第147話 I'm in too deep re


 その日の夜、私の意識は短い覚醒と断片的な夢の間を往復することになった。



 誰かが私のすぐ側で聞き慣れない言語で話をしていて、重い足音が聞こえた。それから気密ハッチの開閉音、壁をかすかに震わせる核融合炉と推進エンジンの音も聞こえた。それらは本来、聞こえないはずの音だった。


 突然、どこからともなく悲鳴が聞こえる。

 身体からだを動かそうとするが、思うように動いてくれない。

 私はまぶたをぎゅっと閉じて、それらが過ぎ去るのを待つことしかできなかった。


 ふと重力がなくなり身体からだが宙に浮きあがるのを感じて、とうとう私は寝台から起き上がることができた。身体からだを固定していたベルトを外すと狭い部屋を見渡し、それから冷たい床に触れることなく、部屋のはしにあるロッカーまで向かう。


 船内が無重力になっていることは気になったが、今は何よりも武器がほしかった。寝台のそばにはレーザーライフルが浮かんでいたが、攻撃力のない武器は邪魔になるだけなので無視した。


 それにしても寒い、身体からだは小刻みに震えていた。船内の環境制御システムに異常が発生しているのかもしれない。

「寒い」と声に出すと、息が白かった。

 体内のナノマシンを操作すると体温調整を行いロッカーを開いた。それから与圧服の奥に隠していたハンドガンを手に取ると、視界の端に残弾が表示される。


 通常弾に余裕があったが、それだけでは心許ない。けれど強力な弾薬は船内での使用が制限されている。網膜に投射される弾薬の項目を切り替えていくと、なぜか使用制限されていない強力な弾薬があることに気がついた。それは質量のある特殊な合金を撃ち出す〈貫通弾〉だった。しかし狭い船の中で、貫通弾なんて代物を使うわけにはいかなかった。


 私に残された選択肢は通常弾だけだった。レーザーライフルと大差ない火力しか出せない弾薬だが、それでも私はハンドガンを持っていくことにした。暗く希望のない世界で平常心を保つための細やかなお守りだった。


 耐圧ハッチが開くと、私はしばらく目の前にある壁を眺める。白い無機質な壁。この世界のように何処までも冷たい壁だ。ハッチが開いて少しの間、私は耐え難い恐怖と格闘することになったが、空調の音が耳に届くようになるころには冷静さを取り戻していた。


 ハッチからわずかに顔を出して、ゆっくりと廊下の先を覗き込んだ。ハッチの開閉音や、うるさいだけの曲を垂れ流すスピーカーの音も今は聞こえない。私を不安にさせるのは、絶えず聞こえていた警告アナウンスが一切聞こえてこなかったことだ。


 じっと耳を澄ましたが生物の気配は感じられない。この船にたったひとりで取り残された気分がした。しかしそんな気分がしただけだ。連中は今このときも船内の何処どこかに潜んでいる。意を決して廊下の先に進んだ。しかし無人のデッキが続いているだけだった。船員のための遊戯室を確認したあと、整備室に向かったが周囲の状況に変化はなかった。


 格納庫へと続く廊下で私は動きを止めた。

 酷い吐き気と共に眩暈めまいがした。深く暗いよどみが私を包み込んでいく。


 私はとても深い場所にいた。

 そこから抜け出す術も分からず、自分自身の居場所を見失いおぼれる。


 重力のない空間でゆっくり浮遊し、天井に背中をつけるまで、私は身体からだを丸くして不快感に耐えていた。気分が落ち着くと格納庫から離れた。


 やつは格納庫にいる。あのおぞましい姿をこの目で見たわけではないが、私には確信があった。格納庫を離れると、その途端に気分が回復していった。

 医務室は綺麗に整頓されていて、生物の気配はなかった。


 医務室の端末を操作すると、たなの電子錠にアクセスする。アクセスコードを入力し、棚を解錠してから、〈オートドクター〉と〈バイオジェル〉がみ込んだガーゼ、それから各種薬品が入った医療ポーチを取り出して医務室を出た。

 食堂には争った形跡と、真っ白な人工血液が壁や床に残されていた。しかしそれは見慣れた光景になっていた。私は食堂を抜けて機関室に向かった。


 機関室のハッチが自動開閉しなかったので、私はハッチに頭をぶつけてしまう。頭をこすりながらハッチ横の端末を確認すると、赤い警告表示が出ていた。機関室は数時間前までは施錠されていなかった。眠っている間に何か異変が起きたのかもしれない。端末を操作して自己診断プログラムを走らせ状況を確認するが、放射線漏れや深刻な故障は確認できなかった。しかしハッチはどうやっても開かなかった。


「クソ!」と、私は悪態をつくと思わず端末を殴る。

 それから冷静になって考える。

「これでかったんだ」とつぶやく。


 そもそも核物質なんて手に入れて私はどうするつもりだったのだ。まさか自分の命を犠牲にして、奴を殺す気だったのか?

 それを否定するように頭を振る。


 それから、ふとひらめきが頭によぎる。

「奴は今、格納庫にいる。それなら格納庫を船体から切り離せば……」


 すぐに機関室を離れる。指令操縦デッキのコンソールなら、船体の切り離しも行えるかもしれない。そう思って動き出したときだった。突然、ポンッと短い電子音が鳴ると廊下の先に無数のホログラムディスプレイが投影される。


『……ダメです』と、小さな声が聞こえて来る。

『やはり生存者はいないのでしょうか?』

 女性の柔らかな声が聞こえた。

 この孤独な――三百数時間ほどの間に聞いた唯一ゆいいつの声だった。


『そうですか……でも』と、また声が聞こえる。

 どうやら言い争いをしているようだ。

『……しかし救難信号を無視するわけにはいきません!』

 女性の言葉に返事をしようとしたが、すぐに口を塞ぐ。

 通信室だ。そこに行けば女性と確実に連絡を取ることができる。


 通信室に向かうために中央エレベーターホールに入ったときだった。廊下の先にやつが立っているのが見えた。私は思考停止して奴を見つめて、それから震える手でハンドガンを構えた。ぼんやりとした意識で奴に照準を合わせると、弾薬を無反動の自己推進弾に素早く切り替えて引き金を引く。しかしに射撃よる効果は感じられない、奴は出血さえしなかったのだ。


 やつは廊下の低い天井を気にして、異様に長い腕で天井を無理やり押し広げる。天井は甲高い音を立てながらへこみ、その周囲の照明が消える。それが面白かったのか、奴は耳元まで裂けた大きな口をゆがませ、奇妙な笑みを見せた。


 私は射撃を行いながら後退すると壁を蹴り、射撃管制室へと続く廊下を勢いよく進んでいく。と、耳をつんざく奇声が聞こえた。

 廊下の先に待機していた二体の戦闘用機械人形を起動させてから、素早く振り返る。そして追跡してきていた化け物に視線を合わせた。すると私の視線を介して標的を与えられた機械人形は、レーザーライフルを構えて化け物に対する攻撃準備を行う。


 奴と視線を合わせた瞬間、鼻の奥が銅臭くなって吐き気がした。それに耐えながら、私は戦闘用機械人形の間を通り抜けて隔壁かくへきを操作するスイッチを叩いた。閉まっていく隔壁の小窓から廊下を覗き込むと、恐るべき化け物によって破壊されていく機械人形の姿が見えた。


 その場を離れると私は貨物用のエレベーターを使って移動した。

 通信室に入ると赤く点滅しているコンソールを操作する。

「聞こえるか! 俺はここにいる!」

 喉の調子が悪いのか、思うように声が出せなかった。それでも私は必死に叫び続けた。


『……聞こえるわ。かった、生存者が――』

 ディスプレイに女性の姿が表示されると、彼女の声が聞こえた。

「助けてくれ! 緊急事態なんだ!」と私は叫ぶ。


『落ち着いてください、私たちは――』

「落ち着けだと? もうこの船には俺しか残っていないんだ!」

『貴方だけ……? しかしその船は連合艦隊に所属する外惑星調査のための――貴方、鼻から血が……』


 私は鼻に指をあてる。すると指先に血液が付着する。

『血が赤い……貴方、人間なの? どうして人間がそんな船に?』

「そんなことはどうでもいい!」と、私は思わず声を荒げる。

「いや、すまない。けど時間がないんだ。助けに来てくれないか?」


 祈りにも近い願いは、しかし叶えられそうになかった。

『すぐに向かうつもりよ。でも船の軌道を合わせるために噴射が必要で、救出にはとても時間がかかるの』

 女性はそう言うと、綺麗な形の唇をゆがめた。


「噴射?」

『私たちの船には普通の人間しか搭乗していないの。それで意味が分かると思うけど……』

 私は絶望で頭が真っ白になる。


「どれくらいだ……」と私は言って、上手うまく声が出せなくて咳払せきばらいして、それからもう一度言った。

「船のドッキングにどれくらい時間が必要なんだ?」


『今からすぐに反転して、貴方の船に近づくために強力な噴射をすることになる。私たちは、そのときにかかる重力加速度に少なくとも二十五時間は耐える必要がある。それ以上の加速は無理よ、身体からだが耐えられない。たとえ耐重力加速シートに座ったとしても、私たちには長い苦痛になる』


「二十五……」

 廊下から化け物の咆哮が聞こえてきた。私は端末を素早く操作した。すると隔壁と耐圧ハッチが閉じて通信室を完全に閉鎖した。と、間一髪で扉を叩く鈍い音が聞こえた。


『ねぇ、大丈夫』と、美しい虹彩を持つ女性が言う。

「ダメだ」と私は頭を振る。

「どうやら俺の命運も尽きたみたいだ」


『何を言っているの?』

「救難信号は無視してくれ」

『無視なんてできないわ。すでに信号は受信しているし、データベースにも記録が残っている。それに救難信号の無視は重罪よ。貴方に選択肢がないように、私たちにも選択肢はないの』


「俺が通信に応答したからか……」

『そうね……生存者が確認できなければ、わざわざ高荷重にさらされる危険をおかしてまで貴方を救助しに行く必要はなかった』

「頼む、俺を助けに来ないでくれ。あんたらの船が着いたころには、どうせ俺は殺されているんだ。船には奴しか残らない……」


やつ? 誰のことを言っているの? 他にも生存者が?』

「クソ! クソ! クソ!」と、拳から血が噴き出すまで端末を殴りつけた。

 迂闊うかつだった。冷静に考えれば、今の状況で他の船と接触するのがどれほど危険なことなのかは分かっていたはずだ。俺は奴と一緒に死ぬべきだった。


 飛散する血液がふわふわと漂い、ハンドガンに付着した。

「そうだ……俺が死ねばいいんだ」

 私の言葉に女性は困惑する。


『何を言っているの?』

「生き残りは俺だけだ。俺が死ねば、あんたらはこの船に来る理由がなくなる」

『そうかもしれないけど……さすがに冗談よね』

「いや」私は頭を振ると、ハンドガンの銃口をこめかみにあてた。

 銃口はひんやりとしていて、手が震えた。


 すさまじい力で金属がねじじれて裂けていく音と共に、引き千切れた耐圧ハッチの一部が吹き飛び、通信室の壁にめり込んだ。奴の長い腕が伸びて、頑丈な鋼材で造られたハッチが奇妙にゆがんでいく。それから奴は身を屈めながら、通信室にのっそりと入ってくる。


 二対の眼があやしく輝くと、奴は私に向かって微笑ほほえんだ。

「さよならだ」と私は化け物を睨みながら言う。

「糞ったれの化け物」

 私は引き金を引いた。



『レイ!』

 カグヤの声が聞こえると私は上体を素早く起こし、あえぐように何度も深く息を吸い込んだ。

『大丈夫、レイ?』と、カグヤの柔らかな声が内耳に聞こえた。


「ああ。大丈夫だ……ひどく現実的な夢を見ていたようだ」

 薄闇の中、私は震える手を見つめる。血液は付着していなかった。

 私は拠点の地下にある寝室にいて、もちろん宇宙船には乗っていなかった。


『レイはずっとうなされていたんだ。何度も起こそうとしたけど……』

「そうか」

『また悪夢を見ていたの?』

「最近は見なくなっていたんだけどな……」


『……宇宙船の夢?』

「そうだ……」私はそう言うと、自嘲気味に笑った。

「宇宙になんて行ったこともないのにな……」

『記憶にないだけで、本当は宇宙に行っていたのかも?』


「夢が現実に起きたことだと?」

『うん。眠っている間に、昔のことを思い出しているのかも』

「ありえない」と私は頭を振る。


『どうしてそう思うの?』

「夢の最後に俺が死ぬからだ……」

『……死んじゃうの?』

「ああ。俺は何かに追われていて、それで……たぶん、最後には自殺をしたんだと思う」


『本当は死んでいないのかも……何に追われていたか分かる?』

「ダメだ」と私は頭を振る。

「思い出せないし、思い出したくもない。あれは、そういう類のモノなんだ」


 突然、何か硬いものが壁に打ち付けられる鈍い音が部屋の奥から聞こえた。

『なんだろう? 海底洞窟とつながってる壁からだね』

 ベッドから起き上がると、ふらふらと壁に近づいていく。

 夢の感覚が残っていて、必要以上に重力を感じた。身体からだがひどく重たいのだ。


『確認したけど、この間の化け物だよ。見に行く必要もない』とカグヤが言う。

『それより支度してペパーミントに会いに行こうよ。レイと相談したいことがあるって、さっき連絡がきたんだ』


「そうだな」と、私が振り向いたときだった。

 先ほどよりも強く、何かが壁に打ち付けられる。


 私は壁に近づいていく、すると壁は素通しのガラスに徐々に変わっていき、深い海の底が見えるようになった。そこには奇妙な生物が数十体ほど浮かんでいた。


 三メートルほどの大きな身体からだを持つ生物は、細い胴体に二本の腕、そしてヤモリに似た頭部を持っていた。下半身には尖った吸盤のある触手が複数生えていて、生物はそれをうねうねと動かしていた。


 奇妙な生物は大きな白濁した四つの眼を私に向けていた。

 数え切れないほどの眼に睨まれて、私は思わず後退あとずさり、そして倒れるようにして壁と向かい合わせに置かれていたソファーに座った。


『レイ!』

 カグヤの声が聞こえると、海底に向かって複数の照明が灯る。

 その瞬間、奇妙な生物たちは強い光を避けるように、暗い洞窟の先に泳いでいった。


 私はじっと暗く深い海に目を向けていた。暗くよどんだ深みが触手を伸ばし、私を捕らえようとしていた。そして恐らく、私はそこから抜け出す術を知らない。

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