脚についた血を払おうとして脚を一生懸命に振っていたが、やがて諦めて私に眼を向けた。

『ハク、たたかう、とくい』


「そうだな。ハクは強い」

『ハク、つよい?』

「ああ、強いよ」

『ヒーローみたい?』

「そうだな。スーパーヒーローみたいに頼りになる」


 ハクは嬉しかったのか、トタンの屋根をベシベシと叩いた。しかしトタン屋根は強度がなく、大きなハクが乗っていた所為せいもあって簡単に亀裂が入り天井が抜けてしまう。その瞬間、ハクは小屋の中に落下していった。


 急いで穴の側に向かうと、ハクの無事を確かめる。

「大丈夫か、ハク!?」

 白蜘蛛は小屋から出てくると、何処からか拾ってきたナマコに似た生物を私に見せた。


『レイ、みて』

 ハクは落ちたことを誤魔化ごまかすように、触肢しょくしはさんでいたナマコを振る。

「ハク、その変な生き物はまだ生きているから気をつけてくれ。噛まれたら、きっと痛いからな」


 ハクは大きな眼にナマコを近づけると、ウネウネと動いている突起物を見つめて、それから驚いたようにナマコを放り投げた。奇妙な生物は無数に生えている足を使って、ずるずると地面を移動した。


 ナマコが何処かに行くのを見届けたあと、糸に絡め取られた集団のもとに向かう。そこで生きている者がいるか確認したが、全員、見事に死んでいた。ハンドガンを使ってハクの糸を回収すると、手早く弾薬の補充を行う。


『今の戦闘でも集落に目立った動きは確認できない』と、ペパーミントの声が内耳に聞こえた。『まだ大丈夫みたいね。レイたちが集落に潜入していることは気づかれてない』


 彼女は集落の裏口付近に待機していて、カグヤの偵察ドローンに指示を出して住人の動きを監視してくれていた。俺たちに危険が迫れば、すぐに知らせてくれる算段だ。


 ペパーミントに感謝したあと、私はハクに手伝ってもらいながら死体を小屋の中に放り投こんでいった。

『これ、きらい』と、ハクが地面に横たわる死体を脚先で突っつく。


 死体を確認すると、集団のなかにまぎれていたもうひとりの老人の死体だということが分かった。ジョージの的確な狙撃で頭部に銃弾を受けた老人は、顔の半分がグロテスクに吹き飛んでいたが、奇妙なことに、先ほどハクが殺した老人に驚くほど似ていた。


 狙撃による傷とは関係のない首の腫れに私は注目した。老人の不自然にれた首元はんでいて、横に切れ目が入っていた。


 胸元のナイフを抜くと、老人の首に見えた切れ目にナイフを差し込む。するとカグヤの声が内耳に聞こえた。

『もしかして、この人たちは魚みたいにえらがついているのかな?』


 グリグリとナイフを動かしたあと、老人が身に着けていた服で刃に付いた体液をぬぐった。老人の垂れ下がった皮膚の下には、ざらざらとした固いうろこのような皮膚があって、まるで脱皮しているようにも見えた。


「どう思う、カグヤ?」

『人間には見えないね。でも人擬きにも見えない』

「なら魚の変異体か?」


『海辺に出没するって、まるで半魚人みたいだね。〈データベース〉の〈ライブラリー〉でそんな感じの古いホラー映画をミスズと一緒に見たことはあるけど……でも、知能のある変異体って実在するのかな?』


「わからない。でもこいつは、どう見たって人間には見えない」

『そうだね……集落の住人、みんなが半魚人なのかな?』

 地面に横たわっている女の死体の側に近づくと、その首筋を確認する。


れているな」と、女の首に触れながら言う。

「皮膚はまだ垂れ下がっていないが、変異が始まっていた痕跡がある。髪もほとんど抜けていたみたいだ」

『気味悪いね』

「そうだな……」


『ねぇ』とペパーミントの声が聞こえた。

『自然に発生した変異体じゃないのなら、〈混沌の領域〉からやって来たって可能性はない?』


「混沌の生物ってことか?」

『それは分からない。私は異界に行ったことがないし、ましてや半魚人なんて見たことなんてない。だから確かなことは言えないけど……』


「混沌の領域に通じる〈転移門〉が、どこかに開いたのかもしれないな」

『それは最悪ね……』

「嫌な感じがする。マリーを探して、さっさとこの場を離れよう」


『ぎょじん』と、ちかくで話を聞いていたハクが言う。

 ハクが突っついていた老人の手、指の間にある水掻みずかきは異様に発達していた。

「行くよ、ハク」

 私はそう言うと、船首に向けて走り出した。


 視線の先に拡張現実で表示されていた情報が正しければ、今は船首の近くに警備の姿はない。私は照明がひとつも灯っていない暗い通りを進む。ナイトビジョンがなければ、普通の人間には暗くて何も見えなかっただろう。


『本当に照明ひとつないんだね』とカグヤが言う。

『住人は、どうやってこんな暗い場所を移動していたのかな』

「人間よりも目がいいのかもしれない」


 船首の入り口付近には警備している住人の姿もなければ、施錠された扉がある訳でもなかった。船首には自由に出入りが可能で、扉は大きく開かれた状態で放置されていた。


「今から船首に入る」と、ジョージに伝える。

『了解、引き続き監視を行う』

「ハク」

 そう言って振り返ったが、すでにハクの姿はなかった。見上げると船首の壁を登っているのが見えた。


 艦内はゴミで溢れていて、足の踏み場もなかった。素早く移動して部屋を確認し、何もない壁を見ながら進んだ。ガスマスクを装着していて心底よかったと思う。きっとひどい臭いが立ち込めているのだろう。


 ゴミでつまづきそうになると、思わず愚痴をこぼした。

「なんだってこんなにゴミを溜め込むんだ」

『やっぱり海に由来する生物だから、海の掃除をしていたとか?』とカグヤが言う。

「冗談だろ?」


『そうかな、私は掃除をしているんだと思うけどな。でなきゃ、こんなにゴミを溜め込む必要がないからね。ここにあるゴミだって、ヘドロ以外、ほとんどプラスチックゴミに鉄屑でしょ?』

「何のために海の掃除なんてするんだ?」

『そりゃ海を綺麗にするためでしょ?』


「海? 数百の半魚人だけで出来ることじゃない」

『そうだけど、ここはゴミで溢れてるよ』

「……たしかにそうだな」

『それより、ここにマリーはいなさそうだね。人の気配がしない』

「空振りか」


『うん。でも目的の端末の反応は見つけた』

「位置を表示してくれるか?」

 網膜に表示されたタグを頼りに軍の端末を探す。


「ジョージ」と、外で待機していたジョージに連絡を取る。

『どうしたんだ?』

「マリーの姿は確認できなかった」


『そうか……なら、例の洞窟に捕らわれている可能性があるな』

「ここでの用事が済んだら、すぐに合流する」

『了解した』


 汚泥おでいに足首までかりゴミをき分けながら進んでいくと、上階に続く錆びた梯子はしごを見つける。ソレはおそらく住人が用意したモノなのだろう。梯子はしごは適当なケーブルで鉄骨に巻き付けられていた。


 端末の反応は上階からだったので、慎重に梯子はしごを使って上階に向かうことにした。事前に船首内部の様子は確認できなかったが、幸いなことに住人の姿はなかったので、隠れて進む必要はなかった。


 目的の端末は、人間の頭蓋骨や動物の骨で作られた小さな祭壇さいだんの土台に使用されていた。祭壇の周囲には火の灯った蝋燭ろうそくが遠慮がちに置かれていて、錆びた鉄の器に人間のモノだと思われる心臓が載せられていた。


『祭壇? ……つまり、住人は何かを信仰しんこうしている?』と、カグヤが疑問を口にした。

「なにを信仰しているにせよ、その相手は相当ヤバいやつだ」


『ヤバい?』

「ああ、捧げモノは人の心臓だからな……人間の敵であることは明らかだ」

 私はそう言うと、蜜柑色の暖かな灯りに照らされた血濡れの心臓をぼんやりと眺めた。


『きっと連中の神は邪神の類だね』と、カグヤもきっぱりと言う。

『レイ』と薄闇の中からハクが姿を見せる。

『ここ、くさい』

「すまない、ハク。すぐに用事を済ませるよ」


 祭壇の裏に回ると土台に使われていた端末を引き抜いた。その際、祭壇が崩れたが気にしなかった。端末はノート型だったが、分厚く無骨なもので石板のような造形をしていた。手で端末の表面をこすって汚れを落としたあと、タクティカルグローブを外して直接端末に触れる。接触接続が済むと、端末のディスプレイにエラーコードが表示されるのが見えた。


「カグヤ?」

『大丈夫、壊れてはいない。とにかく回収しよう』


 すると突然、激しい風に吹かれた雨粒のように、パラパラと銃弾が船首の壁を叩く音が聞こえた。壁の隙間に視線を向けると、数発のロケット弾が飛んでくるのが見えた。それは壁に直撃して凄まじい音を立てながら炸裂した。


『大丈夫か、レイラ!』と、ジョージの声が聞こえた。

「問題ない」と私は身を低くしながら答えた。

何処どこから攻撃されているか分かるか?」

『集落の外から来た連中だ。集落の住人に気を取られ過ぎた』


 集落に元々いなかった住人には、敵だとしめすタグをつけていなかった。その所為せいで襲撃に反応できなかったのだろう。

「便利過ぎるのも問題だな」


『レイラ!』とジョージが言う。

『今から掩護えんごする。隙を見てそこから脱出してくれ』

「了解」通信を切ると、ハクの側に行く。

「ハク、今の攻撃で怪我はしていないか?」


『いたい、ない』と、ハクはその場でくるくると回る。

「大丈夫そうだな……」

 ハクの濡れた体毛を撫でながら、怪我をしていないことを確認した。


 またロケット弾が撃ち込まれ、船首が揺れるのを感じた。ロケット弾に分厚い金属の壁を突き抜けるだけの破壊力はなかったが、爆発と共に数百の金属片がき散らされていた。それらは人間の皮膚を引き裂き、肉を削ぎ取るだけの充分な破壊力があった。


『レイ、今から掩護えんごに向かう!』

「ダメだ」と、すぐにペパーミントに返事をした。

「ここに来たら俺たちは完全に包囲されることになる。ペパーミントは後方から支援をしてくれ。攻撃目標は俺が指示する」

『分かったわ』


「ハク。ここから抜け出すための隙を作るから、それまで大人しくしていてくれ」

『んっ』ハクは腹部を揺らして答えた。

 暗闇に順応したカラスの眼で周囲の敵を探す。

「どうして俺たちは見つかったんだ?」


『わからないよ』とカグヤが言う。

『私たちは誰にも見られてないし、何もいじってない』

「連中の祭壇さいだんは壊したけどな。……それにしても敵の数が多い」

『眠っていた住人も、この騒ぎで起き出してきたみたい』


「それはマズいな……」と、増えていく敵の数を見ながらぼやいた。

「もしもの時のために、ウミに支援を要請するか……。でもウェンディゴが到着するころには、もっとひどいことになっていそうだな……」


『レイ!』と、カグヤが声をあげる。

「どうした?」

『住人が船内に入ってきた』

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