第145話 骨(探索) re


 装備保管庫に備え付けられていたスチール製の長ベンチに座って、完全栄養補助食品の〈国民栄養食〉を咀嚼そしゃくしていると、騒がしい物音が部屋の外から聞こえてきた。私は開いたままにしていた扉に視線を向ける。部屋の外にはハクがいて、廊下の先をじっとにらんでいた。


「ハク、敵か?」と、〈国民栄養食〉の残りをパッケージに戻しながらたずねた。

『ん。てき、きた』

 ハクの可愛らしい声が聞こえると、太腿のホルスターからハンドガンを抜いて、ガスマスクの形状を変化させて頭部全体を保護して戦闘に備えた。


 趣味の悪い真っ赤な絨毯に真っ黒な壁が延々と続く廊下の先に、人擬きがぽつりと立っているのが見えた。

「あの格好は……警備システムから取得した映像で見た戦闘員だな」

『大昔の人擬きだよ。注意して』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、化け物に銃口を合わせた。


「さっきまで廊下にはいなかった」

『どこかの部屋に潜んでいたのかな?』


 経年劣化や損傷が見られない黒いスキンスーツに黒い防弾ベストを身につけた人擬きは、ヘルメットが縦に割れていて頭蓋骨と脳の一部が露出していた。半透明のフェイスプレートの奥に見える顔の皮膚は、溶けた蝋燭ろうそくのように垂れ下がっていて、頭頂部では腫瘍しゅようのような物体が脈動している。


 その人擬きは壁に向かって歩き出すと、何度も身体からだを強く打ちつけながら、それでも我慢強がまんづよく壁に向かって歩き続けていた。

「冗談だろ?」と、思わずつぶやいた。

『脳に損傷を受けてるから、まともに動けないのかも?』


 大きな眼でじっと人擬きを見つめていたハクは、長い脚をそろりと動かして人擬きに接近すると、一気に飛び掛かる。人擬きはハクに組み付かれると、抵抗すらできずにみつかれて動きを止めてしまう。しばらくしてハクが人擬きから離れたあとも、人擬きは身体からだを硬直させたまま動かなかった。


『たおした』

 ハクは天井に逆さに張り付いた状態でトコトコと戻ってくる。

「死んだのか?」と、絨毯に横たわる人擬きを見ながら質問した。

『ん、たべた』


「食べたって……ハクは人擬きの血を飲んで大丈夫なのか?」

『そう言えば、ハクが口にしたモノは安全な栄養素に変わるって、以前ペパーミントが話していたよね』とカグヤが感心しながら言う。


『それにしても、ハクは人擬きを完全に殺すことができるんだね』

「ハクの牙には、人擬きウィルスに対抗できる何かがあるのかもしれない」

 周囲に目を向けると、他に人擬きがいないか確認する。廊下の先には横倒しになった自律式走行型の台車があって、周囲にはタオルが散らばっていた。


『さっきの物音の正体はこれだね』

 カグヤが操作する偵察ドローンは、倒れた台車の周囲をスキャンしながら飛行する。

『レイ、扉が開いてるよ。人擬きはここから出てきたみたい』


 偵察ドローンは音もなく飛び、扉が開いていた部屋のなかに侵入する。そのあとを追うように、ハクと一緒に警戒しながら部屋の前まで向かう。開いたままの木製の扉は上品な黒茶色で、レバーハンドルや鍵穴は見当たらなかった。恐らく生体認証で自動開閉するタイプの扉なのだろう。


「ハク、すぐに戻るから、少し待っていてくれ」

 白蜘蛛が部屋に入るには扉はせまく、外で待機してもらうことにする。玄関の先は間接照明がついた廊下になっていて、左右にはいくつかの部屋があったが扉は閉まっている。相変わらず敵意は感じられなかったが、警戒しながら廊下の先に見えていた部屋に向かう。


 大きなガラス窓のある広い部屋は殺風景で、冷蔵庫やいくつかの家庭用電気機器を除いて家具がほとんど置かれていなかった。部屋の白い壁に合わせるように、床材には灰色の石目調のタイルが使用されていて、それが部屋に冷たい印象を与えていた。


 その床には黒ずんだ染みが点々と残されていて、その黒ずみの痕をたどるように歩いた。奥の部屋にはクイーンサイズのベッドが置かれていて、その上には人間のモノと思われる白骨が残されていた。


 黒ずみ黄ばんだマットレスの上に横たわる骸骨には、腕や脚の骨がなく、代わりにインプラント用の高価な〈サイバネティクスパーツ〉が残されていた。特殊な軽金属で覆われた義足を拾い上げながら質問する。


「なぁ、カグヤ。この義足は、再利用できるのか?」

 偵察ドローンがどこからともなく飛んでくると、私の手の中にあった義足に赤い光を照射してスキャンを開始する。それが済むと、マットレスに載っていた精巧に造られた義手も調べていった。義手は特殊な人工皮膚で覆われていて、細い指には金の指輪がしてあるのが確認できた。


『簡単な整備と個人情報の初期化が必要だけど、インプラント用のパーツは問題なく使えるみたいだよ。ついでに回収していこうよ』

「そうだな。これも高値で売れそうだ」

 損傷していないか確認したあと、義足を〈ショルダーバッグ〉に入れていく。それから義手を手に取ると、ずっと気になっていたことをカグヤにいた。


「この肋骨の側に落ちているパーツはなんだ?」

『これは……豊胸用の装置だね』と、カグヤが素っ気無く言う。

「これも回収したほうがいいか?」

『それは単体では機能しないものだから、売れるか分からないよ』

「単体で機能しない?」


『うん。医療用の〈バイオジェル〉と、付属品の生体パーツが必要になるから、それだけだと機能しないと思うんだ』

「バイオジェル?」と、肋骨の間にある四角い金属製の装置を手に取る。


『主に医療用に使われていたジェルのことで、腕や足が切断されていようと、素早く再生させることができる医療品だよ』

「すごいな……そのジェルがあれば、砂漠で戦った旧文明の兵士たちみたいに、手足を失くしても再生させることができる」


『そうだね。でもその時代でも〈バイオジェル〉は高価なモノだったみたい。ジェルを使えるのは、もっぱら富裕層や広告モデルとか、あと肌を露出するような仕事をするモデルがほとんどで、それ以外の人は金属製の義手や義足で満足してたみたい。どんなに安くても〈サイバネティクスパーツ〉には精密動作制御用のソフトウェアが標準搭載されていて、新しい腕や足に慣れるためのリハビリが必要なかったからね』


「腕が生えてきたとしても筋肉量は今までと違うだろうし、慣れるのに時間がかかるか……」私はそう言うと、手元のインプラント用パーツを眺める。「パーツが足りないなら、こいつは売れないな……リサイクルボックスで素材にするか」

『そうだね』


「他に目ぼしいモノは……」と、部屋を見渡す。

 カグヤが操作するドローンは、部屋のあちこちにレーザーを照射してスキャンを行っていた。

『ダメだね。経年劣化した衣類しかない』

「ならもう部屋を出よう。ハクが待ってる」

 義手をショルダーバッグに入れるさい、義手から金の指輪を外して骸骨の側にそっと置くと、死者に手を合わせた。


『ねぇ、レイ』と、カグヤが言う。

『ここを調べてくれる』

 ドローンの近くにある両開きのクローゼットの側に向かうと扉を開いた。

「これは金庫か?」

『うん。開けるから待ってて』


 ドローンからケーブルが伸びて金庫の端末に接続される。

 金庫が開くのを待っている間、クローゼットのなかを調べていく。いくつかの引き出しがあったが、中身は露出の多い肌着ばかりで役に立つモノはなかった。


『開いたよ』

 しゃがみ込んで金庫の中を確認する。

「レーザーライフルに、たたみ式のコンバットナイフ……それに数枚のカードがあるな」

 銀色の薄いカードを手に取った。するとドローンから細いケーブルが伸びて、私の手からカードを取り上げる。


『すごいよ、レイ。結構な金額が入ったカードだ』

「ツイてるな。他のカードにも電子貨幣が?」

『待って……』と、ドローンの表面装甲がなめらかに動くのが見える。

『ううん。お金はその一枚だけ。あとは何処かにある高級店の会員証や調査報告書だね』


 状態がいいレーザーライフルをショルダーバッグに入れながらカグヤにたずねた。

「調査報告書?」

『うん。政治家や企業の役人との密会内容が書かれたモノや、少し刺激の強い男女の密会映像もある』


「何でそんなモノが?」

『わからないけど、身の保身のためか、恐喝や脅迫にでも使ってたんじゃないのかな?』

「誰が?」

『部屋のあるじに決まってるでしょ』


「まるで映画の登場人物だな」と、私は鼻を鳴らした。

『凄腕の女性スパイ?』とカグヤが笑う。

『ねぇ、すごく綺麗な人だったみたい』

「そうか」

『興味ないんだ?』と、ドローンが近くに飛んでくる。

「どんなに綺麗でも、もう亡くなっているからな」と骸骨にあごをしゃくる。


 部屋の外で暇そうにしていたハクと合流すると、我々は廊下の先に向かった。緩やかなカーブが続く通路の右手には大きなガラス窓があって、その厚いガラスの向こうに廃墟の街が見えた。清潔な建物内とは異なる荒廃した風景に懐かしさを覚える。それだけ建物内の環境は異様だった。閉鎖されていた建物だからこそ、維持することのできた環境なのかもしれないが。


 ハクのフサフサの体毛を撫でながらしばらく歩いていると、廊下の先に大きな扉が見えた。開いた扉の先を警戒しながら覗くと、外の風景が映る巨大なガラス窓が見えた。そのすぐ側にプールがあった。天井まで伸びたガラス窓からの景色は、決していいモノだとは言えない。超高層建築が周囲に建ち並んでいて見通しは悪いし、なにより、無人の街は物悲しく見るべきモノがなかった。


『地図の案内にはフィットネスクラブの表記があったけど、まさかプールまであるなんて』と、カグヤは驚いていた。

「スポーツジムみたいなものか?」と私は扉の先に向かう。

「この場所も調べてみるか」


 ハクは広い空間に喜んで意気揚々と部屋に入って行くと、プールの側で立ち止まった。

『レイ』とハクが言う。

『ほね、いっぱい』


「骨?」と、私は頭を捻りながらプールに近付いた。

 もちろんプールに水はなかった。そんなことは予想できていた。しかしプール全体が砕けた骨で満たされているとは想像できなかった。


『頭蓋骨がいっぱい』

 カグヤのドローンはプールの真上まで飛んでいって、大量の骨を確認する。

「全部、人間のモノか?」

『うん。推測でしかないけど、おそらくこの建物で暮らしていた住人のモノだね』


「どうしてこんな所に?」

『わからないけど、なんか怖いね』

「そうだな……」


 ぼんやりと人骨を眺めているときだった。砂粒上の黒い何かがサラサラと小気味いい音を立てながら、人骨の間をうように動いてプールのふちに向かって移動するのが見えた。やがて砂粒状の何かはひとつに集まると、人の影のようなモノをぼんやりと形作る


「カグヤ、あれが見えるか?」と、黒い影にハンドガンを向けながら言う。

『人擬きじゃないね。未知の変異体かな?』

 ガスマスクの機能を使い視線の先を拡大表示する。

「いや、あれは虫だ」


 砂粒ほどの小さな羽虫が大量に集まって、ひとつの意思を持っているかのように人の形を真似ていた。

『すごい数が密集してる……」とカグヤはつぶやいた。

『でも、どうして人の形をしてるの?』

「わからない」

 頭を横に振ると、ハクと一緒にプールの側から離れる。


 しかしそれは私とハクのあとを追うように一歩踏み出す。まるで人間が歩いているような動作だった。

「動くな。動いたら撃つ」と、なぜか私は声に出して言う。

『言葉は伝わらないと思うよ』と、カグヤが当然の感想を口にする。

「人の姿を模倣をしているんだ。言葉ぐらい分かるだろ」

『そんな無茶な……』


 黒い影は微かな羽音を立てながら、また一歩踏み出した。

 羽虫の集合体に向かって弾丸を撃ち込んだ。銃弾は黒い人の影に見える集合体をあっさりと貫通して、プールに散らばっていた骨を砕いて乾いた音を鳴らした。しかしそれだけだった。黒い影は弾丸が通り過ぎていった胸部に顔を向けたあと、人間のように頭をひねり、また歩き出した。


 それまで私のとなりで静かにしていたハクは、黒い影に向けて糸の塊を吐き出した。糸は黒い影の、ちょうど頭部に見える箇所に命中する。糸の塊を浴びた黒い影はたたずんだまま反応しなかったが、それでも無数の羽虫はハクの糸に溶かされ、蒸気を立てるのが見えた。


『効果があったみたいだね』

「それなら、まとめて焼却するか」

 ハンドガンの弾薬を火炎放射に切り替えて、銃口を黒い影に向けたときだった。急に騒がしい羽音がして部屋の天井を埋め尽くすほどの黒い影が骨の間から噴出した。


「マズいな……」

 黒い羽虫の大群はこちらに向かって凄まじい速度で飛んできた。

『レイ!』ハクは私を抱えると後方に跳躍した。


 フィットネスクラブの外に出るとハクは扉を勢いよく閉めて、扉に向かって糸を吐き出した。扉はあっと言う間に白銀色の糸で覆い尽くされて完全に開かなくなった。私はしばらくの間、ハクの脚に掴まりながら扉を見つめる。


「ありがとう、ハク。あの虫に捕まっていたら、大変なことになってた」

『へいき。ハク、まもる』

 ハクはそう言うと、私を抱きかかえたまま廊下の先に進んでいった。

「ありがとう」と、私はもう一度ハクに感謝した。

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