第149話 悔しい re


 ペパーミントと約束してから数日、我々は拠点近くにある海岸まで来ていた。

「なんだか想像していたのとは、ずいぶんと雰囲気が違う」

 ペパーミントはそう言うと、不満そうに足元の砂を蹴った。


『もっと綺麗な砂浜を想像していたの?』

 カグヤがたずねると彼女は打ち寄せる波に視線を向けて、それから言った。

「そうね。でも、現実はこの程度だった……」

 波打ちぎわまでそろそろと歩いていく彼女のあとを追うように、ゆっくり砂浜を歩いた。

 海から押し寄せる潮の香りに混じってかすかな腐臭が漂っていた。


 海岸には奇妙でグロテスクなモノが多く打ち上げられている。体毛や皮膚がない異様な生物の死骸、大型哺乳類であるクジラに似た生物の死骸は、体内に溜まった腐敗ガスで大きく膨れていて今にも破裂しそうになっている。


 砂浜に沿って視線を動かすと、巨大なコンテナ船が座礁ざしょうしているのが見えた。海岸はひど有様ありさまだ。沖合から打ち上げられてきた浮標ふひょうの側には、赤茶色に錆びた速射砲の残骸までもが残されていた。


 砲撃によるモノなのか、砂浜のいたるところには大きなクレーターが残されていて、その穴の多くに海水が流れ込んでいる。それらの穴の所為せいで、砂浜には本来存在しない高低差ができていて、非常に危険な場所になっていた。

「そろそろ移動しよう。この場所にとどまるのは危険だ」


 ペパーミントは振り返ると、腰に手をあてて私を睨んだ。彼女が身に着けているのは、いつものフード付きツナギではなく、身体からだの線がハッキリと分かる黒い半透明のピッチリしたスキンスーツだった。それは体温調整や身体機能しんたいきのうの強化を可能とするモノで、彼女専用の装備だった。


 ペパーミントはそのスキンスーツの上に戦闘服を重ね着していて、彼女専用のガスマスクを装着していた。顔が見えないフェイスプレートには複雑な開閉機構があり、開いた状態でもシールドの薄膜で顔の前面を保護できる機能が備えられていた。どうやら内蔵しているシールド生成装置は汚染物質だけでなく、銃弾からも頭部を守ってくれるようだ。


「たしかに海岸は危ないのかもしれない。でも、レイが私のことを守ってくれるから大丈夫でしょ?」と、彼女は目の端で笑う。

「俺にだって出来ないことはある」

「か弱い女性を守ることは、そんなに難しいことなの?」


「なにから守らなければいけないのかで、難易度が大きく変わる」

 それに、と言いかけて私は口を閉じる。

『ペパーミントは人造人間なんだから、俺に守られなくても平気だろ』なんて言葉を迂闊うかつに口にしたら、ペパーミントは機嫌を悪くするだろう。


「それに、なに?」と、彼女は首をかしげた。

「なんでもないよ。ただ、俺は海が怖いんだ」

「怖い?」

「ああ。海の底に何が潜んでいるか分からないだろ?」

「レイって案外、小心者なのね」


「誰にでも不得意なモノはある」

「レイは昆虫も苦手よね」

「それが?」

「何でもない。でも、そうね……ヴィードルを操縦させてくれるなら、喜んでここから移動する」彼女はそう言うと、悪戯っぽい笑みをみせる。


「ヴィードルの操縦が楽しいのは最初だけだよ」

「それでも操縦がしたいの」

 私は肩をすくめる。

「わかった。ペパーミントが操縦してくれ」

「やった」と、彼女は拳を握る。


『レイ』と、ふわふわとした幼い子どもの声が聞こえる。

『みつけた。みて』

 その声に反応して振り返ると、紅色のワカメのような海藻かいそう身体中からだじゅうからみついた白蜘蛛の姿が目に入る。私は困惑したが、なにが起きているのかたずねることにした。


「ハク、それはなんだ?」

『くっついた』ハクはそう言うと、大きな眼を私に向けた。

「くっ付いたって……それ、動くのか?」

『ん』


 ハクは長い脚を振ると、脚に絡みついていたワカメのようなモノをがした。砂の上に粘液のベチャベチャした糸を引きながら落ちた紅色のワカメは、しばらくの間、砂の上でうねうねと動いていた。


『ワカメが動いた!』と、なぜかカグヤが大袈裟おおげさに驚く。

「たしかに動いているな」


 足元の枯れ枝を拾うと、ワカメじみた生物を突っついてみた。するとワカメは信じられない速さで枯れ枝に巻き付いて、枝を軽々とへし折ってみせた。驚いて枝を手放したあと、ハクのもとに向かう。


身体中からだじゅうにくっ付いているけど、痛くないのか?」

『いたい、ない』

 ハクはそう言うと砂を叩いた。そのさい、簡単に砂を掘り返せることに気がついたのか、ハクは急に砂浜を掘り始めた。


「砂の中に何かあるのか、ハク?」

『たのしい』ハクは熱心に砂を掘り返す。

『レイ、しってる?』

「うん?」

『すな、マズい』

「そうだな」


 ぼんやりとハクの様子を見ていると、ペパーミントがとなりに立つ。

「また深淵のお姫さまと遊んでるの?」

『ひめ、ちがう』とハクは言う。

『なまえ、ハクだよ』


「ええ、ハクのことは知ってるわ」

 ペパーミントはそう言うと、どこからか拾ってきた枯れ枝を両手に持って、ハクの身体からだについたワカメじみた生物を器用にがしていった。


『ハク、うた、おぼえた』

「またアニメソング?」

『ん……。ききたい?』

「そうね。歌ってくれる?」


 ハクは触肢しょくしこすり合わせると、トコトコと身体からだの向きを変える。けれど歌を聞かせてくれることはなかった。砂の中から極彩色の甲殻こうかくを持つ無数のカニがあらわれると、ハクは歌のことなんかすっかり忘れて、カニを捕まえる遊びを始めてしまう。

「手伝うよ」枯れ枝を拾うと、ハクの体毛についたワカメをがしていく。


 海岸の探索に来ていたのは私とペパーミント、それにハクだけだった。ミスズも一緒に来たかったみたいが、拠点地下で改修が進められていた〈訓練所〉での作業があったため、今日の探索は諦めていた。〈ヤトの戦士〉たちも拠点の警備があるので全員残してきた。最後まで〈ウェンディゴ〉で来るか悩んだが、簡単な探索になりそうだったのでヴィードルだけで海岸に来ていた。


 ハクの身体からだからワカメを取り除いたあと、我々は路肩に止めていたヴィードルの側に戻った。複座型ヴィードルの後部座席に座ると、新しく取り付けられた座席のクッションが身体からだに合わせて音もなく変形していく。座り心地がよくて、長時間座っていても疲れることがなかった。


 ペパーミントが操縦席に座って防弾キャノピーを閉じると、ヴィードルの車体にハクが跳び乗ってきた。ヴィードルで移動するのが楽しいのか、足場が狭いにもかかわらず、微妙な姿勢で車両に乗っていた。


『ナビゲーションシステムに目的の場所を入力しておいたよ』

 カグヤの声が聞こえると、ペパーミントは操作パネルに触れる。

「ありがとう、案外近いのね」


「以前、この場所に探索しに来たときには、ヴィードルがなかったから大変だったけどな」と私は言った。

「そのときは、カグヤとずっと二人きりだったんでしょ?」

「ああ、あとカラスがいた」


「カラス?」とペパーミントは言って、それから顔を上げた。

「ああ、あの子のことね」

 全天周囲モニターを通して見えているハクの脚の間から、青い空が見えた。そこには大空を優雅に飛ぶ〈カラス型偵察ドローン〉の姿があった。


 ペパーミントはヴィードルを走らせながら言う。

「あの子も貴重な〈遺物〉だよね。周囲の景色に溶け込むような擬態ができるし、太陽光や熱でエネルギーを補給して、半永久的に活動できる」

「そう言えば、今まで考えたこともなかったけど、あのカラスもただのドローンじゃないんだよな……」


「いつから一緒なの?」

「覚えていないんだ。気がついたら一緒にいた」

「何それ」

「なんだろうな」


「名前はあるの?」

「名前? カラスのドローンに?」

「もちろん」

「ずっとカラスって呼んでいて、名前は付けてなかった。そうだな……それなら今ここで決めるか」


「待って」とペパーミントが振り向く。

「クロって言うのは止めてね」

「ダメか?」

「やっぱり……」と、彼女は頭を振る。


「なんだ?」

「カラスのままでいい」

「……そうだな。呼び慣れた名前が一番だ」


『ハク、しってる』

 顔をあげると、カニをバリバリと咀嚼していたハクが言う。

『からす、そら、すき』


 ハクの牙の間から落ちる殻が、ヴィードルの車体をすべり落ちていくのを見ながら言う。

「ハクは物知りだな」

『ん』ハクの触肢しょくしの間には、別のカニがはさまっていた。


 左手に高層建築群を見ながら埋め立て地沿いの道路を進んでいると、ペパーミントがヴィードルを停車させる。

「レイ、あの車両を見て」

 モニターに拡大表示された車両は、廃墟に点在する鳥籠の間を行き交う旅客りょきゃくのための大型ヴィードルだった。


 その大型車両の脚がアスファルトにできた割れ目にはまっていて、ヴィードルは不自然にかたむいたまま停車していた。車体には小型犬ほどの体長を持つ複数の甲虫が張り付いていて、日の光を反射して黒光りする奇妙な甲虫は、半透明の翅を小刻みに震わせて周囲に嫌な重低音を響かせていた。


「ハク、あの昆虫を処分するから、少し退いてもらってもいいか?」

『ハク、てつだう』


 ハクはヴィードルから跳躍して離れると、甲虫の変異体に向かって糸の塊を吐き出し始めた。糸は凄まじい速度で甲虫をからめ取りながら、車体に貼り付けるようにして拘束する。しかしどうやって察知したのかは分からないが、数匹の甲虫がハクの吐き出した糸から逃れる。


 私は逃げ出そうとしていた甲虫に向けて的確な射撃を行い、一匹も逃がすことなく仕留めることができた。もちろん、カグヤの支援がなければできない芸当だった。昆虫は素早く、弾丸を命中させるには射撃の正確さが求められるからだ。


「ほかにはいないみたいね」と、動体センサーで周辺一帯の動きを確認したペパーミントが言う。

「一応、警戒はしておいてくれ」私はそう言うと、ハンドガンをホルスターに収める。

「カグヤ、射撃支援に感謝するよ」


『どういたしまして』

「ハクもありがとう」ヴィードルから降りると、ハクの体毛を撫でた。


『ハク、とくい』

「虫を捕まえるのが得意なのか?」

『ん、とくい』と、ハクは地面をベシベシと叩いた。


「どこ行くの、レイ?」と、コクピットから顔を出したペパーミントが言う。

「あのヴィードルに虫が集まっていたのには理由がある。生存者がいるかもしれないから確認してくるよ」

「ならそこで待って、私も一緒に行く」


 彼女はコクピットの収納からレーザーライフルを手に取ると、こちらにお尻を向けながらヴィードルを降りた。前々から気づいていたことだが、ペパーミントは運動音痴だ。もちろん〈人造人間〉なのだから、一般的な人間よりもはるかに優れた運動能力を持っているはずだが、そんな風には見えなかった。


「待って、ハク!」

 ペパーミントはハクに抱きかかえられた状態で私の近くまで連れてこられた。

『はやく、いく』と、ハクはペパーミントの言葉にお構いなしだった。


 私は大型車両に近づくと、ハクの糸によって車体に拘束されていた甲虫に銃弾を撃ち込んで止めを刺していった。それが終わると、乗客のために改造されていた後部コンテナを調べる。コンテナの出入り口は派手に破壊されていて、車体には銃弾が撃ち込まれた痕が確認できた。


「人擬きや昆虫の仕業ではなさそうね」

 ペパーミントの言葉にうなずいたあと、改造コンテナの内部を見ながら言う。

「レイダーギャングの襲撃があったのかもしれないが、人間を殺したのは昆虫だ」


「どうして分かるの?」

「ペパーミントも見れば分かるよ」

 彼女はうなずくと、私のあとに続いてコンテナに入ってきた。

「ねぇ、レイ?」と、彼女は困惑する。

「どうして全員、裸で死んでるの?」


 改造コンテナの内部には十数人が座れるように座席が設置されていて、そこには裸のまま息絶えた人間の遺体が残されていた。その周囲には甲虫の死骸も残されていた。人間の多くが腹を裂かれていて、内臓のほとんどを甲虫に喰われていた。


「レイダーたちが乗客を裸にしたのは、おそらく時間を稼ぐためだ」

「時間……?」とペパーミントは首をかしげた。


『商人たちが契約している傭兵部隊から逃げるための時間だよ』とカグヤが答えた。

『乗客の身ぐるみをがせば、助けを呼びに行くのに時間がかかるでしょ?』


「たしかに生身で危険な廃墟を移動するのは危険ね」

『それに昆虫が大量発生している今の時期は、一箇所に留まっていることも危険になる。乗客は無防備にされていたから昆虫の襲撃に対処できなかったんだ』


「どうして乗客は初めから傭兵の護衛をつけていないの?」

『お金の問題だよ。安い料金の運行ヴィードルには護衛がつかないんだ』

「もしかして、お金を命との天秤にかけたの?」と、彼女は呆れたように頭を振る。


『切実な問題なんだよ。誰も彼もが私たちみたいに、簡単にお金を稼げる訳じゃないんだ』

「でも、私が管理していた工場は兵器製造で大忙しだった。高価な武器は絶えず売れていたわ」

『そうだね』


「そうだねって……武器を買うお金があるのに、身を守るための最低限のお金もないの? そんなの変だよ」

「高価な武器が買えるのは強者だけだよ」と私は言う。

「だから弱者を狙った略奪はあとを絶たないし、犠牲者は廃墟の街に溢れている」


「変なの」と、ペパーミントは腕を組んだ。

「たしかに変だ」私はそう言うと、廃墟の通りに向かって点々と残された血液に視線を向ける。「生存者の何人かは、街に向かったみたいだな」

「裸で?」

「そうだ」


「どうするつもりなの?」

「どうもしないよ。今は夏で、危険な昆虫が廃墟の街で大量発生している。それに危険なのは昆虫だけじゃない、人を襲う人擬きは季節を問わず何処にでもあらわれる。今から俺たちが助けに行ったところで、生存者はひとりも残っていないだろう」

「そう……」


「どうした?」と、私は屈みこんでペパーミントの顔を覗き込んだ。

「何でもない」

「助けに行きたいのか?」

「行きたかった」とペパーミントは言う。

「だって、こんな風に死んじゃうなんて、すごく悲惨だもの」


「……そうだな」

「でも行かない。死んでいるのを見たくないもの」

「ペパーミントは感情的なんだな」

「そうよ。私は今、とても悔しいの」


『ハク、いっしょ、いく』と、白蜘蛛がペパーミントを抱き上げる。

「ありがとう、ハク。でもいいの、きっともう手遅れよ」

『ておくれ?』

「うん。どうしようもないくらいに手遅れ」


 それから死体を一箇所に集めると、焼夷手榴弾を手に取った。

「燃やすの?」とペパーミントが言う。

「死体を放置したら、もっと昆虫が集まってくる。この道路は隊商がよく使う道だ。危険な昆虫の繁殖地にする訳にはいかない」

「そう」と彼女は小さな声でつぶやいた。

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