第146話 吸入器(探索) re
探索を切り上げて高層建築物の外に出ると、強い日差しと生暖かい風が頬を
『大丈夫、レイ?』
カグヤの声が内耳に聞こえると、私は首をかしげた。
「大丈夫だよ。プールにいた奇妙な羽虫のことは気になるけど」
『変な生き物だったね』
「そうだな。あれが人間の真似をしていた理由も、俺たちを捕まえて何をしたかったのかも、結局分からなかった」
『とくに理由はないんじゃないのかな。あれはきっと、人間を安心させるための擬態だよ』
「俺たちを捕食するために?」
『うん。そんな気がする』
私は溜息をつくと、
「探索はここまでにして、今日はもう帰ろう」
『そうだね。暗くなる前に拠点に帰らなきゃ』
カラスが青い空に向かって飛んでいくのを確認したあと、私はハクに声をかけた。
「ハク、もう帰るよ」
『ん。いく』ハクはそう言ったが、その場から動こうとしなかった。
ハクの側に向かうと、ハクが見ていたモノの正体を確認する。白蜘蛛の視線の先には、十センチほどの体長を持つ
黒々とした体表をした蟻で、胴体よりも不自然に大きな頭部を持っていた。その頭部には大きな
「ハク、どうしたんだ?」と、白蜘蛛の体毛を撫でながら
『あれ、あぶない』
「そうだな。無闇に近づかないように気をつけよう」
『ん、ちかづかない』
ハクはそう言うと、
あの蟻に襲われ殺された人間のモノなのか、それとも蟻が偶然見つけた死骸を運んでいるだけなのかは分からないが、蟻が脅威であることに変わりはなかった。私は足元に散乱する人骨を眺めたあと、ハクのあとを追うように歩き出した。
「カグヤ、さっき探索した建物に目印をつけておいてくれるか」
『いいけど、また来るつもりなの?』
「ああ、そのつもりだよ。上層区画は手付かずのままだからな」
『了解』
カグヤはそう言うと、遠隔操作していた偵察ドローンの〈熱光学迷彩〉を起動させてから、建物のエントランスホールにドローンを向かわせた。
「どこに行くんだ?」
『
「俺たち以外の侵入を防ぐためか?」
『そう。建物内にはそれなりの脅威が潜んでいるみたいだけど、得られる報酬も大きいからね。スカベンジャーに荒らされるのは
「それもそうだな」
超高層建築群の陰に入ると、周囲は薄暗くなり奇妙な静けさに覆われる。廃墟の街の大部分を支配しているのはこんな静寂だ。建物に潜んでいる
静寂は旧文明期の人類が残した廃墟のように、我々に重くのしかかっていた。廃墟は数世紀も存在し続けてきたし、これからも存在し続ける。その静けさから我々が逃れる術はないのだろう。
市街地に投下された爆弾の衝撃で吹き飛び、積み重なるようにして道路を塞いでいた廃車の小山を越える。
『感染して間もない個体だね』
汚れのない戦闘服を着た人擬きには、目立った損傷も見られなかった。カグヤが言うように、人擬きは最近になって感染した個体なのだろう。
「こんなところで何をやっていたんだ」
『私たちと同じで〈遺物〉の探索じゃないの?』
「行商人を護衛していた傭兵、あるいは戦闘から逃げてきた兵士の可能性もあるな」
私はそう言うと、ホルスターからハンドガンを抜いた。
『戦闘……それって製薬工場がある〈五十二区の鳥籠〉と、砂漠地帯にある鳥籠〈
「そうだ。結局、〈オートドクター〉
『私たちは
「ああ」
ホログラムで投影される照準器が浮かび上がると、人擬きの頭部に照準を合わせて引き金を引いた。弾丸を受けた化け物は
私とハクは周囲に警戒しながら人擬きの死骸に近づいていく。頭部を撃ち抜かれた人擬きは一撃で見事に死んでいた。深緑色の戦闘服に灰色のボディアーマーを装着していて、頭部の
『人擬きに噛みつかれたみたいだね』
人擬きが肩に提げていたライフルを拾い上げると、チャージングハンドルを操作して薬室内を確認しながら言う。
「ライフルの状態はいいみたいだ」
『人擬きウィルスに感染する前は、やっぱり傭兵だったのかな』と、カグヤの操作するドローンが近づいてきた。『ほとんど変異してないね。人擬きになってそれほど日数が経っていないのかも』
その個体人は青白い顔をしていたが、外見はさほど変化していないように思えた。
人擬きが背負っていたバックパックを手に取ると中身を手早く確認した。予備弾薬に携帯糧食、安物の雨具とタバコ、それにステンレス製の水筒。水筒の中身を匂いで確認したが、度数の高い蒸留酒だった。
水筒の中身をその場に捨てると、水筒と予備弾薬を回収する。ついでに状態がいいボディアーマーも
『そのボディアーマー、レイが使うの?』
「使わないよ。状態がいいから売り物にする」
『そうだね。さすがに人擬きが着ていたモノは使わないよね』
アサルトライフルとハンドガンも回収して、ショルダーバッグに入れる。
『レイ』と、ハクの幼い声が聞こえる。
視線をあげると、
『どうするの、レイ』
「人の姿は確認できないけど、レイダーギャングが近くにいる可能性がある。カグヤのドローンで偵察して来てくれるか?」
『了解。すぐに行ってくる』
カグヤの操作するドローンが飛んでくると、徐々に姿を消しながら目的の場所に向かう。
私とハクもドローンのあとを追うように、テントが張られていた場所に近づいていく。
物陰に身を隠しながら進んでいると、
薄紫色に変色した顔に石のように横たわる
『レイ』とカグヤの声が聞こえた。
『面白いモノを見つけたから来て』
「周囲に人はいなかったのか?」
『うん。テントと物資が残ってるだけ』
死体の側を離れてテントが張られた区画に近付く。倒壊した建物の側にテントが四張あって、その近くには木箱が雑に積み重ねられていた。カグヤの操作するドローンは木箱にレーザーを照射してスキャンを行っていた。
「貴重な遺物を見つけたのか」と、ハクに手招きしながらカグヤに
『ううん、木箱に入っていたのは毛布に携帯糧食だけだった』
「なら何が?」
『こっちだよ』と、カグヤの操作するドローンが
一歩進むごとに細かな砂がパラパラと降ってきたが、ガスマスクのおかげで呼吸も楽にできたし、見通しも悪くなかった。私は辛抱強く
『機体の一部だよ』
「機体? もしかして墜落した航空機か?」と、灰色の装甲に触れながらカグヤに
『うん。正確には輸送機だね』
機体を横目に見ながら狭い空間を進むと、搭乗員のための気密ハッチが見えた。
「中に入れそうか?」
私がそう
『待ってて、すぐにハッチを開放する』
短い電子音が鳴ると、ハッチが開いて機体内部の空間に照明が灯る。
その航空機は大量の火器を輸送していたときに墜落した機体だった。機体の前後は
『すごいよ、レイ』と、カグヤが武器をスキャンしながら言う。『ずっと閉鎖されていた空間だったからだと思うけど、ライフルはどれも保存状態がいいモノばかりだ』
ライフルを手に取ろうとしたときだった。
『レイ』と、ハクの声が内耳に聞こえた。
「ハク、どうしたんだ?」
『なにか、くる』
理屈は分からないがハクの声と一緒に、ぼんやりとした景色が見えてくる。
「すぐに行く。ハクは何処かに隠れていてくれ」
『ん』
ハクの気配が消えると、今までぼんやりと見えていた外の景色が見えなくなった。
『どうしたの、レイ』
「たぶんだけど、外にテントを張っていた連中が戻ってきたみたいだ」
『どうするの?』
「話をしてみるよ。どの道、ここを出るときに接触することになるんだ」
『レイダーギャングかな?』
「わからない」
私はそう言うと、瓦礫に注意しながら進む。
『スカベンジャーなら、物資の取り合いになりそうだね』
「輸送機のハッチは閉じたか?」
『もちろん』
「なら大丈夫だろ。他に侵入口を見つけない限り、物資を取られることはない」
『どうして?』
「施錠されたハッチを開けられるなら、とっくに物資は持ち去られていた」
『そうかな……?』
「そうだよ。とにかく話を聞いてみよう。案外、話の通じる人間かも知れない」
「てめぇ、そこで何をしてやがったんだ!」
砂埃で薄汚れた男が言う。
「落ち着け。俺はお前たちと敵対する気はない」
「敵対する気が無いだと!」と、男は唾を飛ばした。
「ここは俺たちの仕事場だ。勝手に侵入しておいて、敵対する意思がないなんてよく言えるな!」
男の攻撃的な態度にウンザリしながら言う。
「先客がいたことを知らなかったんだ」
「もういい!」と、戦闘服姿の男が言う。
「さっさとそいつを殺すんだよ!」
「殺すさ!」と、別の男が声を荒げた。
「その前に仲間がいないか確かめないとな」
「敵対する気はない。見逃してくれないか」と私は辛抱強く言う。
「黙れ! おい、お前!
「壁だ」と私は嘘をついた。
「灰色の壁。それだけだ」
「もういいだろ!」と戦闘服の男が叫んで私にライフルを向けた。
私も素早くハンドガンを抜くと男に銃口を向けた。
「止せ」と私は言う。
「俺に撃たせるな」
「俺に命令するな!」と、戦闘服姿の男は怒りで顔を赤くする。
「お前も他の連中と一緒だ。ここで殺してやる。ここで手に入るものは、全部、全部、俺のモノなんだ!」
『なんだか変だよ』
カグヤの言葉に、私は声に出さずに返事をする。
『こいつだけじゃない。もうひとりの男もおかしい。ずっとニヤついていて視線が定まっていない』
『薬物の中毒者かな?』
『まともなスカベンジャーには見えない』
「おい! さっきから何を黙り込んでるんだ!」と、戦闘服姿の男が叫ぶ。
「俺はただのスカベンジャーだ。お前たちと争う気はない、このまま行かせてくれ」
「俺に銃を向けたんだ。ここで死ねよ!」
男が銃身を動かしたときだった。私は素早く男の膝に向けて射撃を行った。男の膝頭が砕けて赤い
「撃ちやがったな!」と、もう一人の男が私に向けて発砲した。
しかし男が撃ち込んだ銃弾は、私の目の前にあらわれたハクの頑丈な体表に
膝頭を撃ち抜かれた男の側に、もうひとりの男の首が鈍い音を立てて転がり落ちると、恐怖した男は銃をめちゃくちゃに乱射した。私は
『ハク、まもる』と、白蜘蛛は私に
「ありがとう、ハク」
『やっちゃったね、レイ』とカグヤが言う。
私はハクを撫でながら言った。
「そうだな。本当に争う気はなかったんだけどな」
首の切断面から鼓動に合わせるようにして、大量の血液が噴き出す死体をスキャンしていたカグヤが言う。
『やっぱり中毒者だったよ。覚醒剤を所持してた』
死体の側にしゃがみ込むと、男が所持していた吸入器を拾い上げた。
「そう言えば、〈ジャンクタウン〉でもこのタイプの吸入器で覚醒剤を使用している人間を見かけた」
『最近の流行りなのかな?』
「そうなのかもしれないな……以前は見かけなかった代物だ」
手元の吸入器をまじまじと確かめる。四角い小さなモノで、白い軽金属で造られていた。表面には内容物が確認できる半透明の小窓が付いていて、その中に水色の液体があるのが確認できた。
『ねぇ、レイ。日が落ちるまで時間がないから、今日はもう帰ろう』
「そうだったな。輸送機にある物資の回収も、また今度にしよう」
遺体を火炎放射でまとめて焼却すると、ハクと共にその場をあとにした。
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