第144話 装備保管庫(探索) re


 道路に生い茂る背の高い雑草をき分けながら進み、高層建築物のエントランスまでたどり着く。入り口にある大きなガラス窓は割れていて、近くには動物の骨に雑じって人骨が散らばっている。建物内の薄暗い空間は雑草や泥、それに水溜まりでひどい状態になっていた。私は装着していたガスマスクの機能を使い、視覚情報を補完しながら慎重に侵入する。


 エントランスホールに入って最初に目にしたのは、猫ほどの体長があるドブネズミだった。そのネズミは私の姿を見ると、一目散に雑草の中に隠れる。一旦いったん立ち止まると、周囲の音に耳をそばだてる。それからまた歩き出した。


 壁面からがれ落ちたタイルは床で割れていて、タイルがなくなった壁には汚れや意味を成さない落書きが複数残されていた。その中には〈不死の導き手〉が使用しているプロビデンスの目にも似たシンボルマークも残されていた。


 教団の痕跡をこの場に残した人間は急いでいたのか、それともただ単に絵が下手へただったのかは分からなかったが、雑に描かれたシンボルマークの赤い塗料は垂れていて、そこに描くはずだったモノからは、ずいぶんとかけ離れた稚拙な絵になっていた。


 本来は人間の瞳から放射状に線が伸びてピラミッドを形作るモノだったが、瞳からは赤い塗料が必要以上に垂れていて、まるで赤い涙を流して泣いているような、そんな不気味な絵になっていた。


 と、背中にふわりと風が流れるのを感じると、私は反射的に太腿のハンドガンを引き抜いて素早く振り向いた。しかし焦る必要はなかった。


『レイ』と、白蜘蛛の幼い声が聞こえる。

『ハク。いっしょ、いく!』

 ハンドガンの銃口を下ろすと、エントランスまでやってきていたハクのそばに向かう。


「建物内はせまくて暗いけど、それでも一緒にきてくれるのか?」

 白蜘蛛の体毛を撫でながらたずねると、ハクは水溜まりをベシベシと叩いた。

『ん。たんけん、する』

「なら一緒に行こう。ハクが一緒にいてくれるのは心強い」


 早い時間に拠点を出発した私は、ペパーミントから借りた〈ショルダーバッグ〉を手に、超高層建築物が建ち並ぶ地区に来ていた。ちなみに今回の探索の目的も機械人形だった。前回の探索で〈超小型核融合ジェネレーター〉を持ち帰ったら、ペパーミントに大層喜ばれた。


 なんでも、機械人形の装甲やフレームは、設計図や資源があれば割と簡単に製造できるが、核融合ジェネレーターは製造に複雑な工程が必要で、短時間に造れないモノだったらしい。だから今回も機械人形のジェネレーターを探していた。


 高層建築物は機械人形の探索に打って付けの場所だった。自律型の業務用掃除ロボットや、建物の管理を行っている機械人形、介護ロボットなんてモノも場合によっては簡単に見つかる。問題があるとすれば建物内に多くの危険が潜んでいることだ。


 さらに付け加えるなら、建物の下層区画はスカベンジャーたちに荒らされているため、貴重な〈遺物〉を手に入れたいと思うなら、危険な上層区画に向かわなければならないことだった。そのため、今回の探索にはしっかりとした準備をしてきていた。


 泥濘ぬかるみを避けるようにして薄暗い空間を進み、手のひらほどの甲虫がひしめく通路を横目に、床から伸びる細長い筒状の端末の前に立った。その端末の先は行き止まりになっていたが、私は先に進むと壁に触れてみた。水垢や汚れによる黒い染みができていたが、旧文明の鋼材で造られた頑丈な壁であることが一目で分かった。


『その端末は、住人専用の区画に入るための生体認証機だね』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、壁を確認しながらたずねた。

「居住区画に侵入するための扉が見当たらない」

『その壁の先が通路になってるんだよ。隔壁で意図的に区画を閉鎖してるんだ』


「意図的に?」

『うん。ちょっと待ってて、すぐに開放するから』

 背中のバックパックからカグヤの偵察ドローンが出てくると、我々の周囲をぐるりと飛行する。ハクが捕まえようとして触肢を伸ばすと、ドローンは壁に向かって飛んでいった。


「侵入は難しそうか?」

『ううん。今なら簡単に侵入できると思う』


 カグヤがそう言うと、球体型のドローンからケーブルが伸びて端末に接続される。そのケーブルは、以前ドローンが使用していた切り離しが可能な使い捨てのケーブルではなく、端末操作のための専用ケーブルだった。


『これで大丈夫だと思う』

 カグヤとの接続が完了したことをしめすように、端末の横に点滅する小さな明かりが灯るのが見えた。短い電子音のあと、目の前の壁が左右にスライドしながら開いていった。


 そのさい、壁に寄りかかるようにして何とか状態を保っていた白骨死体が、乾いた音を立てて床に散らばった。私は骸骨の側を通って隔壁に近付いた。たしかに壁の先には通路が続いていて、毛足の長い絨毯が敷かれているのが見えた。その通路は壁のこちら側と違って、汚泥おでいや水溜まりが一切なく、清潔な空間が保たれていた。


 ハクは警戒しているのか、長い脚を伸ばして何度か絨毯を叩いてから、ゆっくり通路に入っていった。私もハンドガンを構えて、警戒しながら通路に入っていく。

『通路の先にエレベーターがあるはずだよ』

 カグヤはそう言うと、インターフェースに建物内の地図を表示してくれる。


「地図を手に入れたのか?」

『うん。あの端末を使って建物の管理システムに接続することができたんだ。それでついでに建物内の情報を入手しておいた』


「建物の管理システムはまだ生きているのか?」

『うん。地下に電源を供給するリアクターがあって、建物の電源が確保されてるみたい。だから照明もついてるでしょ?』


「照明?」

 頭部全体を保護するように覆っていたガスマスクの形状を変化させる。鼻と口元はそのままだったが、自身の目で周囲を見ることができるようにした。たしかに通路の照明が煌々こうこうと灯っていることが分かった。視覚情報を補完してくれるマスクの性能のおかげで、環境の変化に気がついていなかったようだ。


 通路は白い壁面パネルに覆われていて、照明は落ち着きのある色温度の低いモノが使用されていた。通路の天井にはハクが逆さに張り付いていて、私を置いてさっさと通路の奥に向かっていくのが見えた。


「なぁ、カグヤ」と、私は静かに閉じていく隔壁を見ながらたずねた。

「ここはずっと――」


『おかえりなさい、レイラさま』と、急に見知らぬ男性が私のとなりに出現した。

 私は驚いて後方に飛び退くと、ハンドガンの銃口を男性に向けた。けれどすぐに銃口を下げることになった。

「ホログラムか?」

『そうだね。たぶん彼も建物を管理してるシステムの一部だよ』


 男性は長身だったが細身の体形で、袖口だけが銀色の淡い紺色の制服を着ていて、綺麗な白い手袋をつけていた。ホログラムで表示される男性は不自然に整った人形のような顔立ちをしていて、私とハクに向かってニッコリと微笑ほほえんでいた。


『レイラさま』と男性は続ける。

『何かお手伝いができるでしょうか?』

 頭を横に振ると、カグヤにたずねた。

「どうして俺のことを知っているんだ?」


『生体認証のさいに、IDカードに登録されている名前を登録した所為せいだと思う』

「そうか……。とりあえず手伝いは必要ないから、ホログラムは消してくれ」

『私の手伝いが必要ないと?』と、男性は大袈裟おおげさな身振りで驚いてみせた。

「ああ、必要ないよ」


『まさか、私が信用できませんか? たとえダブルシフトで仕事をこなしていたとしても、私はしっかりと仕事を――』そこまで言うと、男性は口を開いたまま停止した。

 品のいい笑顔を見せる男性が消えたことを確認すると、私はあらためてカグヤに質問した。

「この建物は今日までずっと閉鎖されていたのか?」


『そうだね。エントランスから隔壁の先に侵入することはできないようになってた』

「それは厄介だな……」

『何が厄介なの?』と、カグヤが操作するドローンが近づいてきた。


「〈飢餓きが状態じょうたい〉の人擬きが潜んでいるかもしれない」

『工場を探索したときに遭遇した化け物のこと?』

「そうだ」


『可能性はあるけど、どうなんだろうね。建物の外壁に穴が開いていたら昆虫は侵入できるし、そうなっていたら人擬きの食べ物は不足しない。だから飢餓状態にはならないんじゃないかな? それに核防護施設じゃないから、換気口からも建物に侵入できると思う』

「建物の管理システムに異常は?」

『警報だらけだよ。監視カメラの映像を表示するから確認して』


『レイ』

 ハクの幼い声が聞こえると、私の身体からだは急に持ち上げられる。

 顔を上げると天井にいたハクに抱きかかえられていた。


『レイ、おそい』

「悪い、もう行くよ。だから下ろしてくれるか?」

『ん』ハクは私を床に下ろすと、自身も床に着地した。

『いっしょ、いく』


 ハクと一緒に通路を歩きながら、カグヤが拡張現実のディスプレイに表示してくれていた映像を確認する。監視カメラから取得した映像には、感染初期の状態だと思われる人擬きに襲われ、逃げ惑う人々の姿が映し出されていた。


 映像が切り替わると、レーザーライフルで武装した戦闘員の姿を映る。その戦闘員が人擬きに対してる攻撃することを躊躇ちゅうちょしている間に、犠牲者は増えていく。そして映像は唐突とうとつに途切れる。私は壁面パネルに残る弾痕に触れながらカグヤにたずねた。


「映像はこれだけか?」

『うん。ほとんどの映像は閲覧制限が掛けられていた。さっきの映像も破棄されていたデータの断片をつなぎ合わせたモノなんだ』

「そうか……建物内で人擬きの感染が広まったのは間違いないみたいだな」

『完全に駆除されてなければ、まだ建物内に潜んでいる可能性がある。いつも通り、警戒しながら進もう』


 通路の突き当りにあるエレベーターにたどり着くと、ソワソワしているハクを見ながらカグヤにたずねる。


「機械人形の手掛かりは?」

『管理室の装備保管庫に機械人形が残ってるみたい。だから、まずはそこに向かおうよ』

「装備保管庫? そんなモノもあるのか……場所は地下に?」

『ううん、地下にも保管庫はあるみたいだけど、機械人形の反応はない。たぶん人擬きとの戦闘で破壊された』


「それなら上階に向かうしかないのか?」

『そのほうが確実だよ。機械人形の反応があるってことは、動作する機体が残っているってことだし』

「仕方ないな……」

『しかたない』

 溜息をつくと、ハクが私の言葉をマネする。


 肩をすくめたあと、カグヤにたずねた。

「エレベーターは動くのか?」

『動くよ。それより、何階に行く?』

「どの階に、その〈装備保管庫〉はあるんだ?」

『二十五階ごとに部屋が用意されてる。ただ、二百五十階から上はレイの権限でも行くことができない』


「そこには何があるんだ?」

『プライベートルームと、あとは建物の設備に関する機械室だね』

「なら二十五階で頼むよ。上層には何があるか分からないし、あえて危険をおかすような真似はしたくない」

『そうだね』


 到着したエレベーターはこれといった特徴がない四角い箱だった。

 綺麗な絨毯が敷かれたエレベーターにハクと一緒に入ると、ほとんど身動きが取れなくなった。幸いなことに、エレベーターは人体改造した複数の人間の重量に耐えられるように設計されたモノだったので、ハクが乗っても大丈夫だった。


『見て、レイ。こんなこともできるよ』と、カグヤが言う。

 カグヤが何かの操作を行うと、エレベーターの壁が透けて外の景色が見られるようになった。そのさい、ハクが外の景色に驚いて動いたため、私は小さな箱の中でみくちゃにされてしまう。


「カグヤ、もとに戻してくれるか?」と、壁に顔を押し付けられながら言う。

『うん。分かった』


 エレベーターの扉の先に見えたのは、真っ赤な絨毯に真っ黒な壁が延々と続く通路だった。私は周囲に目を向けながらたずねた。

「ここで間違いないのか、カグヤ?」

『うん。装備保管室はこの先だよ』


 そこは清潔な空間だった。ゴミが落ちていることもなければ、当たり前のように転がっていた骸骨もない。もちろん壁に卑猥ひわいな落書きも描かれていない。

「殺風景だな」

『そうでもないよ。本来はこんな感じだったんだ』


 カグヤの言葉のあと、通路に多数のホログラムが投影されて視界が騒がしくなる。驚いて天井に飛び上がったハクを見たあと、旅行代理店の広告を眺めながらたずねる。

「これは全部、住人に見せるための広告なのか?」

『そうだよ。もちろん、広告が目に入ってこないように遮断することもできたけど、それなりの料金が発生するから、基本的に広告の垂れ流しだね』


「広告にも色々あるんだな」と、体感型のアクションゲームの広告を眺める。

『ごはん、いっぱい』と、ハクは果物の広告を大きな眼で見つめていた。

「ハクは果物が好きなのか?」

『ん、すき』


「果物か……いっぱい食べさせたいけど、入手が難しいからな」

『もり、いっぱい、ある』と、ハクは脚を大きく広げてみせる。

「森? もしかして〈ジャンクタウン〉の?」

『ん。もり』

「知らなかった。今度、一緒に探しに行くか」

 ハクは何も言わず、ただ天井をトントンと叩いた。


 目的地の〈装備保管庫〉は倉庫と休憩室が一緒になったような部屋で、スチールロッカーがずらりと並んでいた。目当ての機械人形は複数あって、それぞれが専用の充電機器につながった状態で部屋の隅に立っていた。


「状態がいいな」

『損傷もないよ』カグヤはドローンを使って、機体のスキャンを始めた。


 その間、私は気になっていたロッカーを調べることにした。ロッカーは施錠されていたが、接触接続で簡単に開いた。ロッカーには暴徒鎮圧用の装備が一式収められていた。とても軽いプラスチックのような素材で造られた盾に電気警棒、それに黒い防弾ベストに強化フェイスガード付きのヘルメットまであった。


「高層マンションに暴徒鎮圧装備は必要だったのか?」

『必要だったんじゃない?』と、カグヤは適当に答えた。

『これだけの規模の建物だよ。暴動が起きたら、ものすごい数の人間を相手にしなければいけない』


「そもそも、暴動が起きる前提なのが理解できない」

『私も詳しいことは分からないけど、旧文明は複雑だったんだよ。政府や企業の対立に、内戦もあったのかもしれないし』

「ひどいな」


『いつの時代も変わらない』とカグヤは素っ気無く言う。

『それより、その装備も回収しようよ』

「そのつもりだよ」

 暴徒鎮圧用の装備を手に取ると、〈ショルダーバッグ〉に詰め込んでいった。

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